(ぜんのこうそう conception of the good)
The fact that people have different conceptions of what is worthwhile in life is a basic fact in all modern societies. And it is a fact that demands our respect. If we say that people who disagree with us, whether in religious or secular ways, are just foolish or evil, we are failing to show respect for them as our fellow citizens.
---Martha Nussbaum, `Free to choose'
in The Philosophers' Magazine, Issue 11 (2000), p. 37.
各人はそれぞれが善き生について自分なりの意見を持っている。 これを最近はconception of the good (善の構想)、 あるいはconception of the good lifeなどと呼ぶ。
「善の構想」などというと頭が痛くなるが、 つまりは各人の人生設計のことである。 哲学者として冥想して生きていこうとか、 バクチで身を立てようとか、 安全な人生を歩むために公務員になろうとか、 そういうのはすべて各人の善の構想である。 (キムリッカも`different lifestyles (or `conceptions of the good'')と 書いている)
哲学においては、古来から最高善(summum bonum)とは何かが問題にされ、 いったんこれが見つかったなら、 みなそろってこの善を追求するのが正しいと考えられてきたが、 自由主義社会においては、 善の構想の複数性(多元性)を認め、 政府は「これぞ最高の善の構想です。これを目指して生きなさい」 というような押しつけはしてはならないと考えられている。 すなわち、各人は、他人の自由や権利を侵害しないかぎり、 自分の善の構想を追求することが許されている。
善に対する正の優越の項も参照せよ。
[悪の構想]
(18/Apr/2001)