靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

水穀之海

 『太素』5四海合(『霊枢』海論)に、「胃者水穀之海,其輸上在氣街,下至三里」とあり、この気街を一般には「毛際の両傍、鼠鼷上一寸の脈動処」である気衝穴と解している。渋江全善『霊枢講義』に引く楊上善も張介賓も同意見のようである。しかし、これはどうにも腑に落ちない。他の三海はおおむね問題の箇所を上下あるいは前後に挟み込んでいる。水穀の海の二輸穴だけが、いずれも胃よりも下部に在ると言うのはおかしい。
 森立之『素問攷注』の靈蘭祕典論「膻中者,臣使之官,喜樂出焉」の注に引く多紀元胤『体雅』には、『千金方』の失欠頬車蹉に「灸氣街二百壯」とした上で、「胸前喉下甲骨中」とあり、「亦名氣堂」とあると紹介する。そこで、元胤が按ずるに「甲骨はまた臆骨であって、その穴はおそらくは膻中である。蓋し膻中は気の海と為す、故に気衝と名づけ、また気堂と名づけるものか。」
 考えてみれば経文に明らかに「その輸はは気街に在る」と云うのに、ほとんど誰もが無視してきたのは奇怪である。気街は胃の上方に在って、気が通行する処のはずである。元胤の按語に言う膻中は有力な候補ではあるが、残念ながら『甲乙』では胃を主治するらしい気配が無い。他の文献にもあまり有りそうにない。『太素』10経脈根結(『霊枢』根結)には、足陽明は外陵に入り人迎に結ぶという記述が有る。外陵は三里であり、足陽明が消化器系つまり水穀に関わる脈ということは常識であったろうから、その輸は「上は人迎に在り、下は三里に至る」というほうが妥当であるかも知れない。もっとも、人迎にも胃を主治するらしい記述はあまり無さそうであるが。
 もう一つの可能性として、『太素』10経脈標本(『霊枢』衛気篇)には四街が有って、三つは胸気、腹気、頭気の街で、四海の気の海、十二経脈の海、髄の海とほぼ対応している。のこる一つの胻気が水穀の気と対応しているかどうかは微妙なところである。四街では上から単純に頭、胸、腹、胻のどこに気が在るかだったものを、四海ではもう少し深遠な意味を持たせて、頭は脳で髄の海、胸は膻中で気の海、腹は衝脈で十二経脈の海としたのだから、胻は筋脈の海でもよかったろうに水穀の海としたい人がいて、もともとは後の足太陽で「気街と承山、踝の上下に止める」だったものを、換骨奪胎して前にもってきて、足陽明で「上は気街に在り、下は三里に至る」としたのではないか。改編のしかたが安直だったので、不都合な点が残ってしまったけれど、胃とは足陽明の言い換えであって、腹部の胃袋のことではない。つまり、「胃すなわち足陽明は水穀の海、上は気街に在り、下は三里に至る。」

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