追いつけ追い越せの時代には、大学でも「出羽の守」と言われた。これは「で はの紙」の皮肉であって、「アメリカ『では』こうやっている」「イギリス 『では』こう考えている」といって、外国を紹介するだけの論文=紙を書いた 人々を指す。「フランスではこうだ」「ドイツではああだ」という「では」が 水戸黄門の印籠のような神通力を発揮し、「では」で論文を書く。それが当時 の日本だった。
---小宮山宏『「課題先進国」日本』
早朝に起きてスライドの準備。朝、シャワー、朝食。
朝、昨日とは違う会場まで歩き、ワークショップ二日目。 夕方まで高齢化社会の話。 発表は無事に終了。
夕方、生協のようなところでワインを飲みながら歓談。
夜、ピザ屋で懇親会。すべてごちそうになる。感謝。
夜中に帰宅。少し喉も痛いし、とりあえず寝るべし。
定時起床。髭剃り、ゴミ出し、朝食、朝刊。
午前中は某君に手伝ってもらって事務仕事。某翻訳作業もする。
お昼は某氏と荒神口のあたりで。研究相談など。
昼下がり、研究室で仕事をしようとしたが、過去のメモにある指示に該当する 箇所が見つからず、夕方になる。
夕方、北大路で整体。それから帰宅。本を最初から最後まで読んでもメモ書き にあった指示に該当する箇所が見つからず。あきらめて娘を保育園に迎えに行 く。
夜、夕食。そのあと、娘とシャワー。夜中、大学に戻って真夜中まで某論文の 推敲作業。一応推敲を終える。とりあえず寝かしておこう。
真夜中を過ぎてから帰宅し、某妻としばらく『アイアンマン3』を3Dで見る。長 いので途中まで。
定時起床。早朝に娘が泣き出したため、寝不足。ゴミ出し、シャワー、朝刊、朝食。
朝、娘を保育園に送ったあと、バスで後楽園にある某区役所に行き、いろいろ 用事を済ませる。それから歩いて本三駅前の喫茶店に行き、しばらく雑用。
お昼は研究室で校正などの雑用をしながら食事。
お昼すぎ、某翻訳作業。
昼下がり、某院生たちのスライドを見たり、新型インフルの勉強をしたり。
夕方、たいやきなどを買ってきて某氏たちと一服。それからまたいろいろ雑用。
夜、帰宅して娘を散歩に連れていきがてらスーパーで買い物。戻ってきて夕食。
夜中、娘とシャワー。食器を洗う。もうちょっと仕事をしてから寝よう。今月 末もいろいろあって忙しくなりそうだ。
定時起床。髭剃り、シリアル。
朝、娘を急いで送り、本郷へ。喫茶店で一服してから、 午前中は某名誉教授のインタビューの手伝い。いろいろと面白いお話を 聞かせていただいた。
お昼は某氏とイタめし。
お昼すぎ、某院生の指導を少し。そのあと、某ミーティング。
昼下がり、某研究会。ひさしぶりに公衆衛生倫理の話。
夕方、研究室で某書類作り。時間がかかって辟易する。
夜、地下鉄で帰宅。少し遅くなる。夕食。
夜中、娘を風呂に入れる。娘は腹の調子が治らないので、 某妻が病院で下痢止めの薬をもらってきたそうだ。いろいろ大変だ。
真夜中、新聞と先週の週アスを読んだあと、 昨晩途中まで見た『悪魔と寵児』(1946) を終わりまでみた。これもディケンズの作品。 波瀾万丈のストーリーは見ていて飽きないが、時代状況はわからず、 あんまり勉強にはならなかった。ちゃんと小説を読まないとな。C-
ホテル泊。朝、なんとか起きる。シャワー、朝食。そのあと、しばらく某校正作業。
お昼前にチェックアウトし、近くの(というか、ホテルの一階に併設されている) 某スタバで校正作業。お昼すぎまで。
お昼すぎに三条烏丸に行き、某氏らと昼食。
それから、一緒にJR京都駅に行き、おみやげを買うのを手伝ってもらったり、 駅の喫茶店で少し話したりする。
時間通りに新幹線に乗って京都を発つ。車内でも某校正をしたり、少し寝たり。
夜に東京着。小雨。千石駅前でコーヒー豆を買って無事に帰宅。
夜中、夕食をとったあと、某オンライン研究会。疲れた。
真夜中、また某校正作業の続き。一通り終了。明日と明後日で修正箇所を 清書して、某編集者に送りつけよう。
京都は発表はあれだったが、いろいろな人に会えたり、 おもしろい話をいくつか聞けたりして楽しかった。
定時起床。シリアル。
朝からついコンピュータをいじって時間を浪費してしまう。
お昼すぎ、洗濯物の取り込み、髭剃り、一階の掃除。 それから大学へ。
某コンビニでお昼と東洋経済を買ってから研究室へ。 しばらくうだうだする。某院生のスライドにコメントなど。
夕方、功利主義アワー。もっと勉強しないとやばい。
夜、帰宅して夕食。
夜中、ちょっと巣鴨の漫画喫茶でchill outする。真夜中に帰宅。
少しWiiをして汗を流し、シャワー。メールで某院生のPPTや文章の指導。 もう寝なければ。明日こそはしっかり勉強しよう。
メモ。そういえば、UCLのランゲージ・センターで先生に矯正されてから 逆にうまく行かなくなっていたLの発音に関して、 少しbreakthruがあった気がする。気がするだけかもしれないが。 というか、毎日会話しないと、どんどん話せなくなっていく。
朝、ゴミ出しをしてから朝刊。ソファでウトウトしかけたところに 某妻が起き出してきたので、シリアル。そのあと、ちょっとソファで寝る。 お昼は焼きそば(きのこで作られた代用肉入り)。
昼下がりに某妻と一緒に自転車で大学へ。少し荷作りを手伝ってもらう。 夕方、本三の某洋菓子屋でケーキを食べながら一服。
そのあと、某妻と別れて大学のジムへ。今日もプールで平泳ぎのキックの練習。 これまでのオレの平泳ぎは、足の甲でキックする「あおり足」になっていたようだ。 だいぶ矯正されてきたが、まだうまくないようで、足や膝の負担が大きいキックになっている。 ケガをしないように気をつけよう。
夜、帰宅。
夜、カレー。そのあと死んだようにソファで寝る。夜中に起き出して、 食器を洗い、二階の勉強部屋で少し書き物。ちっとも進まない。 星新一が言うように、スポーツしてすっきりしてはダメなのかな。 いやいや、そんなことはないはずだ。
今日のこと。
早朝に目覚める。今日は朝から某トロント大学の生命倫理学研究所を訪ねる 予定なので、緊張中。楽しいといいが…。いや、楽しくなるようにがんばろう。 深呼吸、深呼吸。
午前中は某研究所へ。よくしゃべる新しい所長と1時間ほど話す。
お昼はサブウェイで。トロントにもモントリオールにもサブウェイがたくさんある。
お昼すぎに大学の図書館に行き、しばらく勉強。ここは書庫に入るのにも 許可証がいるようなので、面倒なので閲覧室で某翻訳をしていた。 明日も来よう。
つかれたのでいったん帰宅。
夕方、少し寝たあと、ブロア通りを東に向かって散歩。 本屋などいくつか店を回り、ワインその他の食料品を購入。 ホテルの側のタイ料理屋でテイクアウトの料理を買ってから帰宅。 ワインを飲みながらゆっくり過ごす。食べすぎ。
そういえば、今朝の某所長との会話で、 Flu Wikiというサイトを教えてもらった。
早起き。大学に行かねば。
研究室へ。
う。右と左で違う靴を履いてきたことに気付く。 恥ずかしいので夜になるまでサンダルを履いておこう。
勉強中。ちょっと雑用も。
ミンミンゼミが一匹だけ鳴いている。 なんだか弱々しい感じでどこか寂しげだ。 夏の終わりを告げているような。
昼は蕎麦。
昼下がり、某ミーティング。そのあと、某研究会。 発表は時間が長引いてしまったが、一応無事に終わる。 今週末の発表に向けて、もっと準備しよう。
これからプール。
プールで45分2キロ。今日は新しいことを二つ試してみる。
ジムを出たら、けっこうな雨が降っていたが、傘を持っていなかったので、 バスタオルで頭を覆って、購買部に行き、弁当を買って研究室に戻ってくる。 ちょっと濡れたが傘を買うほどではなかった (購買部で傘を買っている人も数人いたが…)。
研究室で夕食を食べながら、今日届いたジョゼ・サラマーゴの『白の闇』 (NHK出版、2001年)を読み始める。これはおもしろい。
クロールでがんばりすぎたせいか、発表のために早起きしたせいか、疲れて動けない。 さっさと帰宅して本を読んで寝るか。
なんか、〆切が大挙して迫ってきているような。 合理的な人ならどうするか。知らないフリをするか。 あるいは疲れたなどと言っていないで、さっそく次の仕事に取り掛かるか。
あれ、健康診断の予定って、来月じゃん。 すっかり今月のことと勘違いしていた。
(右と左で違う靴を履いて)帰宅。途中でユーフォリアに襲われる。 まあ、少なくとも今日は研究が一段落して幸福なのだろう。
水泳でがんばりすぎたのか、なんだか体がだるい。
Katie MeluaのOn The Road AgainというライブDVDが イギリスから届く。そのうちゆっくり見よう。
ある曲を聞いて、`Unmistakable.'と言えば、 「他の人と間違えようのないあの人の歌声」という感じ。 `one and the only'というのも似ている。
今日のニュース
お昼前に起きたが、しばらくして昼寝してしまう。まじでやばい。
夜、大学に行って少し勉強。まだネットにつながらないので早々に帰宅する。 ようやく某シンポジウムの原稿を書いてメールで送った。 次は水曜日朝の発表の準備。これもまじでやばい。
早寝超遅起き。扇風機をつけっぱなしにするとよく寝られないようだ。
お昼ごろに地震があったので一度起きたが、ニュースを見て大丈夫そうだと 思い、また寝てしまう。
これから勉強する予定。
小泉首相、自民党総裁に再選。
雨が続くと思ったら、台風15号の影響で前線の活動が活発化してるんだそうだ。
新聞を読み、ちょっとごはんを食べる。
雨のせいで喫茶店にも行けず、 なかなか勉強する気にならず。怠惰。
夜、このままではいけないと思い、某スタバに行き勉強。 新聞を少し読み、ブラックバーン。
月末あたりに、いろいろ〆切があるので憂鬱。逃避せずにがんばれ。
起きて、洗濯、シリアル、シャワー。まだ腹の調子が悪い。 どうも風邪の前兆のようだ。
過去の事実をしっかり見据えることでしか、未来は開けない。 それを北朝鮮は知るべきである。
(9月20日朝日新聞社説「拉致事件――事実究明は譲れない」)
こういうことを言うと、日本はどうなんだと言われそうだけど…。
秘密にする必要もないところまで隠し立てをしていては、外交に対する国民の 信頼を損なうだけだ。可能な限り情報を公開し、透明性を高めることにより、 国民の支持を取り付けることが、外交にとっても不可欠である。
(9月20日読売新聞社説 「[拉致被害情報]「不信を増幅する無用な隠し立て」」)
政府が隠し立てをすると、国民の不信感が高まり、 情報公開をすると、国民の信頼が高まるそうだ。オニールはどう言うか。
掃除、ツナそうめん。もう行かねば。
のぞみに乗って京都に戻ってくる。小型のスーツケースが二つあったので、 死にそうになる。新幹線でもお腹を壊し、これまた死にそうになる。
某読書会があるそうなので、いったん下宿に戻ったあと、大学へ。 バスの中で蚊にかまれる。さすが京都。まだ暑い。
机に向かっている時間…1.5hr
今日の勉強時間…0hr
マルクス係数…0
というわけで無事に日本に戻ってきた。詳細はまた明日。
あ、論文はちゃんと出したので。念のため。
昨夜は某研究室に立寄ってコンピュータをいじったりしていたら 日付が変わってしまう。 そのあと某君の『はじめの一歩』を10巻ほど借りて下宿に戻り、 夜明けまでかかって読んでしまう。
「う〜むだな」
「う〜むですね」
それはともかく、先日火曜日は早朝にほんの少しだけ寝たあと、 朝8時から10時までのあいだに荷作りを完全に済ませ、 1年間住んだ寮をチェックアウトする。といっても、 運送業者を待たないといけないのでしばらく友達の部屋にいさせてもらったのだが。
午前中に来る予定だった運送業者がいつまでたっても来ず、 ロンドン最後の日なのに、えんえん待ちぼうけをくらわされる。 もちろん、このぐらいのことは事前に予測しておくべきなのだが、 まあ予測していても論文があったのでいかんともしがたかっただろう。
1時半になってようやく業者が来て、荷物を引き取っていく。 保険を含めて260ポンド。荷物は1ヶ月半くらいで届くとのこと。 ほんとかな。
それから急いで銀行その他に行き、最終的な手続の処理。 住所の変更や、自動振替(standing order)のキャンセルをするために、 小雨の降るなか、ホルバーンやらトテナムコート通りを走るはめになる。
ふたたび寮に戻り、重い荷物を抱えて出発。 寮にいた数人の友人に駅まで送ってもらう。感謝。 ピカデリー線に乗ってヒースロウへ。 駅を降りてから手押し車(trolley; cart in American English)を入手。
ゆうゆう2時間ほど前に着いたが、 米国テロのあとの厳戒態勢が原因で、 JALのチェックイン・デスクの前の周りには行列ができている。 えんえんと歩いてようやく列の最後に行きつき、 それから1時間ほど待つことになる。
ご覧のとおり荷物が多いので (カバン四つ、ギター一本)、 「お酒がっ」「ギターがっ」「スーツがっ」と駄々をこねて なるだけ多くの荷物を機内に持ちこもうとするが、 デスクのお姉さん方は予想外に厳しく、手荷物は一つだけ、 ギターはチェックインしないとだめ、の一点張り。 交渉する時間も根性もないので、あきらめて荷物を引渡したところ、 チェックインする荷物は合計して明らかに40キロ近くあるにもかかわらず、 超過金を払えとは一言も言わずに通してくれる。 JAL万歳。
ところで、米国テロのせいで、機内にはカッターやナイフだけでなく、
プラスチックのナイフさえ持ち込めないと事前に聞いていたが、
なんとJALでは、爪切りや小さなハサミのほか、
耳かきまで持ち込み禁止と書いてあり驚く。
そんな、
必殺仕事人じゃないんだからパイロットを耳かきで殺すテロリストなんて
いるわけないでしょう、とつっこみたくなったが、
機内に持ちこむバックパックの中の筆箱に愛用の耳かきが入っているのを思いだし、
没収されてはこまるのでチェックイン用のカバンに入れ替えた。
それはともかく、チェックインが終わり、 手荷物検査を終えたころにはすでに搭乗時刻を過ぎている。 あああ、おみやげまだ買っていないっ、 と心中わめきながら免税店を見てまわるが、 気が気でなく落ち着いてはとても選べない。
これはまずいと思い、某ネクタイ屋さんを見つけたので、 店のお姉さんに、こっここに100ポンドあるから、 適当にネクタイとスカーフを急いでみつくろってくださいとお願いする。 さいわい優秀なお姉さんで、おみやげをあげる人の年齢層を尋ねたあと、 ぱぱっと手際よく選んでくれる。感謝。
それからえんえん走って搭乗口に辿りつき、 汗みどろになりながら無事席に着く。 (注: 臭うと困るのですぐにトイレに行き顔その他を洗った。) ロンドンを発つことに感傷的になるひまもなく飛行機は出発。 機内ではEnemy at the Gates (邦題『スターリンベルク』)を観たのと、 となりのオーストラリア人夫妻と多少会話したぐらいで (`Don't mention the refugees!')、 あとはえんえんと寝てしまう。
飛行機は19日の昼下がりに30分おくれで関空に着く。 無事すべての荷物を回収したあと、荷物を宅急便で送ろうと思い、 クロネコのところで手続をする。 しかし、手続を終えたあとでうしろを振り向くと、 MKタクシーが荷物の配達料よりも少ない金額で京都まで送ってくれる サービスを宣伝している。 いそいで「ごめんなさい、配達キャンセルしてください」 とクロネコに謝ったあと、 MKのデスクに行くと、予約してないとだめだと断わられる。
クロネコに不義理を働いたあと頼みの綱のMKにそっぽを向かれてしまい、 ちょうど現在の彼女をフって他の女性に交際を申し込んだら断わられたような みじめな気持ちになる。 しかし、すべての雲の裏には光明があるというのはほんとで (いや、ほんとじゃないと思うけど)、 しかたないのでとぼとぼと手押し車を押していると、 ヤサカシャトルバスという乗合がMKと同じ値段で予約なしで京都の家まで 送ってくれることがわかり、歓喜する。 さいわい15分後に出るバスに乗ることができ、 夕方ごろに無事に京都の下宿に戻ることができた。
下宿にいた某君と一緒にお好み焼を食べにいったあと、 コンピュータを使いに大学へ。あとは上に書いたとおり。
朝、3時間ほど寝ていたところ、某母からの電話でたたき起こされる。 しかも「さっきメイルを送った」という内容のない電話だったので内心激怒するが、 まあ無事に帰国した息子の声を聞きたいのだろうと思って我慢する。 親孝行、親孝行。
近くにできていたディスカウントストアで生活用品の買物。 デフレと聞いていたが、物価は依然高い。
それから、いろいろ用事を済ませに大学へ。眠い。
昨夜は気づかなかったが、 文学部新館の南に新館と同じくらい巨大な建物ができており驚く。
Guardian Weeklyにsubscribeすることにした。
国民年金は所得が多いので猶予されなかったようだ。 税金やら保険料やらいろいろ大変だな。 これが国民の義務というやつか。
昼下がり、某助教授にご挨拶。進路指導を受けたりする。
区役所で住民票を取ったあと(あの紙切れがなぜ350円もするのか不明だ)、 某ルネで本を大量に購入。
事務に住民票を出しに行ったら、課税証明書もとってこいと言われる。失敗。
お昼を何も食べてなかったのでフラフラと中央購買部に行くと、 偶然某先輩にお会いしたので、おみやげを渡したりする。
それから某部屋で調べものをしていたらウトウトしてしまう。 某君にもお会いする。
去年に誰かから教わっていたが、 ベンタム新全集のCD-ROMが出ているので、 早々に入手する必要あり。 科研費で買えるのかな。
In the morning I practiced pronunciation at the audio room in Language Centre. I'm afraid I'm escaping from the Kanrin paper...
Today I watched a movie called `O, Brother, Where Art Thou?' The story takes place in Southen America and is allegedly based on Homer's Odyssey. The problem was the English they spoke; it was very southern and me and my friends couldn't understand most of what they said, particularly jokes. But I enjoyed the movie nevertheless and I recommed you to see it. The music is fine and we've got a man like Robert Johnson in that movie... B.
もう20日か。
昨夜は、研究室でメイルの返事を書いたり、 日記の整理をしたり、『はじめの一歩』第26巻を読んだりして過ごす。 某先輩に、 某氏によるトゥーリーの翻訳の手直しをやるように頼まれたので、 引き受ける。今月末も忙しくなるな。
それから某所に行き、焼きそば。 『サラリーマン 金太郎』 第9巻から第10巻まで。
コンビニに寄ってから某所へ。 さっそくトゥーリーのやつをやらないとな。
前回、自転車のカギを替えてもらったのは、 7月下旬だったようだ。いやはや。
こないだの学会で発表した原稿をHTML化しておいた。 これをもとにして『実践哲学研究』の原稿を書くつもり。 ご意見お待ちしております。
なにはともあれ、徳についていろいろ勉強できてよかった。 少し「徳とは何か」について理解できた気がする。 なかなか徳は身につかないが:-)
東京の街を歩いているといつも何かしら憂鬱になるんだけど、 なんでなんだろう。一つ思いあたったのは、 地下鉄とか、駅の構内とか、 長いエスカレータとかがどこか人に疎外感を与える感じがするということ。 最近あまり電車に乗らないから、 とくにそんな風に感じるのかもしれない。 ずーっといると平気になるのかなあ。
ああ、そろそろ夜が明けてしまう。寝なきゃ。
あっ、そういえばたった今思いだしたが、 この日記を書き始めてもう4年目になったのだった。 忙しくてすっかり忘れていた。
去年のアンケートの結果もまとめてないから、 とてもアンケートを作る気にはなれないが、 この日記を日頃から読んでくれている人は、 ひとことメイルをくれるとうれしい。
しばらく某ソファで寝る。眠い。
この日記を日頃から読んでくれている人は、 ひとことメイルをくれるとうれしい。
自転車を抱えて自転車屋さんへ。 不幸にも雨がふりだす。カギは2分たらずで付けかえてくれた。 800円。
某教授のヘーゲルの授業に参加。 眠かったが意志の強さによって最後まで起きていた。 復習はまたあとで。
それにしても、「無限性」と「無限者」あるいは 「有限性」と「有限者」を一緒くたにして話すヘーゲルのずさんさにはおどろく。 「ある性質」と「ある性質を持つ者(物)」は別ではないか。 ある性質をあたかも存在するかのように語る誤まりは ベンタムが彼のフィクション論において再三注意しているものである。 スコフィールド氏のオントロジーの本をもらったし、 そのうち詳しく勉強してみよう。
授業が終わり研究室に戻ってくると、 机の上にベンタム全集がドンと乗っけてある。 某洋書屋に頼んでおいたものがついに届いたのだ。
あわてて値段を見ると、20万ちょい。 う〜ん、これで今年の科研費は完全に消費してしまったな。 3ヶ月あまりであっという間に使ってしまった。 ちょっと50万を超えてしまうと思うが、 その分は相談して自分で払わないとな。
某喫茶店でピラフセット。 『地球の歩き方』をマーカーで線を引きながら熱心に読む。
どうでもいいが、 この「地球の歩き方」という名前は非常にセンスが良いと思う。 ななななんというかこの、 「ロンドンの歩き方」とか「東京の歩き方」ならまったく普通だけど、 「地球」と「歩き方」という観念を結びつけてしまう感覚があの、 なんというか、ととととにかく斬新だ。
猛烈に眠いが、いろいろ仕事があるので片付けていかねばならない。 まずヘーゲルの復習をしよう。 日記に長々と書くと一部の人が迷惑がるが、 それはがまんしてもらうとして、どんどん書く。
BCa2-7. Nicht im Aufheben der Endlichkeit ueberhaupt wird die Unendlichkeit ueberhaupt, sondern das Endliche ist nur dies, selbst durch seine Natur dazu zu werden.
有限性一般の止揚において、無限性一般が生じるのではない。 有限者とは、自分がその本性を通じて無限者になるものにほかならない。
某教授はカエル(無限者)とオタマジャクシ(有限者)の例でうまく説明していました。 「オタマジャクシが止揚されることによって、カエルが生じるのではない。 オタマジャクシとは、自らその本性を通じてカエルになるものにほかならない」。 これだとまだ「止揚」という言葉がわかりませんが、 以下で明らかにされるでしょう (たぶん)。
BCa2-8. Die Unendlichkeit ist seine affirmative Bestimmung, das, was es wahrhaft an sich ist.
無限性とは、有限者の肯定的な規定であり、 有限者が真に身につけているものである。
意訳すると、 「カエル性とは、オタマジャクシのもつ積極的な使命(目指すべきところ)であり、 オタマジャクシが真に有しているものである」。 an sichの意味を忘れた。「身につける」でよかったかな。 (注: 普通は「即自的」と訳されます)
BCa2-9. So ist das Endliche im Unendlichen verschwunden, und was ist, ist nur das Unendliche.
だから有限者は無限者の中で消え失せるのであり、 実在するのは、無限者だけなのである。
「オタマジャクシはカエルになると消えるのであり、 そこで存在するのはカエルだけである」。
b. Wechselbestimmung des Endlichen und Unendlichen
有限者と無限者の相互規定
BCb1-1. Das Unendliche ist; in dieser Unmittelbarkeit ist es zugleich die Negation eines Anderen, des Endlichen.
無限者は存在する; 直接的には(文字通りには)、 無限者は同時にまた、有限者という或る別のものの否定である。
「文字通り」と書いたのは、 UnendlicheはEndlicheという他のものを否定した形で述べられるということ。
BCb1-2. So als seiend und zugleich als Nichtsein eines Anderen ist es in die Kategorie des Etwas als eines bestimmten ueberhaupt, naeher -- weil es das in sich reflektierte, vermittels des Aufhebens der Bestimmtheit ueberhaupt resultierende Dasein, hiermit als das von seiner Bestimmtheit unterschiedene Dasein gesetzt ist -- in die Kategorie des Etwas mit einer Grenze zurueckgefallen.
そこで、存在するものとして、 また同時に或る別のものを否定するものとして、 無限者は規定されるもの一般のカテゴリーに、 より詳しく言えば --無限者は自己の内で自らを反映させ、 規定性一般の止揚を通じて生じた存在者であり、 したがって自己の規定性から区別される存在者として措定されるから-- 境界を持った何かというカテゴリーに逆戻りする。
「カエルは存在するものであり、同時に (オタマジャクシ)否定でもあるので、 カエルは規定を受ける種類のものに逆戻りする (無限者はいかなる規定も受けないはず)。 さらに言うと、 --カエルとは、規定一般を止揚することを通じて生じた存在者であることにより、 カエル性を自らのうちに反映した存在者であり、 したがってそのカエル性からは区別される存在者とみなされるから-- 限界(有限さ)を持った何かに逆戻りしてしまう。
BCb1-3. Das Endliche steht nach dieser Bestimmtheit dem Unendlichen als reales Dasein gegenueber; so stehen sie in qualitativer Beziehung als aussereinander bleibende; das unmittelbare Sein des Unendlichen erweckt das Sein seiner Negation, des Endlichen wieder, das zunaechst im Unendlichen verschwunden schien.
有限者は、その規定性に従って、無限者に対し、 実在的な存在者として対峙する。 だから両者は、質的な関係においては、 お互いに外部にとどまるものとして存する。 無限者の直接的な存在は、 その否定である有限者 --はじめは無限者の中で消え失せてしまったように思われた有限者-- の存在をふたたび呼び起こす。
う〜ん、わからん。 「オタマジャクシは、カエルに対し、本当に存在するもの としてある。だから両者は質的な関係においては お互いの外にとどまる (カントのカテゴリー表 有・無・無限を参照)。 カエルの直接的な存在は、その否定、すなわち、 はじめはカエルの中で消え失せるように思われた オタマジャクシの存在をふたたび呼び起こす」。 まだ「直接的」とか「本当に存在するもの」とかがわからんなあ。
BCb2-1. Aber das Unendliche und Endliche sind nicht nur in diesen Kategorien der Beziehung; die beiden Seiten sind weiter bestimmt, als bloss Andere gegeneinander zu sein.
しかし、無限者と有限者は単にこの関係のカテゴリーにあるだけではない。 この両者は、 互いに対する単なる他者以上のものとして規定される。
オタマジャクシとカエルは単なる赤の他人であるわけではないと。 ちなみに、 ここのalsの読みは(寺沢訳のように)bestimmtと結びつけるよりもむしろ、 weiter..., als と考えた方が良いそうだ。たしかにそうだろう。
BCb2-2. Die Endlichkeit ist naemlich die als Schranke gesetzte Schranke, es ist das Dasein mit der Bestimmung gesetzt, in sein Ansichsein ueberzugehen, unendlich zu werden.
すなわち、有限者(有限性)は、制約として規定される制約であり、 それは本質を発現してもつ存在へと移行し、 無限になるという規定を持った現存在として規定される。
この一文は文法的に変。 授業中もいくつかの読み方を示唆されたが、 「有限性」は「有限者」と取り、esを「有限者」と取るのが妥当だと思う。 「オタマジャクシは、カエル性を抑制するものとみなされるオリであり、 それは、カエル性を発現した存在へと移行し、 カエルになるという規定(使命)をそなえた存在者なのである」。
BCb2-3. Die Unendlichkeit ist das Nichts des Endlichen, dessen Ansichsein und Sollen, aber dieses zugleich als in sich reflektiert, das ausgefuehrte Sollen, nur sich auf sich beziehendes, ganz affirmatives Sein.
無限性(無限者)は有限者がまったくないことであり、 有限者にとっての本質を発現してもつ存在であり目指すべき姿 であるが、 これは同時に自分の内で反映したものとしての、完成した当為であり、 ただ自分とのみ関係する、完全に肯定的な存在である。
この文も最初を無限者と考え、diesesを無限者を受ける中性1格と考えた方が いいのではないだろうか。 「カエルはオタマジャクシがいないことであり、 オタマジャクシにとってのカエル性を発現して持つ存在 であり目指すべき姿であるが、 これは同時に、自分の内で(カエル性)を反映したものとしての、 完成した当為であり、ただ自分とのみ関係する、完全に肯定的な存在である」。 つまり、オタマジャクシは潜在的にカエル性を持ってはいるが、 それをまだ実現していない。カエルはカエル性を実現した存在として、 完全なのである。よくわからんが。
BCb2-4. In der Unendlichkeit ist die Befriedigung vorhanden, dass alle Bestimmtheit, Veraenderung, alle Schranke und mit ihr das Sollen selbst verschwunden, als aufgehoben, das Nichts des Endlichen gesetzt ist.
無限性(無限者)においては、充足がある。 すなわち、すべての規定性、変化、すべての制約、 そしてそれと共に当為自身も、止揚されたものとして、消え失せ、 有限者がいないこととして規定されるという充足がある。
ちょっと文法的にわからん。als aufgehobenのあたり。 もっと勉強せねば。 まあしかし、大意としては、カエルは完全な状態にあるということだ。
Als diese Negation des Endlichen ist das Ansichsein bestimmt, welches so als Negation der Negation is sich affirmativ ist.
有限者のこのような否定として、本質を発現して持つ存在は定義されるのであり、 だから否定の否定としてそれ自身は肯定的なものである。
オタマジャクシはカエル性を否定しているから、 そういう否定的なオタマジャクシを否定することにより、 カエルは「否定の否定としての肯定」という意味を持つ、ということらしい。
今日はここまで。疲れた。
ところで、この日記を日頃から読んでくれている人は、 ひとことメイルをくれるとうれしい:-)
今日やったこと
昨日は、下宿に戻ってから夕ごはん。 にらともやしのたまご炒め。 大根とさつまいものみそ汁。 お豆さん(ひじき入)など。 科哲のレポートのために相対性理論の入門書をパラパラ読む。
夜明けまで科哲の勉強をして、 その後お昼前までかかって、 ハインラインの『銀河市民』を読了。 昼下がりまで睡眠。 洗濯物を干して、大学でバンドの練習。
バンドの練習の後、 みんなと四条の「バドワイザーカーニヴァル」というところで夕ごはん。 ここは、アメリカンスタイルの居酒屋で、 バドワイザーの水着をつけているいわゆるバドガールなる女性たちが ウェイトレスをしている。 また、外国人のバンドの生演奏もある。
その後、友達と二人で三条のゲーセンに寄り、 別れてから京阪で大学へ。無一文になる。
さ、勉強しなくちゃ。
・ごめん、「和魂洋西」じゃなくて「和魂洋才」です。間違い間違い。恥ずか し。
・快楽に質があると「思う」が9票、「思わない」 が7票。ちょっと質問の仕方が曖昧だったかな、と反省中。けどもう少しした らまた書き足すつもり。
・ロック読書会終わり。これから用事でJR京都駅に寄って、それから高槻に戻 る。明日の午前中は前に教えていた塾でテスト監督をやって、そのあと京大に 戻りバンドの練習の予定。ではまた。
昼前。誰もいない。経済の図書館でついにベンサム『序説』の全訳を見つける。 『世界大思想全集24』に入っている『功利論』がそれだ。ただし1928年のもの である。
まだ『序説』を読み終えていないし、演習には間に合いそうもないのだが、と りあえず頑張ろう。先輩や先生方に白い目で見られるのは避けたい。
今日はめでたい給料日。しかし高3英語の授業がつぶれてしまったので、給料 が月二万円分減り、これから暮らしていけるか不安である。自宅生だから、死 ぬことはないと思うが。
今日はこのホームページにこんど応用倫理学特殊講義(演習)で発表予定の「茶髪論争」を載せる予定。こ んなことをしているから、ますます演習の用意がはかどらない。
夕方。今日は全然はかどらない。メイル を送れるように江口さんのホームページを参考にして(ぱくって)作ってみたが、 もらったメイルがどこへたどり着くのか分からない。ま、つりをする気分で、 のんびり待とう。つった魚がどこへ行くのか知らないが。議論好きなので、批 評家諸氏のご意見を待つ。ねむい。
夜。誰もいない。夜の文学部はとっても怖い。初めて夜に来たときは、廊下の 電気がつくことも知らなかったので(京大だから、廊下には電気なんてないの かと思っていた)、廊下の端にあかーいランプが一つだけついていて、非常に 恐かった記憶がある。