靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

佳人と配偶

 『金瓶梅』の潘金蓮は悪女の代表のように言われている。作者がそのつもりで書いたのだから、性格が良かろうはずは無い。しかし、「小さいときから器量よしで、……十八にもなると、顔はさながら桃の花」で、そのうえ琵琶もなかなかの上手なんて女が、「意気地なしではあり、かっこうも醜いので」三寸丁谷樹皮などと渾名される武大と、無理矢理に夫婦にされて無事ですむわけがない。亭主を毒殺したのはやり過ぎとして、今ならそもそも夫婦にはならないだろうし、何かの間違いでなったとしても、まず浮気騒ぎ離婚沙汰で、逆に無事にすんでいただろうと思う。そもそも亭主だって、不釣り合いはいい加減わかっていたろうから、女衒を呼んで売り飛ばしでもしていたら、金蓮もかえって満足、武大も相応の新しい女房を買いなおして、小さな店を構えるくらいの金も余して、双方幸せだったろうに。まあ、人間はそれほど賢い生き物ではないということ。
 『水滸伝』にも良いとこのお嬢さんで、絶世の美女で、しかも日月双刀の使い手というのが出てくる。扈三娘、渾名は一丈青、どういう意味だかはっきりしないが、なんでもすっきりと長身のイメージはある。これは梁山泊の捕虜になって、結局、梁山泊の豪傑達の中くらいの位置にいる王英というのと夫婦にされる。実は、そのちょっと前の戦いで、王英は扈三娘に生け捕りにされている。つまり自分より弱い男なのである。しかも渾名は矮脚虎、短足である。もうちょっとましな相手を選んでやっても、と余計な心配をするけれど、では、この夫婦は仲が悪いのかというとそうでもなさそうなのである。大体が、『水滸伝』はもともと人材集めの物語のようなもので、仲間になってしまった豪傑にはほとんど無頓着であるから、具体的な描写は無い。でも、最後の方臘との戦いで、王英が斬られたのをみて、仇討ちとばかりに飛び出して返り討ちにあっているのだから、まあ仲もそこそこだったんじゃないかと思うわけです。どうして、武大と金蓮の場合と違うのか。勿論、説明は無い。無いけれど、扈三娘は梁山泊の豪傑の中で唯一の良家の子女で、王英は梁山泊の豪傑の中で随一(唯一ではないが)の色好みなんですね。ここに秘密が有りそうに思う。下品になるといけないので、詳しくは言わない。
 梁山泊の豪傑には、そもそもほとんど女っ気が無い、女に関心が無い。中で神医の安道全にはそこそこ有るけれど、囲った妓女に浮気をされて云々という話だから、あんまり格好良くはない。

Comments

Comment Form