靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

愚智賢不肖

『太素』巻6五蔵命分に「五藏者,所以藏精神血氣魂魄者也。六府者,所以化穀而行津液者也。此人之所以具受於天也,愚智賢不肖,毋以相倚也。」とあるけれど,この「愚智賢不肖,毋以相倚也」がよく分からない。『霊枢』が「無愚智賢不肖,無以相倚也」として「愚」の上に「無」が有ることは,「愚智賢不肖を論ぜず」も「愚智賢不肖のいずれも」も,結局おなじことだろうから置くとして,「倚」はなんだろう。文脈からして,「愚智賢不肖のいずれも,あい~するものは無い」のはずだろう。「倚」は普通に考えれば「たよる,よりかかる」であるが,それでは人は誰も五蔵六府を頼りになんかしない,ということになってしまいそうである。そこで,張介賓は「偏」(かたよる)の意味だと言い,また一曰として「當作異」と示し,郭靄春はもともと「倚」「奇」「異」は互訓であると言う。「愚智賢不肖を論ぜず誰しも同じであって,なんら偏ったり異なったりすることは無い。」これで意味は通じる。何も問題は無い。
ところが,楊上善の注は「五藏藏神,六府化穀,此乃天之命分,愚智雖殊,得之不相依倚也。」と言う。「依倚」はやっぱり「たよる,よりかかる」ではないのか。少なくとも『漢語大詞典』には他の意味は載ってない。楊上善の注は本当にこれで良いんだろうか。

そもそも,経文の「毋」は本当に「毋」で良いんだろうか。「毋」でなくて,「ことごとく,例外なく」を意味する字のほうがぴったりしそうなんですが......。そうだったら,「倚」は「依る」でなんら問題はない。今度は楊注の「不」の字は衍文ではないか......,となりそうですが。

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