靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

山東珍道中/恐行軍5

3月27日~28日 曲阜
曲阜には27日の午後、多分3時ころには到着して、曲阜から北京へ帰る列車は28日の夜発で29日早朝に北京着の予定だから、予定よりかなりのんびりできました。
長途汽車站で降りると、早速タクシーの客引きが寄ってきてしつこいしつこい。こちらは体調不良で、それらを適当にあしらうのもしんどくて、かなり邪険に振り切って、さて実際の街と事前の情報をつきあわせると、宿までは歩いて15分程度、地図の印象ではもっと近そうなので、散策を兼ねて宿まで歩くことにする。純現代中国的な街ですからね、それ自体が本当は旅の醍醐味だと思うしね。
まあ、結構好みの雰囲気だったけれど、孔子の薫陶よろしき礼儀正しい街というのは嘘だねえ。

宿は闕里賓舎、孔府の南で、地図の印象では孔府と道を隔てて入り口が向かい合っているのかと思ったけれど、違いましたね。考えてみれば当然で、伝統的な様式では入り口は南に開いているべきです。この宿では単人房間を4つ予約しておきました。安かったのが第一の理由だけれど、普段寂しい生活に慣れている私としては、そろそろ疲労している曲阜では一人になってぐったりしたいというつもりも有りました。まあ、予想以上にぐったりになってしまったわけですが。元気な人たちが宿の周辺を散策している間、私一人はほとんどの時間寝ていました。と言いながら、目が覚めるとのそのそと宿の近くに見つけた新華書店をのぞいて雑書を買ってくる。度し難いねえ。
夕食は、最終の28日を宴会にすることにして、27日はごく簡単に。他の3人の厳しい監視のもとビールの本数を制限されたからとはいえ、一人あたり20元たらずだったように思う。

28日の午前は、孔廟へ。その拝観料にたじろぐ。53元ですよ。岱廟の倍じゃきかない。でも、他の中国人観光客も素直に払っているようなんで、あきらめて首をふりふり購入しました。なんといってもここに保存されている扁鵲とされる画像石を見るのもこの旅の主目的でしたしね。
ところがですね、画像石が陳列されているはずの大成殿の西廡がこの状態です。

これにはかなり焦りましたが、無いものは無い。孔廟を退散した後で、孔府の一部(?)に碑林が有ったはずということで確かめに行きましたが、そこはいずれも書道作品ばかり。よって考えるに、大成殿の東西の廡を整理して、そこには先賢の神位を安置した。あるいはもともとそれが本来のかたちであったかも知れない。そこで、石碑は碑林に移動させた。画像石はどうなったか。あるいは出土地の微山(だったかな?)に博物館を作って安置することになったのかも知れない。むかし買った画集に扁鵲の画像石は孔廟に所蔵されていると書いてあったのと、インターネットの情報が一致したのを、鵜呑みにしたのが拙かったようです。上の写真でも分かるかと思うけれど、そう言えば神位の壇はそんなに古いものではない。
これにはさらにどっと疲れて、昼飯は宿の向かいやや東のレストランで軽くすませませて、私はまた午睡です。

長くなるので、続きはまた稿を改めて。

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