靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

欲以微針通其経脉

『霊枢』の成立は何時か。
それは、何をもって成立と見なすかによる。
私としては、毒薬と砭石を拒否し、微針でもって経脈を通ずれば、ありとあらゆる病を癒やすことができる、と宣言した時だと思う。
つまり、現在のように『霊枢』を構成しなおした時である。
上記の宣言は、九針十二原篇第一の冒頭に見える。そのように手を加えた。
少し丁寧に読めば、九針十二原篇が一枚岩でないことは分かる。
そのうち、九針でも十二原でもない部分が、本当に言いたかったところだろう。
九針とか十二原とかの部分は、古い文献の再利用かも知れない。
そういう意味でなら、『霊枢』の成立は、うんと古いかも知れない。
微針でもって経脈を通ずれば、ありとあらゆる病は癒える。どうしてそんなことが可能であるかはさておいて、できるはずだと宣言する。
人体のすべてを管理するものとして、五蔵というものを想定する。そして、五蔵の不調は原穴で調えることができる。
五蔵と原穴をつなぐものは必要だが、宣言が真実ならば、もうそれだけで充分なはず。
実際には、どっこい、そうはいかない、だから本輸のセットを考え出す、管理の他にエネルギー問題も有る、だから六府と合穴を考え出す。
「必ず治す!」と宣言して、その舌の根が乾かぬうちに「治せざれば」と続ける世界である。
九針十二原篇の十二原は遠隔操作である。九針はそうではない。他の篇で、次第にそうなりはするが。だから、九針十二原篇が一枚岩でない。
宣言を言い換えれば、『霊枢』が目指す針治療は、遠隔操作である。でも、『霊枢』に書かれている針治療の全てがそうだというわけではない。
だから、おもしろい、けど、困ったね。

Comments

唐辺睦
 同じく遠隔操作と言っても、いろいろ有る。張介賓が『霊枢』小針解について、次のように言っている。
 「これと(素問の)針解篇と、どちらも九針十二原の義を解釈しているのだけれど、この小針解は気口の虚実について言い、かの針解篇では針の下に気が至ることの虚実を言っている。まあ言っていることは異なるけれど、互いに発明するところが有るのだから、いずれもよく考察すべきである。」
 張介賓といえども、後世のいろいろが出そろった目でものを言う。だけれども、本来から言えば、患部の虚実、施術ポイントの虚実、いや、脈診によれば、患部の虚実も、患者の全体像の虚実も、勿論、施術しているポイントでの虚実もみんな分かる、というように、さまざま有るわけでしょう。
 『霊枢』は施術ポイントの虚実を気にする位置にいて、脈診によればそれも分かるはず、という話にまとめていこうとしているんじゃないか。
2011/06/13

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