在宅医療を支える多職種連携研修会/板橋サバイバーシップ研究会 2018
患者さんが安心して住み慣れた地域で暮らすために 【第1部】導入と事例提示
がん患者さんのサバイバーシップに関する事例提示
鈴木 陽一さん
こんばんは。板橋区役所前診療所の鈴木です。今日はお忙しいところたくさんの方に参加いただきありがとうございます。今日は、私が経験した患者さんを提示いたします。これからグループで話し合ってもらうと、「どうしてこんなことになっちゃったの?」という意見がたくさん出ると思いますし、僕も恥ずかしくも思うのですが、「スムーズにうまくいった」という事例よりは、教訓があったり改善や工夫があったりする事例のほうがいいと考えて、提示させていただきます。
区内に住む独居の方を支える
70歳代の女性で、201x年、区内A病院で肺がんステージIIIBの進行期でした。この方は、一人暮らしの方です。ご主人と死別しており、お子さんがいない状況です。ご本人に告知はされており、そこから翌年の夏まで胸部放射線治療と化学療法を実施。奏功が認められず、治療法を変えながら繰り返し実施しましたが効果を認めず。その後、ご本人が主治医と相談をされ、これ以上のがんに対しての治療を希望しないということになり、症状を和らげる治療やケアを継続することで通院していたということです。その翌年の夏に左鎖骨上窩の痛みと食道通過障害で入院されました。
入院されてからは、痛みそのものはオピオイド(医療用麻薬)により非常に良くコントロールされましたが、通過障害は水分がやっと通過する状態だったそうです。経口で水分タイプの食事をとっていたということです。上部消化管内視鏡をしたところ、食道が外からの圧迫でとても狭くなっていました。CTでは縦隔のリンパ節が腫れていて、気管・気管支も狭窄し、食道も狭窄しているという状況だったそうです。ご本人の同意のもとに胃ろうを造設したということでした。食事が通過しないから、という理由で胃ろうをつくったわけです。
一人暮らしだし、呼吸苦もあるため、現実的に通院は難しいであろうということで、退院の前日に連絡がありまして、「明日退院のこういう方がいるのだが、訪問してもらえませんか」というお話でした。お引き受けすることにして、詳しいことは聞けないまま、翌日に訪問しました。
生活背景を踏まえ、包括的に在宅医療を提供する
背景としては、3年前にCOPD(慢性閉塞性肺疾患)となり、その2年後に在宅酸素療法が始まっていて、その後に肺がんという流れでした。それ以外の状況としては、一番近い親族は都内にいらっしゃるけれども、この方もご病気があり治療されているので、頼っておらず、時々連絡するぐらいでした。ご本人は都営アパートの1階に住んでいて、福祉の保護を受けており、介護認定では要支援2でした。
退院の時の処方は、痛みのお薬が非ステロイド系抗炎症薬とオピオイド、あとはレスキュー(痛みが強いときに使用する即効性の薬剤)のオピオイドがありました。また、メンタル系のお薬とか睡眠導入剤が処方されております。あと、咳止めがあり、COPDに対しての薬が処方されていました。気になった薬剤として、メンタル系の薬の使用理由は何だろうなと感じました。
初診のとき、ご本人が「あまり食べられないんです。水分はとれますけれども」とおっしゃいました。のみ薬に関しては、錠剤が退院時処方で出ているが、のみ込むときに引っかかるのが怖いので1錠ずつ飲んでいるということでした。一応錠剤は通るということのようでした。COPDによる体動時の呼吸苦があり、「トイレだけは何とか歩いていますよ」とおっしゃっていました。「胃ろうをつくったのですよね。見せてください」と言ったら、かなり痩せてしまっているために液漏れがあり、少し排膿もあるので、ご本人は「怖くてさわれないし見られない」ということでした。気道狭窄音もあり、酸素は0.5L/分で90%台前半でした。
講演の様子
在宅ケアの体制を整える
独居で状態も悪いことがわかり、その時点で実は私以外の在宅ケアスタッフはほぼ決まっていなかったので、訪問看護を依頼することにしました。将来胃ろうのケアや、排便コントロールも難しくなるだろうと考えたためです。食欲がなくて気道狭窄もありCOPDもあるので、ステロイドを開始し、追加で栄養剤を処方しました。また、薬局に行けないし医療用麻薬を処方する必要がある状態だったので、訪問薬剤師にもお願いしました。生活についてはヘルパーさんが週2回訪問することが決まっていました。ご本人は、人と接するのが難しいこともあり、「いろんな人が来訪するのは嫌だ」ということでした。
やがてステロイドなどの効果で食欲が増え、「水分以外にプリンとかゼリーとかを食べています。買いためてもらっています。咳はちょっと減りました。レスキューはあまり使っていません、週2回ぐらいになりました。痛みは大丈夫です」ということで安定していらっしゃいました。
状態の変化に対応する
秋になると、徐々に呼吸苦と喘鳴が出て、食べられなくなってしまいました。そうしたなかで、頻回に訪問してくれていた看護師さんへ自分の意向を話したそうです。「病院では死ぬのを待っているようで怖かったです。また苦しくなったら嫌だけれども、先生や看護師さんが来てくれるから家にいたいです」ということでした。しばらく落ち着いていましたが、その後、痛みが出てきたため、痛み止めを増やし、もともと不安が強いという訴えもあり抗不安薬を処方しました。
徐々に胸部、頸部にしびれや痛みが出てきました。この頃から薬を飲むことが難しくなってきたので、ここでいよいよ胃ろうを使うタイミングになったと感じました。ですが、毎日薬の時間に看護師さんが行くことは難しく、ヘルパーさんに手伝ってもらえるかケアマネジャーさんと相談しても、「オピオイドを入れるのはちょっと難しいですよ」ということで、貼付剤にしました。貼付剤は本人が貼るのですが、ヘルパーさんに見守ってもらうという形式をとることにしました。そこから痛みが落ち着いていまして、レスキューを数日に1回使う程度でした。
冬になり、本人が徐々にぼんやりとしてきて、時々テープを換えるのを忘れていることがあったので、ケアマネジャーさんと相談して、貼付の確認ではあるけれども、お手伝いをしてもらうという形にしました。しばらくしてご自宅で亡くなられました。
在宅医療とケアを振り返る
私が本例をまとめながら感じた点をあげさせていただきます。退院前にもう少し何とか対応することができたのではないか、ということ。それから慢性呼吸不全であり、進行肺がんであり、独居である方に、胃ろう造設はどう考えたらよいのか、ということ。それから、もう少し他の職種の参加や地域住民の助け合い、そういう観点はなかったのか、ということ。そのようなことも含めて皆さんにご検討いただければと思います。
※時期、診療情報、経過など、事例についての記載を編集して掲載しています。