がん医療フォーラム 出雲 2017/がん患者さんと家族を支える在宅療養について考える
【基調講演】在宅緩和ケアの現場から 仙台での取り組み
河原 正典さん
在宅緩和ケアの先駆け
岡部医院は宮城県名取市で、主に末期がんの患者さんの在宅療養、地域の緩和医療に携わっています。日本で在宅緩和ケアをする医療機関がほとんどなかった約20年前、岡部健医師が開設しました。もちろん当時は介護保険も、在宅支援の制度もありませんでした。
岡部は2012年に胃がんで亡くなりました。生前にインタビューされた内容が『看取り先生の遺言』という本になっています。ただ、僕らとしては、看取っているつもりはありません。「看取る」のはご家族であり、その近親者であり、介護している方たちで、僕らはその「お手伝いをしている」と考えています。医療としてやらなければならいことはやりますし、看取ることだけを取り組んでいるというわけではないということです。
日本における高齢化と死因の推移
まず日本における死因の推移、データのことをお話しします。がんの死亡数が増加していることは、さきほどの渡邊さんのお話にもありましたが、具体的な数字にすると1985年には19万人だったのが、今は37万人まで増えています。3大死因とよく言いますが、1位ががんです。2位の心疾患は心筋梗塞、狭心症、心不全が入ります。3位は脳血管疾患で脳梗塞とか脳出血。この2つでなくなる人はさほど増えていません。がんだけが増えています。なお死因の3位は2011年から脳血管疾患に代わり、肺炎になっています。
医療は進歩しているのに、なぜがん患者さんは減らないのか。端的に言うと、高齢の方が増えたからです。高齢になればなるほど、がんになる確率が高くなる。がんというのは遺伝子の異常の病気です。長く生きれば生きるほど遺伝子が異常を起こす確率が高いので、高齢者になればなるほどがんになる確率は増えます。高齢者が増えることはいいことなのですが、医療が進歩して高齢者が増えた結果、がん患者さんが増えたということになります。
死生観の変化
死亡数の増加は高齢者の死亡数の増加を反映しています。1947年には、各年代にわたって亡くなる人が分布しています。0歳から9歳の子どもが多く亡くなっているのは、公衆衛生の問題です。赤痢とかコレラとか、そういう病気もありますが、公衆衛生の問題もあって子供の死亡数が高くなっています。
戦後間もない時期は各年代でまんべんなく亡くなっていましたが、2014年になると死亡数のうち70歳以上が8割弱になっています。今、70代で亡くなると感覚的には若いという時代になっています。90歳代のはじめでもなかなか大往生とは言えない、98か99歳だともうちょっとで100歳だったのにと言われたりします。100歳を超えると大往生ということになるでしょうか。
よく「生老病死」という言葉を聞きますが、お釈迦様が言われた言葉として昔からあるのでしょうけれど、実際に「生まれて老いて病になって死んでいく」のはごく最近のことだと思います。
東北大学の宗教学教授の鈴木岩弓先生に、「老少不定(ろうしょうふじょう)」という言葉を教えていただきました。ちょっと前までは「老少不定」という言葉があったそうですし、こちらのほうがピンときたのですね。「年をとっていようが若かろうが、いつ死が来るのかわからない、定まっていない」というのが、少し前までの死生観だったように思います。
都市別に見る高齢者の伸び率の推移
高齢者の推移ですが、仙台市では2010年を100として2040年にはどうなっているのかをグラフにしました。高齢者を85歳以上としたのは、85歳を過ぎれば何らかの人の手助けが必要になるだろうということです。仙台市の場合、2040年は2010年の4倍くらいになると、統計的には予測されています。
出雲市の場合は、2040年には2010年のほぼ2倍です。出雲が仙台と比べて増加率が緩やかだということではなく、出雲ではすでに高齢化が始まっているということなのだと思います。どうやって高齢者の方を支えていかなければいけないのか。高齢者といえば、やはり何らかの疾患を抱えているので、そういう方々を支えていかなければならない、なるべく早く手を打たなければいけない。行政的にはいろいろ手を打っていらっしゃいますし、僕らのような在宅医療も最近普及してきていると思います。
全国でこういう話をする機会が多いので、それぞれの地域でこのような年齢階級別人口の伸び率のデータをつくるのですが、だいたい政令都市以外の中核都市は出雲市と同じ傾向にあります。大都市のベッドタウンはというと、東京都多摩市の場合は仙台の上をいって、全人口の5割弱くらいを高齢者が占めるようになると思います。
在宅での看取りが選択肢になりつつある
厚生労働省の人口動態調査から都市別の在宅看取り率をご紹介します。これは自宅で亡くなった方のデータで、いわゆる孤独死も含まれていると思われます。特に東京のデータについては、そうしたケースも含まれていると言われています。孤独死とか独居死という言葉には、定義がありません。僕らの患者さんにも一人暮らしで身寄りがなくて、病院には入院したくない、家で最期を迎えたいという方がいます。朝ヘルパーさんが行ったら亡くなっていた、という場合に、これを孤独死と言うかどうか微妙だと思います。僕らが関わっているので、警察に届けることはありません。強盗が入って亡くなっているとかいうのはもちろん警察ですが、そうではなくて病気で亡くなっているのならば、死亡診断書を書くことになります。1か月消息がわからず、警察が確認して亡くなりました、というのもこの統計には数字として入っていますので、何とも言えないところはあります。ただ、以前は在宅死は4%くらいでしたから、この数年で明らかに在宅医療は選択肢の一つには入ってきたのではないかと思います。どんな統計を見ても10%くらいの方は「最期は自宅で過ごしたい」と答えるので、10%から15%くらいが一つの目安かと思っています。ただ地域差はどうしても出てきます。
講演の様子
在宅療養と介護の現状
2013年に行った調査ですが、年間在宅看取り数が30名以上の在宅療養支援診療所17施設を対象に、在宅療養の現状について調査を行いました。その結果を85歳以上、75歳から84歳、65歳から74歳、65歳未満と年代別に集計し直したデータをご紹介します。がんの治療歴では、85歳以上の高齢になると、認知症があったりするので診断されたあとでも、なかなか化学療法や放射線治療を行うことが難しいということがわかります。
在宅診療の転帰は、データ的には年代別の有意な差はありませんでした。在宅診療所に紹介された時点で高齢者・超高齢者の方の場合は、最期は入院になるのではと思われましたが、実際にはそうではありませんでした。終了時の同居者の有無では、同居者がない方でも本人が望まれて自宅で最期を迎えたという方もいらっしゃいます。介護者は、若い方の場合は多くが配偶者であることが多いですが、85歳以上になると実子、お子さんがキーパーソンになって介護している割合が多いです。
永眠の1か月前に受けたサービスについても調べてみました。実を言うと、もっと介護サービスを受けているのではないかと思っていました。訪問看護は皆さん受けていますし、福祉用具貸与、これはほとんどがベッドですが、こういうものは使っていますが、思ったより訪問介護は使っていないという印象です。自分の経験と照らし合わせてみても、ヘルパーさんを頼むのはかなりぎりぎりになってからなのです。老衰ならば右肩下がりで波をうちながら徐々に状態が落ちてくるのですが、がん患者さんは階段を下りるようにがたがたっと最後の1週間、2週間で状況が変わってきます。岡部医院で関わっている患者さんも、紹介されて亡くなるまでの期間は平均でだいたい1か月です。介入当初から動けない、あるいはトイレに行けないという方は少ないです。トイレに行けなくなりました、動けなくなりましたというのは、亡くなる1~2週間前であることが多いです。落ち着いている方が、ちょっと痛いから、病院に行くのがたいへんになったからと紹介されてきます。がたがたっと状態が悪くなってからは、介護的なヘルパーさんは確かにあまり関わっていないという気はしました。頭を洗ったりとか、清拭したりとかいうのはありますが、数字にしてみると思ったより少ないと、このグラフを見たときに僕は思いました。
在宅療養では介護がたいへんだ、というイメージがあって、もちろんたいへんなことはありますが、認知症とか脳梗塞の後遺症で寝たきり、といった長期的なスパンではないがん患者さんに関して言うと、ヘルパーさんが活躍する場面は思ったより少ないと、この統計を見て思いました。
在宅療養で大事なこと
僕は在宅医療をやって10年くらいになりますが、自宅での看取りというのは、実際にやってみると割とできるものだ、というのは実感としてあります。岡部医院の患者さんは、昔は家で死にたいから、最期を迎えたいからということで紹介されてきました。最近は「緩和病棟に行くまでの間お願いします」「化学療法の後でちょっと具合が悪いし慢性疼痛が出てきているのでお願いします」という方が多いのです。ご家族もご本人も自宅で最期を、とか全然思っていない方も多いです。そういうなかでも、話し合ってやっていくうちに、自宅で最期を迎えるという方が多いです。岡部医院では年間300人弱くらいを看取りますが、紹介されてきた400人くらいの患者さんの7割くらいです。そのほかの方は病院に戻られる、それはそれで構わないのですが、やってみると、割とできるんです。
在宅療養で何が重要なのかなと思うのですが、一番重要なのはご本人の気持ちです。自宅で最期を迎えるには何がキーなのか調べようといろいろ考えて、アンケートも考えてみましたが、ご本人が「自宅に帰りたい」という人の多くは帰ってくるのです。ご家族がそんなことは無理だというので、在宅療養にたどり着けない方ももちろんいますが、本人が帰りたいと思わなければ選択肢として上がってきません。ただ最近では長期入院ができないので、病気に対する治療がなくなった時点で落ち着いていれば、病院から「いったん退院しましょう」と言われることが多いと思います。がんの末期でいろいろなケアが必要な場合、ご本人が家に帰りたいという方でないと、なかなか自宅に帰ることにはなりません。
もう一つ、近親者の理解が重要だと思います。実際に介護する人が腹をくくる必要があります。一番厄介なのは、その腹をくくった介護者を責めるというか、近い親戚とか友人とかが、よかれと思ってアドバイスをする。「病院だったらもっと生きられたのに」とか、「入院したほうが安心じゃないか」とか。ご本人はそういうことを望んでいるわけではありません。ご本人が入院したいと言えば、当然入院するわけです。介護者もご本人も納得してやっているのに、周りのひとがその決断を非難するようなことを言う風潮をなんとかしたいと思っています。
「したくないこと」を決める
「自分らしい最期を」とかいうフレーズがありますが、「こうしたい」というよりも、「これはしたくない」「これは避けたい」ことを決めたほうがいいと、よく患者さんにお話しています。
これは自分への戒めですが、良き最期とか、自宅で死ななければいけないとか、人の死はこうあるべきだというのを誘導しないように、気をつけています。いいか悪いかは別ですが、本人が覚悟して死んでもいい、おむつはしたくないというならば、それはそれでしょうがないと思います。ただ、抗がん剤を死んでもいいからやってくれというのは別だと思います。患者さんの意見・意思を尊重したいのです。
在宅医療の始まりはたぶん、病院死がほとんどだった時代へのアンチテーゼだったと思います。在宅医療が普及して、在宅医療の風が吹いている今、自宅で死ぬのがいいことだ、みたいに誘導するのだけはやめたい。何をご本人が望んでいるのか、ご家族が望んでいるのか、そして医療者として何ができるのか。そういう落としどころを探りたいと思っています。