[ソクラテスは]「どうか(…)定義をしてくれ給え」、 などとはいわなかった、それから定義された時にも、 「君の定義はよくない。というのは定義が要点にぴったり合わないからだ」 とはいわなかった。 これ(定義)は学術的な用語だ、だから素人たち--彼らからわれわれは 離れることのできない関係にある--には厄介でわかり憎い。 (…)われわれはそれら学術的な用語によっては、 彼を動かすことは断じてできないのだ。
---エピクテートス『人生談議』
「イスラエルのメッセージを受け取った。パレスチナの民間人が標的になる以上、 イスラエルの民間人も例外ではない」
---産経新聞2003年6月11日「ハマス指導者 暗殺未遂」
本日は良い知らせ一件とそうでない知らせ一件。人生いろいろである。
定時起床。髭剃り、ゴミ出し、朝食、朝刊。某妻と一緒に娘を保育園に送って からバスで大学へ。
午前中は雑用と某スライドの作成。お昼すぎに某師匠に少し話を聞いてもらう。
昼下がり、某所用と昼食。カレー。郵便局にも立ち寄る。
夕方、お腹の調子が悪くなる。どうもカレーとの因果関係がある気がするが、 はっきりわからない。研究室で某雑用など。夕方の某演習はお休み。
夜、バスで帰宅して夕食。夕刊。今日は大雨が降ると言われていた気がするが、 結局小雨で済んだ様子。
夜中、食器を洗い、シャワーを浴びる。それから娘の寝かしつけ。
真夜中、明日の授業の準備。まだ勉強したいところだが、もう寝ないと。
今朝も娘に起こされて少し早めに起床。髭剃り、朝刊、朝刊。
朝、娘を保育園に送ったあと、本三駅前の某喫茶店で仕事。いいかげん某論文 の投稿〆切が近付いてきたので集中してそれをやる。が、まだ終わらず。
お昼は某ランチョンセミナー。クローニング。
お昼すぎ、しばらく雑用。
昼下がり、市ヶ谷に移動して、某万引関連の総会に出席。幸い発言することな く済み、一安心。勉強になりました。夕方、情報交換会。警視○監が来ていた。
夜、某先生らと市ヶ谷のイタめし屋でピザとワイン。
夜中、急いで帰宅して娘を風呂に入れる。
今日こそは早めに寝よう。
朝、ゴミ出しのために起きる。そのあと、二度寝してしまう。
朝食、朝刊。
お昼すぎまで某論文書き。昼食をとったあと、 昼下がりに地下鉄で大学に行き、某入学ガイダンスに参加。
それから帰宅して某娘の世話と買い物など。明日の講義の準備も少し進める。
夜、夕食、夕刊、某娘と入浴。
夜中、少し明日の講義の準備。論文が書けない。
昨晩は深夜まで某仕事をしてから寝る。朝、なんとか起きる。 髭剃り、朝食。
早めに出勤。午前中は歯医者へ。仮歯を詰めてもらう。戻ってきてから雑用。
お昼はコンビニの弁当を某コモン・ルームで。
昼下がり、某先生らと何件か打ち合わせ。
PHSのホームアンテナが届く。これで研究室にも電波が届くようになった。
夕方、某米国人の先生の講演の手伝い。質問もする。 そのあと、某イタメシ屋で懇親会。ビールとワイン。 月曜日から五日連続で飲んでしまった。 不摂生のせいか、歯茎が腫れている。
真夜中に帰宅してシャワー。新聞がたまっている。
定時起床。雨。髭剃り、朝食。
定時出勤。今日も終日雑用。
夕方までには晴れ。今日も某氏らと飲む。
夜、帰宅して某妻の某論文を読む作業。 論文について一緒に相談していると、 「足が臭うので半径100メートル以内に立ち入らないでください」 と言い渡される。少し泣く。両足を切断しよう。
(上記の記述はフィクションです)
それから朝刊と夕刊。もう寝なければ。
日経平均は1万円の大台に一時乗ったようだ。
なんとか起きる。シャワー、朝食、朝刊。
ひさしぶりに定時出勤。勉強しよう。
午前中は雑用。『税と正義』も読み出す。 お昼は某氏らと事務で弁当。午後も読書。少し居眠り。
夕方、いいかげん服がないので、自転車で後楽園の某所に行き、 夏ズボンや半袖シャツその他を買う。
某会議に出席。
眠くなる。
しばらく研究室で『税と正義』の勉強。おもしろい。
と思って帰宅したら、区民税・都民税を支払えという通知が…。 ちっともおもしろくない。
毎月給料から所得税と住民税を引かれて、確定申告でも所得税を取られて、 さらに住民税を払えとは。ご、五公五民かっ。 「しょせん貴様らは庶民から金を巻き上げる国賊である」と言いたくもなるよな。
税金は健康に悪い。納税通知書と心疾患の関係について誰か調査してくれないかな。 まあいいや。このマイナスの情念を研究に向けよう。
あれ、そういえば昨日、「オレを含め、自分の利害が関わることになると、 冷静な議論ができなくなることがわかる」なんて書いてたな…。ははは。
夕食後、ひさしぶりにモンティ・パイソンを少し見た以外は、疲れて何もできず。 早く寝よう。
今朝は猛烈に眠かったがなんとか起きる。シャワー、朝食。
少し早目に出て某スタバへ。今朝は朝刊が休みだったので(What a relief!)、 コーヒーを飲みながら新聞の切り抜きや本を読む。
いつもより30分ほど遅れて出勤。 昨日奈良の某氏に教えてもらった(情報提供感謝)、 日経の某森岡先生の書評をコピー。 ホープの『医療倫理』、某高橋先生の『日本の生命倫理』、 某教授の『入門・医療倫理II』が取り上げられている。
某森岡先生曰く、これまでの日本の生命倫理学は 「臨床の現場で起きる具体的な問題にどう対処していくのか、 という点に集中してきた。 …日本でもっとも発達したのは日本的な臨床倫理であったと言えるだろう」。 しかし、「具体的な現場にばかり拘泥すると、全体像を理論的に俯瞰する視点を 失うことになりかねない」。そういう意味で、 ホープの抽象的な議論や、『入門・医療倫理II』は理論を正面から扱っている点で 評価できる。
ただし、「そこで問われていない大問題があることもまた明瞭である」。 それは、「日本の生命倫理が具体的場面で訴えてきたところの、 生と死の現場において人はいかに「生きる意味」を見出していけばいいのか という問題、そして、障害者、難病者、高齢者らの立場からいかにこの社会の 「健康至上主義」を解体していけばよいのかという問題である」。
最後がかっこいい。「生きていくなかで、人々がふと考えてしまう、 「よく生きるとは何か」「後悔なく死んでいくとはどのようなことか」 という問いに、正面から答えることのできる学に成長すべきだ」。
たしかに、日本的な生命倫理は、この訳語(=生命の倫理)に引っぱられてか、 生命倫理政策というよりは、 「生命」「いのち」とは何かという哲学的・宗教的な方向に傾くという特殊性が あるのかもしれない。(おそらく、文章力と影響力のある研究者数名がそちらの 方向へと引っぱっていったのだろう)
しかし、どういうわけかわたしはこういう問題意識を共有していない。
「よく生きるとは何か」というような問い抜きに代理出産や脳死・臓器移植などの
問題を解決しようとしている。
これは某名誉教授の悪影響のせいなのか、
あるいは善の構想には立ち入らない無邪気なリベラリズムに毒されているのか。
どうも知らぬ間にバーリンとかロールズとかに洗脳されているようだ。
本当に「よく生きるとは何か」を考えずに代理出産についての
社会規範を確立することは可能だろうか?
もうちょっと考えてみる必要がある
(わたしがこのように書くときは、当分考える気がない場合である)。
(めずらしく)もう少し考えてみると、 某森岡先生のこの問題設定(「よく生きるとは何か」)は、 某大庭先生の応用倫理学に対する不満と通じているんだな。
そう遠い昔でもないのだが、全国の倫理学者が集まる学会で、議論を取り仕切っ ていた"応用倫理"の著名な先生が、こう宣言した。いわく、これからの倫理学 は「実践的な法哲学」でなければならず、「人生、いかに生きるべきか」など という問は、倫理学と無縁である、と。、、、
(続きは、高橋久一郎編 『岩波 応用倫理学講義〈7〉問い』でどうぞ)
つまり、某大庭先生は、応用倫理学には「人生、いかに生きるべきか」 という一人称単数的「内省」が欠けていると批判し、 某森岡先生は日本の生命倫理学は「よく生きるとは何か」という問いをもっと 問うべきだと「内省化」を求めている。
某名誉教授はと言うと、「価値論的クオリア論」とか言っているところからして、 価値論(何に価値があるか、善の理論)にあまり踏み込む気はなさそうだ。 せっかく近くにいるので、もうちょっと議論してみよう。
お昼は集会室で弁当。お昼すぎ、某名誉教授と少し相談。 昼下がり、少し仮眠を取ったあと、夕方まで某基礎知識の準備。面倒。
夕方、一旦帰宅してから新宿へ。某legal philosophic radicalsの集会に 呼ばれて密談。ビールと焼酎。一次会後、 連中はタクシーで銀座へ流れていったが、 まだ三木清になるのは早いので遠慮して帰宅。
散歩がてら巣鴨まで迎えに来てくれた某妻と一緒に歩いて白山へ。 某白山ラーメンでオレだけラーメンを食べてから(某妻は夜9時以降は断食)、帰宅。
今日で某妻と暮らし出して半年のようだ。
この調子でいけば、銀婚式もすぐだな。
金婚式ぐらいまではオレだけでもがんばって生きよう。
そういえば、先日から風呂場にナメクジが出るため、 大のナメクジ嫌いの妻は、風呂に入る前に塩で浄めの儀式をしていた。 (潜在的なナメクジに)合掌。
アラームをかけずに寝たら、お昼まで寝てしまう。
今日は勉強しよう。
去年の今ごろ、シンガーの翻訳が出たんだな。 そういえば、北の方の大学で、この本を綿密に読んでくれているらしく、 すでにいくつか誤訳が発見されている。 某出版社の方で正誤表が 作成されているようだ。
そろそろ喫茶店に行って新聞を読もう。
ひさしぶりにNew York Dollsの1stアルバムを聴く。
結局まだ自宅。新聞など。
数独を一つ解く。
シンガーの勉強。ちょっと寝てしまう。 今日は家から一歩も出ていないので、 買物ついでに散歩でも行くべきだな。
シンガーのお勉強。
まだシンガーのお勉強。散歩でも、と思ったが、外はけっこうな雨。 やめとこう。
シンガーの勉強、いちおう終わり。 ベンタムの勉強もしなければ。
今日のニュース
朝起きて昼に大学へ。某摸擬倫理委員会。 別の仕事で忙しい。
先日某助教授にも助言をいただいたが、 ファイルのバージョン・コントロールは本当に気をつけよう。 ちょっと翻訳のファイルで痛い目に遭ったので。
上のファイルのバージョン・コントロールの件は、 今回は大丈夫だったようだ。しかし、これ以降気をつけるようにしよう。
今日は摸擬倫理委員会はほとんど参加できず、 某翻訳の作業をやっていた。 夕方に某先輩がいらして、その某翻訳の相談。 夜まで人生相談も含め、いろいろ話を伺う。
そういえば、シンガーのOne Worldの翻訳の訳者献本が今日届いた。 もうすぐ出版されるようだ。 現在の倫理学者でおそらく最も勢いのある人による本なので、 倫理学とグローバリゼーションに関心がある人はぜひどうぞ。 児玉は第5章の訳を担当しています。
ひさしぶりにTrainのDrops of Jupiterを聴いて元気になる。 この人たち、2003年に3枚目のアルバムを出してたんだな。 ぜんぜん知らなかった。たぶんそれほどよくなかったんだろうけど、 買ってみるか。
夕方ぐらいから少しお腹を壊している。なんでだろう。
某翻訳や某テキストの雑用で忙殺。夕食を食べるのを忘れた。
「忙殺」と書いたが、忙しさにかまけて研究を忘れていてはいけない。 研究職はlabour of necessityとlabour of loveの境界線があいまいなため、 研究のつもりで雑用をしていることがままある気がするが、 雑用で忙殺されることで充実感を得るようになったらおしまいだ。
先日も書いた気がするが、プライオリティとかエフォート率とか、 言い方はなんでもいいが、ちゃんと時間や努力の配分を考えないといけない。 そういうところではきちんと合理的になろう。
しかし、やるべきことの順序を付けるためには基準が必要で、 そのためには「人生の目標」のようなものがないといけないんだよな…。 予備校時代ほど人生の目標が明確だったことはないが、 当面の目標は何か。あ、学位を取ることか。 学位を取るべく研究し、必要な仕事はさっさとこなすようにしよう。 断れる仕事はすべて断る。
もうちょっと考えてみる。 なぜ予備校時代ほど学位取得については没頭できないのか。
生きるためにほかにすることが多いというのが第一の理由だろう。 予備校のときは親兄弟に金を出していてもらったから、 働かずに済んでいたわけだ。死ぬほど感謝しないといけない。
もう一つの理由は、受験勉強には産みの苦しみがないということか。 予備校での受験勉強はそれ自体が楽しかったので、 長期的利益も短期的利益もあったが、 長い論文を書くことは、長期的利益は大きいが短期的には非常に苦しい。
思うに、 博士論文のような長い論文を書ける人は、次の三つに分類される。
この「なんらかの差し迫ったプレッシャー」というのが、 「D論を書かないと就職できない」というようなものであれば、 (2)の長期的利益と重なるんだろう。 オレの場合は、「今取らないと二度と取れない」とか、 「今取らないと就職がフイになって路頭に迷う」 とかいうものだろう。これも長期的利益の一種と言えるかもしれないが、 ヒタヒタと迫ってきて現実味が出てこないとやる気が出ないところがダメな ところだ。できれば(1)のような人間になりたい。いつかなれるのだろうか。
今日も早起き。
昼下がりから、雨の降る中、某氏らと、 バスと地下鉄を使ってスミソニアン博物館へ。 (教訓: バスや電車に乗るためには、1ドル札と小銭をたくさん持っておくこと。 チップにも必要)
スミソニアン博物館というのはてっきり一つの博物館だと思っていたら、 実は博物館の集合体で、「博物館街」という感じ(英語もthe Smithsonian Museumsと複数形)。恐竜の化石とホープ・ダイアモンドがある 自然史博物館を堪能したあと、ナショナル・ギャラリーに行ってみたが、 すでに閉館していたので、あきらめて帰宅。 このころから雨足が強くなってきて、よく濡れた。
帰る途中、地下鉄の駅のそばで中華料理屋で食事。 一緒に観光したシンガポール人の男性(この人もコースに参加している)と仲良くなり、 宗教とか聖書とか「人生の意味」について語ったりする。 人生の意味についてある程度の確信が抱けている人を見ると、 「そんなに簡単じゃないだろ」と思うものの、うらやましくもある。 日本人のどれだけが自分の人生の意味を見つけているんだろうか。 But I still 〜 haven't found 〜 what I'm lookin for 〜.
帰宅してから、某氏らとビールを飲みながら少し相談。 エピクテートスでも読んで、もう寝よう。
勉強。もう寝よう。
本音という言葉はキーワードだ。 すくなくとも研究においては建前ではなく本音で語ること。
う。遅寝遅起き。さっそく喫茶店に行って勉強しよう。
某ファーストキッチンにて昼食を食べながら新聞。 ロードマップは「行程表」とも訳されるようだ。 「対話と圧力」というのもおもしろい表現だ。 「制裁を伴った外交」というのが本音だろう。
スタバに移動。
「ダイナミック」「ダイナミズム」というのは、 哲学の論文においては肯定的に用いられる場合が多い。 たとえば弁証法的歴史観は、 歴史の発展をダイナミックに捉えたものとして評価される。 社会構造における複雑な相互作用を正確に分析できない場合でも、 「ダイナミックな関係がなりたっている」と書けば評価される。 これは、「静的」よりも「動的」、「ある」よりも「なる」の方が、 より優れた、正しい把握と考えられているためであろう。 また、一般にも、「スタティック・プロ」と聞いても興奮する人は少ないが、 「ダイナミック・プロ」と聞けば興奮する人が多い。 そこで、論文を書くときには、 「ダイナミックな関係」「ダイナミズムが作用している」 などの表現を随所に挿入することが望ましい。
まだスタバ。
いささか疲れたので、スタバを出て某大戸屋で食事。眠い。
Time waits for no one. 勉強しよう。
上の一行を書いてから、 `Time waits for no one, but Tom Waits for everyone.' というフレーズを考えてみたが、 Googleで調べるとすでに先人がいるようだ。 originalityというのは簡単ではない。
風邪でしんどいので、コンビニでスポーツ飲料を買ってがぶのみする。 ついでにコーヒー牛乳も買ってみたが、甘すぎて飲めない。 血糖値も気をつけないといけないしなあ。健康、健康。
いや、健康は自己目的ではなく、研究するための手段なのだ。 勉強しよう。
研究は内在的価値があるとともに、 生活するための道具的価値もあると思う。
「インドとパキスタンの大軍が集結し、 一触即発の状況にあるカシミール情勢に緊張緩和の兆しが出てきた」 (朝日6月10日社説より)。
点の打ち方が悪い。これでは「大軍が集結したので、緊張緩和の兆しが出てきた」 という風に読める。むしろ、もし点を打つなら、 「インドとパキスタンの大軍が集結し一触即発の状況にあるカシミール情勢に、 緊張緩和の兆しが出てきた」とすべきだろう。
いや、こんなことを書いている場合じゃない。というか、 社説を読むなら表現ではなく内容を読めってば。
鼻水がとまらない。洪水状態。
引き続き鼻水洪水注意報発令中。頭痛もしてきた。 授業があるし、薬を飲むべきか。とりあえず寝よう。
風邪薬があったので、薬を飲んで寝ることにする。
引き続き、頭痛、鼻水、喉の渇き。しかし、頭痛以外はましになってきた。 ちょっと体温計を買ってみようかな。
朝食。トースト、ヨーグルト、牛乳、カゼ薬。
ちょっと買物。郵便局にも寄る。
体温計を買って計ってみる。36.9度。平熱だな。
授業の準備中。
37.3度。う。
授業の準備中。
「あなたが浮気をしないかぎりわたしも浮気をしないが、 あなたが浮気をしたらわたしも浮気をする」というのもお返し戦術だな。 問題は実際にこのようなことが起きたとき、 それ以降も継続的な関係を築けるかだよな。
30分ほど寝る。37.7度。う、くすりくすり。
とりあえず食事をする。
やっと準備ができた。シャワー、シャワー。
37.7度。まあ何とかなる。
授業終わり。前日から大量に水分をとっていたので、 移動中や授業中にトイレに行きたくなり困る。 行きは雨が激しかったが、帰りはほとんど上がっていた。
レポートの回収と、「授業の自己評価アンケート」を行なう。 しかし、学生が評価するのになぜ「自己評価」なんだろうか?
買物をしてから帰宅。38.0度。寝よう。
さっき買ってきたバナナを三本食べてカゼ薬を飲み、 フトンに入って今日の授業のアンケートを読んだり。
38.2度。う〜ん。
机に向かっている時間…6.25hr
今日の勉強時間…5.5hr
マルクス係数…60.5
[新聞: 2時間(あああ。今日は新聞を買わないこと) 専門の勉強: 2時間]
文化相対主義的な夢で目が覚め、朝食にまにあう時間に起きたが、 めんどうなので部屋にあったリンゴで済ませた。 相対主義についてすこし考えたあと図書館へ。
「こうこうすべきだ」と人に言われて、「そんなのあたしの勝手でしょ」 という反応が出るのは、 やはりもはや道徳には法のように強いサンクションがないせいだろうか。 「スピード違反をしたら罰金を払わされます」とか、 「手を挙げないとピストルで撃つぞ」(これは法とはかぎらないが)と言われて、 「そんなのあたしの勝手でしょ」という人はあまりいないだろう。
言いかえると、法の場合は共通のルールがあって、 それがいやおうでも押しつけられていることをみなが知っているから、 「そんなのあたしの勝手でしょ」と言う人はまずいない。 (もっとも国際法に関してはそのかぎりではないが) しかし、道徳に関しては、芸術や趣味と同様に、 共通のルールがあるという認識が希薄になっているから、 「あなたはあなたのルールに従って生き、あたしはあたしのルールに 従って生きてるの。あなたのルールを押しつけないでちょうだい」 という意味で「そんなのあたしの勝手でしょ」と答える人が出てくる。
こういう人に対抗するためには、 つい「いや、宇宙には自然法とか永遠不変の法というものがあってね…」 と言いたくなるが、実定道徳と批判道徳を区別して、実定道徳の多様性を認めつつ、 批判道徳の普遍性を…、あれ、これだと自然法の考え方とほとんど一緒か。
う〜ん、もうすこしよく考えよう。
法哲学の勉強しないといけないのだが、 ウェブを回覧していると時間がどんどん飛んでいく。
この日経の社説 (「まっとうな日本外交を見せてほしい」)はまともなことを書いているように 思える。同じ内容でも読売の社説 (「これ以上の停滞は許されない」)は質が劣っているように見える。なぜなの かを考えてみると、日経はきちんと背景事情を説明したり、ミサイル防衛に対 する日本人の思考の矛盾を突いたりしているのに比べ、読売は話が飛び飛びだ し、説明のない独断的な発言が多い(ように見える)からだろう。 なぜ日経の社説の方が優れて見えるのかもうすこし分析すべき気がするが、 時間がないのでやめておく。
加藤先生を「難解な哲学を一般市民にもわかる言葉で説明できる、 日本では非常に貴重な存在」と誉めてしまったので、 ちょっとこの日記 (楽しく読ませてもらっています) の「難しいことは難しいまんま理解しようとしなきゃいけないかと。 難しいことを簡単に述べるのも重要だけど、 それは対初心者・入門者・門外漢レベルに話す場合であって、 基本的に難しいことを単純化して考えるのは正当な理解とは言えない」 という意見についてコメントを。
まず「単純化する」というのには良い意味と悪い意味の二つの意味があると思う。 一つは混乱しているもの、雑然としているものを整理するという良い意味で の単純化で、xの3乗+3(xの2乗)+3x+1を(x+1)の3乗にするようなやつだ。 この意味で単純化することにけちを付ける人はあまりいないだろう。
もう一つは、意味を歪曲したり、 一般化できないことをむりやり一般化したりしてまで単純化しようとする 「悪しき」単純化で、 たとえば相対性理論を、 「あれは世の中みんな相対的だってことです」と説明したり、 「女性が複雑だって? 女性はみんな同じで、 けっきょくのところ結婚して子供を生むことだけを考えてるわけで」 なんて説明したりするようなのがそれにあたる。
上の日記で批判されているのは明らかに後者の「悪しき単純化」で、 たしかに哲学入門書においてもこの手の「悪しき単純化」、 xの3乗+3(xの2乗)+3x+1を(x+1)の3乗にするにとどまらず、 ええい面倒だもってけ泥棒と言ってxの3乗にしてしまうような 説明が多いのは否定できない。
しかし、だからといってxの3乗+3(xの2乗)+3x+1はxの3乗+3xの2乗+3x+1として理解し、 (x+1)の3乗として理解してはいけないとは言えないし、 単純化する努力を妨げるべきでもない 簡単なことを暗号化して一般人に理解不能なものにする風潮がある哲学の世界では、 しばしば(x+1)の3乗と言えばいいところをわざとxの3乗+3(xの2乗)+3x+1と書く輩がいる ので(ヘーゲル)、それを(x+1)の3乗に整理する人間(加藤尚武)が必要になってくる。
もちろん加藤先生がヘーゲルの深遠な真理、それ以上は単純化しえない真理を 無理矢理単純化している可能性もある。しかし、その可能性を恐れて 「単純化はいけない。難しいものは難しいまま理解しないといけない」 と言ってしまうと、整理整頓できるものまで混乱した状態のままに放っておかれる という別の弊害が生じかねない。下手な単純化をする輩に対しては 「それは間違えている」と指摘すればいいだけで、「単純化は危険だから、 ヘーゲルの難解な文章は難解なものとして理解しなければならない」 と主張すると、「良き単純化」への努力を妨げてしまうことになるだろう。
あ〜。話が長くなってきたが、言いたかったのは、 「ヘーゲルが難しい」と言ったとき、 「ヘーゲルがこれ以上単純化できない真理を述べていて、それでも難しい」のか 「ヘーゲルが簡単なことをわざと難しく言っているので難しい」のかは容易には わからないので、それを確かめるためには「難しいものは難しいものとして理解する」 という態度よりも、 「何言ってるのかわからん。もっと簡単に説明してよ」 という態度の方が一般には有益だということだ。 真理が常に単純とはかぎらないけれど、 何が基本的に難解で、何が嫌がらせ的に難解なのかを容易に 区別できない哲学のような分野においては、 初心者に説明する場合にかぎらず、常に単純化の方向で努力すべきだろう。
という風にまとめてしまうと、 ちょっとおれの意見を単純化しすぎることになるわけだが…。
まだ新聞を読んでいる。信じられん。 インターネットを3時間45分も使ってしまった。
出産有給休暇についての国際比較の記事(英語)。 米国では休暇中にお金はもらえず、しかも12週間しか休めないらしい (オーストラリアは12ヶ月だが、やはり無給)。日本は?
昨夜は、 某古本屋でチャンピオンとモーニングおよびCD2点を購入してから 下宿に戻る。
下宿でマンガ読む。『教養としての言語学』もようやく読み終える。 前半はおもしろかったが後半はだれた。
先月の26日で賞味期限が切れている卵も、 ラーメンに入れてようやく使い切った。 (無事でした)
スクラーの予習をしないといけないので、 6時間ほど寝てからシャワーを浴び、 (自分で)少し散髪してから大学へ。
大学構内で自転車に乗った某教授を見かける。 あいかわらず若いなあ。
午前中、文閲でスクラーの予習をする。眠くて死にそうになる。
昼からスクラーの授業。やはり眠くて死にそうになる。
その後、BMOR読書会。自由意志論。 これは眠くならなかった。
読書会のあと、 注文していた本が来ていたのでルネへ。 ついでにまたいろいろ本を買ってしまう。
「寿司が食いたいなあ」と思っていたらちょうど、 某助教授が某寿司屋に行かれるというので 某くんたちと一緒についていくことになった。 腹一杯食べる。ごちそうさまでした。
それから大学に戻る前に某古本屋で買物。 ちょっとゲーセンにも寄る。 それにしても今日は疲労度が高い。死にそう。
そういえばスクラーの授業でついに課題が出た。 「一般相対性理論では、なぜ曲がった時空が必要になるか。 カンケツに説明せよ。2000字以内」 ←む、難しいっす。困難っす。
東北大の某君にメイル。 卒論の草稿について少しコメント。おれも偉くなったもんだ。いやはや。
今日やったこと
昨日は下宿に戻ってからやきそばを作り、 あまり勉強することなく朝まで寝てしまった。たるんでるなあ。
勉強勉強。倫理学入門読書会の次の論文は「主観主義」か。
JR京都駅で母上と会ってきた。 かもメ〜ルなどをいただいてしまう。
帰りに二条の某スーパーで買物。
倫理学入門読書会(「自然主義」その2)終わり。 その後、なけなしの労働力として働かされる。
みなで夕ごはん。 最近おれが考えているベンタム解釈を論じると、 某師匠やみなに大いに反論される。 ううむ。前途多難。
・とりあえず反死刑廃止論のページ更新。三部作最後の平場氏批判。わけのわからない文 章なのでめちゃくちゃ苦労した。
・げっ。扁桃腺がはれてる…。最近うがいを怠ってたせいだな、これは。
・(しかし)まずシジウィックの勉強。
・Wac*ey氏とプラトンの想起説*1についてメイルのやりとりをしながら、シジ ウィックの訳を終える。
(*1「あ、それそれっ、思い出したやっと思い出しました。いやあ、おれも知っ てたんだよ、実は。あーそうそう、それだよそれ、うんうん」っていうやつ。 プラトンの知ったか振り説とも呼ばれる)
・やることはまだまだある。(I got a long way to go.)
・が、とりあえず朝ごはんを食べに行こう。
・さらに死刑について考える。
「一般に犯罪とは、社会の成員達に対して損失を生み出す 行為のことである。そして刑罰とは当の損失に対する賠償行為 である。では、殺人によって生み出された損失に対する適切な賠償 とは何か」
・という感じで考えてみていたのだが、ベンタムの『序説』を読むとほとんど 同じ調子で書かれている。やっぱりベンタムって偉大。(単にぼくが強く影響 されているだけか)
・三コマ目の授業に出て、その後お○だくんとシジウィック読書会。さすがに 疲れた。しかし実はこれからまだロック読書会がある。死ぬ。
・明日は倫理学入門書読書会があるのでその用意もしないと。ううう。
(いやその、楽しいんですけどね…)
・しろ○ずさんがいらしていたりする。ロック読書会。
(頭はほとんど白紙状態)
・読書会終わり。帰る。駅から家までの往復に使っている自転車がパンクして いるので、今日は歩かないといけない。死ぬ。