訃報
本学会名誉会長、日野原重明先生は、7月18日、105歳で永眠されました。
先生は本学会創設メンバーのお一人であり、医師としての基本的なあり方についての教育、ワークショップスタイルの教育研修の普及など、我が国の医学教育の発展を常に先導してこられました。
ここに深く哀悼の意を表し、先生の安らかな旅立ちをお祈り申し上げます。
先生は本学会創設メンバーのお一人であり、医師としての基本的なあり方についての教育、ワークショップスタイルの教育研修の普及など、我が国の医学教育の発展を常に先導してこられました。
ここに深く哀悼の意を表し、先生の安らかな旅立ちをお祈り申し上げます。
日本医学教育学会 理事長 鈴木康之
ご略歴
日野原 重明(ひのはら しげあき)
1911(明治44)年10月4日生まれ。山口県出身。
1937年京都帝国大学医学部卒業。1941年聖路加国際病院に内科医として赴任。1974~1998年聖路加看護大学(現聖路加国際大学)学長、 1992~1996年聖路加国際病院院長を務めた。現在、聖路加国際病院名誉院長、聖路加国際大学名誉学長、学校法人聖路加国際大学名誉理事長。戦後、日本に米国医学を導入した第一人者で、日本の臨床医学、医師教育、看護教育の発展に尽力。患者参加型医療、予防医学、終末期医療の推進など画期的な医療改革に取り組む。1973年ライフ・プランニング・センターを設立し、「自分の健康は自分で守る」ための健康教育を推進、「生活習慣病」の呼称を提案。1993年には、日本初の独立型ホスピス「ピースハウス病院」を開院した。1995年の地下鉄サリン事件では、災害・緊急時に備えた病院設備のありかたや患者総受け入れの対応が注目された。2000年「新老人の会」を結成、老人の新しい生き方を提唱した。医学・看護の専門書に加え、ベストセラーとなった一般書「生きかた上手」など著書多数。1999年文化功労者、2005年文化勲章受章。
【略年譜】
1937(昭和12)年 | 京都帝国大学医学部卒業 |
1941(昭和16)年 | 聖路加国際病院 内科医員 |
1942(昭和17)年 | 京都帝国大学大学院(医学博士)修了 |
1951(昭和26)年 | 米国エモリー大学医学部へ1年間留学 |
1973(昭和48)年 | 財団法人ライフ・プランニング・センター 理事長 |
1974(昭和49)年 | 聖路加看護大学(現聖路加国際大学)学長 |
1976(昭和51)年 | 日本私立看護大学協会(現日本私立看護系大学協会)会長 |
1982(昭和57)年 | 日本医師会最高優功賞 |
1984(昭和59)年 | 学校法人聖路加看護学園 理事長 |
1985(昭和60)年 | 財団法人笹川医学医療研究財団(現笹川記念保健協力財団) 理事長 |
1987(昭和62)年 | 小中学生を対象に「いのちの授業」を開始 |
1992(平成 4)年 | 聖路加国際病院 院長 |
1993(平成 5)年 | 勲二等瑞宝章 |
1996(平成 8)年 | 財団法人聖路加国際病院(現一般財団法人聖路加財団)理事長 |
1996(平成 8)年 | 聖路加国際病院 名誉院長 |
1996(平成 8)年 | 財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所 理事長 |
1998(平成10)年 | 聖路加看護大学 名誉学長 |
1999(平成11)年 | 一般社団法人日本医学教育学会 名誉会長 |
1999(平成11)年 | 文化功労者 |
2001(平成13)年 | 日本音楽療法学会 理事長 |
2005(平成17)年 | 文化勲章受章 |
2007(平成19)年 | 一般社団法人日本総合健診医学会 理事長 |
2012(平成24)年 | 学校法人聖路加国際大学 名誉理事長 |
2015(平成27)年 | 一般財団法人聖路加財団 名誉理事長 |
※団体名の一部は当時の名称で表記しております。 |
【主な著書】
- 「生きかた上手」ハルメク(旧いきいき株式会社)/2001年
- 「老いを創める」朝日新聞出版/2002年
- 「死をどう生きたか 私の心に残る人びと」 中公新書/1983年
- 「十歳のきみへ 九十五歳のわたしから」 冨山房インターナショナル/2006年
- 「医学するこころ オスラー博士の生涯」 岩波現代文庫/2014年