経脈は循環していない?
- 医論異論
- by shenquzhai
- 2007/03/15
『鍼灸OSAKA』という雑誌に、「中国古典医学書を愉しむ」と銘打った座談会が掲載されました。我ながら言い足りないし、何でこんな誤解を招きそうな言い回しをと思うところが有ります。誰かから指弾されて付け加えたり、言い直したりしなければどうにもならないと思うけれど、取りあえず前もって一つ。
『霊枢』では「経脈は循環していないみたいだ」と言いました。これは極めて不親切な言い方で、実は『霊枢』の中でも多くの箇所で経脈は循環しているんです。でも、その経脈はおおむね血管のことであって、『霊枢』の編纂者が高らかに宣言している新しい針治療は、それとは違う性質のものだろうということです。その意味における経脈は別段循環なんかしてないし、今われわれが現に試みている治療においても実はそうだろうということです。つまり身体のどこかに異常が生じるとそこから離れたところに反応が生じ、その反応を何らかの方法で是正できれば、患部も治癒する。そういう針治療を構想し、そういうことが可能である前提として、両者を結ぶ経脈というモノを仮設した。
血液循環を是正する針治療や、筋肉の連なりの歪みを調整する針治療を、否定するつもりは毛頭有りませんが、コードの先の電灯をもう一方の端にあるスイッチをオンオフすることによって点滅させる試みのほうが、『霊枢』編纂者の主張したかったことではないかと思うのです。そして、その試みは未だ充分には展開されてないと思うのです。
『霊枢』では「経脈は循環していないみたいだ」と言いました。これは極めて不親切な言い方で、実は『霊枢』の中でも多くの箇所で経脈は循環しているんです。でも、その経脈はおおむね血管のことであって、『霊枢』の編纂者が高らかに宣言している新しい針治療は、それとは違う性質のものだろうということです。その意味における経脈は別段循環なんかしてないし、今われわれが現に試みている治療においても実はそうだろうということです。つまり身体のどこかに異常が生じるとそこから離れたところに反応が生じ、その反応を何らかの方法で是正できれば、患部も治癒する。そういう針治療を構想し、そういうことが可能である前提として、両者を結ぶ経脈というモノを仮設した。
血液循環を是正する針治療や、筋肉の連なりの歪みを調整する針治療を、否定するつもりは毛頭有りませんが、コードの先の電灯をもう一方の端にあるスイッチをオンオフすることによって点滅させる試みのほうが、『霊枢』編纂者の主張したかったことではないかと思うのです。そして、その試みは未だ充分には展開されてないと思うのです。
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