Sonny: Do you think we are all created for a purpose? I'd like to think so.
(...)
Sonny: Now that I've fulfilled my purpose, I don't know what to do...
Spooner: I guess you'll have to find the way like the rest of us, Sonny. That's what it means to be free.---From I, Robot (2004)
今日の午前中は某科研費の実施状況云々の書類作成で終わった。午後は某講義 の準備と講義で終わった。一日は短い。
定時起床。髭剃り、朝食、朝刊。娘を保育園に送ったあと、自宅の片付けなど を少ししてから大学へ。午前中は某書類作成。30分で終わらせるつもりが、結 局午前中いっぱいかかって終了。
お昼から某講義の準備。準備の目処が立ったところで、某中央食堂で遅めの昼食。
昼下がり、某講義。ゴドウィン。一応、無事に終了。夕方、某先生と少し相談。 そのあと、某院生と少し相談。
日が暮れる前に娘を保育園に迎えに行き、帰宅。チューリップは姿を消し、鯉 のぼりの季節。
夜、Optiplex 755用のメモリ2GB(SILICONPOWER メモリモジュール 200Pin SO-DIMM DDR2-800(PC2-6400)2GB ブリスターパッケージ SP002GBSRU800S02)が 届いたので、増設しておく。それから夕ごはん。
夜中、娘と風呂に入り、食器を洗う。それから寝かしつけ。今日も寝落ちしてしまう。
真夜中、つい上記コンピュータをいじってRAM Diskを作ってみたり(Gavotte Ramdisk)。次はまたSSD化だな…。
朝、ゴミを出したあと、少し二度寝。しばらく調べものをしてからシャワー。 PHSの調子が悪くなったので初期化してバックアップを入れ直したり。
お昼前に本三に行き、某喫茶店で少し早めの食事をしながら某校正作業。雨が 降り始める。
お昼すぎ、某研究会。昼下がりまで。それからポスドクや院生の指導など。夕 方まで。
夜、ひさしぶりにプールで30分ほど泳ぐ。それからラーメン屋へ。某院生を呼 び出して話を聞く。
夜中、某妻の実家へ。さらに食事、娘の相手。テレビでやっていた『タワーリ ング・インフェルノ』を観てしまう。
真夜中、風呂。娘がなかなか寝ずに困る。
昨晩は夜更かし(と、去年も一昨年も書いている)。 このあたりは生活習慣が乱れるときらしい。 シリアル、昨日の新聞、シャワー。
午前中、春日の某区役所に行き、出生届を提出してくる。 休みの谷間なので混んでいたが、出生届は比較的スムーズに出せた。 子ども手当や文京区の医療費手当の手続きも一通り済ませてくる。 あとは大学の方で扶養等の手続きをする必要あり。 最近は税金を払ってばかりだったが、 またいろいろ国や区のお世話になりそうだ。
お昼は某ランチョンセミナー。サイエンスゼロの人工生命の回を見る。 NHKスペシャルでもうちょっとしっかりやるべき内容のような。
お昼すぎ、某先生と二時間ほど某作業。 昼下がり、研究室でしばらく雑用。
夕方、某氏らと某相談。あっという間に一日が終わってしまう。
夜、本三でカレーを食べてから帰宅。宅配便を受け取る。
夜中、少し雑用をしたあと、仮眠のつもりで真夜中まで寝てしまう。 睡眠サイクルが乱れており、また仕事も捗らない。落ち着こう。
昨晩は夜更し(と、去年も書いている)。朝、遅めに起きる。
シリアル、朝刊、シャワー。 先にシャワーを浴びないとぐずぐずしてしまうんだよな。
お昼ごろに某妻と一緒に家を出て、春日へ。自転車のライトを交換してもらい、 春日のあたりで鰻を食べる。
それから一人で研究室に行き、夜中まで勉強。進まない。
真夜中に帰宅して夕食。もう寝る時間か。
メモ。「募金する」というのは、「お金を募る」という意味なので、 寄付するという行為とは反対の「募金活動をする」という意味だと思うが、 寄付するという意味で「募金する」という意味でも使われるようだ。 変だな。などと言っていないで、ちょっと寄付するか。
昨晩は夜更し。朝、ゴミを出してから二度寝。お昼前に起きる。 シリアル、朝刊、シャワー。
お昼すぎに某妻と散歩がてら春日まで。お昼はパスタ。 そのあと一人で大学に行き、研究室で某論文にコメントする作業。
夕方、二週間ぶりにジムへ。水着を家に忘れてきたので、筋トレ。
夜、研究室で一服してから帰宅。夕食。夕刊。
夜中、巣鴨の漫画喫茶に行き、chill outする。 漫画を読むと、もっと真剣に生きなきゃいけないと思う。 少し休んだらまたがんばろう。
はてな日記を付け始めて、 昨日で丸二年経ったようだ。
昼下がりに香港を発って、 夜中に無事に帰宅。小腹が空いたので、 インスタントラーメンを作って食べる(某妻はダウン気味)。 今日はよく寝よう。
朝、ゴミ出しをしてから二度寝。朝遅くに起きる。 昨夜の強い雨はすでに止み、良い天気になっている。
それにしても新しいgadgetというのは楽しいものだ。 某妻に「呼吸を忘れるほど集中している」と指摘されたが、 どうも息を止めてしまっているようだ。気をつけよう。
Wiiも買ってみたいと先日から思っていたが、 息をするのを忘れて死ぬかもしれないので当分やめておこう。
お昼すぎ、某妻と一緒に小石川植物園へ。ベンチに座って某妻手製のサンドイッチ とおにぎりを食べる。シャガ、アヤメ科の植物(菖蒲、ジャーマン・アイリスなど)、 藤などが咲いていた。また、イロハモミジの通りがきれいだった。
昼下がり、大学の総合図書館に行き、夕方まで新聞を読む。 途中、少し居眠りする。
夕方、書籍部で一冊本を買う。 仲正昌樹『日本の現代思想』(NHKブックス、2006)。
そのあと、プールで1.6キロほど。相変わらず手足の連携がよくない。 最近、一向に上達してなくてやばい。 まあ、体を動かすことが主たる目的なわけだけど…。
帰宅してから某妻と夕食。なかなか勉強する気にならない。やばい。
「いま日本に認知症の人たちは約170万人。6分間に1人の割合で増え続けている」 (朝日新聞本日付夕刊)。だそうだ。
ようやく少し勉強する気になってきた…と思ったら、もう寝る時間。 一日は短い(とくに朝遅く起きた場合は)。明日は早起きして勉強しよう。
ちょっと早目に日記の更新。 あと2週間ちょいで連用日記が365日分できる。 毎日よくがんばったものだ。
早起き。 曇り。
"徒弟制" 一掃、文科省が大学院を抜本改革へ(読売)。 徒弟制に変わるどういうビジョンがあるのかな。 一徒弟としては非常に気になるところだ。
ちょっと早起き。
某所で買物をしてから研究室へ。
「脳死は人の死か」という問いは本当にやっかいだ。
一つには、「脳死」という言葉が「死」という言葉を含んでいるので、 一見すると分析的真理のように見えて、議論がしにくいということがある。 そこで、「全脳の機能が不可逆的に失われているが、 人工呼吸器によって心肺の機能は維持されている状態は、人の死か」 とすると、少しわかりやすくなる。 しかし、問題は「人の死」が何を意味しているかだ。続く(たぶん)。
某氏と昼食。食べすぎる。そのあと、購買部や書籍部で買物してから 研究室へ。眠い。
養老孟司の『死の壁』の脳死論が明快で驚く。 「人非人」という言葉を用いてパーソン論と同じ話をしている。 この人、賢いなあ。
…と思ったら、「法律家」の「人は死んだらモノである」 という発想が彼の言う「人非人」と同じであることを理解せず、 「生きていようが死んでいようが人は人だ」とか書いてる。 う〜ん。
夕方、某相談が入り、忙殺される。
夜、プール。平泳ぎの形を意識しだすと、キックが悪いのか前に進まなくなる。 クロールは少し息継ぎは上達したが、体力がもたない。 1時間ぐらい泳いだら貧血で倒れそうになり、よろよろと帰宅。
テレビや新聞を見て風呂。あっという間に真夜中になってしまう。 テキストがやばい…。
今夜はロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで 再結成したクリームのライブがあるそうだ(BBC)。
昨夜は夜中まで大学にいたが、 眠かったせいもあり勉強は捗らず。 その前に半日寝たのにどういうことだ。 ご、五月病か?
夜は某所でカレー。 最近舌が肥えてきたのか、だんだんまずいものは食べられなくなってきた。
「よく言うよ、ロンドンでもどこでも何でも食べられる悪食のくせに」
「いや、ファストフード系のところはもうちょっと…」
「なあにが。ファーストキッチン好きのくせに」
最近日記の記述がおざなりの気がするな。 もうちょっといろいろ書くようにしよう。
『永遠のモータウン』、観てみたいな。渋谷でしかやってないのか。
医療資源の配分の勉強。功利主義や平等主義などの政治哲学の理論を、 医療の実際に結びつけてどう説明するか。 ところで、egalitarianismっていつも「エガリタリアニズム」で済ましてるけど、 「平等主義」って訳していいのかな。
自由と平等っていう二分法はセンの「何の平等か」で古くなったと思ってたんだけど (自由というのも、見方を変えれば自由権を平等に分配することだから、 この二分法は「カテゴリーミステイク」だとされる)、 考えてみるとegalitarianismとlibertarianismってこの二分法を引きずってるよな。
もう寝よう。
昼下がりに起きて洗濯。しばらく勉強してから大学へ。 途中の某海鮮丼屋で食事を買う。
功利主義の勉強。 ひさしぶりにシュニーウィンドやシジウィックの本を取り出してきて、 ガッサンディについて勉強。社会にとって有用かどうかはわからないが、 思想史はおもしろい。
まだ勉強中。グロティウスの名前もひさしぶりに見た。
某先生に預けていたシンガーの翻訳が、一部推敲されて戻ってきた。 どうしよう、これもこの祝日中にやらなければならないのか。
早寝早起き。不燃ゴミを出す。
昼下がり、某歯医者に行く。きれいな個室で、1時間みっちり見てくれるが、 どうも今ひとつ。看護婦がまだ入り立てでレントゲンの取り方を知らなかったり、 天井の蛍光灯がむきだしで患者にはまぶしかったり、 歯の掃除をしてくれた女医の処置の仕方も荒かったり (口の中が血だらけになるのはまだしも、 口の中の水を吸いとる器具を使わずにやっていたため、 途中で何度も嚥下動作をしたくなり、死にそうになった)。う〜ん。
一年半ぶりに行ったが、とくに虫歯はなく、歯の掃除をしてもらうだけで済んだ。 デンタルフロスを使えとのこと。 歯の間にすき間ができそうで今まで使ってこなかったのだが、 さんざんおどされたのでさっそく買っておいた。
買物をしてから帰宅。晩ごはんは野菜いためなど。 食後、駒沢オリンピック公園を散歩。初めて全体をぐるっと一周歩いてみる。 近くトレーニングルームを使ってみようと決意する。
げ、某非常勤先の4月分の給料、みんなすでにもらってるそうだ。 ということは、オレの口座に振り込まれていないのは、 某ミズ○のせいか。は、腹立つ。 おれが貧乏なのはみんな○ズホのせいだったか。 こ、このミ○ホ。かわいい名前してやることはやりやがって。 は、腹立つ。明日どなりこみに行かねば。
(いや、気が弱いから行かないけど)
デヴリンを読みながら歯ぎしりして怒る。 どうもオレは保守主義的な議論が嫌いらしい。 毎日新聞を読んで育ったせいか? (そんなに読んでなかったけど)
まあ、自分の生活は非常に保守的なんだけど。
勉強中。
某ラーメン屋にて夜食。 無理をせずに並で済ませる。 これ自愛の思慮なり。
勉強中。眠い。
`the enforcement of morals'は「道徳の強制」と訳さずに、 「道徳の執行」と訳すべきだな。`the enforcement of the law' (法の執行)と対比的に用いられているようだから。
とりあえず、第一章を読んだ。ちょっと仮眠して、 まとめを作り、時間があったら第七章のまとめも作ろう。
というわけで、某ソファで3時間ほど寝る。 首が痛い。
しかしこの感じ、生きてる気がするなあ。 やっぱりオレにはこの生活が合っているのか。 快適な下宿で快適なフトンで寝てては人間がダメになるのか。
とりあえず、 ハンドアウトができた。 昨夜日付が変わったぐらいから始めたから、 睡眠も合わせると25頁の英文をまとめるのに半日かかったことになる。 もっと修業しよう。
お昼すぎに下宿に戻ってきて、 急いでシャワーを浴びたあと、 自由主義勉強会。デヴリンとハートの続き。 次回もこの二人で続く予定。
メモ: デヴリンの「同性愛は社会のきずなを緩める」という議論だと、 同性愛に関する言論の自由も規制すべきことになるんじゃないか、 という疑問が重要と思われる。
昨日、某教授から本が来ていた。amazon.co.jpに注文していた本も到着。
昨日の生命倫理学勉強会で使ったハンドアウトを手直ししたものを、 もう一度アップしておく。 いろいろリンクを付けておいた。 あんまり倫理的な問題は論じられていないが、これを一通り読むと、 動物実験の法規制のあり方について、だいたいのことがわかると思う。 いや、まだまだ知らないことは多いのだが。
とにかく少し寝て、それからシジウィックを終わらせること。 部屋の掃除もすること。
2時間ほど寝てから食事。ホウレン草のニンニクバター炒め、 ちりめんじゃこ、その他。
さて、なんとか今晩中にシジウィックを…。
大学のサーバにつながらない。
今日の勉強時間…11hr
鼻が止まらない。
今日の授業のために、ミルの『自由論』について勉強中。
今日は朝食にありつけた。
引きつづき『自由論』の勉強。
某先輩に苦痛の質について メイルで尋ねたところ、さっそく返事をいただく。感謝。
苦痛に質を認めるとすれば、 人間本性からして、質の高い快を経験できる人間は、 質の高い苦に対する感受性も持つことになるだろうとのこと (たとえば、共感の快苦、恋愛の快苦)。 すなわち、苦痛に対する感受性を意識的に陶冶しなくても、 快に対する感受性を高めると一緒にレベルアップするというわけだ。 勉強すればするほど絶望感が深まるとかいうやつだな。
また、苦痛に質があるならば、 ミルの論理からして、われわれは常に (といっても意志の弱さや、 老化による感受性の退化という例外があるが) 高級な苦痛よりも低級な苦痛を選択するだろうとのこと。 ということは、たとえば、孤独と絶望の苦しみよりも飢えと渇きの苦痛を、 他人が拷問される姿を見て苦しむよりは自分が代わって拷問される苦痛を 選ぶというわけだ。これはどうなのかなあ。 おれなら1984年のウインストンのように 「ジューリアにやってくれ」 と叫ぶと思うけど。それとも、そう考えてしまうのは、 老化による感受性の退化が原因なのか。
(追記: 「苦痛に質を認めるとするならば」「苦痛に質があるならば」の部分は、 「ならば」を強調して読んでください。 というのは、上の議論は快苦の間に対称性があるとしての話であって、 これをミルが認めるかどうかは疑わしいからです)
雨のちくもり。
功利主義の授業に出る。『功利主義論』と『自由論』について。 功利原理の証明、言論の自由のあたりでもめる。
人数が少なく、先生が学生の意見を聴き、 学生もある程度予習していると、議論が活発になるようだ。 あまりハイレベルな議論をしているわけではないが、 こういう授業が一番楽しいのかもしれない。
授業のあと、ひさしぶりに本屋で本を買う。 新聞は昨日のをまだ読んでいないため、今日は買わないことにした。
新聞。すこし昼寝。夕食。
食後は『代議政治論』の勉強をしたり、テレビでニュースを見たり。
明日のロンドン地下鉄(チューブ)のストライキはぎりぎりで中止になったようだ。
「関嘉彦氏は、 ベンタムの心理的快楽説に対する批判を説明するさいに次のように述べています。
人間はすべて快楽を求め苦痛を避けて行動するという事実判断の命題は、 人間の行為をあまりに単純化している。昔の日本人は、 はずかしめを受けると切腹したが、切腹は快楽であるか。 もしそれをすら快楽というなら、その快楽というのは、 その人が選ぶものまたは意欲するものと同じことではないか。
『ベンサム、J.S. ミル (世界の名著49)』 (関嘉彦責任編集、中央公論社、1979年、27頁)
人間はすべて快楽を求め苦痛を避けて行動するという事実判断、 これが心理的快楽説ですね。しかし、この批判によれば、 われわれはかならずしもこのようには行動しないわけです。 その一例が切腹であり、 切腹というのは快楽ではなく苦痛を欲して行動しているわけで、 もしベンタムが切腹という行為すら『快楽を欲して行為している』 と言うのであれば、ベンタムは定義上、『欲求するもの=快楽』 とみなしていることになる、というわけです」
「まあ、そういう批判があるから現代の功利主義者は『快楽』 という言葉を用いずに『選好』 という言葉を用いるんだろう」
「しかし、この批判は皮相的だと思いませんか」
「どうしてだ」
「だって、『切腹は快楽であるか』というような批判は、 そんなことベンタムだってミルだって考えたに違いないでしょう。 たとえば『安楽死は快楽であるか』という問いを考えた場合、 もちろん安楽死そのものは快楽ではなく、苦しいものに決まってますが、 それ以上の苦しみを避けるために安楽死を選ぶんでしょう?」
「それはそうだろう」
「三島由起夫だって、 切腹そのものが快楽だと思って腹を切ってみせたわけじゃないでしょう。 『お国のため』とかその他のある高い目的があって、 それに対して貢献しなければいても立ってもいられないから 腹を切ったのではないですか。ミルが言うように、
せんじ詰めれば、この自己犠牲はなにかの目的のためでなければならぬ。 自己犠牲は自己目的になれないのである。 幸福ではなく、幸福よりもさらに善い徳が目的だというのなら、 私はたずねよう。英雄なり殉教者なりは、 他人に同じような犠牲を免れさせると信じたからこそ犠牲となったのではないか。
(同、477頁)
というわけです。また、 のちに快楽説のパラドクスとして 定式化されるように、禁欲的な生活も、間接的な仕方で快を追求していると 見なすことができるわけです。ミルはこう言っています。
逆説を弄するようだが、意識的に幸福なしでやろうと努力することは、 人間の力で達成できる幸福を実現してゆくうえで最善の見とおしを与えるものだ といおう。というのは、この意識こそ、人間に、最悪の宿命や悪運でさえも 人間を屈服させる力をもたないと感じさせ、 人生のめぐりあわせに超然たらしめるものだからである。 いったんこう感じれば、人は人生の諸悪についてくよくよすることから解放される。 そして、ローマ帝国の最悪の時期にめぐりあわせた多くのストア派の哲人のように、 平静のうちに手近な満足の源泉を開発し、それに避けがたい終局があることに 心を悩まさず、さらにそれがいつまで続くかについても思い わずらうことがなくなるのである。
(同、477頁)
というわけです。したがって、 切腹のような身体的・精神的に大きな苦痛であっても、 切腹をしないことによって生じるより大きな苦痛を 避けるために行為していると理解すれば、 『人間はすべて快楽を求め苦痛を避けて行動するという事実判断の命題』 は成り立っていると言えると思います」
「う〜ん、なんだかだまされた気がするなあ」
「この議論についての再批判もありますが、 それはまたにしましょう。あと、ついでに言うと、関氏は上の引用に続いて、
その場合、その快楽が善であるとすれば、人は自分の好むままにすることが 善であるということになり、道徳の必要も法律の必要もなくなってしまう。
(同、27頁)
と述べていますが、これは行為の『善さ』と行為の『正しさ』 を区別しない甚しい誤りで、 結果としてこの批判はベンタムに倫理的利己主義の立場を帰していることになります」
「よくわからんぞ」
「たしかに、この批判にあるとおり、ベンタムの考えでは、 各人は常に自分にとっての善を追求しているわけですが、 ある人にとっての善は他の人にとっての悪になりうるわけです。 たとえば、マシンガンを学校に持っていって発砲するというのは 当人にとっては至高の善かもしれませんが、 他の人にとっては考えられるかぎり最悪の事態であるわけです。 もちろんベンタムはこのような場合に『道徳の必要も法律の必要もない』 などとは言わないわけで、各人の善悪すなわち快苦を合計して、 やって良いこととダメなことを決めるわけです」
「なるほど、あんたにとってどんなに善いことでも、 全体の利益に反するなら、あんたの行為は正しくない、 というわけだな」
「そうです。だから、 ベンタムは『各人は常に自分にとっての善を追求している』ことは認めますが、 だからといって、各人の行為が常に正しい、とは言わないわけです」
生命倫理学の勉強が終わった後、 某所に行き、キムチ鍋定食を食べる。 『一二の三四郎』第7巻から第10巻まで。 豪快かつ強引な展開がすごい。 この先がどうなるのか楽しみ。
しんどい。そろそろ下宿に戻ろう。
寝不足気味だったが、 朝一番で古本市に行く。 そしたら某君も朝一番で来ていた。むむ。 しかし今日はもう倫理学関係の本がほぼなくなっていた様子だったので、 あまり大したものは買えなかった。 どうせ金もないのでそれはそれでいいのだが。
それから某君と一緒に大学に戻ってくる。
記載なし。
・「エッチする」について。現在、「こだ まに賛成」が2票、「ぜんぜんおかしくない」が1票(「交尾する」がベター だそうです)、「それは差別だ」が1票です。
・「援助交際」と同様、性行為に後ろめたさをなくそうとする表現である、と 書かれている方もいました。納得。
・昨日も案の定寝倒してしまいました。しかし授業の予習をせねばならず、朝 になってからもたもたとドイツ語を勉強していました。
・そいえば、昨日は古本まつり に行って来ました。たいしたものは買えなかった。
・ああ、予習をしなきゃ。
・ブレンターノ。自然法の話等が出て来るので興味深い。これを機会にきちん と法学を勉強せねばなるまい。と思って哲閲に行って『エンサイクロペディア・ ブリタニカ』でぱらぱらと調べる。まだまだシロートなり。
・次はシェーラー。全く予習をしていないなんてことはなきにしもあらずんば 人にあらず。
・哲閲で少々勉強。次の火曜日が不安になる。自分の発表だけではなく、他の 授業の準備もある。落ち着いて一つ一つ処理しないと、気が狂う。
・これからバンドの練習。終わったらベンタム読書会。
・バンドの練習終わり。休憩したら読書会の準備。うう、しんどい。
・さっきOEDを調べててわかったんだけど、やっぱりlegal positivismを「法 実証主義」と訳すのは誤訳だと思う。もともとこの言葉は「実証主義 positivism」から来たものではなく、「自然法natural law」に対して言われ る「実定法(人定法)positive law」から来た言葉なのである。だから「法実定 主義」あるいは「法人定主義」の方が正しいはずだし、意味も分かりやすい。
・ただし、「法人定主義」だと「法人」と混同するので(しないか)、「法実定 主義」が一番良いと思われる。が、法学者たちはぼくの意見なんか聞いてくれ ないだろうなあ。