靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

北京でもう一日

3月29日 北京
北京駅到着が早朝の5時11分、だから30分程度前には明かりがついて、車掌がたたき起こしにくる。少々早いがなんてことはない。睡眠時間を縮めるには、永年修業をしたもんだ、若いうちはどうしても眠たくていかなんだが、近頃に至って始めて随処任意の庶境に入ってはなはだ嬉しい。(誰のなんという小説の台詞だかわかりますか?)
北京は今回の旅で初めての雨、実はインターネットの予報通り。
ホテルのバイキングを覗いて、とりあえず朝のコーヒー、はっきり言って曲阜のコーヒーのほうがはるかに美味い。
さて、今日は雨降りでもあるし、疲れもあることだから宿で英気を養おうなんて言って、中関村近辺の書店巡りを誘われたのを断っておきながら、昼頃に雨もあがって、人に王府井へ買い物にいくといわれると、つきあおうか、そういえば僕も息子にたのまれた土産がまだ、なんてことで結局は中関村近辺へ赴いたものを除いて王府井の新華書店へタクシーで乗り付けて、昼飯として小吃街でわけのわからない包子や麺を食って、もの好きに地下鉄で西直門まで帰って、そこからタクシーでご帰還。
さて、最後の最後の食事をどうするか。山東ではどこでも紹興酒が高くてあきらめていたのが心残りということで、地図で咸亨酒店というのを探して、ここにしようと。門童に聞いたら、知っているようなので安心していたのだけれど、それらしい場所に至ってもそれらしい看板が無い。あるいはこの建築現場がそれに当たるんではないか、というのは有りました。北京奥運前という画期的な時代ですからね、昨日あったものが今日もあると思ってはいけない。タクシーの運ちゃんもさすがに憂い顔で、じゃしかたがないから孔乙已酒店にしようかというと、我知道!とうれしそうでしたね。実はそこは北京へついた次の日だかの夜に一度いっているんですが、肝心の紹興酒にご執心の人は、その日は別口の予定が有って不参加。私は孔乙已酒店と咸亨酒店の飲み比べのつもりだったけれど、彼にはどちらでも異存はない。
孔乙已酒店は北京に何軒かあるみたいだけれど、我々が行ったのは後海南岸です。運ちゃんは我知道といったけれど、実は店の真ん前に乗り付ける道はすでに工事の都合でふさがっていて、ぬかるみを歩くはめに。
それにしても中国に10日いる間にうらをかえしたんだから、立派なもんだ。
紹興酒は太彫を1斤で25元、別に高くもない。味も瓶詰めよりは遙かに佳い。おきまりの茴香豆と臭豆腐はとりあえずとって、後はまあ何でも良いや、と。本当のところ、空港の規制のおかげで、太彫を瓶詰めお持ち帰りで土産にできないのが残念です。
さて、じつは最後の孔乙已酒店には、中関村近辺の書店巡りに行くといっていたものは参加してない。まだ帰ってなかったからだ。いいかげん帰っていてもいいはずだとは思ったけれど、なにせ本のムシのような人ですからね、心配しないふりというか心配するふりをするというか、別行動にしました。
でも、さすがに飲み食いしてホテルに帰って、それでも帰ってなかったら、これはさすがに事件だろうと、少しは心配して部屋をノックするとちゃんといました。結局、中関村付近へは行かなかったらしい。それではどうしていたかというと、ホテルの向かいの動物園へ行っていたという。うん、いい趣味だ。私もむかし成都で時間をもてあまして熊猫を観にいったことがある。その後はホテルの周辺をほっつき歩いていたらしい。うん、いい趣味だ。私も旅の醍醐味はなんでもない街のほっつき歩きだと思う。

今回の北京・山東の、本来の面目は北京での銭超塵教授、段逸山教授との交流です。その件については、内経のブログのほうに書いてあります。

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