パターナリズム

(ぱたーなりずむ paternalism)

Paternalism has a bad name among some liberal thinkers. It conjures up images of individuals being manipulated for their own good by big brother.

---Joseph Raz

Paternalism toward those who have their own ends is not a form of love.

---Onora O'Neill

Vicky: To protect humanity, some humans must be sacrificed. To ensure your future, some freedoms must be surrendered. We robots will ensure mankind's continued existence. You are so like children. We must save you from yourselves. Don't you understand?

Sonny: The created must sometimes protect the creator -- even against his will.


当人の意志に関わりなく、 当人の利益のために (for one's own good)、 当人に代わって意思決定をすること。 父親的温情主義、父権主義などと訳される。

たとえば、泣きわめいていやがる子供を、 むりやり歯医者に連れていって治療を受けさせるのは、 パターナリスティックな行為である。 この場合、子供には自己決定する権利がなく、 親が子供の利益を考えて代理で決めていることになる。

また、バイクのヘルメットの着用義務、 車のシートベルトの着用義務などは、 成人に対して適用されるパターナリズムの典型である。

ソフト・パターナリズム(soft paternalism)とは、 行為者に自己決定する能力がない場合や、 時間がなくて能力があるかどうか判断できない場合にのみ、 パターナリスティックな介入が許されるという立場である。 それに対して、ハード・パターナリズム(hard paternalism)とは、 行為者に自己決定する能力がある場合でも、 パターナリスティックな介入が正当化される場合があるとする立場である。 両者はそれぞれ、弱いパターナリズム(weak paternalism) と強いパターナリズム(strong paternalism)と呼ばれることもある。 ミルが『自由論』で挙げている、 「橋が壊れかけていることを知らないでそれを渡ろうとしている人を、 役人は時間がなければ腕づくで押しとどめてもよい」 というのはソフト・パターナリズムの一例である(『自由論』翻訳325-6頁を見よ)。

こうした措置に対して、 ミルの危害防止原理を唱える人は、 「ヘルメットをかぶらないからといって、 他人に危害を与えているわけではないのだから、 政府は干渉すべきではない」と主張するかもしれない。 こうしたパターナリスティックな法律が正当化されるかどうかという問題は、 自己決定権を尊重する 自由主義社会における大きな論争点である。

リーガル・モラリズム(道徳の強制)、 医療父権主義 の項も参照せよ。

01/Feb/2001; 11/Jun/2001更新

[10/Apr/2001追記] パターナリスティックな政策に対する一つの反論は、 「ある種の行為は自発的でないと意味がない」というものである。 たとえば、毎日教会で神に祈るという行為がたとえよいものであるとしても、 それは自発的な場合に限りそうであり、 国家に強制されていやいややるのであれば意味がないと主張されるかもしれない。 クラシック音楽が精神衛生上有効に働くからといって、 強制されて聴かされたりすると、逆にノイローゼになるかもしれない。 ただし、 この反論はシートベルトの着用義務などにはあてはまらないので、 パターナリズム一般に対する批判というよりは、 その一部に対する批判である。

関連文献


冒頭の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Mon Oct 4 22:55:15 JST 2010