靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

呪い師

針術の、古典的な仕組みを知らずに治療しているとしたら、それは呪いとさして違わない。
あるいは、古典的な仕組みを気にせずに治療しているとしたら、それは呪いとさして違わない。
努力する目標は、より良く効く呪い師になることである。

良く効く呪い師に、存在意義が無い、などとは言わない。
患者にとっては、最終的には、効けば良い。
(本当か?本当の本当の最終は、そうはいかないかも知れない。)

でも、呪い師には、絶対になりたくないという、頑なものはいる。
あるいは、少なくとも自分流の呪いでなくては嫌だ、という不器用者も。
どうするか?古典を紐解いて、自分なりの虚構を構築するしかない。
これは苦しい、報われるわけが無い。(あるいは、わずかにある?)
苦しみを、少しでも紛らわすためにはどうするか。
たまに、自分以外を、この!呪い師めが!!と罵倒してみる。

良い呪い師になるには、古典なんぞに手を出さない方が、無事かも知れない。
努力するのは、より良く効く呪い師になるために、である。
あるいはまた、自分の呪いに疑いを抱く呪い師の呪いが、効くだろうか?

より良い治療家になるには、古典に手を出さない、というわけにはいかない、とは思いたい。

Comments

Comment Form