靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

点と線

 現在の常識では、ツボと経脈の関係はどういうことになっているのだろう。全てのツボが経脈に属して、言い換えれば経脈はツボとツボをつなぐ線ということだろうか。譬えて言えば、鉄道の線路に沿って点々と駅が有る。いくつかの駅にはいくつかの本線が関係するが、基本的には駅はナントカ線の駅である。
 これは少し違うんじゃないか。
 飛行機の航路と空港と譬えたほうがまだしも、かも知れない。つまり成田空港から首都空港へ飛ぶ。上空を経由したところで、浦東空港に降りなければ、上海とは直接の関係はない。
 なんでこんなふうに考えるかというと、経脈説発想の起源は、原穴と五蔵、下合穴と六府を結ぶモノ、つまり、診断と治療のポイントと患部をつなぐライン、これが一つ。もう一つは根結とか標本、つまり四肢末端近くの起点と躯幹や頚部の止点の関係。本輸と頚周りの諸穴もおそらくは同じ仲間でしょう。で、実際には診断と治療のポイントと患部の関係というのは、身体のあちらこちらに有って、それぞれに両者をつなぐラインが有ったわけだけれど、手足陰陽の十二条の経脈にまとめ上げる過程では、それはまあ経由域のポイントを支配下に組み込んでいった。
 ここでややこしいのは、古代中国の人々というのは、かなり極端に即物的な思考の持ち主だったみたいで、つなぐラインが有るということは、そういうモノが有るということだ、そうなるとそれは当然血管である。血管という具体的なモノとの関係で、これはこれにあれはあれにと配属が決まってくれば、人の思考習慣としては、駅と駅とをつないで線路がひかれたという感覚になる。実際には多くの場合はノンストップの直行列車だったと思うんですがね。
 で、ツボは十二経脈上に在るのが当然ということになると、今度は経脈はツボをつないで記述されるようになる。行き着くところの一つの成果が、つまり『十四経発揮』であって、えらくありがたがる人もいるらしいけれど、私はあんまり好きじゃない。特に腹部や背部の諸穴が、内部を行く経脈に隷属しているなんて思えない。重要とされる募穴や腧穴が、別の五蔵六府を冠した脈に属しているなんて気持ちが悪い。そもそも経脈篇の循環も眉唾だと思っている。下って大腸を絡うとか、小腸を絡うとか、そんなの蔵と府を表裏にして、その表裏関係を陰陽表裏にのっけたかっただけでしょう。太陰と陽明は表裏だけれど、肺と手太陰の関係はともかくとして、大腸と手陽明なんてほとんど全く関係ないでしょう。心と手少陰の関係はともかくとして、小腸と手太陽なんてほとんど全く関係ないでしょう。肺と大腸、心と小腸の表裏関係の起源がはっきりしないから、その妥当性はどう評価したらいいのか微妙なところだけれど。

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