5月下旬号 / 6月中旬号 / 最新号

こだまの世界

2001年6月上旬号

この手の懐疑主義--どんどん問いを発するという意味ではなく、 道徳全体に対する不信の念をずいぶん独断的に宣言するという 意味での懐疑主義--が、驚くべきほど大きな影響力を持っており、 しかも驚くべきほどあいまいであるようにわたしには思えた。 わたしがとくに感銘を受けたのは哲学の学生たちの態度で、 かれらはある道徳的問題についてかなり強硬な見解を表明したあと、 問題がややこしくなってくると、あっさりと、 「まあ、けっきょくは個人の主観的な意見にすぎないですし」 などと言うのである。また、これも興味深い点だが、かれらはよく 「だけど、もちろん、 道徳的判断をなすことは常に不正なことですよね?」 と発言し、 この発言自体が道徳的判断であることには 気付かない(あるいはそのように見受けられる)のである。

---Mary Midgley, Wickedness London: Routledge Classics, 2001 (1984), p. xii.

自然という言葉には 主な意味が二つある。 この言葉は、事物の体系全体とそれらの事物が持つあらゆる性質の総体を指すか、 あるいは、人間の干渉のないあるがままの事物を指す。

これらのうちの一つめの意味においては、 人は自然に従うべきだという学説は意味をなさない。 というのは、人間は自然に従う以外いかなる力も持たず、 人間のあらゆる行為は、 自然の物理的あるいは心理的な法則のどれかを通じ、そしてそれに従って、 行なわれるからである。

もう一つの意味においては、人は自然に従うべきだという学説--言いかえると、 事物の自然なあり方を人間の意志による行為の見本にすべきだという学説--は、 不合理であると同時に不道徳である。

不合理だというのは、人間の行なうあらゆる行為は、 自然のあるがままのあり方を変更するものだからであり、 すべての有用な行為はそれを改善するものだからである。

不道徳だというのは、自然現象は、 人間が行なうなら憎悪の対象になって当たり前の出来事で満ち溢れており、 事物の自然なあり方をまねしようとする人物がいたならば、 その人はみなから最悪の人間として見なされるだろうからである。

自然の体系をその全体に渡って見た場合、 人間あるいはその他の生物の善がその唯一の目的だとは考えられないし、 主な目的だとさえ思えない。 自然が生物にもたらす善は、ほとんどの場合、 生物自身による努力のたまものである。 たとえ善意から発する計画の証拠が自然のうちに見出されるとしても、 この善意の主が有限の力 しか持ちあわせていないことは明らかである。 だとすれば、人間の義務は、 自然のあり方を真似するのではなく常にそれを改善すべく努力することによって、 この善意ある力に協力することである。 そして、われわれの力のおよぶかぎりで自然に手を加え、 自然が正義と善の高次の基準によりよく一致するようにすることである。

J.S. Mill, `Nature' in Essential Works of John Stuart Mill: Utilitarianism, Autobiography, On Liberty, The Utility of Religion (ed. Max Lerner ), New York: Bantam Books, 1961, p. 401.


主な話題


01/Jun/2001 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中

日記の整理。 5月下旬はよく書いたなあ。 字数を数えてみると3万字を越している。

「…サルだな」

「…サルですね」

起きて朝食。

新聞を読んだらミルの勉強。

昼下がり

午前中、新聞を読んだあと寝てしまう。バカバカバカ。

シャワーを浴びたあと、今日の新聞を買いに行く。 ついでに古本屋に立ち寄って何冊か本を購入。 Amazon.co.ukからも本が届いていた。 しかし、 これ以上買うと日本に送るのが大変そうなので(すでに大変だと思うが)、 今後は自粛しよう。


02/Jun/2001 (Saturday/samedi/Sonnabend)

真夜中

カムデンタウン

昨日は夕方からカムデンタウンに行き、 夜にジャズコンサートを聴いてきた。

カムデンタウンに行くのはひさしぶりなので、 すこし早目に行って近辺を探索。 カムデンタウンの大通りには大きなフリーマーケットがあり、 顔中ピアスだらけの若者がところせましと濶歩している。

ある古本屋が半額セールをしているといううわさを聞いていたので、 しばらく探したが見つからず。 かわりにアムネスティがやっている古本屋があったので、 何冊か購入。

マクドナルドでオーウェルを読みながら時間をつぶしたあと、 友人と落ち合ってジャズカフェへ。 キーボードのMark de Clive Loweを中心としたジャズと ヒップホップが融合したような音楽(futurejazzと呼ばれるらしい)。 悪くはなかったが、リズムにウネリが足りない。C。

コンサートが終わってから、地下鉄でまっすぐ帰宅。勉強せねば。 (Animal Farmにはまっているのだが)。

Orwell: `Politics and the English Language'

マクドナルドにいるときに、オーウェルの「政治と英語」を読んだ。 政治家やジャーナリストが抽象的で内容のない文章を書くせいで英語の質が下がり、 そういう質の悪い英語が政治の質を悪化させるという悪循環が生じている、 という話。

興味深いのは、政治家、とくに圧政を行なっている全体主義や共産主義国家の 政治家はわざと抽象的な言葉を使うもっともな理由がある、というくだり。 小村を爆撃したり、人々をマシンガンで撃ち殺したりした場合、 国民に事実を具体的に説明するわけにはいかないから、 「和平工作(pacification)を行なった」と述べ、 人々を裁判抜きで禁固したり、背後から撃ち殺したりすることを 「不確実な要因を消去した(elimination of unreliable elements)」 と表現する。 けれども、まさにこうした抽象的な表現や決まり文句、 そして複雑な言い回しが、英語と英語使用者の思考に 悪い影響を与えているとオーウェルは論じている。

[もちろん、哲学者にもわざと抽象的な言葉や複雑な言い回しを用いる もっともな理由が存在する。たとえば、 (1)難解な表現を用いることにより、高度な議論をしているように見える。 (2)具体的な表現を用いないことにより、検証不可能な文章を作成できる。 (3)抽象的な議論だけを行なうことにより、世の中の出来事に無知でいられる。 (4)素人からの致命的な質問を避けることができる。 (5)長い言い回しを使うことにより、字数を増やせる。などなど]

そういえば、今回の選挙においても決まり文句は飛びかっているようで、 あるジャーナリストが調査をして主要な決まり文句の一覧を作っている。 ガーディアンに載っていたものを以下に記しておこう。

話を元に戻して、オーウェルはこうした事情を踏まえ、 ジャーナリストの文章作法を次のようにまとめている。 論文を書く人にも役に立つかもしれないので、訳しておいた。

良心的な作家は、自分が書く文章の一文一文ごとに、 すくなくとも次の四つの問いを自問するものである。 自分は何を言おうとしているのか[内容]。 その内容を表現するためにどの言葉を用いるべきか[表現]。 どんな例えや言い回しを用いれば内容をより明快に表現できるか[表現の洗練(修辞)]。 この例えは使い古されてインパクトを失なっていないか[表現の新鮮さ]。 そしておそらくこの作家はもう二つ問いを立てるだろう。 もっと簡単に表現できないか[表現の簡潔さ]。 言わなくてもいいのに何か見苦しい(どぎつい)ことを言ってないか[表現の穏当さ]。

George Orwell, Orwell and Politics, Penguin Books, 2001, p. 405.
([...]内はこだまの補足)

[表現と修辞についての規則]

  1. 本で見たおぼえがある比喩やその他の修辞は使ってはならない。
  2. 短かい言葉で済む場合に長い言い回しを使ってはならない。
  3. 単語を省くことができる場合には必ず省く。
  4. 能動態が使える場合は受動態は使ってはならない。
  5. 日常的な言葉で事足りる場合は外来語や科学的単語や専門用語を使ってはならない。
  6. 以上の規則にしたがった場合に何かあまりに非常識なことを言うことになる場合は、いつでも破ってよい。

ibid., p. 409.

訳してみると、あまり(日本語で)論文を書く人には役立ちそうにないが、 「抽象的で無内容なことは書かず、 読者に新鮮なイメージを産みだす具体的な表現を用いよ」 というオーウェルの趣旨は覚えておいて損はない。 とくに「常套句を使わない」などのあたりは肝に命じるべきだろう。 あ、「肝に命じる」も常套句か。訂正。 とくに「常套句を使わない」などのあたりは刺青師に頼んででも 頭に刻みこむべきだろう。

朝遅くに電話で起こされる。朝食を見逃す。 眠いが新聞を読んだら勉強すべし。

Animal Farm

昨夜、寝る前にOrwellのAnimal Farmを読む。 共産主義を風刺した小説。

豚や馬などの動物たちが、 自分たちの労働を搾取する農場主を追い出し、 動物の動物による動物のための農場を経営しはじめる。 この動物自身による農場の経営は、一年目は成功を収めるが、 二年目からは人間との戦争、内部抗争、風車の建築の失敗など、 いろいろと深刻な問題が起きはじめ、 同時に指導者である豚たちは暴力とプロパガンダを用いて 他の動物の労働の搾取を正当化するようになる。 堕落した豚たちは人間の真似をして二本足で歩きはじめ、 ついにはあろうことか人間と一緒にビール片手に宴会を始めるにいたる…。

スノウボール(豚)の追放、 人間による風車の破壊など、 展開が劇的でおもしろい。 働きもののボクサー(馬)、 口の達者なスクイーラー(豚)など、 登場動物も個性的でよい。 が、最後はちょっとあっけない。 追放されたスノウボールがどうなったかも気になるところ。 とはいえ、文句なしの名作。オーウェルの文章も名文。B+。

午前中(雨)に新聞を読んだあと、午後(くもり)はミルの勉強。 夕食は中華料理屋で。外は風が強く、寒かった。

夕食後、すこし寝る。引き続き、ミルの勉強。


03/Jun/2001 (Sunday/dimanche/Sonntag)

[新聞: 3時間(長すぎ)、専門の勉強: 2時間半(短かすぎ)]

真夜中

どうも目が回ると思っていたら、どうやら風邪をひきかけているらしい。 昨日はあまり勉強しなかったので夜更ししたいところだが、 風邪が悪化するのもつまらないので、早目に寝ることにしよう。

「ところで、宣伝ですが、 哲学・倫理学用語集はあなたの知らないうちに ずいぶんと更新されています。意味のない項目もたくさんありますが、 わりとちゃんとした説明の付いた項目もありますので、覗いてみてください。 英語の日記も最近は頻繁に 更新しています。 読み物のページも整理しました」

早朝

早起き。体調は大丈夫そう。

とりあえず昨日の新聞を読むべし。

お昼

朝食を食べたり新聞を読んだりしたらあっというまに一日の4分の1が過ぎてしまった。 他の4分の1以上を睡眠に使っているから、 一日の2分の1以下しか勉強に使えないことになる。

しかし12時間も専門の勉強をしているとは思えない。 今日からちょっと計ってみるか。

英国ではコンピュータ雑誌と同様、 新聞にCD-ROMが付いてくることがときどきある。 U2のミニCDが付いてくるというので、 今日のSunday Timesを買ってしまった。

夕方

昼食後、某インドネシア人が誕生日だというのでパーティにすこし参加する。

やっとミルのエッセイの筋が決まった。一気に書き上げてしまおう。 それから法哲学のエッセイにとりかかるべし。あと19日。


04/Jun/2001 (Monday/lundi/Montag)

[新聞: 3時間(日曜日の新聞は厚すぎる)、専門の勉強: 3時間30分(短かすぎ)]

寝坊。朝食を見逃す。

お昼すぎ

やっと新聞を読む。今日もミルの勉強。 半分ぐらい書く予定。あと18日。

ペルーの大統領選(決選投票)は、無事トレド氏が勝利したようだ。

昼下がり

あ、Independentに引き続き、 Guardianも平日の新聞を45Pから50Pに値上げした。 Timesは35P、Daily Telegraphは45P。

夕方

昼食後、昼寝をする。

夕暮れ

代理母その後

代理母で検索してくる人がけっこういるようなので、 こないだ書いた文章を加筆訂正して、 生命倫理学用語集の 方に転載しておいた。

ついでに毎日新聞の社説 (「代理母出産 認めるわけにはいかない」20/May/2001) を読んで腹を立てる。

おれの議論もたいてい一貫性のない場当たり的(ad hoc)なものが多いが、 毎日のも相当ひどい。たとえば、 「妊娠・出産は母体には心身ともに大変な負担となる。 「姉のために」という動機は尊いにしても、 自分の体を道具として利用する行為と批判されても仕方がない」 とかいう議論は、自己犠牲的な行為すべてに当てはまってしまう。

例: 「子育ては、両親には心身ともに大変な負担となる。 「子供のために」という動機は尊いにしても、 自分の体を道具として利用する行為と批判されても仕方がない」

また、「生まれた子供が後に真相を知った時に、 どう思うだろうかという問題もある。 まず子供の幸福を考えるべきなのに、 夫婦の気持ちだけが優先されたことになる」というのもどうか。 まるで問題の夫婦が記者会見かなにかで「子供の幸福をまったく念頭おかず、 自分たちの幸福だけを考えて行ないました」とでも言ったかのようである。 また、だいたい子供は実の子であっても親の都合で 離婚、引越しその他いろいろな不幸な目に遭うもので、 上のような理由で法規制を主張しだしたら、 養子、離婚なども禁止すべきことになってしまう。

そもそも、「まず子供の幸福を考えるべきだ」というのは、 上の自己犠牲禁止の原則に反するではないか。 なぜ親は子供のために「自分の人生を道具として利用」 しなければならないのか。

「だいたい社説のレベルが低すぎる。は、白(ピー)か、こいつらは。 本気で代理母の法的禁止を主張するんだったら、 もっとまともな議論をしろ。し、し死(ピーピー)。 ん、さっきからなんだこのピーは」

「あ、今回から自主規制が厳しくなりましたので。 あまり悪態をつくのはやめてください」

「(ピー)、(ピーピー)!」

…なんてことを書いて逃避している場合ではない。 ミルの勉強しよう。

真夜中

BBC2でブレア首相のインタビュー。 「金持ちと貧乏人の差が広がるのは許されるかどうか」 という厳しい質問に対して、イエスと答えられずに苦労していた。

実際のところ、ブレアの立場は、 「最下層が底上げされる経済政策ならば、 金持ちと貧乏人の格差が広がってもよい」というものだが、 上の問いにはっきり答えるのはかなり抵抗があるようだ。


05/Jun/2001 (Tuesday/mardi/Dienstag)

[新聞: 2時間(ちょっとまし)、専門の勉強: 3時間30分(残りの18時間30分はどこに行ったのか) ]

真夜中

勉強する予定が、日記の整理とかをしていたら、 あっという間に夜明け前になってしまった。 逃避せずに勉強せねば。あと18日。

お昼前

寝坊。悪夢を見る。二度寝するんじゃなかった。

お昼すぎ

新聞を読んだので、勉強勉強。

昼下がり

インターネットを使いにちょっと図書館へ。

どうしてもFacesが聴きたくなったので、 Amazon.co.ukに注文してしまう。

真夜中

ようやくミルのエッセイのイントロを書く。 これにあまりかかずらわっていられないので、 さっさとやらねば。

あ、明日の授業(スマート対ウィリアムズ)の予習をしないといけないことに気付いた。


06/Jun/2001 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

[新聞: 2時間半、専門の勉強: 2時間(あああ)]

真夜中

「結婚・出産しても働き続けますか」

べつに毎日新聞に恨みがあるわけではないが、 「女性の就職 男たちの意識は変わったか」という記事について。

あいかわらず女性の雇用差別が続いているというなんてことのない記事だが、 気になったのは、なぜ面接担当者はまちがっても 「結婚・出産しても働き続けますか」といった質問を女子学生に発して はいけないのかを説明していない点。 いまだに3人に1人の女性が面接で質問されるからには、 面接担当官にとっては重要な質問なわけで、 なぜだめなのかをちゃんと理由を示すべきだ。

「しかし、冷静になって考えてみるとなぜだめなんでしょうね、この質問。 会社にとっては、さっさとやめる気がある女性よりも、 ずっと続ける気のある男性あるいは女性を雇いたいと思うのは当然なわけで。 男性だけに限って考えても、『わたしは5年後にやめます』と宣言する男性よりも、 ずっと続ける気がある男性を雇いたいわけでしょう、会社としては。 女性の場合だって同じじゃないですか」

「いや、この質問には二重の意味があって、 『結婚してもやめないでしょうね。さっさとやめるぐらいなら雇いませんよ』 というだけでなく、『出産する場合は辞めてくれるんでしょうね。 じゃなかったらお帰り下さい、出産休暇を出すつもりはありませんから』 という意味もあるわけだ」

「あ、なるほど、この質問の背後にある会社の本音は、 『結婚しても辞めず出産もしない女性じゃないと雇いません』ということですか」

「そうそう。 だから面接で出産について質問するのは、 女性に『子供を産む気なら雇いません』と言うようなものだ。 結婚するかどうかも、暗に出産のことを尋ねることになるので、 訊くべき質問ではないというわけだ」

「ああ、ようやく理解できました。しかしあれですね、 会社がこの手の質問を女性にできないとなると、 面接に来た男性と女性の能力がほぼ同じ場合は、 どうしても男性をひいきにしたくなるわけで」

「だからポジティヴ・アクションを主張するわけだろう、政府は。 そういうひいきを防ぐために、女性の採用枠を一定数用意してしまうわけだ。 こうすれば、会社は女性を採用せざるをえなくなる」

「なるほど」

「他にも、面接官の半分をかならず女性にするとかいう手もある。 とにかく、女性社員と男性社員の比率が偏っている状況をまずなんとかしないと 差別はなくならないから、法によって大量に女性を就職させないといかん。 来年度あたり思い切って女性しか就職できない年と決めてしまったら いいんじゃないか。首相の人気が上がるのはまちがいないぞ」

「そんな無茶な。男性はどうなるんですか」

「家で家事と子育てだ」

「暴動が起きますよ、そんな政策を実行したら」

「冗談冗談。ところで、ポジティヴ・アクションというのは和製英語なんだろうか。 米語ではaffirmative action、英語ではpositive discriminationというみたいだが。 いや、別に和製英語だからどうだというわけではないんだが」

「そうですね、affirmative actionよりはわかりやすい言葉だと思います」

「とはいっても、はじめて聞いた人には何のことだかわからんだろうがな」

真夜中2

毎日ばかりやり玉にあげると偏向していると言われそうなので(もちろん 偏向しているが)、他の新聞もやり玉にあげよう。

日経の社説 (社説1 首相は外務省の混乱収拾を急げ)は、 題名と結論がずれているだけでなく、日本語がおかしい。

たとえば 「2つは別個の問題であり、一方を考えることが他方の軽視ではない。 単純な善玉悪玉論では事態は解決しない。 2つの問題とも現状には憂慮すべきものがあるからだ」の部分。 最後の一文は意味がわからない。まるで質の悪い翻訳文のようだ。 あるいは、最近の文章はみなこうなのだろうか。

「なんできみはそんなつまらないことを書いているんだ。勉強しろ、勉強」

「あ、すいません、やりますやります」

早朝

スマートの議論を読む。 細かい議論が続くので、 だいたい読みとばしてしまったが。

あんまり興味が湧かなかったが、 やはり最後の保安官の例は気になる。 問題は、なぜ功利主義の回答(とされるもの)である無実の人を処刑する というのが直観に反するのかだ。 この直観を分析する必要がある(どの視点から道徳判断をしているのか、とか)。 が、眠いので一度寝てから考えよう。

起きる。朝食抜き。

昼下がり

ベンタムの授業と信仰告白

ベンタムの授業に出てくる。スマートとウィリアムズの議論について。 あまり多産的な議論ではなかったが、それなりに楽しめた。 とくにインディアンを殺すジムの例(注)で盛り上がった。

[注: 消極的責任の話。 南米の軍事政権国家を訪ずれたジムはたまたま20人のインディアンの 処刑の場に立ち会う。彼らは囚人ではなく、 民衆のデモ活動を抑制するために適当に選ばれた無実の人々である。 悪人の長官ペドロは、ジムに名誉を与えると言って、次のような提案をする。 もしジムがインディアンの一人を自らの手によって射殺するなら、 長官はあとの19人を解放することを約束する。 しかし、もしジムがこの提案を拒むならば、 20人全員が兵隊によって射殺される。 また、ジムには他に行動のしようがなく、たとえば 銃を手にして長官ペドロ以下全員を射殺するという ような可能性は閉ざされているものとする。 ウィリアムズの批判は、 功利主義はジムがインディアンの一人を殺すことを要求し、 もし殺さないならば、ジムは消極的責任を問われることになるが、 しかしこれはジムの道徳的な誠実さ(integrity)を損なうものである、 というものである]

おれなんかは、自分がその場にいたら実際にできるかどうかは別として、 一人を選んで射殺するのが道徳的に正しく、 そうしないならば非難してもよいとさえ思うが、クラスの中にはそれは ぜったいにおかしいという義務論者の学生もいた。 しかし、そういう学生も、実は考えていることはジムはあとで気が狂うとか、 ペドロは約束を守らないだとかいう帰結主義的な考慮であって、 「義務に反するからとにかくだめ」というゴリゴリの義務論者ではなかったりする。 まあこういう例ってどうしてもそういう議論になりがちで、むずかしいよな。

今回が最後の授業だったので、 授業の終わりに「功利主義について評価せよ」という信仰告白をさせられた。 「日頃は他者危害原則やその他の道徳律を守って適度に自分の幸せを追求しているが、 困難な道徳問題が生じた場合は、功利原理を参考にして考えるというかぎりで、 自分は功利主義者だ」というような答をしておいた。

「しかし、実のところ、自分が本当に功利主義者なのかどうか疑問です。 真の功利主義者の生き方がどのようなものか、もっとよく考えてみる必要があります」

「宗教みたいだな、それ」

「いや、人生やはり、信念とコミットメントが必要なわけで」

「けど、一つの倫理学説にコミットしたら、 倫理学者じゃなくなっちゃうんじゃないの。 熱心なカトリック教徒が宗教学者になれるかとか、 自民党の幹部が政治学を教えられるかとかさ」

「いや、別にカトリック教徒が宗教学を教えてもいいでしょう。 そもそもまったく偏向しないことは不可能なわけですし。 功利主義者が義務論を説明したって問題ないじゃないですか。 別に公平な裁判官の役割を果たすことは学者には要求されてないわけで」

「そりゃそうか」


それからすこし図書館と本屋に立寄る。 The Night of Triffids という本が出ていた。 もちろん著者はウィンダムではなく(彼は60年代に死んでいる)、 ウィンダムを敬愛する作家による続編。 ペーパーバックになったら買ってみよう。

夕暮れ

昼下がりに昼寝したら、寝坊して夕食を見逃してしまう。

新聞を読んだらミルのエッセイを書かねば。がんばれ。

夜中

やっと新聞を読む。

電話の調子が悪くてインターネットにつながらない。

ラヴェンダーがようやく花をつけはじめた。

夜中2

あ、どうも電話は調子が悪いのではなくて、契約が切れたようだ。 う〜ん、まいったなあ。 しかしまあイタリア旅行が終わって戻ってくるまでは、 このままになりそうだ。集中して勉強するにはちょうどいいかもしれない。

というわけで、今後は一日一回図書館に行って更新することになる。 メイルもあまり見れないので、すぐには返事できません。


07/Jun/2001 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

[新聞: 1時間45分(健闘)、専門の勉強: 3時間]

真夜中

なぜだかわからないが、 近くの寮に住む香港人の某友人のところに、 今日の総選挙の投票用紙が送られてきたそうだ。 CD-ROM事典で調べてみると、 以下にあるように18才以上の英国市民かアイルランド市民じゃないと 投票できないはずなのだが。

To qualify as an elector in a parliamentary election in a particular constituency a person must be resident in that constituency on the annual qualifying date (10 October), be a British citizen or a citizen of the Republic of Ireland, of at least 18 years of age (21 before 1969), and not be subject to any legal disqualification.

その友人は、サッチャーが好きだから保守党に投票すると言っていた。 レーガンが好きだから共和党に投票するとか、 中曽根が好きだから自民党に入れるというようなものである。 せめてリブ・デモに投票してくれと頼んだが、どうやら説得に失敗したようだ。

[08/Jun/2001追記: カナダ人とインド人、シンガポール人の友人も投票用紙が 送られてきたと言っていた。どうも、この事実から察するに、 コモンウェルスに属している国から来た留学生はみな投票権を得ているようだ]

夜明け

ミルのエッセイを途中まで書く。引用だらけになってしまう。ううむ。

寝坊。例によって朝食を見逃す。

昼下がり

お昼すぎに新聞を読み終わり、大学へ。 学科で授業終了パーティが行なわれたので、すこしだけ参加してくる。 学科内であまり友人を作れなかったのは残念。

今日は夕方まで図書館で勉強するつもり。

なんかポンドが166円まで下がっている。 安いときに限ってお金がない。

昼下がり2

ん、だめだ。LANでネットにつながっていると、ぜんぜん勉強できない。 下宿に戻って勉強しよう。

夕方

某所で古本を買ってから下宿へ。Amazon.co.ukからもCDと本が届いていた。


08/Jun/2001 (Friday/vendredi/Freitag)

[新聞: 1時間20分(大健闘。しかしこれはほとんど読むべき記事がなかったため) 専門の勉強: 3時間30分(あああ)]

真夜中

Pearl Harbor

友人に誘われたので、『パールハーバー』を観に行った。 『インディペンデンス・デイ』と同じぐらい質の悪い映画。 というか、 エイリアンが日本人に変わっただけで、 『インディペンデンス・デイ2』と呼んだ方が正確だと思う。 歴史物語である必然性がほとんどない。 (ただしこれは、 日本との関係を配慮して日本人をあまり極悪に描かなかったせいだと思われる。 しかし、それなら最初からSFにしておけばよかったではないか)

恋愛の筋書きもありきたりだし、 しかも主演女優が大根役者なのでまったく共感できない。

加えて、この内容で3時間は長すぎる。 『グラディエイター』や『ビリーエリオット』や『ライフイズビューティフル』 に比べるとほんとに三流だ。見てほんとに損した。時間と金を返せ。C-。

総選挙の結果

昨日英国で行なわれた総選挙の結果が現在生放送で放映されている。 ブレアやジョン・プレスコット、ゴードン・ブラウンといった労働党の重鎮は 無事に再選されており、たった今、 自民党のチャールズ・ケネディも再選が確認された。

まだ開票は終わっていないが、 労働党が過半数を占めることは確実のようだ。 投票率は前回の7割をかなり下回るとのこと。

(追記: 投票率は約58%だったそうだ。前回の7割が過去最低だったらしいから、 それをさらに大きく下回る記録的な投票率だったらしい)

ヘイグの落胆

朝起きてテレビをつけたら、 労働党二度目の大勝利を受けて、 保守党党首のヘイグが党首を降りる(stand down as the party leader)という ニューズ。

保守党の党首が総理大臣になれずに辞任するのは1920年代以来のことらしいから、 横綱になって一度も優勝できずに引退するようなもので、 相当みじめな気持ちを味わっているに違いない。 保守党の大敗に対する同情はまったくないが、 ヘイグの落胆と失望には大いに共感する。


「大教大附属池田小の殺戮は、 楳図かずおの恐怖を地でいく事件ですね」

「年寄り世代はみんな『漂流教室』を読んだときの恐怖を思い出してるだろうな。 いや、彼が非難されるいわれはまったくないわけだが」

お昼

やっと新聞を読んだ。さて、勉強しないと。ほんとにまずい。

Ooh La La

おれのじいさんはあわれな老人さ
いつもじいさんの言うことを馬鹿にしてた
つらい人生を送ってきたみたいで
女性のことばかり話してた

女はお前をわなにはめて、利用するだろう
それもお前が気づかないうちにな
恋は盲目でお前はやさしすぎるから
いいか、女に心を開いちゃだめだぞ

ああ、若かったときに
このことを知っていたらなあ
ああ、強かったときに
このことを知っていたらなあ

カンカン踊りは素敵な見せ物
踊り子はお前の心を奪うだろう
だけど舞台裏は元の現実で
楽屋は灰色なのさ

女は色目でお前を誘い、それこそあっという間さ
お前が一人前の男だって実感するのは
だけど恋は盲目でお前はすぐに気づくだろう
自分はやっぱり坊やにすぎないってことに

口づけを求めてもほっぺにキスされるだけ
自分は彼女のなんなんだろうって思わされる
もっと求めても彼女はさっさと寝てしまう
そしてお星さまと一緒に踊るのさ

わしの孫よ、気の毒だが言うべきことはなにもない
自分で学ばなきゃならんのだ、わしのようにな
つらいことだが仕方ないんだ
Ooh la la...

ああ、若かったときに
このことを知っていたらなあ
ああ、強かったときに
このことを知っていたらなあ

By Ronnie Lane, Ron Wood

お昼すぎ

あああ。勉強しないと。

昼下がり

ようやくミルのエッセイの続きを書きはじめる。 ぜったいに今日中に書くこと。


09/Jun/2001 (Saturday/samedi/Sonnabend)

[新聞: 3時間15分(日本の新聞も含む) 専門の勉強: 4時間]

真夜中

昨日は夕方に4時間ほど寝てしまい、夕食を見逃す。

現在必死にミルのエッセイを作成中。 なんか半分論旨が破綻しつつある気がするが、 とにかくあと1000字ぐらい書いたら寝て、 今日のお昼からは法哲学のエッセイの作成に着手すること。 あと13日しかない。あああ。

「論旨が破綻しているなんていつものことじゃん。 半分で済んでるんだったらいい方じゃないの」

「ええいうるさい」

早朝

とりあえず最後まで書いた。2500字ほど。 徐々に見直しすることにして、次は法哲学の論文を急いで書こう。

しかし、まず寝よう。

お昼前

う、寝すぎた。

昼下がり

昨夜、寮であったパーティはけっこうおもしろかったらしい。 勉強していたので顔を出さなかったが、ちょっともったいなかった気がする。

昼食を食べてから図書館へ。 コンピュータが一度ハングアップしたあと、 立ちあがらなくなったので慄然とする。 何度か再起動したあと、ようやくまともに動きだしたので、 重要な書類をciceroにバックアップ。 今日寮に戻ったらかならずCD-Rでバックアップしよう。

毎日新聞のウェブサイトもずいぶん読みやすくなった。 産経は「主張」のページに他の新聞社の社説にリンクをはってくれているのでありがたい。

日本の社説は、昨日の大教大池田の事件と英国労働党の勝利について 論じているものが多い。 大教大の方は、 「精神障害者をどうにかしろ」という議論と、 「開かれた学校」という理念と生徒の安全の両立を強調する議論の二つを、 どの社説も総じて同じ調子で論じている。

ついでに、Guardian Weeklyはオンラインで講読申込ができる。 e-mailでの講読も可能。日本に戻ったらたぶん講読すると思う。 ガーディアンのウェブサイトはBBCと同じくらい強力な情報源だと思う。

夕方

わ。図書館でメイルを書いたりいろいろしてたら閉館時間が来てしまった。 寮に戻って法哲学のエッセイを書きはじめよう。

夕暮れ

ピアノ室でひさしぶりにすこしギターを弾いたあと、夕食。 そのあと友人に借りっぱなしになっていたVCDを見る。

『シュリ』

韓国産の恋愛映画。 北朝鮮の有能な暗殺者の女性と、 韓国の諜報員が恋に落ちるが、 二人は祖国のためにお互いに銃を向けあうのだった…という話。

最初から最後まで銃撃戦の過激な映画。主演女優(イ・ヨンエ)は今いちだが、 男優陣は演技力がすごい。主演男優、 『JSA』にも出ていた助演男優 (Song Gang-Ho)、それに敵役の男優、それぞれ良い味を出している。 敵国の男女が恋に落ちて悲劇にいたるというストーリーは斬新ではないが、 まあうまくできている。B。

「最後に二人が銃を向けあったとき、 おそらく男が撃つだろうと予想できてしまったのが残念ですね。 二人が撃ちあって死ぬとか、男が女を撃ったあとに自殺するとか、 そういう悲惨な終わり方だったらもっと印象深かったと思うんですけど」

「フランス映画じゃあるまいし、そんな悲惨な終わり方はせんだろう。 それに、やっぱり韓国側が生き残らないと政治的にまずいだろうし」

「政治は関係ないんじゃないですか」

「いや、そんなことはないだろう。 たとえばこの映画の最後に韓国の大統領の暗殺が成功していたら問題だろう、 やっぱり」

「そうかもしれませんね」

真夜中

ついいろいろとテレビ番組を見てしまう。 BBC2の`I Love 1973'。 ブルース・リー、スレイドのクリスマスソング、その他。

BBC2のRadioheadのライブ。 おもしろくないのでChannel 4の`Top Ten: Girl Groups'を見る。 ロネッツ、ゴーゴーズ、ノーランズ、バナナラマ、TLC、スパイスガールズなど。 ロネッツの`Be My Baby'は「あなたのベイビー」という邦題だったのか。 しかしなんか違うぞ、意味が。

ビーチボーイズの`Don't Worry Baby'は、 もともとブライアン・ウィルソンがロネッツにあげた曲なんだそうだ。 そう言われてみるとロネッツが歌うとぴったりの曲だ。 しかしフィルスペクターの嫉妬と独占欲のせいで、 けっきょくロネッツが歌うことはなかったそうな。 近く、ラモーンズのジョーイ・ラモーンが協力して、 ロネッツのボーカル(名前忘れた。堀ちえみ?)がこの曲を録音するらしい。

そういえば、チャーリーワッツがロニースコッツでコンサートをしている。 来週までやってるみたいだから、時間があれば行ってみたいけど…。


10/Jun/2001 (Sunday/dimanche/Sonntag)

[新聞: 0分 専門の勉強: 2時間]

お昼

昨夜はテレビを見ていたためほとんど勉強せず。反省。

お昼前に起きる。台所洗剤を借りに来た友人に起こされる。 ようやく咲きはじめたラベンダーの花の上に洗剤をこぼして行きやがった。 く、くそ。なんてやつだ。

お昼すぎ

洗剤をかぶった部分は、水であるていど洗浄したにもかかわらず、 約一時間で完全に枯れてしまった。合成洗剤恐るべし。

夕方

勉強はかどらず。ハートの翻訳(『権利・功利・自由』)を読んでいる。

哲学・倫理学用語集に加藤尚武の項目を書いた。

そういえば、こないだ「自己例外化の誤謬」を説明してくれというメイルが来たが、 そのような誤謬は聞いたことがない。 カントの『基礎づけ』にある次のコメントのことだろうか。

If now we attend to ourselves on occasion of any transgression of duty, we shall find that we in fact do not will that our maxim should be a universal law, for that is impossible for us; on the contrary, we will that the opposite should remain a universal law, only we assume the liberty of making an exception in our own favour or (just for this time only) in favour of our inclination. Consequently if we considered all cases from one and the same point of view, namely, that of reason, we should find a contradiction in our own will, namely, that a certain principle should be objectively necessary as a universal law, and yet subjectively should not be universal, but admit of exceptions.

真夜中

信仰の自由

「どうしたの、えらく深刻な顔して」

「いや、ほんとに深刻なんですよ、それが」

「あれ、目に涙が。どうしたの」

「いや、泣いてませんってば。あのですね、 夕方に、寮内でディスカッションがあったんですよね。 こないだから学生が発表者を募ってやってるやつで」

「ふんふん」

「それで、今回は中国の某宗教団体のメンバーの学生が発表したんです」

「ああ、あの黄色い服を着て体操する集団ね」

「そうです、それです。それで、他の中国人も大勢来ていて、 人権と信仰の自由についてすごくさかんな議論になったんです」

「ほう、どんな議論が出たの」

「まず、某宗教は宗教かカルトか、という議論がでました」

「ああ、それは科学と非科学の区別より難しい問題だな」

「まあ正確には某団体は宗教団体じゃないらしいんですけど。 しかしともかく、 多くの中国人は某宗教団体は教祖を神と崇めていると考えているようで。 親殺しをするとか、通常の医療を拒むとか、天安門で焼死するとか」

「しかし、そんなことはキリスト教の歴史にだってあったんじゃないの」

「キリスト教は考えられるかぎりの悪事を働いて きたんじゃないですかね。魔女を焼いたり、文明を滅ぼしたり。 まあキリスト教の正統派に言わせれば、 『真のキリスト教徒は悪いことをしない。 悪いことをしたキリスト教徒は、真のキリスト教徒ではない』 ことになるのかもしれませんが。 しかし、モルモン教が悪いことをしても、 キリスト教全体が非難されないのと同様に、 たとえ某宗教団体の一部の熱狂的なメンバーが親ごろしをしたとしても、 他のメンバーを拷問したりするのはおかしいわけで」

「まだそういうセクトはないんでしょ、某宗教集団には。 まあ普通の人は新興宗教はみんなカルトだと考えるだろうし」

「いや、まあそうなんですよね。 しかし確立されたどんな信仰だってはじめは新興宗教なわけでしょう。 キリスト教だって最初は死人を生きかえらせるとか ファナティックなことを言っていたけど、 ようやく最近になってだいぶ落ち着いてきたわけで。 共産主義なんてまだ200年も歴史はないじゃないですか」

「いや、あれも最初は迫害されただろう。 共産党宣言が出てからほぼ100年後にも米国で赤狩りがあったし。 某宗教集団は1992年に生まれたばかりで、 1999年から本格的に迫害されているんだろう。 まあ迫害なんて新しい宗教にはよくあることでさ」

「しかし、迫害される言われはないわけでしょう、メンバーに言わせれば。 どんな信仰だって、いくらバカげていても、 日本の某宗教集団みたいに毒ガスをまいたりするまでは、 活動を許されるべきでしょう」

「う〜ん、それは難しいところだな。 某宗教は信者が短かいあいだに急激に増えたらしいし、 政府が予防措置を取りたがるのもわからなくはないだろう。 いかにも性犯罪を犯しそうなやつとか、 いかにも殺人を犯しそうなやつを、 犯罪を犯すまで野放しにしておくというのは間違ってると思うぞ」

「ぼくはそうは思いませんが。しかしたとえそうだとしても、 犯罪を犯しそうな連中は刑務所に入れればいいだけで、 『再教育』するために拷問することは許されないでしょう。 某宗教団体のメンバーは拷問、レイプ、 処刑などほんとにひどい目に遭ってるようですよ」

「危ない宗教を信じてるやつは拷問してもいいと思ってるんじゃないの、 多くの中国人は」

「いや、それがほんとに、 今日の話しあいの場所にいた連中の何人かはほんとにそう考えているよう だったんですよね。人権なんていうのは西洋の考え方で普遍性はない、 と言ってましたから」

「社会の善のためなら拷問も許されるっていうんだろう。いいじゃん、 功利主義的で」

「功利主義者はそんなこと言いませんよ。ミルの『自由論』 を読んだらわかるじゃないですか」

「いや、ミルは半功利主義者だから」

「何をまた。まあその点は置いときましょう。 他にも、 あるていど予想できたけどこわかったのは、 ある西洋人が『一部の人間が信仰を理由に迫害されている国に住む市民は、 誰も自由ではない』 と言ったときに、中国人の学生の何人かがいっせいに、 『われわれは学校で、宗教の自由が政府によって保障されていることを学んだ』 『われわれは自由だ』『われわれは自由だ』と言ったことなんですよね。 『すばらしき新世界』とか『1984年』の世界を目のあたりにした気分になりました」

「しかし、彼らの言うことが正しいのかもしれないじゃん。 きみ中国行ったことないんでしょ。 中国人がそう言うんだから、中国はほんとは良い国で、 ほんとに悪いのは某宗教のメンバーかもしれないじゃん。 デタラメ書いてるのは資本主義国の新聞なんじゃないの」

「いや、たしかにそうなんですよね。 ぼくも中国政府がほんとに悪いことをしているのか、 あるいは某宗教集団が悪の組織なのかはっきりわからないわけで。 この事実についての意見の不一致が今回の議論において一番大きな問題でした。 中国人の学生は某宗教のメンバーの言うことを信じないんですよね。 拷問があったとか、レイプがあったとか」

「まあ裁判と同じで、正確な判断をするにはまず正確な情報がないとな。 某宗教メンバーは欧米の新聞やアムネスティやヒューマンライツウォッチ なんかのNGOの情報や個人の体験談に頼ってるんでしょ」

「そうです。そして、普通の中国人は、そういう記事はデタラメで、 中国政府の新聞を信じるように教えこまれているわけで。 これじゃそもそも議論が成り立ちませんよね」

「まあ、インターネットの普及であるていど事実についての同意が 成り立つようになれば、議論も可能になってくるんじゃないの」

「そうだといいですね。しかし、 もっと外国の新聞やメディアにがんばってもらって、 中国の正確な情報を集めてもらわないと。 チェチェンにしてもそうですが、 ほんとにひどいことが起きてるかもしれないわけですから」

「いや、まあ世界中いたるところでひどいことは起きてるわけでさ。 けど先進国に住む一般人はそれを知りつつハンバーガー食べてコーラ飲んで のうのうとしてるわけで。人間なんて勝手なものだから、 中国やジンバブエの拷問よりも自分の歯痛の方が心配なものでさ」

「ぼくはそんなに悲観的じゃないです。 去年のモザンビークの洪水のように、 事実を知ったら心を動かされる人は大勢いるわけで。 とにかく正確な情報が多くの人々に伝わることは、 民主主義だけでなくどんな政府にとっても圧政を防ぐために重要だと思います」

「それで、ディスカッションは結論がついたの」

「いや、当然といえば当然ですが、けっきょく喧嘩わかれで。 中国人の学生たちの大部分は、中国政府は正しいことしている、 悪い宗教の迫害や拷問は許される、 という確信を変えないまま部屋を出ていったようです」

「まあ、きみが一昼夜で自由主義や多元主義を捨てられないのと一緒で、 中国人の学生だって簡単に信念を捨てることはできんだろう。 彼らは某宗教団体のメンバーの方が間違ってると思ってるだろうし、 また、ひょっとするとそれが正しいのかもしれんし。 議論の場に出てきてくれただけでも恩の字なんじゃないの」

「いや、おっしゃるとおりです。中国人の学生がたくさん議論に参加して 誠実な意見を言ってくれたのはたいへん参考になりました。 欧米や日本では、とくに倫理学界では、 信仰の自由なんてほとんど地動説と同じぐらいの真理として語られますからね。 基本的なところで同意が成り立っていない議論に 参加できたのは貴重な体験でした」

「そういう議論はやろうと思えばどこでもできるって。 新聞ばかり読んでないでさ、書を捨てて街に出たら」

「そうですね。ソクラテスのようにみなと議論しないといけませんね」

「いや、議論ばかりしてないで、 拷問にあってる人を助けないといけないと思うけど…。あれ、 そういえばきみは発言したの」

「ええ。たとえある宗教がばかげたことを信仰していたとしても、 他人に危害を与えないかぎり禁止すべきではないし、 ましてや拷問をすることは正当化できない、 という趣旨のことを発言しました」

「ミルだな」

「ベンタムです」


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sat Dec 19 15:59:43 JST 2015