靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

山東珍道中/恐行軍6

3月28日午後 曲阜~29日早朝 北京
宿のチェックアウトは正午なんだけれど、私の房間だけ夕方6時までにしてもらって、6時に宿の看板にもなっている魯国伝統と称する孔府家宴を予約して、それまでの間に元気な人は孔林あたりを観光して、身体不舒服である私はふせっているという段取りにしました。6時までなら半額ですみますしね、半額なら(日本円になおして)2000円はしない。孔子一族の墓参りなんかしない、というおおちゃくな考えもあります。

多分3時過ぎ、ひょっとすると4時近くまで寝て、孔林から帰ってきたのと近所に見つけたコーヒーショップに行きました。いれかわりにちょっと風邪気味というのが横になる。コーヒーは深煎りに過ぎるとはおもうけれど、まあまあまともな味でしたよ。ただし高い。安めの店ならビール2本分だろう。
孔府家宴は、それはまあ安くはない。一人あたり150元からというのの150元にしてもらいました。過去の経験から、内容もさることながら、奮発したって食いきれない。
広々とした個室の中央に大きなテーブルがでんとしている。10人くらいまでなら両肘張ってもゆったりじゃないか。4人だから互いの話も,小声では通らない。隣の人にお酌もできない、という感じ。それをかわいい小姐がつきっきりで面倒をみてくれる。何が出たかはもうろくに覚えていないけれど、とりあえずスープはフカヒレ、ナマコの煮物と東坡肉(らしきもの)とトウガンに詰め物をして蒸した仏跳牆とかいうのの小振りなやつは出た。とくに孔子の時代にはこだわってないようだが、仏跳牆は書物の形にして、「論語」と刻んであった。簡体字ですがね。品数も量も、案の定食いきれない。

帰りの列車が、軟臥を鉄道官僚に横取りされて硬臥になったのは、北京ですでにわかっていたけれど、曲阜からのはずが兗州からになっている。別に問題はないんですが、若干遠い。といってもゆっくり食事して、手配しておいたタクシーに乗って、予定の時間より早めに駅につきました。兗州21時33分発、北京5時11分着です。夜行列車が汽笛を鳴らしながら駅に入ってくるのを待つ、というのはなかなか良いものですよ。硬臥の客の文明度もむかしよりうんと向上してますし。ただ、3段ベットの上段は勿論、中段によじ登らせるの危ないと判断されて、下段を提供されたので、私自身はまあまあ快適でしたが、上中段は暖房がきつくてしんどかったらしい。

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