靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

陰盛陽絶

乗黄さんからの質問:
 先日の、『霊枢』口問篇の以下の「寫足少陰」の部分がどうも未だに私の中で引っかかっています。
岐伯曰:此陰氣盛而陽氣虚,陰氣疾而陽氣徐。陰氣盛,陽氣絶,故為唏。補足太陽,寫足少陰。
 この腎に瀉法をするという事ですが、この場合あくまでも「単なる過不足論による寫」なのか?それとも「ある種の邪が存在し、それに対しての寫」なのか?
 そこまで考える必要性はないのかもしれませんが、どうもすっきりしないんです。
神麹斎のぐだぐだ:
 こういうのは分かりませんねえ。「ある種の邪が存在」と言っても、病原菌が在って、それを抹殺し排除するというような意味の治療は、そもそも考えていないでしょうから。篇の冒頭付近に:
夫百病之始生也,皆生於風雨寒暑、陰陽喜怒、飲食居處、大驚卒恐。
と言ってますが、それで病になるのは:
血氣分離,陰陽破散,經絡厥絶,脉道不通,陰陽相逆,衛氣稽留,經脉虚空,血氣不次,乃失其常。
だからであって、だから治療も衛気、経脈、血気の異常を是正することに在るわけでしょう。別に外から入り込んだ寒気や熱気や、胃の中の飲食物を直接的に排除しようとするわけじゃないと思う。でも、それを言いだしたら全ての針灸治療はバランス調整、言い換えれば「過不足論による補寫」ということになってしまう。極端な例として、胃にやばい毒物が在って、胃洗浄を試みるというような治療とは違うもんね。少なくともこの篇で論じているのは「何氣使然」であって、だから治療もその気の状態の是正だと思うんです。他の資料には嘔吐させるツボとかは有るのかも知れないけれど、それだって針灸で働きかけるのは身体に対してであって、嘔吐させるべき物体に対してじゃない。
 何だか自分でも何を言っているのか分からなくなってきました。
 それから、ひょっとしたら言い間違えていたかも知れませんが、足少陰を瀉すのであって、腎を瀉すわけではありません。経脈篇的発想、あるいは経絡治療的発想から言えば、腎を瀉すことになって、だから抵抗感を示す人が多いだろうと言ったつもりでした。
 何だか、全然、答えになってませんねえ。

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