靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

当候胃脈

『素問』病能論(『太素』巻十四・人迎脈口診)
黄帝問曰:人病胃脘癰者,診當何如?
岐伯對曰:診此者當候胃脈。其脈當沈細,沈細者氣逆,逆者人迎甚盛,甚盛則熱。人迎者胃脈也,逆而盛,則熱聚於胃口而不行,故胃脘爲癰也。
黄帝曰:善。
 この胃脘癰を診るという「當候胃脈」の胃脈は、どこの脈処を指して言うのか。
経文にはっきりと「人迎は胃脈なり」と言っている。脈が甚だ盛んなのは熱なのであって、人迎即ち胃脈が盛んということは、つまり熱が胃口に聚まって行らないということであって、だから胃脘が癰になる。何も難しいことはない。
 問題は「其脈當沈細」のほうで、この脈は沈細というのだから、甚盛の人迎とは別の脈処である。
 楊上善の注に「今於寸口之中診得沈細之脈」と言うのははなはだ良い。しかし、その前に「胃脈者寸口脈也」というのは感心しない。森立之『素問攷注』に、一度は「胃脈,楊以為寸口脈,可從」としながら、後に「寸口脈」と「可從」の間に「不」の字を書き足しているのはそういうことだと思う。沈細を寸口で診ることには同意している。本当は「其脈口當沈細」に作る版本が有れば一番すっきりするのだけれど、残念ながらそういうものは見つかってないようである。(言うまでも無いと思うが、脈口も寸口も気口も、時代の差、学派の違いはともかくとして同じこと。)
 もう一つの可能性として、尤怡『医学読書記』では、趺陽脈であると言う。これに対して、多紀元堅『素問紹識』は、「趺陽を診ることは、仲景に剏まり、内経には未だ見ざる所なれば、則ちこの説もまた従い難し」と言う。本当にそうですか。『内経』に、はっきりと趺陽の脈を診るという記述が無いというのは、茝庭先生に敬意を表して認めるとして、それらしいものなら『霊枢』には有ると思う。
 『霊枢』動輸篇に、「黄帝曰:經脈十二,而手太陰、足少陰、陽明獨動不休,何也?」とあるが、この手太陰は寸口、足陽明は人迎である。残るところ足少陰は何か。実際には衝脈である。胃から生じた清気が肺に上って、手の太陰に入り、腕関節に至って、寸口の脈動となる。悍気は頭に衝き上げ、咽を循り、空竅に走り、眼系を循り、腦を絡い、頷(顑)に出、客主人に下り、牙車を循って、足陽明に合し、下って人迎の脈動となる。もう一つは、足少陰とともに腎の下から気街に出、下肢を下り、踝から出て跗上(足の甲、附と趺は通じる)に属し、つまり趺陽の脈動となる。手太陰と足陽明が診脈の処なら、足少陰だってそうでしょう。ここでは足少陰であると言い、また実は衝脈と思しい。しかし、また足陽明でもある。『素問』瘧論に「足陽明之瘧……刺足陽明跗上」とあり、王冰注に「衝陽穴也」と言う。足陽明を胃脈と言うことは、『内経』の随所に見られる。人迎と衝陽が足陽明の上下の代表的な搏動であるとすれば、甚盛が人迎であれば、もう一つの沈細のほうは衝陽であると考えるのが、むしろ普通かも知れない。この場合には、「當候胃脈」の胃脈は足陽明脈であって、胃脘に癰が有るような場合には、その起点である衝陽の脈は沈細のはずである。起点こそが元来の診断点という認識も有ったかも知れない。しかし、その反動として止点の人迎の脈は甚盛となっているはずで、それこそが胃に熱が有り、胃口に癰をできていることを直接に表現する。
 呉崑や馬蒔や張介賓が、胃脈を右の関(寸関尺の関)とするのは、全くお話にならない。多紀元簡が「寸関尺の脈を以て、五蔵六府に配するものは、『難経』以後の説」と切り捨ててます。

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