靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

但得真藏脉

『太素』15尺寸診に「人以水穀爲本,故人絶水穀則死,脉無胃氣亦死。所謂無胃氣者,但得真藏脉,不得胃氣也。」と言うのは良い。しかし,続けて「所謂肝不弦,腎不石也。」とはなにごとか。楊上善は「雖有水穀之氣,以藏有病無胃氣者,肝雖有弦,以無胃氣不名乎弦也;腎雖有石,以無胃氣不名乎石。故不免死也。」と説明するが,到底受け入れられない。五蔵の脈状に弦鉤弱毛石が有っても,胃気が無ければ弦鉤弱毛石とは名づけない,などということは無かろう。
『素問』平人氣象論に「冬胃微石曰平,石多胃少曰腎病,但石無胃曰死,石而有鉤曰夏病,鉤甚曰今病。藏真下於腎,腎藏骨髓之氣也。」とあり,森立之『素問攷注』に『脈經』卷三の「冬胃微石曰平,石多胃少曰腎病,但石無胃曰死,石而有鉤夏病,鉤甚曰今病。【凡人以水穀爲本,故人絶水穀則死,脈無胃氣亦死。所謂無胃氣者,但得真臓脈,不得胃氣也。所謂脈不得胃氣者,肝但弦,心但鉤,胃但弱,肺但毛,腎但石也。】」を引いている。【 】内は小字である。この『脈經』の文章「肝但弦,心但鉤,胃但弱,肺但毛,腎但石也。」は一般に善本とされている,例えば静嘉堂文庫所蔵の影宋本では「肝不弦,腎不石也。」となっている。また【 】内に相当する文章も大字である。沈炎南『脈経校注』によれば,元・葉氏広勤書堂刻本もしくは清・光緒十七年池陽周学海校本が,『素問攷注』に引くものと同じである。
つまり,「所謂肝不弦,腎不石也。」は「所謂肝但弦,腎但石也。」の誤りではなかろうか。

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