(じこけっていけん autonomy)
LEIA: Listen. I don't know who you are, or where you came from, but from now on, you do as I tell you. Okay?
HAN: Look, Your Worshipfulness, let's get one thing straight! I take orders from one person! Me!
from The Star Wars I (New Hope)
大人にとって生活の理想は、自己支配と自らによる方向決定である。 大人であるということは、自分の決定は自ら行ない、 自分の計画は自ら選び、自分の将来は自ら決めるということである。 それは、自律的な選択を行なうことである。
---スーザン・メンダス
生命倫理と環境倫理とはいずれも一九七〇年前後に米国で生まれたが、 相互に独立の学問分野または思想運動としてこれまで発展してきた。 そして、生命倫理においては個人の自己決定権が尊重されるが、 環境倫理においては環境を保全し人類の存続を計るために個人の犠牲が要求されるので、 両者は基本的に対立するといわれる。 しかし、[…] 個人の自己決定権を尊重するだけで、 生命倫理が成立するわけではない。 自己決定権を制約する諸要因があってはじめて、 倫理と呼びうるものが成立する。 そのような意味での生命倫理は環境倫理と両立可能であろう。
---加茂直樹
「自己決定によって許されないこともある。 たとえば、学校の教師が隠しビデオを使って盗撮したが、 彼にとっては自己決定だったかもしれない。同様に、 援助交際も自己決定では許されない。倫理を無視して 欲望を満たす自由ではなく、倫理を守って欲望から自由になることを教えるべきだ」
---産経新聞の投書から
医者に提示された治療の方法を、患者自身が決定する権利のこと。 これに対し、患者が意識がなかったり、 大人でなかったりする場合に他人が決めることを代理決定と呼ぶ。
個人は他者に危害を与えない限り、自分のことは自分で決めることができる というのが自由社会の大原則である(ミルを参照)。 加藤尚武によれば、 この原則は次のように定式化される。
(1)成人で判断能力のある者は、 (2)身体と生命の質を含む「自己のもの」について、 (3)他人に危害を加えない限り、 (4)たとえ当人にとって理性的に見て不合理な結果になろうとも、 (5)自己決定の権利をもち、自己決定に必要な情報の告知を受ける権利がある。
加藤尚武、『脳死・クローン・遺伝子治療』、PHP新書、29頁
自己決定権はインフォームド・コンセントを 基礎づける考え方でもあるため、 現在の生命倫理学の議論において決定的に重要な役割を果たすものであるが、 加藤尚武や加茂直樹が言うように、 患者の自己決定だけでは片付かない問題が多くある (たとえば代理母の問題や遺伝子治療の問題などがそうである。 詳しくは加藤尚武の前掲著を参考せよ)。 それゆえ、自己決定権、あるいは他者危害の原則の限界がどこにあるのか、 そしてまた、それに代わる、 あるいは補足するような原則はあるのかということを今後考えていく必要がある。
米国では自律と プライバシー概念が 密接に結びついている。 たとえば、人工妊娠中絶の選択は、 私的な領域に入ることなので、 公的な権力は介入できないというのがその考え方である。
哲学・倫理学用語集の「自律」の項も参照せよ。
10/Jan/2002; 16/May/2004
上の引用は以下の著作から。