(りーがるもらりずむ legal moralism)
In looking over the catalogue of human actions ... in order to determine which of them are to be marked with the seal of disapprobation, you need but to take counsel of your own feelings: whatever you find in yourself a propensity to condemn, is wrong for that very reason. [...] In that same proportion also is it meet for punishment: if you hate much, punish much: if you hate little, punish little: punish as you hate.
By the English law, a promise to give something for the benefit of another is not binding without what is called a consideration, that is, a motive assigned for the promise, which motive must be of a particular kind. Lord Mansfield, hoever, overruled the distinct provision of the law by ruling that moral obligation was a sufficient consideration. [...] This decision of Lord Mansfield, which assumes that the judge is to enforce morality, enables the judge to enforce just whatever he pleases.
---John Austin
[S]ociety is not something that is kept together physically; it is held by the invisible bonds of common thought. If the bonds were too far relaxed the members would drift apart. A common morality is part of the bondage.
---Lord Devlin, The Enforcement of morals
These thinkers [ie. Bentham and J.S. Mill] held that the use of the criminal law is an evil requiring justification and that it is not justified by the mere fact that conduct which the criminal law is used to punish is an offence against the accepted moral code of the community. For the justification of punishment ... it must be shown that the conduct punished is either directly harmful to individuals or their liberty or jeopardizes the collective interest which members of society have in the maintenance of its organization or defence.
---H.L.A. Hart
このテーゼ[リーガル・モラリズム]によれば、法が用いられるのは、 単に道徳的に不正な行為を行ったことに対し人々を罰するためだけではない。 というのも、このような手段やその他の方法により道徳的な善を促進する ことは、法体系を発展させているほど十分に複雑化した社会の目的ないし 目標の一つだからである。
---ハート
丸山「法と倫理との混同もひどいな。 儒教思想ですよ。 滝川幸辰さん(1891-1962)の『刑法読本』(1932年)が発禁になったのは、 トルストイの無政府主義思想だといわれたのと、 妻の姦通罪の廃止の主張と、二つひっかかったからですよ。 姦通罪を廃止しろとは何事か、姦通を奨励するのか、なんてね」
---丸山真男
ある種の行為が社会の道徳に照らして不道徳であるという事実が、 その行為を法によって禁止するもっともな理由になるという考え方。 もっと簡単に言うと、不道徳な行為は法によって禁止すべきだ、 という考え方。「道徳の強制」(enforcement of morals)という呼び方もされる。
なぜ不道徳な行為を法によって禁止すべきなのかについては、 いろいろな理由がありえるようだが、一つの説明は、 「法の役割は社会の結束を守ることであり、 社会の結束を守るためには、社会の道徳(感情)を守らなければならない。 それゆえ、社会の道徳に反する行為は、法によって罰するべきである」 というものである。 この立場は、善の構想(各人の人生設計 や価値観)の多様化は社会の解体につながるとする点で、 社会に複数の善の構想が共存することを 認める多元主義と対立している (上のハートの二つ目の引用を参照)。
たとえば、60年代の英国で同性愛行為を法によって禁止することが正しいか どうかが議論されたさい(当時、同性愛行為は違法だった)、 デヴリン卿は上の議論を用いて、 「社会の道徳を守るために同性愛は法によって禁止すべきだ」 と論じた。これに対して、 H・L・A・ハートのような自由主義者は、 他者に危害を与えないならば、 そのような行為は禁止すべきでないと主張した。
リーガル・モラリズムはパターナリズムと 混同されやすいが、前者はある行為を法によって禁止する理由として、 「社会の道徳に反する」という主張を行なうのに対し、 後者は「本人の利益に反する」という主張を行なう点で異なっている。 たとえば、「同性愛は不道徳だから 法によって禁止すべきだ」と主張するとリーガル・モラリズムで、 「同性愛は当人のためにならないから 法によって禁止すべきだ」と主張するとパターナリズムになる。
09/Mar/2001; 21/May/2001更新
上の引用は以下の著作から。