脳外科医 澤村豊のホームページ

様々な脳腫瘍や脳神経の病気について説明しています。

小児の認知機能(知能) neurocognition

治療が成功して生き残った白血病のこどもたちとの大きな違いは,脳腫瘍のこどもに重い後遺症が多いことです
なかでも認知機能障害 cognitive dysfunctionが問題となります
高次脳機能障害,学習障害,注意欠陥障害とも表現されます

子供の脳組織の発達

神経細胞の発達は4歳くらいまで: 100億個くらいの脳の神経細胞は妊娠後期にはそろっています。生まれてから4歳くらいまでに灰白質の体積が大きくなります。これは,灰白質にある神経細胞(ニューロン)の体積が大きくなって,樹状突起の分枝 (dendric arbolization)が生じて,新しいシナプスができるからです。平たくいうと,神経細胞の間のネットワークが形成されて張りめぐされる大切な時期なのです。その後に,不要な神経細胞が死んでいって灰白質は少し小さくなり無駄のない脳のネットワークが完成されます。精神発達遅延のこどもで脳の容積がとても大きい子がいますが,この過程がうまく行かなかったのだと想像できます。この時期に脳神経細胞に毒性のある放射線治療をすれば,神経細胞そのものの成長が妨げられます。
髄鞘の発達は20歳くらいまで: 神経細胞の間をつなぐ配線のようなものを軸索 (axon) といいます。脳神経細胞はものすごく複雑な軸索のネットワークでつながれています。この軸索を守って働きを助けるために軸索の周りは髄鞘(ミエリン)という鞘(膜)で保護されています。家庭にある電線と同じ構造です。 この髄鞘は胎児の時から20歳くらいまで増えていって(白質の増大),成人になってから全部の軸索が髄鞘で覆われます。髄鞘は脳のネットワークの速度をあげて効率を増します。髄鞘の発達は,こどもが学習をして高度な脳の能力(高次脳機能)や知能(高い認知能力)を獲得するのに大きな影響を与えます。ですから,20歳以下のこどもの脳は,髄鞘形成に影響を与えるあるいは髄鞘を壊す神経毒(放射線やメソトレキセートなどの制がん剤)にとても弱いのです。障害を受けた脳の白質の容積が減るのは髄鞘形成が妨げられるからで,学習獲得能力の低下と認知障害を生じます。

参考文献:Moore III BD: Neurocognitive outcomes in survivors of childhood cacer. J Pediatr Psy 30, 2005 を要約して解説したものです

年齢と認知機能障害(特に手術と合併症)

よく知られたことですが,小さい子供ほど腫瘍や治療によって,認知機能の発達を妨げられます。これは,放射線治療だけではなく様々な要素が原因となっています。腫瘍の発生部位,発症時の意識障害,手術の方法と回数,化学療法,水頭症,シャント手術,髄膜炎などの合併症など,どれをとっても年長児より小さなこどもの方が影響を受けやすいとされています。ですから,どんな治療にしても小さい子供の方が難しいし,より慎重にしないとIQの低下や認知障害を引き起こします。
特に,手術の影響が大きいのですが,小さい子供では認知機能の検査がしにくいし,また手術の直後には「麻痺もないし元気そうだね』という評価で過ぎてしまいますので,何年もたってから認知機能発達の遅れが目立ってきても,手術のためだとは誰も思わないのです。だいたいほとんどの脳外科医がこの事実を知りません

小脳と認知機能障害・後頭窩症候群

小脳は運動の協調性を保つ働きをするので,腫瘍や外科手術で小脳を損傷すると運動失調だけが生じると長い間考えられてきました。しかし,小脳機能の障害が認知障害 (neurocognitive decline, deficit of higher order cognitive skills) を生じるということがわかってきました。生理学的には小脳と前頭葉の間の情報処理経路が関係しています。小脳に依存する注意力と情報処理速度の低下が生じるためです。

術後の一時的な小脳性無言症 (cerebellar mutism) だけではなくて,注意力,記憶,処理速度,情緒障害、視覚構成 (visual constructive copying)などに影響があるとされますが,全般的な知能 (full scale IQ) には大きな影響はありません。髄芽腫,上衣腫,毛様細胞性星細胞腫などのテント下腫瘍で後頭窩症候群 (posterior fossa syndrome) あるいは小脳認知・情緒症候群 (cerebellar cognitive affective syndrome: CCAS) として知られます。原因としては、手術時に小脳中部、小脳深部白質、歯状核の損傷が大きいために生じますから、第4脳室腫瘍を摘出するときに小脳中部切開を最小限にすることで避けることができる後遺症です。もちろん小脳脳幹部への放射線治療も小脳機能低下を招くので同様の症状が出ると考えられます。

注意欠陥障害・多動性障害 ADHDの合併

認知機能の低下は学習や社会生活に困難を生じます。でもこれは知能という側面だけの問題ではりません。情緒行動にも障害があることも知られてきました。脳腫瘍の長期生存者には,ADHD(注意欠陥・多動性障害)の子ども達に応用されるアプローチがしばしば用いられます。注意障害のある脳腫瘍生存者の4人に1人がAD/HDと同じ症候を呈するという報告があります。注意欠陥障害を有する子どもは,他の脳腫瘍生存者よりもさらに学習が困難な状況となっています。
Hardy KK: Attention-mediated neurocognitive profiles in survivors of pediatric brain tumors: comparison to children with neurodevelopment ADHD. Neuro Oncol. 2018

化学療法と認知機能障害

放射線治療のあとでメソトレキセートを使った化学療法をすると,ひどい亜急性の白質脳症 (subacute leukoencephalopathy) が生じて高度の認知障害になることは,40年以上前から知られていました。ですから,脳腫瘍にメソトレキセート(静注,髄注) を使う場合には,メソトレキセートを使用してから放射線治療をすることが多いです。 それでも投与量によっては白質脳症は起こります。

Iuvoneというローマの小児神経科医が長期生存した急性リンパ芽球性白血病 (ALL) の子供たちを調査した報告があります。この白血病は脳(髄腔)に転移しやすいので,全脳脊髄照射18-24グレイとメソトレキセートの髄液内投与 (IT) で治療されていました。メソトレキセートの髄注の回数が,脳の石灰化(白質変性)と認知機能の低下に深い関係があったそうです。一方予想に反して,18グレイと24グレイの放射線量では認知機能に差がなかったとしています。メソトレキセートに関しては,同様にALLでプレドニン,ビンクリスチン,アスパラギン酸,メソトレキセートの化学療法だけで治療されたこどもに脳白質の異常が見られたという報告などいろいろあります。しかし,一般的にはメソトレキセート単独では問題は小さく,脳照射と併用された時に障害が大きくなると考えるべきでしょう。
Iuvone L et al.: Long-term cognitive outcome, brain computed tomography scan, and magnetic resonance imaging in children cured for atute lymphoblastic leukemia. Cancer 95: 2562-2570, 2003

いずれにしても認知機能低下を防ぐという観点からは,発達過程にある髄鞘に毒性を有するMTX メソトレキセートの髄注をしないように努めます。脳腫瘍の子ども達は認知機能の低下で苦しむことは誰でも知っていることですから,可能であればそれを生じるかもしれないMTXは極力避けて治療を行うということは当たり前の論理です。

放射線治療と認知機能障害

放射線治療直後や3ヶ月後くらいに急性あるいは亜急性放射線脳障害が生じることがあります。原因は,全脳照射の線量,シスプラチン,イフォマイド,メソトレキセート,インターフェロンなどの薬剤と放射線治療の組み合わせなどです。一時的なこともありますが,高齢者では回復しないこともあります。幼児でも亜急性の放射線脳障害による高度の脳萎縮が回復しないことがよく知られています。

もっとも問題で高頻度に見られるのが,遅発性の放射線脳障害です。これは,何年もかかってゆっくり悪化する認知機能障害です。これは上の方に書いた脳組織の発達,特に白質の髄鞘形成と深く関係するもので,小児脳腫瘍治療における最も大きな問題です。使う放射線量 (dose),あてる場所 (region),あてる広さ(field volume),患児の年齢 (age) で障害の重さが決まります。認知機能障害といっても,言葉の発達 (verval IQ) などは比較的良いのですが,新しいことを学ぶことが不得意(学習獲得能力の低下)という特徴があります。照射を受けた子どもでは前頭葉と側頭葉の体積が増加するのが遅れ,同時に語彙 vocabulary の発達が遅れます。

できることならば,4歳をこえるまでは全脳照射をしない方がいいのですが,3歳を超えて放射線治療が明らかに生存割合という意味での治療成績を良くすると予測できれば,全脳照射は選択されます。大脳腫瘍の子供の方が小脳の腫瘍よりも,脳照射でより大きな影響を受けます。

腫瘍を治癒に導くために不可避と考えられる全脳照射の線量に関して,現時点で次のような原則があります。もちろん,追加の局所照射は,個々の症例によってかなり変わりますし,例外もあります。

0歳から3歳        行わない
4歳から6歳まで    18グレイ/10分割
6歳以上           23.4グレイ/13分割,25.2グレイ/14分割
播種のある例      認知機能予後より救命目的となります

メトホルミン metformin が放射線治療後の認知機能の回復に有効かもしれない

Ayoub R: Assessment of cognitive and neural recovery in survivors of pediatric brain tumors in a pilot clinical trial using metformin. Nat Med 2020
ビグアナイド系の2型糖尿病の経口治療薬メトホルミンが放射線治療後の小児の認知機能の改善に有用かもしれないという報告です。メトホルミンは,神経前駆細胞 neuronal precursor cells の成長を促す neurogenesisという作用を有しているからだとされています。女児において効果がはっきり認められるとのことです。頭蓋照射を受けた小児脳腫瘍患者24人でのpilot trial なので,今後のより大きな臨床試験で追試されないとなんとも言えないです。

脳腫瘍が治った子供たちの認知機能

Brinkman TM, et al.: Long-Term Neurocognitive Functioning and Social Attainment in Adult Survivors of Pediatric CNS Tumors: Results From the St Jude Lifetime Cohort Study. J Clin Oncol 34:1358-67, 2016
St. Judeからの報告です。224人の脳腫瘍の子どもたちが成人になってから,認知機能検査を受けました。治療後中央値で18年です。脳脊髄照射をしていると放射線治療を受けていない場合に比べて,1.5倍から3倍くらい高度の認知機能障害がありました。てんかんがあると学校での成績が悪い,水頭症でシャントを受けている子供は知能指数が低いという結果です。たとえ放射線治療を受けていなくても,認知機能障害のために,教育レベルが低い,就職できない,自立して生活できない子供が多いということです。

髄芽腫の生存者を援助する,認知機能の低下傾向は5年続く

Sands SA: Helping survivors of medulloblastoma learn from what we learn. J Clin Oncol 31:3480-3482, 2013
Palmer SL, et al.: Processing speed, attention, and working memory after treatment for medulloblastoma: an international, prospective, and longitudinal study. J Clin Oncol 31: 3494-3500, 2013
3歳から21歳,中央値9.8際の髄芽腫の子ども126人が,脳脊髄照射と局所照射と化学療法で治療を受けました。高リスク群には脳脊髄照射36グレイが使用されています。英語なので正確に訳せませんが,認知機能をprocessing speed (PS), broad attention (BA), and working memory (WM)で追跡調査されました。結論として大切なことは,低年齢が認知機能低下のリスクとなるという当たり前のことだけではなく,主に照射の影響なのですが,PS(パーフォーマンス・ステイタス,日常生活動作のレベル)とprocessing speed は5年で最低レベルに達するということです。ですから,治療が終わって学校に戻っても,数年間は成績が落ちていってしまうのでクラスから脱落するのです。この間の子どもたちの認知機能の低下傾向への理解が必用だと解かれています。両親あるいは生存者の教育とリハビリの担当する人が,診断後5年まではPSが低下し続けるという指標をわきまえて対応しなければならないということです。
Palmerの論文では,治療を受けた318人の髄芽腫の子どものうち75人にposterior fossa syndromeが生じていたとのことです。小脳性無言症が実に25%の子どもに起こったというのです。これは後ろの方の2006年 Robertsonの論文にも24%と書かれているので驚きです。4人に1人は小脳虫部を大きく切開して髄芽腫が摘出されているのかもしれません。ある興味深いspeculationがあり,もともと知能の高い子どもほど放射線毒性を受けやすく認知機能低下の割合が高いというものです。

認知障害の治療と将来の方向

さまざまなタイプの認知障害が生じますので,治療といってもとても複雑です。また障害の程度も軽いものから重度のものまで,一定の傾向はありません。小児の発達に詳しい小児科の先生の評価指導とともに,学習能力の低下などに対応するためには特別な学校や指導が必要です。不登校になるこどもや自閉症も多いです。長期生存してADHD(注意欠陥多動性障害)になった脳腫瘍のこどもにリタリンなどの薬剤が有効であったという報告もあります。

認知障害を避けるために必要なことは,最初から精度の高い治療をするということです。正確な診断で最低限の侵襲の治療法を選ぶことから始まります。手術の優劣も患児の予後を大きく左右します。例えば,松果体の腫瘍などで視床の損傷などを生じればそれだけで高次脳機能の低下が生じます。髄膜炎などの合併症を避けることも大切です。化学療法剤は神経毒性のない制がん剤を選んだ方がいいでしょう。

もっとも問題になる脳照射は,次第に低線量となる方向へ向かっています。ただし忘れていけないことは,放射線治療があるから治る腫瘍も多いことで,いたずらに線量や照射野を小さくすれば命を失う結果になりかねません。定位放射線治療(ガンマナイフやサイバーナイフ)あるいは陽子線治療が,正常の脳に放射線をかけないで腫瘍だけにかけられるとして注目されています。しかし,小児の脳腫瘍に放射線治療が必要な理由は,腫瘍が脳に浸潤することと髄液播種をするためだからです。例えば,もとより浸潤性のジャーミノーマにガンマナイフや陽子線で局所照射をすれば再発して,次の治療がなくなることもあります。定位照射や陽子線を,播種の予防あるいは治療には使えないことも忘れてはなりません。

手術で腫瘍の播種を招くことがあります。腫瘍を摘出しながら腫瘍細胞を髄液の中にまき散らすのです。もしこれを避けることができたら,将来はM0(転移のない悪性腫瘍)に全脳照射をしなくて良い時が来るかもしれません。

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