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こだまの世界

---倫理学者のふしぎな日記---

仙台は福島県ではなく、宮城県にあります

98年1月前半号

1月前半の主な話題


ご意見のある方は、 kodama@socio.kyoto-u.ac.jpまたはメイルを 送るまで。


01/03/98(Saturday/samedi/Sonnabend)

鬼早朝に起きて、兄の車でJRまで送ってもらい、東京駅発の最初のひか りに乗って帰って来る。途中、半分ぐらい鬼睡。京都駅からはバスで下宿へ。 大屋さんにおみやげを渡してからとりあえず研究室へと赴く。

メイルが500通ぐらい来てるかと思って楽しみにしていたのだが、ほとん ど来てないのでショックで発狂する。

とにかく眠いのでとりあえず下宿へ戻ろう。ここしばらくの間のこだま の動向については、ここを参照。平和な 正月であった。お世話になった兄夫婦には大感謝。


というわけで、お昼前から夕方まで鬼睡。


今年の抱負

もう1998年。平成もいつのまにか10年。昭和が続いていたら昭和73年。 信じられん。信じられん。

松浦「そう--古い話だけど、心理学者のジャネの法則というのを知ってる? 子供は大人より同じ時間量を長く感ずるってやつだ。よくおぼえてないが、六 歳の子供は、六十歳の老人より、おなじ一時間が十倍ぐらい長く感じられるら しい」

(小松左京、『果しなき流れの果に』、角川文庫、1974年、193頁)

しかし、そんなことも言ってられん。今年もがんばらないと。え、今年 の抱負?う〜む。まずなんといっても、ベンタムをしっかり勉強して知的興奮 度の高い修論を書くこと。それから、メタ倫理を勉強すること。さらに、SFを 100冊読むこと。


01/04/98(Sunday/dimanche/Sonntag)

日曜から塾。お昼過ぎに終わったので、帰りに古本を買 い、また鬼睡する。昨夜も知らない間に下宿に戻って鬼睡してた。


夜中

死刑廃止論の勉強中。本当にこの話題って「論争」の域に到達していな い。みんな自分の意見を言ってそれで終わりっていう感じ。たまに「廃止論者 と存置論者の議論のすれ違い」を解消するって書き出しで始める人もいるけれ ど、ほとんど他のものと変わるところがない。いったいなぜなんだろうか。

明治に起きた民法(および商法)法典化論争は相当激しいものだったと伝 え聞いているが、そのときの議論も現在の死刑廃止論争と似たり寄ったりだっ たのだろうか、それとももっと実りのあるやりとりが展開されていたのだろう か。


01/05/98(Monday/lundi/Montag)

夕方(こだまの言文一致体日記)

えっ、言文一致で書くんですか?ん〜っ、それは難しいですねえ。あっ、 いま、どこかはるかなる高みから、言文一致よりもまず言動一致を試みろ、と いう指令が聞こえてきました。すみませんすみませんっ(と、とりあえず謝る-- 某氏から学習)。

今日また朝早くに起きたんですけど、あ、塾があるから ですけど。それで、交通費を浮かそうと思って自転車で烏丸まで行ったんです よ。そしたら自転車のカギを落したみたいで、帰りにいくら捜してもないんで すよね。しかも合カギもなくって。一気にブルーズですよ。

仕方ないから、かっこ悪いけど自転車担いで、自転車屋さんまで行って。 あれってほんとに情けないんですよね。あ、あの人自転車のカギ無くしたんだ。 あらま、自業自得。ご苦労さん。って、ぼくもいつも思いますから。

幸い、わりとすぐ近くに自転車屋さんがあって助かったんですけど、カ ギの付け替え代を払って散財しちゃって、結局自転車 で行ったのが裏目に出てしまいましたよ。これでまたMDが遠ざかってしまいま した。

あっ。そいえば、今書いてて思い出しましたけど、今日の朝、烏丸に行 く途中でまた黒猫を見たんですよっ。ただし今日は目の前を横切らないで、ぼ くの右手の方をでんでん歩いてたんで、どういうことが起きるのだろうって考 えてたんですけど。そうか。これだったのか。いや、ほんとに因果関係がある のかどうかわからないですけど、これまでの経験から帰納的に考えるとなんだ か関係がある気がします。そんな気しませんか?


枕草子

浪人生のときに、河合塾のある先生によって、「ああ、古文って奥が深 いなあ」って思わされたんですけど、今清少納言の枕草子を読むと、なんなん だこいつはっ、て感じがしますよね。試しに少し訳してみましょう。

「もう最高っ」てほどじゃないけど、手紙ってやっぱりいいものよね。遠 くにいる人のことがさ、めっちゃ心配で、どうしてんのかなって思ったときに、 (その人からの)手紙を見たらさ、その人が目の前にいる気になるでしょ、これっ てすっごいことじゃない?それにさ、自分が思ってることを書いて送ったら、 気持ちがすっきりするし。もしも手紙ってものがなかったとしたら、どれだけ 気がふさがっちゃうことやら。

すごい感性的な文章でしょ。手紙の効用という、当り前といえばほんと に当り前の事実を述べてるわけだけど、彼女はその事実に個人的な価値判断 (美的判断)を付け加えて読者に強引に押しつけて来る。「ねえ。これ、いいで しょ?あれ、だめよねぇ。あ、それ最高っ。…」

やっぱり、なんなんだこの女はっ、て感じしません?


01/06/98(Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中

銭湯に行き、その間に回しておいた洗濯機の中の洗濯物を一部乾燥機で 乾かした後、鬼睡。夜中に目覚める。夢ではチャック・ベリーの「ロック・ア ンド・ロール・ミュージック」を聴いていた。まだ眠いがそうも言ってられな い。

しかし寒い。寒すぎる。やっぱ冬はみんなで地球を太陽の方に少し押す べきだと思う。他の国がどうなるかは知らないが…。


SF読了。次はいよいよウィリ アム・ギブソンか?


夜明け

うわあっ。死刑廃止論をちょっとしか勉強しないうちに朝になっちゃっ たよー。たすけてー。


昼下がり

。今日はアル・グリーンを聴きながら通勤(通勤って言 葉を自分を主語にして使うのは初めて。なんだか偉くなった気が…)。が、ウォー クマンの調子が悪くなって来たような気がする。Everything must pass.(諸行無常)

帰りに買った古本。

百万遍そばの、よく行く定食屋で遅い昼ごはんを食べて、さて勘定を済 まそうと(軽い)財布を取り出したところ、一万円札しかなく、店のマスターも くずす用意がなかったので、とりあえずつけにしてもらった。(再び、なんだ か偉くなった気が…)


01/07/98(Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中

夕方から真夜中まで、すやすや寝る。

ところで、年賀状に「迎春」の代わりに「迎撃」と書いたら相手にどう 思われるだろうか?


む〜。中央生協の「売ります買います」なんてのはどうでしょうか。あ、 中古の電化製品の話です。(しかし、電化製品って何を指すんだろう?たまごっ ち?)


ようやく、手元にある死刑廃止論の資料の大方に目を通した。後は自分 の頭で考え、議論を構築すべし。


さむいさむいさむい(反復法)。自転車こいでコンビニに買物に行ったら、 途中で引き返そうかと思うほど寒かった。ついカップラーメンという不健康な ものを買ってしまう。

が〜んっ。カップラーメンにお湯を入れたはいいが、(研究室を探索した ところ)お箸どころかフォークすらないことがわかる。ああ神さま、あなたは ぼくにスプーン(2本)でラーメンを食べろとおっしゃるのですかっ?


結局、スプーンでラーメンを食べた。(そのせいかどうかは知らないが) あまりおいしくなかった。そもそもラーメンはそれほど好きではないのだ。え、 じゃあ最初から買うなって?ごもっとも。


夜明け

だんだん夜明けが早くなって来た。寒くて髭を剃る気になれない。

といいつつ、湯沸し機のある給湯室で髭を剃ってしまう自分が怖い。(注: 給湯室は各階に一つずつ、トイレの隣にあります--デフォルトでは、各研究室 に湯沸し機は付いていません)


塾。冬期講習終わりっ!正月をはさんで10日、一度も遅刻せずによくがん ばりました。えらいっ。(誰も誉めてくれないので自分で誉める)

今日は朝からラモーンズを聴いてて、それと「手渡し給料効果」との相 乗作用でかなりハイなんです。ううっ。ラモーンズ最高。ビーチボーイズがパ ンクになるとラモーンズになる、という趣旨の文章をどこかで読んだ気がする が、ほんとにポップ。ううっ。

♪しいないずっ・あっぽんくろっか・しいないずっ・あっぽんくろっか・ しいないずっ・あっぽんくろっか・あ〜ああああっ♪(ううっ)

ちなみに今日はテスト監督もあったので遅くなりました。ぼくを訪ねて 研究室に来た方、申し訳ない。


帰りに、高槻のある本屋の大学受験参考書のコーナーに行って、こんな 本(新品!)を買う。ううっ。

実は、昨日下宿の部屋のダンボールを漁ってみたところ、枕草子の原文 が全然手元にないことに気づいたんです。それで、ううっ、となっちゃって、 今日急いで本屋に行ったわけです。

ほんとは抄訳でなくて、全文対訳のが欲しかったんですけど、全文が載っ てるのは高いし、訳も少々古くさいしで、やめとくことにしました。そのうち 古本屋(あるいは古本市)で見つけます。

赤塚不二夫はMANGAゼミナール●古典入門のシリーズを全部書いてるみた い。いやあ、世の中便利になりましたなあ。なんでもマンガで読める。これか らは新聞もテレビもコンピュータも哲学書もSFも卒論も、全部マンガにするべ し(卒論提出予定者には事務室でスクリーン・トーンとペン先を配布する)。


む。ふと見ると某嬢の論文草稿の改訂版が届けられている。むむ。まあ、 いくらでもかかって来なさい。誰の論文であろうと何度でも読ませてもらいま す。どうせ死刑廃止論のレジメなんか一晩あれば書けますから。(←三島由紀 夫の『不道徳教育講座』(「できるだけ己惚れよ」72頁以下参照)にいささか影 響された大風呂敷発言)


01/08/98(Thursday/jeudi/Donnerstag)

夜から朝までたらふく寝た。いろいろ夢を見る。

起きると雨が降っている(そいえば昨日の朝は雪がちらついていた)。た しか部屋にビニール傘があったはずなのだが、と寝起きの頭でぼおっと考えて いると、こないだ兄夫婦の家に持ってったときに持って帰るのを忘れたことに 気づいた。いみじうくちおしけれ。途中のコンビニでわざわざ買うのもめんど うなので研究室まで濡れて来る。

なんか、研究室に椅子が搬入される様子。研究室の入口の扉には9脚、と 書いてある。今までの椅子はどうするんだろうか(長椅子を含めて19脚もある)。

とりあえず、一つだけ残っていた古い事務机 は近日中に廃棄してもらうことにする。 今まで働いて来てくれたことに感謝。


お昼前

なんか、部屋が椅子だらけになる。へるぷ。


昼下がり

ダイオキシン怖いよ〜。ダイオキシン怖いよ〜。


昼下がりから某嬢の卒論草稿(デカルト関係)を読む。研究室の掃除など。 さらに某氏の卒論草稿もいただく。いそがし。

ルネでOAタップなどを購入(してもらう)。また、研究室にソファーが導 入される。研究室の風紀が乱れないように努力しましょう(風紀委員長こだまより)。


真夜中

某飲み屋で某先生と某氏と晩餐。情報倫理、SF対 ハードボイルド、マンガ(特に『えの素』)、小説は終わった、等々。ごちそう さまでした。

なんか、明日までに読むべき論文(草稿)がたまっている。どうしよう。


01/09/98(Friday/vendredi/Freitag)

真夜中

久しぶりに師匠にいろいろ魔術を教わる。SKK、HTML helper mode、日付 の記入法など。SKKっていうのはKKKの親戚にあたる団体ではなく、日本語変換 アプリケーションである。ただ今練習中。SHIFTキーを押す回数が飛躍的に増 える。小指の行く末が心配。HTML helper modeでは、これまで使ったことのな いタグまで勉強することができた。日付ってのは、Last modified:っていうや つ。むむ。最近はいろいろ便利になってるなあ。


眠いがデカルト。よく考えると、死刑廃止論の発表まで今日と、明日と、 明後日の3日間しか日がない。…逃げるか。


デカルトを考えていて、難しすぎて危うく頭が爆発しそうになる。ああ、 危なかった。

とりあえず読み終える。次はロック。


夜明け前

昨夜、某氏に数日前に書いた枕草子に関してはげしく突っ 込まれた。

と、その場で上のように答えたわけではない。その場では、いつもどお り「あわあわあわあわ」と言って逃げ切った。


お昼

早朝に下宿に戻って睡眠。なんだか割と早くに目が覚める。(っていって もお昼だけど)

これからロールズの勉強。


お昼過ぎ(ショウペンハウエルの警句的に)

「主観的」や「客観的」という言葉を使うときには十分に注意する必要 がある。両者にはそれぞれ、非難と称賛の含意があり、「主観的なAと客観的 なBはどちらが正しいか(優れているか)」という問いを立てた場合、往々にし てすでに答えが決ってしまっているからだ。その代表的な例は次のような問い である。「主観的な功利主義と客観的なロールズ主義は正義の原理と してどちらが優れているか


昼下がり

ロールズ終わり。残るはロック(の続き)。


昼は鍋。雑炊もいみじううまし。腹も心も温まる心地こそすれ。


某嬢と某君とデカルトを論じていて、また危うく頭 が爆発しそうになる。デカルトは危険人物なので要注意。ロボットが自分の存 在証明しようと思ったら、そのロボットは爆発するんじゃなかろうか。


ロックに関する論文草稿を読み終える。眠い。さあ、今晩から死刑廃止 論を本気でやらなきゃ。


ロールジアン来訪。いろいろ教わる。


銭湯に行く。風呂に入るのは気持ちがいい。下宿で仮眠を取るよりも、 銭湯に行った方がよっぽど復活度が高いと思う。が、研究室に来ると眠くなっ てきた。やはり寝るべきだったか。


今夜の暴論

神学で「弁神論theodicy」というのがあります。「なんで神さまは、一 つの悪もない善なる世界を創らずに、これほど悪のはびこった世界をお創りに なられたのだろう」というような疑問は、信心深い人も信心深くない人も時々 持つものです。弁神論というのは、このような問いに対して答を与えようとす る試みのことを指しています。

弁神論のそうした答の一つに、「なんで神さまが善と一緒に悪まで創っ たのかというと、世の中に善しかないと、善のありがたみがわからないでしょ? 例えば、善人のありがたみっていうのは、悪人がいた方がよくわかる場合が多 いじゃない?だから神さまは、人々が悪いものを見たときに嫌悪感を抱いて、 もっとより善いものを目指すよう心がけるように、というあたたかい配慮から 悪をお創りになられたんだよ」というものがあります。簡単に言うと、善いも のの真価を知るには、悪いものを知る必要がある、ということです。

さて、ぼくが、日本における死刑廃止論の多くの論文を読み、ぼくのま わりの人の論文の草稿を読む理由も、まさにこの考え方に基づいています。と いうのも、批評力、眼識をつけるには、優れた非の打ちどころのない論文を読 むばかりでなく、いくつかの点においてそうでない論文もたくさん読むべきだ からです。

上の答の真理は、「バンドの上達のためには、優れたプロのバンドのラ イブばかりを見るよりは、むしろ下手なアマチュアバンドを多く見たほうが勉 強になる」という常識の裏付けでもありますし、「真のエピキュリアン(美食 家)になるためには、ときどき生協で食事をしなければならない」という一見 矛盾した言説の説明にもなっています。

結局のところ、われわれは、他人のあらを探し、他人の作ったものにけ ちを付けることによって大きく成長し、大空にはばたいて行くのです。不完全 なものに取り囲まれることによってこそ、完全なものに対する憧れを抱くので す。

その意味で、悪に存在価値があるのと同様に、多くの死刑廃止論の論文 やぼくのまわりの人の論文の草稿は、かけがえのない存在価値を持っていると 言えます。


01/10/98(Saturday/samedi/Sonnabend)

真夜中

いつのまにやら次の日。銭湯に行ってからまだ何もしていないのに。

某ロールジアンはまだがんばっている。 卒論を書き終るまで研究室に通いつめるそうだ。


昨夜は、某先輩が夜の散歩と称してふらりと立ち寄られたので、 途中まで一緒に帰る。(手はつないでいない)

死刑廃止論を進めなければ。


それにしても、死刑廃止論者って、どうしてこうも人と同じ内容のことばか り言えるのだろうか。彼らの書いたものを見ると、皆恥ずかしげもなく、口を そろえて同じことを言っている。その画一性には驚くばかりである。まさに異 口同音。集団的思考。


微熱。やばい。

扁桃腺が腫れつつあるのを感じる。


夕方

風邪が不安だったので、お昼から昼下がりまで下宿で寝てた。


今日の暴論:ロボット研究に関する一提案

喫茶店で遅い昼ごはんを食べながら、『週刊プレイボーイ(1998. 1. 20., No. 3)』にあったロボット開発の記事を読む。ホンダP2, P3、おそるべし。

早稲田とかソニーもがんばっているようだ。しかし、肝心の京大は?理学部 や工学部でロボット研究、やってるんだろうか?

他の大学や研究所を出し抜くためには、京大のロボット研究者は早晩に倫理 学研究室と手を組んで「倫理的判断を下せるロボット」の 研究に着手すべきであろう。そこで以下にいくつかの計画を示す。

このプロジェクトにより、文系と理系の研究領域が融合し、 学問の一体性が回復されることは間違いない。 同時に、ロボットの研究を通じて「人間とは何か」という問いに対する考察も 深まるであろう。

また、このプロジェクトに参加すれば、 実験費として各研究室に莫大な研究費用が投じられるかもしれない。

このプロジェクトの可能性は無限大である。

というわけで、参加したい人はいますぐぼく宛にメイルを。


豊田有恒の『SF的発想のすすめ』 を読了。

星新一 逝去か。感無量。

彼の作品は小学生以来、高校生のときまでよく読んでいたから、 はっきりとは自覚していないが、少からぬ影響を受けているはず。


研究室にいた人々と、 たまたま道で会った人と夕食。

その後、研究室で死刑廃止論のレジメ作成。 まじでやばくなってきた。


ところで、前出の豊田有恒の本を読んで、 朝鮮語を勉強すべきだと確信する。


真夜中

死刑廃止論勉強中。誤判論は正しいのかどうか。

この議論で負けたら、 --誤判の可能性がある限り、その理由によってだけでも、死刑は廃止されるべきだ、 という議論が正しいとすれば--、 もう死刑廃止論には手を付けない。 なぜなら、それでもう話は片づいてしまうからだ。 死刑廃止論の側のロボットが史上最強であり、無敵であることを確信したとすれば、 もはやぼくが何をやっても時間の無駄であろう。

しかし、 もし誤判可能性は死刑を廃止する根拠の一つにしか過ぎず、場合によっては それを上回る(死刑存置論側の)理由に道を譲ることもありえるとすれば、 --誤判可能性ロボットが一部の人々の言うような無敵ロボットでないとするなら--、 両者の側に、他にどのような言い分があるのか、 --どのようなロボットがいる(ある?)のか--、を知るために、 今後も引き続き死刑廃止論を検討していこうと思う。


01/11/98(Sunday/dimanche/Sonntag)

真夜中

やばいっ(汗)。月曜の発表までに間に合うのかっ?

久しぶりに耳栓をしてみる。集中力は上がるが、その分疲れる気もする。


某ロールジアンの議論に巻き込まれる。


なんかすごい寝てしまった。まずい。


刑法とか、刑訴法とか、一度きちんと勉強すべきなんだろうなあ。六法使って 読書会でもするか。


そういえば、倫理学入門書読書会はこれまで『コンパニオン』の規範倫理の章 を中心にやってきたが、4月からは同じテキストのメタ倫理の章を中心に進め るつもり。倫理学研究室関係者以外の人の参加も大歓迎。特に法学部の方とか、 ロボット開発に関わっている方とか、うなるほどお金を持っていて、喜捨した くてしたくてたまらない方などは、熱烈大歓迎。

ついでに簡単に説明しておくと、規範倫理とは、すべきこと、すべきでないこ との基準や原理(すなわち正・不正の基準、行為の基準)を見つけ出そうとする 領域であり、他方のメタ倫理とは、規範倫理や応用倫理で頻繁に用いられる、 「正しい」とか、「善い」とかいう言葉の意味を問題にする分野である。ある いは、規範倫理は「どのような倫理理論があるか」を問題にし、メタ倫理は 「そもそも倫理(倫理的概念)とは何か」を問題にする、とも言えよう。


死刑廃止論の文献を読んでいると、けっこう誤解がある気がするのだが、死刑 廃止論の根拠として誤判の可能性を西洋で最初に唱えたのはベッカリーアでは なく、ベンタムである。(ま、探せば他にいる可能性はあるが)

たしかにベッカリーアはカラス事件という有名な冤罪事件をきっかけにして、 主著『犯罪と刑罰』を書いたのだが、その中でなされる死刑廃止論には誤判の 可能性の議論はない。彼の議論はルソー流の社会契約論にもとづくもので、 「われわれが社会を作ることに合意する際に、国家によって恣意的に殺されて も良いなどと同意した覚えはない」という風な議論をしているだけである。

ベンタムの死刑廃止論も時間があればいつか翻訳してみたい。

(ところで、ぼくは反-死刑廃止論者だと自認しているが、ベンタムの功利主義 的な死刑廃止論には大方同意している。問題なのは、日本の大部分の死刑廃止 論なのである)


01/12/98(Monday/lundi/Montag)

真夜中

死刑廃止論はかどらず。Long way to go.

となりで作業している卒論執筆中の某ロールジアンも同じことを言っている。 二人とも、今日の午後が〆切である。

昨日も来てくれていた某君もいる。コンピュータに向かって作業 を続けている怠惰な二人を叱咤激励してくれている。感謝。


めっちゃしんどい。昨日の晩からまだ一睡も寝てない。自業自得(=自営業はす べて自分の得になる)。

某ロールジアンもまだ奮闘中。


昼下がり

一応レジメはできたが、結論は出なかった。厳密に議論を進めようとすると、 難しい。根気が必要。まあ、プリントアウトしちゃったし、あとは人数分コピー して、発表をするのを待つのみ。みなの知恵をお借りする。


めっちゃねむい。

死刑廃止論に関する発表のあと、 某教授室でちょっとコンピュータ関係の雑用をして、 そのあと、みなで晩餐。 ごちそうさまでした。


01/13/98(Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中

研究室のイスに座りながら少し寝てしまう。

昨日の反-死刑廃止論の発表 原稿を一応完成させる。感想求む。あ、おくだくん、すぺしゃるさんくす。

さて、とりあえずやるべきことが一つ終わった。安堵。


夕方

すっごい寝た。

郵便局で古い普通預金を解約。100円ぐらいしか入ってなかったけど…。下宿 に引越したので、いろいろな所に住所変更届を早く出さないといけない。


今日は修論の〆切だったので、教授と助教授が修論提出者に慰労の意味をこめ て夕ごはんをごちそうされた。来年はぼくも同じ状況にある…はず。


01/14/98(Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中

某教授室の新PCの設定で時間を費す。


卒論提出日は過ぎたのに、なぜかまだ今夜も某ロールジアンは研究室でがんばっ ている。なぜだかは知らぬが、殊勝なことではある。


今日こそは寺町の電気屋街に行ってみる。


夜中

昼下がりから寺町の電気屋街に行って、2時間半ぐらいうろうろした末に、 CDラジカセとMDウォークマン(あるいは、MDステーションというのかも知れな い)を購入。冬期講習で稼いだバイト代が吹っとぶ。

寺町から下宿まで買った(大きい)荷物を自転車で運んだあと、まず部屋を片づ けた。12月から片づけていなかったので、ずっとひどい状態だったのだ。必死 の浄化作業の末、とりあえず部屋の半分は人間の住めるところになったので、 居住区域宣言を出す。残りの半分はまだかなり汚染がひどいので、立入禁止区 域に指定。

それからやっと、CDラジカセなどを箱から出し、2冊の説明書をそれぞれ1時間 ぐらいかけて読み、基本的な操作を覚えた。いろいろと機能があるので覚える のも一苦労である。


ううむ。そんなこんなで今日はまだ何もしていないが、もう眠くなってきた。 ぐう。


01/15/98(Thursday/jeudi/Donnerstag)

真夜中

う。1月ももう15日。早くも一年の約24分の1を過してしまったか。

晩ごはんを食べに出かけると、外は雨。傘のないときは雪の方がありがたいの だが、もちろん天気はぼくの意見など聞いてはくれぬ、などと思いつつ、雨に 濡れる。


う。明日、というか今日は祝日か。するとルネ(京大生協購買部)は休みか。 むううっ。POC-10Aというデジタル接続ケーブルを買う必要があるのに。 (これがないとCDからのデジタル録音ができない。とりあえずアナログ録音は できるが)

むっ。この状態は、昔「スキャナでテキストを読み込もう」と思い立ってスキャ ナを日本橋に買いに行ったときと似ている。あのときは、スキャナを買って意 気揚揚と家に帰り、興奮しながらスキャナをコンピュータに接続して動かして みると、実はスキャナというものは、スキャナ本体の他にOCRソフトというも のがないと文字認識をしてくれないことがわかり、しかたないので次の日にま た泣く泣く日本橋に出かけたのであった。

今回はそのときに比べて衝動買い度も低く、それに少しは事前調査したつもり だったが、相変わらず進歩してないなあ。


う。某BBSでぼくの反-死刑廃止論が基地外扱いされている気がする…。

とはいえ、論争を挑むのは面倒だし、かといって、ぼくの議論が非常 に単純化されて誤解されたままなのもつらい。

ま、こちらからは手を出さないで、論争を挑まれたときは真剣に議論してみよ う。


昼下がり

雨。テープに録音したNHKのラジオ英会話を、さらにMDに録音してみる。 ノイズが鮮明。さすがはMD。(無意味)

光デジタルケーブルを買うために京大周辺を自転車でうろつく。びしょぬ れになる。

古本屋で買った本。


そろそろ雨が雪になりそうだ。

研究室に来ると、某ロールジアンと某コーリジアン(功利主義者) が口角泡を飛ばして論争している。 活気のある研究室になったものだ。


アリストテレスという男

最近、アリストテレスというギリシア人哲学者の本を読んでいる。『ニコマコ ス倫理学』という本だ。約2300年前に書かれた古い本なので、現在ではもはや ほとんど読む人はいなくなっているが、ちょっと読んだところでは、議論の進 め方が(少くともわたしから見れば)論理的で、好感が持てる。彼の順を追った 論証の仕方は、現代においてさえ、いまだ論文の模範的な書き方であり続けて いると言えそうである。

このアリストテレスという男、なかなか賢い人物のようだ。


真夜中

某ロールジアンと一緒にお好み焼きを食べて、ついでに古本屋による。

これから「情報と倫理」のレポートを書こうと思う。


Satoshi Kodama
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Last modified: Fri Jan 22 07:55:54 JST 1999