(ぷらいす Price, Richard)
Let me ask, would a person who either believes there is no God, or that he does not concern himself with human affairs, feel no moral obligations, and therefore not be at all accountable? Would one, who should happen not to be convinced, that virtue tends to his happiness here or hereafter, be released from every bond of duty and morality? Or, would he, if he believed no future state, and that, in any instance virtue was against his present interest, be truly obliged, in these instances, to be wicked? - These consequences must follow, if obligation depends entirely on the knowledge of the will of a superior, or on the connexion between actions and private interest. -
--- A Review of the Principle Questions in Morals (Ch. VI)
ウェールズの非国教徒派の牧師(1723-1791)。 道徳哲学だけでなく、統計学や政治経済に関しても一家言あった人。 自由意志の問題について プリーストリと論争したり、 彼がフランス革命について書いた論文が、 バークが『フランス革命についての省察』を書くきっかけとなったりもしたらしい。
プライスの主著は『道徳の基本問題の考察』 Review of the Principle Question in Morals (1758年初版)である。 この本で彼はまず合理論の立場からロックの 経験論的認識論を批判し、 経験に由来しない観念があると主張する。 これは、ロックの認識論的立場を認めると神の命じる道徳規則が 恣意的であることを認めざるを得なくなる、 とプライスが考えたためである。
道徳的な行為への動機づけに関して、 プライスはシャフツベリが言うような 道徳感情の存在を認めたが、 道徳的知識のみによっても正しい行為へと動機づけられると考え、 知性の能動性を唱えた。 彼の考えでは、 われわれは神のサンクションに頼ることなしに 道徳的に行為できる自由な理性的存在者である。 (→すなわち、正不正の認識と、正しい行為をする動機付けに関しては、 神はいっさい関与しない。 このように説明すると道徳における神の役割が問題になるが、 これについては以下の段落で説明されている)
プライスによれば、直観的に明らかな道徳規則は善意だけではなく、 その他にも、誠実、敬虔、正義など複数ある (この点についてはハチソンの項を参照せよ)。 これらを守ったからといって現世で幸福になれるとは限らないが、 人間と同じ規則を守る神によって、来世の幸福は保証されると彼は考えた。
プライスの考えでは、来世において神の報いを受けるのは、 自由意志によって正しい行為を行なう人々である。 それゆえ、感情や傾向性によって道徳的行為をするのではだめで、 まさにその行為が正しいがゆえにそれを行なう、という姿勢が必要とされた。 ただし、彼の考えでは、人々は有徳な行為を生まれつきできるわけではなく、 徳は教育や訓練を通してはじめて身に付くものであった。
J.B. Schneewind ed., Moral Philosophy from
Montaigne to Kant An Anthology vol. 2, Cambridge UP, 1990.
上の記述は、この本の586-7頁の要約です。
(以下は試験的なものです。上に書いてあることと同様、うのみにしないように)
(08/Mar/2000)