今日は卒論の試問一日目。学生にいろいろ注文を付けたが、こちらも勉強になっ た。卒論審査は時間が短いので、指摘する点をよくまとめておく必要がある。
少し遅めに起床(某妻が日曜と勘違いしていた)。髭剃り、朝食、朝刊。娘を保 育園に送ってから東京駅へ。新幹線の車内では卒論と修論を読む作業。
お昼に京都駅へ。そこから地下鉄とバスを乗り継いで百万遍へ。しばらく雑用。
昼下がり、卒論試問四件。つつがなく終了。そのあと、某先生と某雑用。
夜、昼は駅弁しか食べていなかったので、早めに中央食堂で夕食。それから研 究室に戻って雑用と修論を読む作業の続き。夜中まで。
夜中にバスで帰宅。ちょっとゆっくりしてからフッサールの勉強など。徹夜す べきところだが、それほど体力がないので少し寝よう。
遅めに起床。急いでゴミを出しに。なんとか間に合った。洗濯物をかけてから 布団に戻ったが、体質が朝型になっているので二度寝できず。布団を干し、シ リアルを食べる。今日はよい天気で比較的暖い。
午前中はゆっくり過ごす。シャワーを浴びてから本三へ。喫茶店で昼食をとり ながらしばらく雑用。ひさしぶりにVAIOで仕事をしようと思ったら、使いにく くなっていた。すっかりアップル信者だな。メールで卒論指導も少し。
昼下がりに研究室に行き、日が暮れるまで雑用。
夜、酸辣麺とコールスロー。それから自宅近所の整体に行く。姿勢が悪いので 顎を引くように言われる。なかなかできんな。今年の目標にするか。少し買い 物をしてから帰宅。
夜中、少しゆっくりする。卒論を読むべきだが、整体に行って体がほぐれたせ いか、もう眠い。さっさと寝るか。
ナパームデスは本気で功利主義について考えてアルバムタイトル付けたのか。 このインタビュー、意味がよくわからないが…。
定時起床。髭剃り、朝食。
定時出勤。某妻と一緒に茗荷谷まで歩いてから地下鉄で出勤。 午前中は某図書館で雑用と査読など。
お昼、某ランチョンセミナー。
お昼すぎ、某先生の頼まれ仕事など。コンピュータの設定。昼下がりまで。
夕方、某講義の手伝い。夜まで。今年も無事に終了。
夜、六本木に移動し、某友人と居酒屋で夕食。ビール、ハイボール。歓談。
終電の一本前ぐらいで帰宅。長い一日だった。
定時起床。ゴミ出し、シャワー、朝食。今朝は冷えた。
定時出勤(少し遅刻)。午前中は某論文の準備作業。
お昼、某ランチョン・セミナー。
お昼すぎ、某作業。そのあと、夕方まで某先生と某相談。
夕方、地下鉄を乗り継いで六本木に移動。 某ミッドタウンのレストランで、某反省会。反省をしながら飲む。
夜中に帰宅。新聞。某妻にうどんを夜食に作ってもらう。
まだHybrid W-Zero3にはまっている。
英国旅行中のため、記載なし。
週末よく働いたので、今日は研究日と称してオフにする。 朝少し遅目に起きてシャワー、朝食、朝刊。洗濯物を干したあと、 急いで着替えて家を出る。
電車で池袋に行き、某妻と一緒に『28週後…』 を映画館で見る。恐くて震え上がる。一作目よりも恐くなっており、 その分、叙情性は減っていたのが残念。二人でげっそりして映画館を後にする。 もう当分ホラー映画は見ないことにする。
お昼は西口の方でスペイン料理。今ひとつ。 そのあと、某妻の買物に付き合ってから、昼下がりに帰宅。 少し昼寝したあと、某採点作業。
日が暮れてから、大学に行き、書籍部で本を数冊購入。 それからジムに行き、筋トレ。 ちょっとがんばりすぎてフラフラになる。
帰宅して夕食。眠いが、採点の続きをしなければ。
ひさしぶりに二階の勉強部屋に行き、採点の続き。がんばったが終わらず。
腕のあたりが筋肉痛。
予約をしていた電車に乗り遅れる夢で目覚める。 プルーデントになれという意味か。
めでたいメール一件。某氏が学振DC2に採用されたそうだ。
二度寝。
今日は某妻が用事で出掛けているので、お昼は自分で作る。うどん。
新聞。明日の準備をしなければ。
昼下がりに地下鉄で本郷へ。某スタバで新聞を読んだあと、 仕事をしに研究室に。すると、 某妻から「家の鍵を忘れて出かけた」とSOSが入ったので帰宅することに。
夕方から明日の非常勤の準備。先ほどようやく終わった。 しかし、まだ明日の研究会の準備が…。いろいろテンパっている。
お昼までぐっすり眠る。お昼すぎから大学へ。 寒い研究室で各所にメールを出す。手がかじかむ。
寒いので喫茶店に行って新聞でも読もう。
昼下がり、某海鮮丼屋で北海ちらし丼を食べたあと、 本三の喫茶店に行き、1時間半ほど新聞を読む。 ウィリアムズのMoral Luckも少し読む。 この人の触れている論点はおもしろいが、難解で長いのが難点だ。
夕方、ついマンガ喫茶へ。いろいろ読む。
夜、昼下がりに行った某海鮮丼屋でまた食事。いかん。 それから研究室へ。
復活したヒンギス、シャラポワをストレートで下す (朝日)。 すごいな。
新聞の切り抜き。産経新聞で連載している「憂ちゃんのおしえてプリーズ!」 (さかもと未明)というマンガで、 男女共同参画社会(とくにジェンダーフリーの問題)がテーマが4回に渡って 論じられていたので興味深く読んでいたのだが、 最後の回のさかもと未明氏本人によるコメントが興味深い。
「ジェンダーフリー」という言葉に、とても魅力を感じていたときがありした。 「女らしさに縛られないなんてステキ」と思っていたのです。 でも、その生き方だと何もうまくいきません。そのせいか、 結局は好きな人と離婚してしまったし、 仕事や恋もちっともうまくいきません。 逆に「女の子っぽく甘えるところは甘えてみようかな」と考えを変えたらすべて がスムーズなのです。 「女らしさ」を悪いもののように考えていたけれど、「ちっとも悪くなくてステキ!」 と体で納得しました。
男らしさ、女らしさなどの違いには、 すてきな意味があると思います。 それを見つけながら、男女が思いやり合っていける社会こそ作りたいですね。 それが本当の男女平等なんじゃないでしょうか。2006年2月4日産経新聞
社会が作り上げた「女らしさ」の像に素直に従っていれば、 スムーズに生きられるのは当然ではないだろうか。 ローザ・パークスも、白人に席を譲れと運転手に言われたときに素直に従っていれば、 ずいぶん楽な生き方ができたかもしれない。 重要なのは、「男らしさ」「女らしさ」で何が意味されているかだ。
「まあ、happy slaveという言葉もあることだし、 満足した奴隷はほっておいたら?」
「いや、それはだめです。consciousness raisingをしなければ」
「それはともかく、例のデンマークのイスラム風刺漫画についてはどう思うの? 表現の自由の濫用じゃないの、あれは」
「まあ、ジョン・レノンも`The Beatles is bigger than Jesus'と言って 怒られましたからね。宗教をネタにするには相当覚悟が必要ですね」
「ビートルズのときはビートルズのレコードや関連商品だったけど、 今回はイスラム諸国でデンマーク製品のボイコットとか国旗が燃やされたり してるんでしょ。そりゃ一番大事なものをネタにされたら怒るのも もっともじゃないの」
「そうですね。イギリスでも現在、宗教関係に関する表現の自由を規制する 法律が検討されていて、ロウワン・アトキンソンなんかも反対に回っている みたいですが、表現の自由は一度検閲が入ると萎縮効果もあるしすべり坂にも なりうるから、やはり最大限に保障して、行き過ぎは世論による制裁を 加えるなり、適切な反論を加えるなりするのが良いのではないでしょうか」
研究室で新聞の切り抜きをしたあと、 マンガ喫茶に行きたい欲求を振り切り、帰宅。
ラーメンを作って食べながら、ニュースを見る。 毎日精一杯生きないと、すぐに年を取ってしまいそうで怖い。がんばろう。
今日のニュース
昨日のニュース
四度寝ぐらいしてしまう。しかし、よく寝たので元気。
午前中に大学へ。一日中雑務。 夕方に臓器調達(organ procurement)の文献検索を再開。 夜、4年生(関西では4回生)に教室紹介。そのあと、大阪から来た某友人と、 同じく大阪から来て今は東京で働いている某友人と某所で飲む。 ビールをジョッキで4杯。いささか酔っぱらう。
早寝早起き。今日は全国的には寒いそうだが、東京は比較的暖かいそうだ。
昨夜、ネットのラジオを聞きながら寝るために、 ExitWinMenuというのをダウンロードした。 うまくシャットダウンされるようなので、しばらく使ってみよう。
朝食を食べながら新聞。
産経で週一で掲載されている「数字イロイロ」という連載は、 統計的なデータを用いたエッセイなのだが、 ときどき首を傾げたくなる話もあるので、 統計のウソを見抜く練習には持ってこいかもしれない。
今日の記事は、「火星旅行には4組の夫婦を送るのがよい」 という主張に対して、 夫婦はとりかえしのできない喧嘩をする可能性があるので兄弟姉妹にした 方がいいのではと批判している。 それ自体はもっともらしいと言えばその通りなのだが、 最後の段落がいただけない。
壊滅的夫婦喧嘩をせずに火星往復飛行を行える日本人夫婦っていますかね。 (中略)。これまで夫婦一緒に宇宙飛行をしたという例が一組だけありますが、 その夫婦は現在離婚しています。(産経本日付19面)
この一組の夫婦が米国人かロシア人かは知らないが、 離婚率が約5割の米国なら、二組に一組の夫婦が離婚するわけだから、 この一組の夫婦が離婚したことはとくに不思議ではない。 逆に、離婚していなくても不思議ではない。 要するに、この一例を根拠にして「夫婦一緒に宇宙旅行をすると離婚する」 と主張するのは、まったく説得力がない。 ついでに言えば、「兄弟姉妹の方が夫婦一緒よりもうまくいく」 という統計的データも事例が少なすぎてまだ出ないだろう。
朝の勉強会に出席。早起きしたせいか、眠かった。
ちょっと荷物運びなど手伝う。ついでに自分の机のレイアウトなども変更する。
眠い。
食事に出たは良いが、財布を忘れてきてしまったので、 部屋に戻って適当に食べる。冷蔵庫がほぼ空なので、 近いうちに買い出しに行く必要がある。
部屋で一瞬寝てから大学へ。 本棚が一つ増えたので、少し本の整理をする。
夕方から社会科学研究所で行なわれたIris Marion Youngのセミナーに参加。 われわれはみな社会の(匿名的)「構造」に対してliabilityはないが、 政治的責任があるので、政治参加(討議)をして社会をよくしなければならない、 というような話。一つ質問をする(徳が身に付きつつある)。
そのあと、某氏と一緒に生協の食堂で食事。 また財布を忘れたのでお金を貸してもらう。感謝。
眠い。明日の予習をしなければならないのだが、帰るか。
帰宅。眠い。
早く寝るつもりが、日記の整理をしていると こんな時間になってしまう。もう寝て、朝から勉強すべし。
ひさしぶりにベンタム関係の文献を読んだ。 2月末までに論文を書かないといけないので、 そろそろギア・アップしていかないといけない(ギブ・アップではない、念のため)。
冷蔵庫や洗濯機が今日来るものと思って、午前中は部屋で待っていたが、 よく考えたら明日であることに気付く。大学に行こうかと思ったが、 本がないのに行ってもしかたないと思い、今日は区役所に転入届を出しに行き、 ついでに自転車と机を買うことにした。
目黒区の区役所は遠いので、 都立大学駅前そばの西部地区サービス事務所に行くことに。 とりあえず歩いて都立大学前まで来て、某モスバーガーで食事。
先ほどアリさんに電話してみて、本をどうやって運べばいいか相談したら、 おそらく宅配便が安いだろうとのこと。しかしイエローページがないから クロネコやペリカンの電話番号がわからない。104か。
習熟度別学級=成績別クラス編成。 6割の小中学校ですでに実施しているとのことだが、 大学でもどんどんすべきだ。
サービス事務所で転入の手続をして保険証をもらったあと、 都立大学駅の某東急ストアで自転車(ママチャリ)を買う。 それからいったん家に戻り、自由ヶ丘へ。やはり自転車は便利。
自由ヶ丘で机を探すが見つからず。ハイソな家具屋はいくつかあるんだけど…。 仕方ないので喫茶店に来て勉強。
メモ: 岩佐幹三『市民的改革の政治思想』(法律文化社、1979年)を入手すること。 ベンタムの代表制民主主義について論じているので重要。 学部のときに部分的にコピーしたようだが、 必要なら残りもコピーすること。この人は某金沢大法学部の人のようだ。
「(日本は、「英国病」を経験している)イギリスがすでに二世紀前から 急速に足どりを早めた歴史的変遷の跡を決して他山の石として見過すことは できないであろう」(「はじめに」1頁)とか、 「(ベンタムの)コスモポリタニックな特徴」(同2頁) とか変な表現が出てくるが、おもしろそうなのでちゃんと読もう。
悪口(もとい、批判)を書いたついでにもう一つ。 昨夜、安平政吉氏の 「ベンタムの刑法理論―その『最大幸福の原理』を主題としてー」 (『刑法雑誌』、2巻1号、1951年)を読んでいたが、 卒論のときには気付かなかったが、 「反感と共感の原理」について大きな誤解がある。 いわく、 利己主義的な人々が功利主義に従うことができるように、 「反感と共感の原理」を用いて人々が他人の快苦を自己のものとして考える ことができるとベンタムは考えていたとかなんとか。 観念連合のことを念頭に置いているのだろうが、 すくなくとも安平氏が注に引いているTheory of Legislationの 冒頭のところではそのような話はない。 って、こういう話は昔も書いた気がするな。
オレは博士論文でベンタムの「思想的発展の経過をフォロー」 (岩佐、序章1頁)するのか。最近の研究動向もきちんと調べること。 哲学的でかつ思想史的な論文を書くこと。魂をこめろ。 現代的な関心(good governance、良い民主主義とは何か、UNDPの報告書など) も念頭に置きつつ研究すること。本気でやれ。博論以外のことは考えるな。
これもまた昨夜、 堀經夫・大前朔郎監訳『イギリス社会思想家伝』(ミネルヴァ書房、1978年) のベンタムのところを読んでいたが、 「トーリー」ベンタムと「ウィッグ」ベンタムという表現が使われていた。 前者は保守主義であり、 国家による干渉が「最大多数の最大幸福」のために必要という立場で、 後者は自由放任によって「最大多数の最大幸福」が達成できるという立場に 対応しているようだ。 後期に安全(security)に重きを置いたベンタムはトーリー的とのこと。 トーリー、ウィッグについてもよく調べること。
まだ喫茶店で勉強中。ちょっとウトウトする。
ベンタムのA Fragment on GovernmentのPrefaceにある ExpositorとCensorの区別のところはいつ読んでもおもしろい。 基本的には新聞等のfactとopinion(事実と意見)の区別と同じで、 おそらくベンタムの独創的な区別ではないと思うが、 わかりやすくてよい。いつかこの本も翻訳しないとな。 この本が出た1776年には、ベンタムは28才だったんだよなあ。う〜ん。
法という主題について何か言いたいことがある人はすべて、 解説家あるいは批判家のいずれかの 役柄を引き受けると言ってよい。 解説家の仕事に含まれるのは、 法がどのようなものである(と彼が考えている) かをわれわれに説明することである。 批判家の仕事に含まれるのは、法がどのようなものであるべき と彼が考えているかをわれわれに述べることである。 ゆえに前者は主として 事実を述べたり追究したりすることに専心し、 後者は理由を議論することに専心する。 解説家は、自分の領域にとどまっているかぎり、 理解と記憶と判断以外の 精神機能とは無関係である。 後者は、 自分が検討する対象に結びついている(ことに彼が気付く)快や不快の感情のゆえに、 情念とも何らかの関係を持つ。 法がどうあるかは、国によって大きく異なる。 他方、法がどうあるべきかは、すべての国でかなりの程度 同じである。したがって、解説家はつねに、 あの国この国といった特定の国の市民である。 批判家は世界の市民であり、そうあるべきである。 解説家の仕事に含まれるのは、 立法家やその下で働く裁判官が すでに行なったことを説明することである。 批判家の仕事に含まれるのは 立法家がこれから 何をすべきかを提案することである。 要するに、批判家の仕事に含まれるのは、 立法家が実践する --立法家に引き渡されることによって技術になる-- 科学を教えることである。
あれ、CD-ROM版全集のテキストの一部を消してしまった。 書きこめるのは便利なんだが、 本文を消してしまったときにUNDO機能が充実してないのが困るんだよな。 仕方ない、また入れ直さないと。
夜は家でニュースを見ながら本棚を組み立てたてる。 ごはんを炊き、コンビニで惣菜を買ってきて食べる。
放送大学、クローズアップ現代に比べると今いち退屈だけど、 生命倫理の番組が多くて勉強になる。ビデオに取っておくべきかな。
先週のThe Guardian WeeklyのLearning Englishの記事から。
倫理学では理性(あるいは理由)が動機を生みだすか、 なんて一般人には意味不明な議論が行なわれているが、 心理学では学習者の動機づけの仕組みが熱心に研究され、 とくに90年代以降はどうやって学習者の動機づけを高めることができるか、 ということが研究対象になっているようだ。 (`Much more than carrot and stick' in Learning English, January 24-30 2002, p. 6)
この記事は第二言語の学習者について語っているが、 この記事の筆者によれば、 一般的に言って学習者の動機づけを高めるには三つの原則があるそうだ。
さらに、より具体的な手段として、 動機づけを高める次の9つの方法が提示されている。
逆に言えば、次のような発言をする倫理学の先生は望ましくないことになる。
どうやって動機づけられるかという問題は、学生を動機づけるというだけではなく、 自分を動機づけるという点でも重要だ。 研究をすることに対するおれの現在の動機づけと言えば、 読書会と原稿の〆切ぐらいしかないからな。 自分でもっとさまざまな短期的・長期的ゴールを設定して研究することにしよう。
「たとえば? ウィリアムズ風に言えば、君には研究するどういう理由があるの?」
「え〜、たとえば、おもしろい授業をするためとか、 D論を書くためとか、就職するためとか」
「なるほど。しかしもっと内在的な動機づけはないのか、 研究が好きだからやるとか」
「いや、ありますけど、 そういう動機づけはしばしば他の強い欲求に負けてしまうわけで。 眠いとか、あ、テレビで映画やってるとか、 2chをチェックしないとなとか」
「なるほど。ところで君にはD論を書く理由があるのか?」
「ありますあります。一杯あります」
「君にはD論を書く動機づけはあるのか?」
「う、そう言われると…」
「外在的理由だな、そうすると」
昨日に引き続き、明太子いわし、納豆、しそにんにくなど。 かなり臭いそうだな、この献立は。人に会わないようにひきこもろう。
アニマルズのエリック・バードンもソウルフルでよいが、 マンフレッド・マンのポール・ジョーンズも歌うまいなあ。 このころはスモールフェイセズのスティーヴ・マリオットにしろ、 スペンサーデイヴィスグループのスティーヴ・ウィンウッドにしろ、 やたらと歌がうまい。ひさしぶりにCDを聴いてみることにしよう。
そういえば、 ロンドンのミュージカルBuddyはもうすぐ終了するそうだ。 13年続いたらしい。Catsも終わるとのこと。
さらにそういえば、 昨日はロックンロールが死んだ日。 バディ・ホリーやリッチ・ヴァレンズらがツアー移動中に飛行機事故で死亡。 新聞配達少年だったドン・マクリーンが新聞記事を読んで衝撃を受け、 のちにアメリカン・パイを歌うことになる。
というわけで、CDを漁っていろいろ聴く。
「早く『アイリス』 見たいなあ。 映画紹介を読むだけでじ〜んと来るので、 観たら泣いちゃうんじゃないだろうか」
「『アメリ』は見ないの?」
「そうですねー、あれも見ないと…」
しばらく雑用にいそしむ。
さきほど、 座椅子に座って背中を伸ばそうと背もたれにもたれかかったら、 中のパイプの一本がぐにゃりと曲がってしまった。 最近ちょっと調子悪いなと思っていたのだが、ついに逝ってしまった。
パイプをある程度直したので一応まだ使えるが、 ちゃんとした座椅子でないとコタツに座って勉強するのは辛いから、 近いうちにもう少ししっかりしたやつを買おう。
今日から某大資料集の原稿を書かねば。
昼下がりに起きるつもりが、 起きたらクローズアップ現代が始まっていた…。 めちゃくちゃだ。
原稿、原稿。
勉強中。 英国でまたシャム双生児の難しいケースが出てるらしい。
「う〜む、やたらとタイムリーですね」
「君が論文を書く上でだろ。けしからん言い方だ」
今日の勉強時間…3hr
この寮にはスクワッシュのコートがあるので、 昨日、友人に誘われて10年ぶりにスクワッシュをした。 当然、今日は筋肉痛で苦しんでいる。
夜、映画館でTrafficという映画を観る。 メキシコ・米国間の麻薬密輸問題と、 米国における若者の麻薬使用問題についてのかなり深刻な映画。 ストーリー展開は複雑だがうまくまとまっているし、 映像も美しい。やたらと長いが、結末もよい。 B-。
次はAlmost Famousを観るべし。
場所: 某喫茶店の片隅のテーブル
登場人物: 一組の男女
男「…。…。01…00100」
女「01! 1000…10100。…。1011?」
男「101…0。011011。10110…」
女「11! 11!」
男「10! 10! 1010!」
女「0000! 0000!」
男「000000!」
(どうも口論で終わったようです)
場所: 某喫茶店の片隅のテーブル
登場人物: 口論している一組の男女、会話に入ってくる外国人(♂)
女「00! 0000!」
男「00!」
外国人「01F7? …5BB0A3DF」
女「011010…1011…11?」
男「00! 10111011」
外国人「E788. DF305730?」
男「…。…11。1011…」
女「01…。1011…01」
外国人「CE2F! CE2F! 07F6E201。01?」
男、女「01! 01!」
(どうやら無事仲直りしたようです)
場所: 某駅前
登場人物: Shift-JIS国人(♀)と観光客のJIS国人(♂)
男「$308rLdBj$. $G$O$A$g$C$H9M??」
女「えっ、なんですか?」
男「$G$O$A$g$C$H9M??」
女「ああ、JIS語ね。ええと、どういうんだったっけ、!%J%F%#%C%?」
男「H9M$($i$l$J$!! $G$O$A$g$C$H9M??」
女「$$&$N$O3+2V$7$. M@8$rAw$k$3$H$G!!」
男「$h$&$JMW0x$,@!! ドモ, アリガト, ゴザイマス」
女「いえいえ、どういたしまして。それじゃ、&$K8BDjE!!」
男「&$K8BDjE!!」
(観光客の男性が女性にホテルへの道を尋ねていたようですが、 どうやらうまく解決した模様です)
昨夜は雪。 某E研におられた方々と某居酒屋へ。 セクハラ論など。 某助教授や某師匠におごってもらう。感謝感謝。
それから、一部の人と 吉田神社の節分祭を見に行くことになる。 これまで通りがかったことはあったが、 まともに参加するのは大学に入ってから今回が初めて。 出店の数に驚く。
某師匠に鮎の塩焼をおごってもらう。感謝。
しばらく時間をつぶして、 午後11時から始まる巨大なたき火(適切な呼称を知らない)を見る。 かなり迫力のある見物である。人も多く集まっている。 外国人の比率が高い。
火が豪勢に燃えて一段落ついたところで大学へ。
研究室でしばらくうだうだした後、ソファで昏睡。 夜更けにいったん起きる。まだ風邪は引いてない様子。やれやれ。
ところで、おれの単位は大丈夫なんだろうか。 朝になったら事務に行ってみよう。
げ。真っ白。うひゃあ。雪景色。
横で院試の勉強をしている人々に構わず、 寝たおす。いやはや。
さらに雪。下宿に戻れるのだろうか。
某君と中央食堂で食事。
ついでに事務で単位について問い合わせる。 大丈夫の模様。いやはや。
昨日気づいたんだけど、 holiday (祝日)って、holy (聖なる)とday (日)からできてるのか。 知らなかった。いやはや。
すごく健康的な時間に寝て、 すごく健康的な時間に起きる。
昨日古本屋で買った本。(今ほんとにお金ないんだけど…)
…。
……。
日本の倫理思想も勉強しようかと思って。
以下は『わたしたちの使命』(上廣榮治、社団法人実践倫理宏正会、1975年)という、 倫理普及活動における心得やよくある質問(FAQ)に対する 模範解答と解説などについて書かれた本の中にある、FAQの数例。 参考までに。
〔C〕実践倫理についての解答例と解説
21(実践倫理は)高校で教える倫理社会や、大学の倫理学とどう違うのですか?
〔適切な解答例〕
イ、大学や高校で教えている倫理学は、倫理思想の理論であり、歴史です。 誰が、いつ、どのような教えを説き、 それがどう変化したかを教えるのが主たる目的であって、 それによって、倫理は知識として身につくかもしれませんが、 直接一人ひとりの魂に働きかける生きた倫理道徳となっているかどうかは疑問です。 それに比べて実践倫理は、 わたしたち一人ひとりの現在ただいまの生活を正しく見る目を養い、 それを日々の具体的な生活の中でどう生かしたらよいかを導いてくれる生活の知恵 であり、人生の教えなのです。
ロ、学問としての倫理は、単なる知識・教養で、実践を伴いません。 これでは倫理を学ぶことによって、人間としての真の幸せはつかめません。 それに対して実践倫理は、あくまで行なうことを主体とした生きた学問で、 これを踏み行なえば必ず幸せになれるという生きた思想であり、すじみちなのです。
ハ、大学で難しい倫理学を学んでいませんので、 残念ながら学問的な内容の違いはご説明しかねますが、 ただひとつだけはっきりと言えますことは、 学問としての倫理学をどれだけ知っていても、 それが現実の生活の中で生かされなければ、意味がないと思います。 その点、わたしたちの実践倫理には、難しい理屈などなく、 人間として守り行なえば必ず幸せになれることばかりです。 倫理とは、本来そのようなものでなければならないと信じています。
〔不適切な解答例〕
イ、学校で教える倫理学は、あくまでも旧道徳を中心とした理論で、 実践倫理は現代の生きた思想です。
(実践倫理が生きた思想であるのは真実ですが、 学校の倫理学を旧道徳と断定してしまうのは言い過ぎです)
ロ、高校や大学で教えている倫理学も、すべて本会の実践倫理の教えです。
(いいかげんな推量で答えてはいけません。 実践倫理は、あくまで本会独自のものです)〔解説〕
高校で教える倫理は、 社会人としての基本的な倫理意識を育てるためのもので、 それは現在小学校や中学校で行なわれている道徳教育の延長と考えればよいでしょう。 それに対して、大学の倫理学はある意味では専門的な学問で、 哲学や宗教学と同じように、倫理を歴史的、思想的に分析研究するものです。 ですからこうした学校教育の中での倫理学は、 どうしても実践面での指導はできませんし、 また学校という場では困難が多いのです。(121-124頁)
〔D〕入会についての解答例と解説
35夜遅い仕事で、朝起会に出られそうにないのですが、 朝起きしないで入会できないでしょうか?
〔適切な解答例〕
イ、夜遅いお仕事では大変ですね。 昼間に比べて夜のお仕事ではお疲れでしょうし、 たしかに朝が辛いのはよくわかります。 でも、そこを思い切って、一度朝起会に出席してごらんになりませんか。 すがすがしい冷気の中で朝露を踏み、 日の出に向かって今日一日の倫理実践を誓うことは、 何物にも代えがたい喜びであることが、おわかりになりますよ。
ロ、お仕事柄、たしかに初めのうちは大変だと思います。 しかし、そこを修業と思って、やってごらんなさい。 必ずや朝起きしてよかったと思うようになります。 よく八時間は眠らなければ、十分ではないといいますが、 あれは本当かどうか疑わしいことです。 人間の睡眠は、長さよりも眠りの深さが大切なのです。 ですから、どんな人でも、少し慣れれば四時間の睡眠で十分になります。 わたしどもの会長先生は、 「朝起きひとつできない者に、何ができるか」とおっしゃいました。 まことにその通りで、大自然によって生かされている人間は、 太陽とともに起き、太陽のもとで、今日一日倫理実践に励んでこそ、 大いなる大自然のめぐみを得ることができるのです。
〔不適切な解答例〕
イ、朝起きひとつできないで、たとえ入会しても、 実践倫理が身につくはずがありません。
(不親切な言い方です。もっと相手の立場になって考えてあげるべきです)ロ、結構ですとも。朝起会にご出席になられなくても、 入会することはできますよ。
(実践倫理の基本は、あくまで朝起会です)〔解説〕
現代人、とりわけ都会に住む人たちの中には、 最近夜型の人が増えているようです。 そんな人たちは、どうしても朝起きが苦手で、 朝起会と聞いただけで、尻ごみするものです。 そこでそうした人たちには、自分、 または自分の身近かな人たちの、 入会当時の体験談などをまじえるなどして、 相手の不安感を少しでも取り除き、 「それなら自分も朝起きできるかも知れないな」 「よし、やってみよう」という気持を起こさせることが大切です。(162-165頁)
〔E〕いろいろな理由で断わられたときどう答えればよいか
50倫理で一日中しばられる生活では、遊ぶこともできません。 わたしはすべてのものから、自由でありたいのです。
〔適切な解答例〕
イ、自由でありたいと願うあなたのお気持はよくわかりますし、 わたしもそういうあなたの自由を奪うつもりは毛頭ありません。 しかし、一歩進めて考えますと、いったい人間の自由とは、 どういうことでしょうか。 人間の自由とは、倫理や道徳を守らない生活のことでしょうか。 いいえ、違います。 人間は自由である前に、社会の中で生かされ、 大自然の力によって生かされているのです。 倫理とは、そうした社会や大自然が、 人間に与え教えたすじみちなのです。 ですから人間は、自分を生かしてくれる、 この社会や大自然のすじみちに従って生きなければ、 自由そのものもないのです。
ロ、自由とは、人間なら誰しも願うことです。 しかし、たとえば、スポーツを例にとって考えてみますと、 彼らが自由にスポーツを楽しめるのは、 ルール(規則)があるからです。 ルールに従うから初めてスポーツに自由があり、 楽しさがあるのです。 それと同じように、わたしたちの社会にはルールがあり、 毎日の生活にもルールがあります。 そして、そのルールこそ、実は倫埋の実践なのです。 ですから、倫理はあなたの人生を縛るものでは決してなく、 あなたに真の自由とは何かを教えてくれる、人生のルールなのです。
〔不適切な解答例〕
イ、倫理は決して、あなたの自由を奪うものではありません。 その証拠に、わたしをご覧なさい。 自由を奪われている人間に見えますか。(観念的な言い方です。もっとわかりやすく、 具体的な例をあげて説明すべきです)
ロ、あなたのおっしゃる自由と、倫理で言う自由は違います。 本当の自由とは、倫理を守り行なうことによって、 得られるのです。(一見よい答えのように聞こえますが、 これは倫理を体験した人にして初めてわかることであって、 一般の人には、実感としてはわかりにくい答え方です)
〔解説〕
倫理実践の喜びを知らない人たちは、 組織に入れば、大きな規則や制約があり、 それに縛られてしまうのではないかという不安を、 漠然と感じているものです。 それに、これは若い人たちに、 とりわけ多い考え方ですが、 本会のような組織に入れば、人間が一律に類型化し、 個性を失ってしまうのではないかという不安感です。 実際、こうした世間一般の反応には、 まったく理由がないわけではなく、 たとえば狂信的な宗教団体とか、 一部の思想集団の人たちの言動を見ていますと、 そうした世間一般の印象を裏づけるような部分が、 随所に見受けられるからです。 しかし、わたしたち実践倫理宏正会は、 断じて会友のみなさんの自由を奪ってはいませんし、 個人の思想を否定するようなことも、 いっさいしていません。 そのなによりの証拠に、会友のみなさんはすべて、 常に自由闊達であり、豊かな個性と、 すぐれた思想を持っておられます。 ですから、わたしたちは、日々の頒布普及活動の中で、 このことを訴え、堂々と胸を張って歩かなければなりません。
今日は修論の試問の日なので、 修論を提出した人が緊張した顔で研究室にきて試問の行われる部屋に行き、 しばらくすると憑きものが落ちたような顔をして戻ってくる。 来年はわが身。 (憑きものが落ちたような顔をしてるかどうかはわからないが)
某嬢欠席のため、ロック読書会は中止。
今日は研究室がさわがしかったので疲れた。 えらそうなことを言えた義理ではないが、 勉強をしている人がいるのに 大声で話をするのはどうかと思う。 まあ、 「勉強するやつは閲覧室に行け。研究室は議論の場だ」 と考えている人もいるのかもしれないが。
(わ、また学級代表みたいな発言をしてしまった)
(telos--Greek for the end.という文について説明しているとき)
こだま「このforというのは、『〜を表す』、という意味なんですね」
匿名希望「ふんふんふんふん。あ、なるほどぉ、そうなんですかぁ」
こだま「だから、例えば…、UN stands for the United Nations.っていうのは どう訳しますか?」
匿名希望「え〜っとぉ、『UNはアメリカ合衆国を表す』 ですねっ」
こだま「えっ…(5秒絶句)」
匿名希望「え、なんかおかしいですか? じゃあ、ん〜とぉ、『UNはアメリカ合衆国を意味している』」
こだま「……。…あの、UNっていうのは?」
匿名希望「アメリカ合衆国!!」
こだま「……」
匿名希望「え、どうしたんですかこだまさん?」
不安でしかたがない。
(注: 上で登場した匿名希望の方からのクレームにより、 これは実在の事件および人物とは一切無関係のフィクションだと判明しました)
疲れてとてもレポートを書く気になれない。
今から祝宴会。また後で来る、と思う。とりあえず卒論は合格点は頂けたよう だ。その話はまたあとで。
教授・助教授にごちそうになる。ごちそうさまでした。
さて、今日の話である。その前に、塾で教えていた小6の生徒二人が、最近共 に私立中学入試に合格した(第一志望はだめだったけど...)。とにかく肩の荷 が一つ降りた。ぼくも受かるといいけど...
(ぼくが講師をしている塾は、スパルタ塾ではありません。念のため)
さてとにかく、今日の話である。今日は朝11時から卒論の試問が、教授・助教 授によって行われたのである。それで、ぼくの卒論が一番に審査されたのであ る。
卒論を書き終わってから後、ベンタムから2千光年遠ざかっていたので、行き の電車で自分の論文を急いで読み返し、師弟対決に望んだのである。
それで、試問の内容はというと、うわさされていた必殺人格破壊攻撃 やウルトラ人権侵害ビーム・・・
参考例)
「これは論文とは言わない」
「これは日本語とは言わない」
「君は人間とは言わない」
「うちの小学生の息子の作文の方がよっぽどましだ」
「これはくそ。君もくそ。全部くそ」
・・・などは炸裂せず、ぼくがのらりくらりと答えたせいか、わりと穏やかに 予定の30分が過ぎ去った。今後の参考のために、以下に教授・助教授が指摘さ れた問題点を書いておく。
とにかく、ベンタムの今日的意味が問われていない、現代の問題が視野に入れ られていない、ということですな。確かにその通りでございまする。やっぱり (仮想)敵っていうのを常に作り出さないと、自分の研究対象(ぼくの場合はベ ンタム)の良さ悪さがわからないっていうことですか。(次があれば)次は頑張 りますっ。
とりあえず、明日は勉強会・読書会が目白押しなので勉強せんと。
小林さん経由で板井さんの院試対策用ノートなどをお借りする。感謝。