靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

わからない

「古典はその意を意図的にわからないように書いてある所が多くあるんだ。」
そんなのは寝言です,気にしないでいいです。

と言うのはまあ願望でもある。「意図的にわからないように書いて」あって,しかも伝承者が死に絶えていたら,もう我々には手も足も出ない。
確かに内経中にも,その人に非ざれば伝えることなかれとか,それは口伝であるとか,言っているところは有る。でもその口伝とやらを結局書き記しているでしょう。本当は,神医が隠し立てなんてけちくさいことをする必要はない。懇切丁寧に書いてくれても我々のような凡人には容易には理解できません。それに大名人は,とかく文章が下手です。
後代になると自分たちの権益をまもるために隠し立てするようになったらしいけれど,そんなことを大名人や神医もやったと考えるのは,下司の勘ぐりというものです。

口伝がどうのこうのと言う箇所でも,隠し立てというよりは,文章では上手く表現できないと言っているでしょう。医の道を究めるには,誦、解、別、明、章と,様々な努力が必要と言っているでしょう。一読して判らないからと,著者を責めるわけにはいきません。いや文章の下手は責めてもよいけれど,理解できないのは,所詮はおのれの能力と努力の不足です。

逆恨みはみっともないからやめましょう。

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