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がん医療フォーラム 2018 がんを知り、がんと共に生きる社会へ
【第2部】 パネルディスカッション
私たちが望む「がんと共に生きる社会」とは
がん患者団体からの報告

岸田 徹さん(NPO法人がんノート代表)
岸田 徹さんの画像
岸田 徹さん
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皆さん、こんにちは。私から、なぜ「がんノート 外部リンク」という活動をしているのか。そして、その活動の今といったところをお話しできればと思っております。

希少ながんの体験と、現在の活動

まず自己紹介になりますけれども、岸田徹と申しまして、「胎児性がん」というがんに、5年前になりました。これは、先ほど馬上さんがおっしゃっていた、希少ながんの一つです。精子とか卵子とかのもとになる細胞が、がん化してしまったものと思っていただいてよいと思います。これが精巣にできたら精巣腫瘍、卵巣にできたら卵巣腫瘍といわれます。僕の場合は、首と胸とおなかのリンパ節にできていたというかたちでした。

今は「がんノート」の代表をしつつ、国立がん研究センターでも広報としても働かせてもいただいております。あと、若年性がん患者団体の「STAND UP!!外部リンク」の運営もさせていただいております。

インターネットを通して患者さんの声を発信

「がんノート」、皆さん、聞いたことありますでしょうか。少しだけご紹介させていただきます。がんノートの活動は、主に患者さんのインタビューを、インターネットを通して発信しているものです。がん患者さんのインタビュー、こちらの「FRESH LIVE」というサイバーエージェントグループのアプリを使って発信をしておりますし、それをYouTubeにもアップしていますので、そういったところで見ていただければ、患者さんのインタビューが出てくると思います。

企業研修も、いろいろなところでさせていただいております。また、がん教育が、2020年度には小学校、以降中学校、高校の教科書にも入ってくるということで、いろいろな学校でもお話しさせていただいています。また、患者側からしかできない研究を実施させていただくなど、多岐にわたって活動させていただいております。

このインタビューを始める際に、まず機材が何もそろっていなかったときに、正力厚生会さまのご支援をいただいて機材をそろえることができました。この場を借りて御礼申し上げます。

「がんノート」を始めたきっかけ-患者としての思い

まず、僕が始めたきっかけです。なぜ「がんノート」という活動を始めたのか。それは、僕が抗がん剤治療をして、それから2つの手術をしていくのですが、1つ目の手術で首と胸の腫瘍を取る手術をしました。そのときに、夜中に目が覚めたときに、息ができなくなっていたのですね。「息、できへん。ヤバい」と思って、頑張ってナースコールを押そうとするのです。ナースコールを押して、それで看護師さんがタタタッと来てくださって。

でも、看護師さんはもうプロだから、多分、光景として見慣れているのでしょうね。僕が「ウッ、ウッ」と言っていたら、看護師さんが「岸田さん、どうしましたか」と来てくださったのです。「岸田さん、つらそうですね」みたいなこと言われて。「いや、つらいの、見たら分かるやん」「いやいや、そういう状況報告いらんから」と思っていたときに、「じゃ、鎮痛剤取ってきますね」みたいな感じで、鎮痛剤を取りに行かれたのです。僕はそのとき、1人になったときに、「これは終わった」と思いまして。患者さんって、こういうつらいときに1人にされたりとか孤独になったとき、本当に絶望するんだと、終わったと思うんだなということも思いました。

このときに僕は、もう少し生きたかった、何かしたかったなと思うことが3つありました。1つ目は、自分が親に対して何もできへんかったなと。何か親に対して親孝行できたらよかったなということ。あと、会社がずっと1年半、最終的に待ってくれたのですね。その会社に対して何か恩返ししたかったのに、何もできへんかったなということ。そして、僕が25年間、そのときに生きてきた中で、自分の命って何のためにあったんやろうと思ったのです。もうこれで僕は、本当に何のために生きてきて、本当に誰のための役にも立ってなかったな。もし、もうちょっと生きられるんやったら、誰かのためになるようなことをしたかったな、ボランティアでもとか。そういうことを思っていたときに看護師さんが戻ってきて、鎮痛剤を投与されて、僕は意識を失っていくわけになります。

パッと目が覚めたら、お医者さんたちが「岸田さん。岸田さんの肺に穴が開いています」と言われて。「そら息できひんわ」とか思いながら処置をしてもらって、僕なりには一命を取り留めた出来事がございました。

同じ境遇の患者さんに発信する

この1週間後くらいに、「そう思ったら、こういうことを思っていたな、あのとき」と。やっぱりつらいけれども、同じ境遇にいる人たちとか苦労している人たちはいっぱいいるだろうな、患者として。その人たちと一緒に何か発信して、「頑張っていこうよ」というメッセージを発せられたらいいなと思って、まずブログを始めていくことになります。

2回目の手術をしたときに、僕は大きな後遺症を患いました。そのときに、おなかの手術をしたのですけれども、ちょっとお話しするのが恥ずかしい部分ではありますが、射精障害という障害を患いました。その射精障害という障害を患って、お医者さんにも聞いたんですよね。「先生、出ないんですけど」みたいな感じで聞いたら、先生は「ちょっと分からないから様子をみよう」と言われ、インターネットで検索したんですけれども、5年前は、全くそういった性に関する情報というものは出てこなかったのです。そのときに、患者として、治療だったら、こうやってこう行けば何か道筋が見えるけれども、情報がないとなるとその道筋も見えない。どうして行けばいいか分からない。そういったときに、患者は絶望するんだなということも思いました。

僕はそこからずっとインターネットを検索して、あるブログを見つけて、自分の旦那さんが射精障害を患ったかもしれないというブログでした。その方に、奥さんにブログで連絡を取ったら返答をくださって。「自分の旦那は、3か月して自然に治ったよ」ということを言ってくれたんですよね。治る可能性もあるのかと思った瞬間に、自分の暗いトンネルの中にいた気持ちが、一筋の光が差したような、そんな気分になったんですよね。

患者が求める情報を発信する、つながる場を提供する

こういった見通しとなる患者さんの情報、そういったところが大事なんじゃないか、こういった情報を一番知っているのは患者さんだろうなと。医療に関する情報については、もちろんお医者さんだったり病院に聞いたらいいと思うのですが、それ以外のちょっとセンシティブな情報、「お金、どう工面したの?」「つらいとき、どう立ち直ったの?」ということを、患者さんにインタビューすることにしました。それを自分だけのものにするのでなく、ネットを通して皆さんとシェアができたらということで、「がんノート」の活動を始めていきます。

「がんノート」としては、患者さんの触れる情報はいっぱいあるのですが、その中でもセンシティブな情報不足とネガティブな情報が蔓延している。例えば「がん=死」といった情報だったり、です。そして、「マイノリティ・孤独」そういったものがあると思っています。その中でセンシティブな内容を一歩踏み込んだ情報で、そしてネガティブな情報には明るいロールモデル・明るい見通しのある患者さんを提示していくこと。そして、孤独といった状況からつながる場所、オンライン上ではありますが、コメントもできたりといった環境を提供しています。国立がん研究センター中央病院の8階の患者サポート研究開発センターというところで、約月2回日曜日に、活動をさせていただいております。

当事者同士のトーク、リアルな姿、そして生配信をして、活動を続けております。もちろん無料ですので、もし良かったらまたお立ち寄りいただければと思います。その活動も約5年弱かけて、第100回を迎えることもできます。去年、兄貴が7つ上にいるんですが、がんになりまして。もう今は取り切って大丈夫なのですけれども、兄弟トークをやっていければと思っております。もし良かったら、またホームページなどご覧になってお越しいただければと思います。ご清聴ありがとうございました。

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掲載日:2019年7月1日
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