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緩和ケアを学ぼう会 特別編 2017 鶴岡・三川/がん患者さんの療養を地域で支える
【基調講演】それぞれの生き方 ~ホームホスピスにできること~

今野 まゆみさん(ホームホスピス にじいろのいえ)
今野 まゆみさんの画像
今野 まゆみさん

にじいろのいえの紹介

私は仙台市太白区でホームホスピスをやっています。「にじいろのいえ」というホームホスピスでは、現在は8名の方が一緒に過ごしていらっしゃいます。ホームホスピスというのは、あまり聞いたことがないと思います。ホームホスピスは介護保険、障害福祉のどちらにも属していない、制度にとらわれない施設です。入居者の皆さんには「にじいろのいえ」に住所を移していただいています。がん末期、難病、障害をお持ちの方など、医療依存度の高い方が生活できる場所です。今はがん末期の方が4名、ALS(筋萎縮性側索硬化症)で人工呼吸器をつけた方が2名、そのほかの疾患で人工呼吸器をつけた方1名を含めて、8名に生活していただいています。

過ごす場所による費用やメリット・デメリットの比較とか、入居金・月額利用料などにつきましては、参考にしていただければと思いまして、資料に入れさせていただきました。地域によっていろいろ違いがありますので、この限りではないということを申し添えさせていただきます。

なぜホームホスピスを始めたのか

なぜ私がホームホスピス始めたのかについて、お話しします。私は医療職ではありません。看護師でもありません。この後に話される河原正典先生と同じ岡部医院で10年間、ケアマネジャーとソーシャルワーカーとして働いてきました。

医療依存度の高い方が8名、私のところにいらっしゃいます。パートの看護師さんが1名、1日4時間、週3回くらい来てくれます。あとは全部ヘルパー、資格を持っていない人たちが何人かいます。でも、がんの末期の人、人工呼吸器の人を私たちはみています。なぜできるのか。それは在宅の先生たち、訪問看護ステーションの方たちが24時間助けてくれるからです。在宅の先生が4施設くらいから関わってくださっています。訪問看護ステーションも4つから5つが入っています。私たちは入居者の方たちの変化を見て、ちゃんと評価をして、それを医療者に伝えるわけです。そうすると、医療者の皆さんは24時間助けてくれる。だから私たち介護職だけでも、ホームホスピスは成り立っています。

よく、看護師でしょと間違えられます。緩和医療の先生とかに間違えられるのですが、私は看護師ではありませんと言うと、「えっ」と驚かれます。看護師でなくてもホームホスピスはできるということを、皆さんの心に留めていただきたいと思います。

「にじいろのいえ」は普通の一軒家です。一軒家を改修して、8名の方に住んでいただいています。庭があって、畑があって、みんなでくつろぐ居間があって、本当に普通の一軒家です。そこに外からの訪問看護師さんや先生、訪問入浴など、いろいろな職種の方が、在宅療養の患者さんのおうちに入る、自宅に入るように、皆さん入っていらっしゃいます。

「にじいろのいえ」は平成26年4月に開所しました。最初のお看取りをさせていただいたのが平成26年9月でした。この3年間に看取った方は31名いらっしゃいました。その中で、がんの患者さんが24名、そのほかの方が7名。がんの患者さんは男性16名、女性8名です。自分で統計をとって、男性のほうがこんなに多かったのだということに、ちょっとびっくりしています。平均入居日数は92.3日。最短は7日、最長は248日。入居されて1年ちょっとの方もいらっしゃいます。

「とも暮らし」を大切にする

「ホームホスピス」という名称は商標登録されていて、私たちは「全国ホームホスピス協会」が設けた基準に則って運営しています。その中からホームホスピスが大切にしていることにいくつか触れながら、お話しさせていただきます。

まず、住まいであるということ。「にじいろのいえ」は一軒家で、敷地が300坪あります。その中に畑と庭がある。調理場はおうちの台所と同じように、調理担当の者が毎日調理をしています。一番大事な「とも暮らし」という暮らし方。「とも暮らし」というのは、共に暮らし、友としてお互いを気遣い、スタッフやほかの住人やその家族が最期まで伴走する関係でいる、ということです。私たちはそうした「とも暮らし」に努めるように決められています。

居間に出てきて食事のできる人たちは、私たちスタッフと一緒にご飯を食べます。どうしても起きてこられない人は、ベッドのわきにスタッフが行って、一緒にご飯を食べます。朝はちょっとできないのですが、昼と夜はみんなでご飯を食べます。普通の暮らしです。先ほどお話ししたように、3年間で31名の方を看取っています。ですから、人の顔は変わっていきます。人が変わってもみんなで食卓を囲むことができます。

一緒にお酒を飲む方たちもいらっしゃいます。男の方々は「ちょっと飲みたい」と思っても、なかなか1人では飲めない。そうすると「ほんとは自分も飲みたかったんだよ」という感じで、一緒に飲むようになります。あるがんの末期の患者さんは、2か月ほどの入居期間でしたが、2人の入居者と一緒にお酒を飲みました。1人はALSで人工呼吸器をつけていた方で、口からお酒だけは飲んだ。この3人の方たちが飲んでいるところに、女性の入居者がきて「私が飲ませてあげる」という場面もありました。

お互いを思いやり、最期まで一緒に暮らす

皆さん、入って来る経緯はさまざまです。ある方はケアマネジャーさんと一緒に見学に来て、その一回で入居を決められました。今年の7月に亡くなられた男性は、ご夫婦で入居されました。がんではありませんでしたが、間質性肺炎でした。奥さんがALSで人工呼吸器をつけていらして、今でもにじいろのいえで暮らしています。夫婦一緒に最期まで暮らしたい、「死ぬときは一緒だよ」と奥さんに人工呼吸器をつけることにされましたのに、先に亡くなってしまいました。奥さんはそのお葬式の喪主のごあいさつで「一緒に死ぬと言って人工呼吸器をつけさせたのに、なぜ、あなたは先に逝ってしまったの。私にもっと人生の勉強をしろということですか。私はあと1年がんばってみます。次に生まれ変わっても、また私を見つけてね」と話されました。きっとご主人に届いていると思います。

お酒を飲んでいる男の方たちに「飲ませてあげる」と言った女性は肺がんでしたが、痛みがひどくて、居間に来てご飯を食べても10分、15分座っているのがやっとの状態でした。それでも「私がお酒を飲ませてあげる」と。皆さんお互いを思いやって過ごされています。にじいろのいえには、お互いを思いやる気持ちがいっぱいあふれています。

ある女性が亡くなる前、彼女がもう起きてこられなくなったときに、「実はね」という話を入居者みんなにしました。そうしたら「隠していなくてありがとう」「教えてくれてありがとう」「大丈夫だよ」と皆さん話してくださいました。私は隠さないで、そのつど、入居者の方が亡くなったときにお話ししています。がんの末期、あるいは難病の方たち、自分たちもいつ最期を迎えるのかわからないという方たちが支え合っています。

50代でがんの末期だった方を送るとき、その穏やかなお顔を見て「自分もこういう穏やかな顔で逝きたいな」とおっしゃった方は、その6日後に穏やかな顔で亡くなりました。このお二人は親子のような年の差があって、隣同士のお部屋だったのですが、親子のような関係を築いて、本当にお互いを思いやっていました。若いほうの方が亡くなったとき、まだ葬儀屋さんが準備を整える前に、年長の方が出ていらして「線香をあげさせてくれ」とおっしゃいました。本当の家族ではありませんが、本当の家族のようにみんな一緒に暮らしています。もちろん私たちスタッフも、同じです。

にじいろのいえで看取りを経験する子どもたち

「にじいろのいえ」は小さな子どものいるスタッフが多いので、保育園などが休みのときは子連れで出勤してきます。それで入居者の方たちと、みんな一緒に過ごしています。一番年下の子どもがすごいのは、入居者の方たちをおじいちゃん、おばあちゃんではなく、ちゃんとお名前で呼ぶのです。それが大きな子たちに影響を及ぼして、みんな入居者の方たちをお名前で呼んでいます。個人としてみています。子どものほうが偉いなと思うときがあります。

認知症でがんの末期の方は「家に帰る」としきりに言うので、ちょっと私が添い寝をしてみると、すぐ眠りました。病院調整に入ったときには、息子さんは「家で看取る」とおっしゃったけれど、お嫁さんが「無理。私はおじいちゃんと一緒に住んだことがない。その介護をしていくのは無理だ」ということで、にじいろのいえにいらっしゃいました。ご近所の方だったのですが、彼女はちょっと後悔していました。自分が「できない」と言ってしまったことがよかったのだろうかと。それで彼女に「うちに働きにきたら」と声をかけました。そして彼女はうちで働きながら、私たちと一緒にお義父さんを看取りました。亡くなる前日は、家族みんなでわいわいがやがやとやりながら、子どもの声を聞きながら過ごしました。

この方が亡くなる前日に、その子が「にじいろのいえが私の家だと思った。今晩、泊まりに行きたい」というので、おいでと言いました。でもこの方が亡くなるかもしれない、いいのかなと思って、その子のお母さんであるスタッフに言ったら「見せてやってください」ということだったので、泊めました。その子は家族の方たちと一緒に、亡くなる前日を過ごしたのです。この方のお嫁さんは、今でもうちのスタッフとして働いてくださっています。

私たちは子どもたちにも隠しません。本当によくしてくださった、子どもたちも大好きな方でした。子どもたちは来るとすぐに彼の部屋に行って、ベッドの上に乗って、お菓子をもらってという生活をずっとしてきました。亡くなった日、子どもたちがお別れに来ました。ちゃんと彼を見て、最期のお別れをする。そんなことができるのが「にじいろのいえ」かなというふうに思っています。

子どもにも隠さない。これは大切なことで、今を生きる人につなぐ、そこに至る過程を一緒に歩む、新たな看取りの文化を私たちが広げていくのだというふうに思っています。

生ききる住まいであること

住まいであることが重要なのだと思っています。少しの時間しか一緒に過ごしません。だけど疑似家族のように、疑似じゃないかのように、本当の家族のようになります。思い合う気持ちがあり、共に過ごし、共に泣き、それぞれの方が生ききる場所としてにじいろのいえを選んでいただいています。ホームホスピスの大きな役割は、やはり、皆さんが生ききる住まいであるということだと私は思っています。

「あなたたちで良かった」。私はこの言葉を大切にしています。スタッフによく言います。亡くなる人の最期を私たちが一緒に過ごさせてもらっている。この言葉を最後に言ってもらえるように、私たちが関わらなければいけないということを話しています。

先日、市民講座をしました。そのときに遺族代表で話をしてくださった高校生が、そのあとフェイスブックにあげてくれた言葉です。「最期のときに手を握ることができて、小さい頃、たくさんの経験をさせてもらったことを思い出し、祖母の思いが伝わってきた気がします。そんなことがあるので、できる限り、直接会ってほしい。亡くなってから2時間の間にものすごいきれいな顔に戻っていくこと。その瞬間を見ないのは損をする、と言った言葉。祖母のときも確かにそうだったなと思い出し、ぐっときました」。そして、彼はこんなことも書いてくれました。「ホームホスピスは家族に代わって最期のときを家族のようにケアしてくれる、現代の社会でなくてはならない場所なんだと思います。家族に代わるといっても、まるきりお願いするわけではありません。家族も一緒に支えていける、そんな場所です」。

私たちは、彼が言ってくれたようなホームホスピスが本当にできているだろうか。もっともっと考えて関わり、皆さんにそう思っていただけるホームホスピスをつくっていきたいと、改めてこのときに思いました。私たちは最期のときをご一緒させていただいています。大切な大切な時間を持たせていただいています。一日、一日を丁寧に関わっていきたいと思っています。「あなたたちで良かった」と言っていただけるように。

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掲載日:2017年12月18日
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