東京大学/医学系研究科/国際保健学専攻/人類生態学教室

中国出張記

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Last modified: "2005/09/06 10:42:59 +0900"

11月29日

出発

朝から少し体がだるい。しかし、そんな事は言っていられないので、さっさとシャワーを浴びて出発することにした。成田空港での待ち合わせが1時だったので、空港でお昼を食べようと12時15分に着く予定を立てていた。ところが、雨でなかなか早く歩けず、結局一本逃してしまい、空港までも意外に時間を食ってしまった。出鼻をくじかれるとはまさにこのことで、中国で起こるハプニングの前兆だったのだろう。

中国まで

空港では、すぐに待ち合わせていた豊川先生を見つけ、チェックインも早めに済ませた。離れたゲートまでの連絡用列車に乗れたのはちょっと嬉しかった。飛行機の中は少し寒く、毛布をかけていてもあまり暖かくならなかった。結局、風邪をひいてしまって熱っぽくなってしまった。それ以外は順調に中国に着いたと思う。

中国にて

Beijing(北京)空港で国際線から降りるとすぐに大塚先生は見つけることができた。ところが、最初のハプニングがここで起こる。なんと、昨日からの大雪で、Yanji(延吉)の空港が閉鎖になっていたのだ。気温のことには気が回っていたのだが、まさか飛行機が飛ばなくなるなんていうことはまったく僕の想像の範囲を超えていた。結局、北京大学の宿舎に1泊して明日飛ぶかもしれない飛行機を待つことになった。Beijing(北京)の街はスモッグがかかったような感じで、かすんでいるのが真っ暗な状態でもはっきりと認識できた。北京大学まではタクシーで移動した。郭先生と羨君が2台に分乗して案内してくれた。大学の宿舎に着くと、すぐにチェックインして、宿舎内のレストランでご飯を食べることになった。この店は結構立派な店で、料理も美味しかった(料理とピジュウ(ビール)の名前は失念)。機内食を食べていたのでたくさん食べることができず、残念だった。お茶はサービス満点で注ぎ方も非常に面白かった。菊のお茶を飲んでいたのだが、蓋を開けて量が減っていると長〜い柄のついたやかんでお湯を足してくれるのだ。一度自分でやらせてもらいたかったが、いきなり馬鹿やらかすのも問題かなと思いやめておいた(これも写真がない。無念)。風邪のせいか、ちょっとのピジュウで結構へろへろになってしまった。

部屋にて

部屋に入ってから豊川先生に解析の相談をした。(ふらふらしていたので、結局その日にはできなかったが、この時のメモは非常に役に立った。)相談の後は、体調を考えて風呂に入るのを断念して早く寝た。

11月30日

中国の朝

昨日の晩は、どうも風邪気味らしくて、頭は働かないは、鼻水はとまらないはで大変だった。朝起きてもまだ万全ではなさそうな気がする。郭先生が北京大学の中を散歩すると気持ちが良いといっていたので、今朝は構内を散歩するつもりだったのだが、寝過ごしてしまい出来なかった。朝食は、大塚先生と豊川さんと三人で、昨日とは違う軽食の店で取ったのだが、まったく言葉が通じなくて困った(英語も日本語もだめ)。それでも何とか目的のものを食べ、コーヒーのおかわりまでしてしまった大塚先生はさすがだ。部屋に戻ってすぐに風邪薬を飲む。さて、今日の飛行機はどうなるのだろうか?

頤和園 (The Summer Palace)

郭先生がやってきて、西太后が避暑地に使っていた場所(頤和園、英語でThe Summer Palace)に観光に行くことになった。飛行機に関しては11時半までは連絡ができないということだった。タクシーでの移動中にイラクで日本人が殺されたというニュースを聞いて驚いた。自衛隊の派遣は邪魔なだけだろうからやめたほうがいいと、3人で話しながら納得していた。この公園の中は回廊がずっと続いている。柱ごとに絵物語になっているらしく、なかなか見ごたえがあった。もっとも中国の歴史に詳しいわけではなく、どの絵がどのような物語を表しているかなどはまったくわからないのだが。頤和園の中心となる建物は山の上にあるのでみんなで登った。標高差が40メートルくらいあるらしく良い運動になった。このとき、すでに鞄にデジカメが入っていたのだが、勘違いで写真を撮り忘れたのは残念だ。山から下りた時点で今日は確実に飛行機が飛びそうなことと、それがどうも夜になるらしいことが判明したので、昼を北京大学で食べ、万里の長城に行くことになった。昼飯は羊の肉のスープ、水餃子、牛肉とピーマンの炒め物、からしレンコンならぬもち米レンコン、大根の漬物のようなもの、ぱりぱりしたもの。飲み物は以前、周さんがお土産に買ってきてくれたお茶が出た。ん〜、美味しい。

万里の長城

Beijing(北京)から万里の長城までは、高速で車を飛ばしておよそ1時間半で着く。実は結構近いのだな。万里の長城付近ではさすがに空気は少し晴れていた。城壁を少し歩いたが、見えるところだけでも十分にそのすごさを実感できるものだった。言葉に表すのは難しい。写真のページ(サムネイルだけだが結構重いです)を作ったので見ていただきたい。この後、高〜いコーヒーを飲んでまた北京大学に車で戻った。こんどこそ、Yanji(延吉)へ出発となる。

Yanji(延吉)へ

宿舎に戻り、荷物をとったらすぐに空港へ向かった。受付を済ませた後で、チェックインまで時間があったので軽く夕食を食べた。北京大学の店のほうが美味しかったと思う。出てきたのは焼きそばとレタスの焼き飯で、ジャスミン茶を飲んだ。少し談笑した後、チェックインに行くとすでにすごい行列になっていた。時間ぎりぎりにチェックインを済ませたのだが、今度は大塚先生の荷物が金属探知機に引っかかった。原因はドライバーで、今回必要なものではなかったのでいらないと言って、急いでゲートへ向かった。着いてみると飛行機は遅れていると表示されていた。拍子抜けしてゆっくりしようとしていたのだが、人が動いているので、豊川先生が不審に思い、郭先生に空港職員に質問してもらった。どうやら、僕たちが乗る飛行機は別に遅れはなく、すぐに飛ぶということだった。遅れていたのはもともと今日飛ぶはずの飛行機で、僕たちが乗るのは昨日飛ぶはずだった飛行機だったのだ。危なかった。すぐに準備して、飛行機に乗り込んだ。飛ぶ前に翼に何かかけていたのだが、それが何かはわからなかった。Yanji(延吉)までは、それほど大きくない飛行機でだいたい1時間少しのフライトになる。予想外に機内食(ハムをはさんだパンとケーキ二つ、フルーツ、メロンかな?コーヒー2杯)がでて、ちょっとボウマン感。機内で少し解析を進めた。昨日豊川先生に言われていたことが、頭が冴えてきて理解でき(昨日は風邪で本当にボーとしていた。)、良い感じでエンジンがかかってきた。

寒い

着陸前にみた星空はとてもきれいでよかった。着陸後空港に降り立つとものすごく寒い。そんな中、空港までは150メートルくらいを歩いた。出迎えの二人を見つけて一安心したのだが、タクシーに乗る前はまるで喧嘩のような交渉をしていたので少しびっくりした。実際はかなり良い人たちで、僕たちのために少しでも安くなるように交渉してくれたようだった。やはりホテルでも激しく交渉を繰り広げ、おかげでずいぶん安く泊まれることになった。ありがとうございます。明日は7時にご飯を食べることになっている。これから夜中に、分析を終えて、風呂に入って眠る予定にしている。

12月01日

小学校へ

昨日は結局風呂に入らず寝たので、朝に入る予定だったが、ドライヤーがなかったので入るのを諦めた。ご飯は7時からだったのだが、中華というよりは朝鮮料理だった。空港に着いてから、ハングルは目立つし、少し理由を考えてみれば、小学校であまり驚かなかったかもしれない。ご飯の後、8時にロビーに集合して小学校へ歩いた。地面という地面は凍結しているので、歩くのがなかなか大変だった。注意していてもこけそうになるし。冬場に北の方の地方で、転んで骨折したなんてニュースを見て笑っていたが、しゃれにならないことがよくわかった。よく見ると小学校の文字がハングルになっている。おかしいぞ?と思いつつ入ってみると、朝鮮族だけの学校らしく、生徒も韓国語のほうがよくわかるということだった。中国なのに…。こんなハプニングはもちろん想像していなかったし、一番驚いていたのは中国のコーディネーターである郭先生だった。まさか、教科書がハングルの地域があるとは思いもしなかったらしい。結局、質問紙はハングルに変更することになった。ここでは、洪さんが韓国に連絡を取って、ハングルの質問紙をFAXしてもらって、読めることを確認して小学校を後にした。

話の流れは覚えていないが、昼ごはんには犬を食べることになった。韓国から来ている洪さんが、一番苦手そうな顔をしていたのが不思議だった。肝心の味はコリアンダーなどで味付けしてあるので、ちょっと苦味のある肉という感じかな。リブの部分や、足の部分も食べたが、どれも美味しかった。まぁ、足の部分に関してはちょっと脂身が柔らかすぎて、鶏の足のほうが絶対に美味しいと思ったけど。犬は焼酎と一緒に食べるということなので、ピジュウじゃなくて焼酎をしこたま飲んだ。食べることに夢中な振りをして、少し控えめにしていたのだが、それでもずいぶん飲んだと思う。カンペイはコワイ…。それにしてもまさか、昼から宴会になるとは思ってもいなかったのでびっくりしたなぁ。2時半くらいまで食べ続け、そのあとはデパートや市場へ行った。

Yanji(延吉)市街

最初に木の枝に突き刺した果物に飴をかけたものを食べることになった。すっぱくて美味しく、酔い覚ましにちょうどよかった。デパートでは高級そうなテレビ(少なくとも僕が持っている壊れかけのテレビとは比べ物にならない)などの電化製品がずらっと並んでいた。ここは朝鮮族の人たちの中心となる都市のようなので少し裕福な層が多いのかもしれない。市場にはなんでも揃っていた。ランブータンやランゾーネスなどの暖かいところの果物もたくさん置いてあったし、鯖などの魚、肉類などもたくさん並んでいた。その後、現地のコンダクターはピジュウを飲もうと言っていたが、すでにしゃれにならない量を飲んでいたので、断わった。コンダクターの人たちは、洪さんが付き合ってくれるということで、納得してくれた。洪さん、ありがとうございます。ちなみに市街地の写真

プレゼン準備

夜に洪さんと韓国のデータと比較をするという約束をしたので、その準備を開始した。酔っ払っているなんてことは言い訳にならないし…。いままで、大塚先生に見せるまでに至っていなかったものを、急ピッチで仕上げる。豊川先生との相談以降、次々にやりたいことが頭に浮かんでくるので楽しんでやれた。どうにか、約束の1時間前に作り上げて、大塚先生と少しディスカッションした。僕は人と相談することが下手で、途中で立ち止まってしまうことがある。今回のように、ちょっとしたアドバイスで急に視界が開けることもあるということを知ったのは、この出張でもっとも大きな収穫かもしれない。さて、準備を終えて、いざ、ロビーへ行ってみると、まずは夕食を食べるということになった。昼あれだけ食べたのにまだ食べますか(自分も食べに行くので人のことは言えないが)?ところが、洪さんと、豊川さんはすでに起きることができる状態じゃないようで(やはり昼の焼酎はすごかったのだ)、結局、大塚先生と、郭先生、羨くんの4人で食べに行った。Yanji(延吉)は朝鮮族の自治区なので、朝鮮族向けの食べ物が多い。郭先生も初めてということで、4人で適当に店は選んだのだが、選んだ店もそういう店で、メニューはハングルが中心だった。ジャガイモでできた皮を使った餃子や、冷麺などと一緒にピジュウを少々。ここの店は美味しくて、しかも安かった。全部で58元(ビショウは3本飲んだのだが、1本100円もしなかった)。食後の意見交換会は結局中止になったので、少し余裕ができて、テレビを見ながらこの日記を書いている。はてなにアップロードしようかと思ったが、予想よりもずいぶん長くなったので、htmlに変えた。明日は北朝鮮の国境を見に行くことになっている。これで、Yanji(延吉)とはお別れとなる。さあ、風呂入ろ。

12月02日

Tumen(図們)へ

今日は最初から観光が予定されていた日で、Tumen(図們)へ北朝鮮を見に行くことになっている。朝は7時にご飯を食べて8時出発した。タクシーで駅まで行って、その後列車に乗ってYanji(延吉)からだいたい1時間位の街だ。列車は特急だったようで途中駅にはまったく止まらなかった。駅に着いたら人力タクシーに乗ろうとYanji(延吉)のコンダクターが言ったが、歩ける距離ならと郭先生が断わった。まぁ、確かにもったいない。でも、結局タクシーで目的地へ行った。

北朝鮮入国

書いて良いやら悪いやら知らないが、とりあえず、ぶっちゃけ、北朝鮮に足を踏み入れた。あんなに怖いイメージの国でもなんとなく入ってしまうとそんなことを忘れてしまうから不思議だ(まあせいぜい1mくらいのものだが)。入国管理局のお偉いさんが、便宜を図ってくれたみたいだが、意外にもお金をいくらか払えば簡単にできるらしい(30元くらいと言っていた)。実は、当初の予定では車で北朝鮮の街にまで行くつもりだったようだったのだが、Yanji(延吉)のコンダクターが車が狭いと言ったのでそれは中止になったらしい。さすがにそれは怖いので中止になってよかった…。お土産として北朝鮮のタバコを5つほど買った。自分が吸う事はないのでどんなものかわからないが、珍しそうだったのでよしとしよう。ほかにも金正日バッチとかあったんだけど、やめといた。

昼は飲みの時間?

お昼の前に入った喫茶店が怪しい雰囲気(看板とか、ピンクのライトとか)だったのは内緒である。その後、お昼はやはり朝鮮料理の店に入った。ここでもしこたま飲んだ。しゃれにならん。Yanji(延吉)についてから昼から飲んでばかりだ…。ちなみにこのときの最初のお酒は、ものすごく度は強いのだが、とても美味しかった。聞けば、現地でも650元するものらしい。その後は少し弱いお酒に変わり、最後はピジュウになった。ここで食べたものもずいぶん美味しかった。胃袋がもう二つくらい欲しい気分だった。

Yanji(延吉)へ

今日はBeijing(北京)まで一気に戻る予定になっているので、すぐに列車でYanji(延吉)へ向かった。列車の中では寝ようと思っていたのだが、大塚先生と席が近かったのでずっと話していた。Yanji(延吉)はやはりTumen(図們)よりも寒い。Yanji(延吉)の駅に着いてからタクシーに乗って空港へ行くことになった。Yanji(延吉)のコンダクターとはここで別れた。非常に気を使ってくれて、優しい人たちだった(顔は少し怖いが)。ありがとうございました。

Beijing(北京)へ

空港ではすぐにチェックインして、待合席でお土産を物色していたのだが適当なものがない。仕方がないのでハングルが書かれたお菓子をひとつだけ買ってみた。結局Yanji(延吉)のお土産は貧相になってしまった。飛行機の中でも大塚先生と隣りあわせだったが、機内食で起こされるまで寝ていた。寝ているのもお構いなしにどんどん機内食をおいていくサービスはどうかと思ったが、眠たくてそれどころではなかった。大塚先生の席のテーブルが斜めに傾いていて、食べるのが困難だったので大塚先生は席を移った。この飛行機では乗り込むときに中国語の新聞を大塚先生がゲットしていた。大見出しはなんと山口百恵になっている。写真と説明を良く見てみると、山口百恵は中国人でお墓参りに家族と一緒によく中国に来るみたいなことが書いてあったように見える。怪しげな家計図の写真も載っていた。詳しくは帰ってから周さんか、ジャンさんに聞いてみよう。

Beijing(北京)にて

結局Beijing(北京)には20分くらい遅れて着いた。昼の酔っ払い具合から考えると、無事着いただけでも良しとしなくてはいけないかもしれない。空港からはタクシーの運転手が(頼んでもいないのに)ぶっ飛ばしてくれたので、30分ほどしかかからなかった。その後、大学の宿舎内の喫茶店でピジュウを少し飲んで、洪さんと散歩した。図書館の大きさや夜間の授業にびっくりしながらちょっと大学の中を歩き回った。今度の宿舎はこの前のものすごくきれいなところと違い、ちょっと古めのところで、風呂のドアを開けていないと寒くなっていくという不思議なつくりの部屋だった。明日、豊川さんが6時に空港に向かうので、まずはその見送りをする予定にしている。

12月03日

散歩

朝はちゃんと起きて豊川さんを見送ることができた。その後はまだ眠たかったので二度寝を少しして、朝食の時間の前に少しだけ構内を散歩した。洪さんと歩いたところではなく、入り口から見えていた池の周りを少しだけ歩いた。まだ郭先生が言っていたようにスケートできるような状態ではないようだった。朝食はいろいろあって少し遅れてしまったが、8時半くらいに北京大学を出て、目的地である北京大学付属小学校へ向かった。

小学校にて

大学から小学校までは歩いて15分ほどだった。門のところで門番に止められたが、もちろん約束しているので説明して確認をとった後はスムーズに通してもらった。小学校では教頭先生と擁護の先生と調査についての話し合いをした。話している感じだとこの二人の先生は結構しっかりしていて、具体的な質問などもいくつかされたことを考えると、きっちりと仕事をしてくれそうな期待が持てる。話を終えて外に出るとちょうど体育の授業だった。縄跳びで準備運動をして体操をするのだそうだ。楽しそうな子供たちを見て子供はどこでもかわいいもんだなんていう話を愛の権化様としていた。見学中に郭先生のお子さんが体操しているのを見ることができた。もっと早く知っていたらビデオにとってメールで送ってあげたのだがもったいない。見学を終えた後は、一旦銀行に寄って宿舎に戻った。郭先生と大塚先生がプロジェクトについて少し話をした後、今日のもうひとつの目玉である観光へと行くことにした。

観光へ

羨くんも観光に来ると思っていたのだが、学校があるということなのでここで別れた。彼は非常に人のいい好青年だった。このプロジェクトが彼にとって幸多いものであることを本当に願いたい。さて、観光について、みんなで相談して決めたのは、まず地下鉄に乗り、全衆徳で北京ダックを食べ、天安門と紫禁城を見学するというものだった。

地下鉄へ

街の大きさに比べると地下鉄は網羅している範囲が狭く、ちょっと不便に思えた。しかし、電車は結構な数が走っているようだったし、駅も思ったよりはきれいだったと思う。乗り換えの時間を合わせて30分くらいで目的地の前門駅に着いた。

北京ダック

Beijing(北京)に来ていて北京ダックを食べないのはおかしいということで、中国でも北京ダックといえばここと言い切れる全衆徳に行った。メニューは北京ダックと前菜、飲み物しかない。本当に北京ダックのためのお店なのだ。ピジュウときゅうり、キャベツの漬物と北京ダックを1人前ずつ頼んだ。最初は58元もするのに少ないなあという感じだったのだが、食べてみるとこれがすごい量だった。美味いし、量は多いし最高の店だった。ほろ酔いかげんで、全衆徳を後にして、天安門を目指すことにした。

天安門

天安門の前にも二つほど門がある。紫禁城まで入れるとかなりの量の門をくぐったので名前は覚えきれなかった。前門をくぐって天安門を目指すと途中に毛沢東の遺体が収められているという記念館がある。時間が合わず、入ることができなかった。すぐ後で人民大会を開く国会のような場所も見ることができる。天安門広場では、なぜかたくさん凧があげられていた。凧を買うかと言い寄ってくるおばさんがいたが、いらないと断わってしまったのは、後で考えるとちょっともったいなかったかもしれない。広場と天安門の間には長安街という大きな道が走っている。さすがに歩いて横断できる規模ではなく、地下を通る道が用意されていた。道をくぐって少し西に移動したところに毛沢東の飾られた天安門がある。ここをくぐるといよいよ紫禁城だ。

紫禁城

紫禁城に入るまでにおそらく前門から1kmは歩いただろうか?洪さんはもっと距離があると言っていたが、どっちにしてもスケールが違う。すべての規格が一回りも二回りも日本と違う気がした。紫禁城に入ってからは写真を撮りまくりながらみんなに必死についていった。ひとつひとつの門や建物を聞きながらだと1週間かけてもすべてを見ることはできそうになかった。とりあえず、今日は真正面から真後ろに抜けることにした。途中石と針でできた時計や、非常に大きな石を削って作ったと思われる龍の模様などたくさんのものを見ながらだいたい2時間くらいかけて歩きとおした。

紫禁城を一望できる丘

紫禁城の裏側には明の最後の皇帝が自殺したという丘があり、そこからは紫禁城が一望できるようになっているということなので、そこに上ってみた。大塚先生はここでも驚異的な心肺能力を発揮して郭先生がしきりに驚いていた。上りきって見ると紫禁城だけでなくBeijing(北京)の街がかなり見渡せる非常に気持ちのいい場所だった。中国についてからというものBeijing(北京)はずっとスモッグがひどかったのだが、今日は運良く晴れ渡っていたのもよかった。この後は大塚先生は待ち合わせに、僕たちはBeijing(北京)の若い人たちが遊ぶところを目指すことにしていた。

Friendship Hotel

大塚先生の待ち合わせ場所について見るとものすごく豪華なホテルだった。中国では珍しいほどに英語が通じるし、建物もずいぶんきれいだった。大塚先生の待ち合わせの時間までコーヒーでも飲んで時間をつぶしていて、僕と洪さんは一応挨拶だけして街に繰り出す予定だったのだが、僕たちも超高級四川料理に招待されてしまった。入るのが緊張するほどの店で2時間ほど食べきれないほどの美味しい料理が出てきた。お土産にお茶までもらってしまい恐縮至極の限りだった。あまりに立派なところだったので、写真にとってなどということは恥ずかしくてできなかったのが残念ではある。

天安門 -夜景-

宿舎についてみると、まだ時間が早かったので郭先生が長安街を走って天安門の夜景を見ようと提案してきた。楽しそうだったので、さっそくみんなで行くことにした。途中少し道に迷いそうになってしまったが、おかげでずいぶんBeijing(北京)の街を見学することができた。車から撮ったので天安門の夜景はぶれてしまっているが、非常にきれいだった。この後は順調に宿舎に戻って3人でまた少し飲んだ。明日の朝は早いので風呂に入って早めに眠ることにした。

12月04日

日本へ

無事に大塚先生を起こして、洪さんも起こして6時に宿舎を後にした。空港まではだいたい30分ちょっと。今日の運転手は運転がうまく、安心して乗っていられた。空港では朝食を食べようといろいろ探した。どうも朝早いとあまりあいていないようだ。ようやく見つけた店で牛肉面を食べた後、お茶を飲んでチェックインに向かった。最後のハプニングはチェックインのときにうまくいかなかったことだろうか。

機内にて

以上、今回の出張の内容をまとめてみた。食いすぎ、飲みすぎだ…。途中の大塚先生との話し合いや洪さんとの話し合いは非常に有意義だったのでよかった。それでは再見!

あとがき

都市名はピンインの後に漢字を書いている。果たして漢字が正しいかどうかわからないので、間違いに気づいた人は教えてください。