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こだまの世界

---倫理学者のふしぎな日記---

98年7月上旬号

レイチェル「こんな気持ははじめてだわ。 わたしたちは、このびんのキャップのように、 型押しされた機械なのね。 わたしが--わたしという個人が--存在すると思っていたのは、 ただの幻想なのね。 わたしはあるタイプの見本にすぎないんだわ」
(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、225頁)


7月上旬の主な話題


07/01/98(Wednesday/mercredi/Mittwoch)

早朝

わ。とうとう7月。一年も半分が過ぎたわけですね。

昨夜はチョムスキーを途中まで読んで爆睡。


8階の窓の外を、とんぼが群れをなして飛んでいる。


ロック読書会の予習。第2巻第30章。


夕方

朝、ニュートンの『プリンキピア』の英訳を探しに哲閲に行ってから(なかった)、 喫茶店でモーニングを食べサンデーとマガジンを読み、 下宿に一旦戻る。

下宿でちょっと寝ようと思ったのだが、 シャワーを浴びたり、 SFを読んだり、 ラーメンを食べたりしてる内に、 昼下がりになってしまったので、 銀行に急いで行って今月分の家賃を振り込んで来た。

それから、 人環の図書室から本の貸し出しの用意ができたとの電話があったので、 再度行ってきた。無事借り出し。


ジェームズ・ハリス

ジェームズ・ハリスは1709年に生まれ、 オックスフォードのSalisbury and Wadhamカレッジで教育を受けた。 彼はリンカーンズ・インで法を学び、 後に州の行政長官county magistrateになった。

1745年に彼は三つの論文--芸術についてと、音楽、絵画、詩句についてと、 幸福について--を含む本を出版した。 彼は最もよく知られている作品『ヘルメス』は、 1751年に世に出た。 その後の彼の生涯において、彼はあと二つの著作を生み出した。 一つはPhilosophical Arrangementsと題されたもので、 もう一つはPhilosophical Inquiriesと題されたものである。

彼は1761年にクライストチャーチの成員として議会に加入し、 グレンヴィル卿の下で公職に就いた。 彼は1774年に女王の会計監査官に任命され、 1780年に死ぬまでに、その職を勤めた。

(Roy HarrisのIntroduction (p. v)から)


ロック読書会終わり。

読書会が始まる前に、 文学部のシステム・アドミニストレイターの方が来られて、 ファストイーサー化(100BASE TX化っていうのかな?)してくれる。 ちょっと早くなった気がする。


何か一言


07/02/98(Thursday/jeudi/Donnerstag)

真夜中

あ、そろそろ暑中見舞いを書かないと。今夜やるか。

昨日はロック読書会が終わってから、 スーパーに行き、 ブロッコリやサニーレタスなどを買って、 下宿へ。

お米が尽きてしまったので、 夕ごはんは、 ペペロンチーノとサラダ、ブロッコリ。 スパゲティを大量に摂取。 鷹の爪をいじったせいでまた指が痛くなる。

ごはんを食べて片づけた後、 真夜中まで仮眠。 寝ていると、雨が降りだした。 雨音を聞きながら、うつらうつら。 幸い、下宿を出るときには止んでいた。


言語学の勉強。 楽しい。 そういえば、 浪人時代はかなり文法フェチだった気がする。 某W大の受験のときに、 時間が余ったので国語の問題文を 単語レベルまで分解して遊んでいたのを思い出した。ばか。

[ルネサンス以降、]言語の多様性が正当に認められて、 各国語も古典語に劣らず研究と育成の価値があるとひとたび自覚されてからは、 言語研究者は言語の普遍性の問題に直面しなければならなくなった。 古代世界ではそれはほとんど問題にされず、 もっぱらギリシア・ラテン語に関心が集中したのである。 スコラ哲学者は、プリスキアヌスの記述・分析したようなラテン語が、 事実上、あらゆる言語の普遍的な下部構造を表していると、 実際考えている。 ルネサンス後、経験論者は特定言語間の個々の相違に着目し、 観察に基づいて範疇と類を調整する必要を強調した。 他方、合理論者は、 すべての言語の表面的な相違の底にある共通性を追いつづける。 この問題は今なおそのまま残っている。 イェルムスレウは、初期の著作『一般文法の原理』において、 諸言語に妥当する可能性を包括するような、 普遍的なetat abstrait「抽象状態」を要請しており、 それが各言語のetats concrets「具体状態」の中で、 いろいろに実現される、というのである。 そうでなければ、言語理論は「ニヒリズム」に陥ってしまうであろう、という。 今日いう「ブルームフィールド派」時代の記述主義者は 言語の普遍性に対する仮定を最小限にとどめ、 観察された形の記述を至上のものとし、 個々の言語で独立しており言語間に共通性をほとんど持たないような その場その場の範疇と類を設定した。 「言語についての唯一の有益な一般化は、 帰納による一般化である」 とブルームフィールドは明言している。 ファース派も同じく一般理論について語るが、 一般範疇や普遍文法にはきわめて慎重な態度をとった。 さらに最近になるとチョムスキーおよび生成文法学者は、 合理論哲学の文法学者や1928年のイェルムスレウと驚くほど似た口ぶりで、 言語の普遍性の重要なことを再度主張している。 言語は、言語構造のさらに深いレベルにおいては 人間が共通にもつところの形式的な面を共有し、 それが表面構造においては言語ごとに異なる形式で現われるのだという。 彼らのまさしく主張するところは、 かかる概念がなければ、 言語学は、狭量な経験論に陥ってしまい、 その意義をかなり失うことになる。 さらに、基本的な普遍文法という概念があればこそ、 幼児が主に一連のランダムな発話をもとにして 第一言語を習得できることを十分に説明できるのだ、ということである。 他の思想領域と同じく言語学にもまた、 世代によって取り扱いは異なるけれども、 古い問題が繰り返し登場するのである。
(ロウビンス、『言語学史』、第五章「ルネサンスとその後」、144-5頁、 強調は全てこだま--強調が多くてすいません)

興奮するなあ。どきどき。わくわく。


夜明け前

ジェームズ・ハリスの『ヘルメス』の序文を読んでいると、 いくつか面白い文章があったので以下に翻訳して引用する。

彼[著者=ハリス]は、 [著作の]出来栄えの悪さに対する弁解のために[序文において]先手を打っておく、 例の使い古しの、卑しむべき方法を軽蔑する。 すなわち、
「これは手の空いた数時間のうちにさっと書き上げられたものだ」とか、
「単に自分の個人的な娯楽のためだけに書かれたものだ」とか、
「一度も校正されていない」だとか、
「写しがひそかに世に出回ってしまっていたために (どうやったらそんなことになるのかは神のみぞ知る)、 友人にしつこくせがまれて、意に反して公表されたものだ」とか、
その他の使い古された、これらと等しく虚偽に満ちた空虚な言い回しをだ。 もしもこうした序文を書いた者たちの主張していることが正しいのであれば、 われわれは彼らにこう尋ねた方が良いのではないのだろうか、 「一体君達は、君達と君達の未熟さに対して、 われわれにどうしてほしいのかね?」と。
James Harris, Hermes, Preface, pp. vii-vii.

このように、人間と、人間の知識を広範囲に渡って見渡すことほど、 精神を大きくするために役立ちうることはない。 われわれが自分達の目の前に直接存在するものを賞賛することの愚かしさに 気付き、そうすることを止めるためにこれ以上役立ちうることはないし、 また、われわれが、 今日の人間と今日の文学の双方をより適正に評価できるようになるために、 これ以上役立ちうることはない。

おそらく次のことは、 残念ながらすべての国々の多くの人々に対してよく当てはまるであろう。 すなわち、 彼らは自分自身や自らの個人的問題以外については ほとんど知るところがないために、 彼らはこの小さい知識の領域の外には、 知る価値のあることはない、と思うのである。 われわれブリテン人は、 地理的に見て、 全世界から切り離されて住んでいるので、 このことはわれわれの場合により顕著に当てはまることがわかるであろう。 そしてここに、 われわれが通常、 自国の人々の著作を研究するだけで事足れりとする理由が存する。 すなわちここに、 哲学において、 詩歌において、 真剣なものであろうとふざけたものであろうと、 神聖なものであろうと深遠なものであろうと、 あらゆる主題において、 われわれが自分達のうちに完成を見い出し、 自分達以外のところを探すのは無駄だと考える理由が存する。
James Harris, Hermes, Preface, pp. xi-xii.

うわ。おれってずいぶん説教臭いのが好きなんだな。


お昼前

早朝、『ヘルメス』をざっと読み終えたところで、 ソファに倒れ込んで爆睡。


そういえば、先日土曜日の某ビジネス英語はケネディ関係の話だったが、 ホストの某先生が「ケネディがダラス遊説中に暗殺された」という内容のことを 言ったとき、 「ゆうぜいちゅうに」ではなく、 「ゆうぜつちゅうに」と発音していた。 結構なお年であろう某先生がそのような読み間違いを犯すのにもびっくりしたが、 それよりもむしろ、 スタッフが誰も間違いに気付かなかったという事実の方がおどろき。


夕方

これから倫理学入門読書会。


倫理学入門読書会(「主観主義」その2)終わり。

今日は喫茶店でお昼を食べてから、 下宿に戻って入浴したり、 SFを読んだり、 仮眠をとったりしてから、 研究室へ。 暑い暑い。


下宿に戻って夕ごはんを作る時間がもったいなかったので、 某定食屋で夕ごはん。


真夜中

ベンタムの勉強。

もうすぐ日本功利主義学会で神奈川に行くわけだけど、 その前に合宿での発表の準備をしなきゃいけないし、 ビジネス・エシックスの翻訳の校正もしなきゃいけない。 ああ、忙しいなあ。


07/03/98(Friday/vendredi/Freitag)

真夜中

ビジネス・エシックスの翻訳の校正。 まだかなりの量が残っている。死ぬ。


昼下がり

下宿に戻ってラーメンを食べ入浴し、 早朝までディックの『高い城の男』を読み、 お昼過ぎまで睡眠。

起きてからシリアルを食べ、 ベンタム読書会の予習を済ませる。 再び入浴して登校。 途中、郵便局でいくらかお金を降ろす。

今日も暑い。 ジメっとした暑さがつらい。 不快度1000。あああ。わたしは夏が嫌いだ。


夕方

ベンタム読書会終わり。


『ヘルメス』を返却しに人環へ。


何か一言


07/04/98(Saturday/samedi/Sonnabend)

真夜中

昨日は夕方に某ディスカウントストアでお米などを購入し、 某豆腐屋で木綿豆腐を一丁買い、 それから下宿に戻って『高い城の男』 を読み終えた。

そのあと夕ごはん。 豆腐入り野菜炒め、サラダ


研究室に来る前に古本屋(コミックパレス)に寄ったが何も買わず。


お昼

わ。爆睡。早朝に『ドロロン閻魔くん』を読んでからソファで寝入ってしまい、 某師匠が来たのであわてて起きる。寝すぎ。


昼下がり

ビジネス・エシックスの校正。急がないと。


夕方

某喫茶店が閉店していたので、パンを買ってきて研究室で食べる。 オーソン・スコット・カードの『エンダーのゲーム』を読み始める。 これもおもしろい。


夏合宿用読書会その1。 3回生の某K君担当の 'Harmful and Dangerous Words and the First Amendment' を読み進める。


何か一言


07/05/98(Sunday/dimanche/Sonntag)

夕方

昨日は、夏合宿用読書会を終えてから降り出した雨の中、 スーパーによって下宿へ。

夜明けごろまでかかって、 『エンダーのゲーム』を読み終える。 う〜ん、よく書けている。


07/06/98(Monday/lundi/Montag)

真夜中

昨日は、昼下がりに目覚めて、いろいろごそごそしてから研究室へ。

ロック読書会が終わった後、買物をしてまた下宿へ。洗濯。

夕ごはんは、野菜炒め、厚揚げのステーキ、 なすのしょうゆバター炒め。食後にまんじゅう。 なすがうまかった。レモンを買ってきてもう一度挑戦するべし。


なんで投票に行かんとあかんねん?

え〜。あ。あ。テストテスト。え〜、街を足早に歩くみなさん、え〜、 早朝から御苦労さまです。え〜、おはようございます。 え〜、おはようございます。

え〜、わたしは日本実戦倫理校正会の会長、末広三郎太でございます。 あ、ご声援ありがとうございます。わたしが末広三郎太でございます。 え〜、本日はみなさんに、え〜、 投票についてお話しようと思いまして、四条河原町の交差点にやってきました。 え? いや、違います、 わたしは今回の参議院選挙には立候補してません。

え〜、それでわたしが今朝みなさんにお話したいことは、投票についてでございます。 最近このテーマがまた小股を賑わして、もとい、巷を賑わしておりますので、 一度わたくしが、この末広三郎太が、 きちんとお話しておく必要があるかと思いまして、 本日みなさんの前に登場させていただいた次第です。

つい先日、関西の某地方新聞に、え〜、 ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、 「なんで投票に行かんとあかんねん?」と題された特集記事がございました。 その中で、20代前半の若者たちが、 彼らよりも20才も30才も年上の年配の方々に対して、 え〜、「投票に行っても何の得にもならない。行くだけ時間の無駄」だとか、 え〜、「投票は権利であって義務ではない」だとか、 え〜、「めんどくさいこと言うなら、別に民主主義でなくてもよい。 生まれたくて日本のような民主主義国に生まれたわけではない」だとか、 そのようなことを憶面もなく主張していたわけです。

「ついに日本の若者もここまで堕したか」 というのがわたしの卒直な感想でした。 しかも、彼らの内の多くは、現役の大学生だと言うのです。 は、は、恥です、日本の恥です。 なぜ新聞はこんな汚物のような奴等の愚にもつかない意見を掲載するのか。 きちがっ…え〜、いや、きょ、狂気の沙汰だとしか思えません。

しかし、わたくし、実戦倫理校正会の会長、末広三郎太としましては、 え〜、やはり彼らをも更生させる義務があると考えるわけでありまして、 え〜、筋の通った議論を行なって彼らの意見に反論することによって、 彼らを正しい道へと導く必要があると思うのであります。 ですから、え〜、本日はみなさまに、え〜、 「なんで投票に行かんとあかんねん?」 という問いに対する、え〜、 わたくしなりの答えを聞いていただきたいと思う次第であります。 あっ、ありがとうございます。御声援どうもありがとうございます。 末広です。末広三郎太でございます。 (おい、君、ちょっと額の汗を拭いてくれ。それと水だ水)

(続く…かも知んない)


早朝

ビジネス・エシックスの校正の仕事。 疲れた。


お昼過ぎ

朝に下宿に戻ってお昼まで睡眠。 夏合宿用読書会の予習をして急いで研究室に来る。

この時間帯に起きているなんてめずらしい。


夕方

夏合宿用読書会終わり。こんな傑作な話がでてきた。

「ハスラー」誌は、「窒息一人エッチ法autoerotic asphyxiation」 と呼ばれる性的行為に関する記事を公表した後、 裁判で訴えられた。 その記事は、ある種の人々がどのようにして --オーガズムの間、脳内の酸素をなくすために自らを窒息させることによって-- 性的経験の強度を高めるかを述べていた。 その雑誌記事のコピーが、ある少年の手に渡った。 少年は、悲劇的なことに、その方法を用いて実験をすることに決めた。 彼は死んでいるのを発見された--「ハスラー」誌が、 その記事の載っているページが開かれたまま、彼のそばにあった。
'Harmful and Dangerous Words and the First Amendment', in Cyberspace and the Law, written by E. A. Cavanzos & G. Morin, pp. 75-76.


何か一言


07/07/98(Tuesday/mardi/Dienstag)

元気です元気です。勉強してるというより、SF読んでます。 夏休みに勉強なんかしてられるかあっ。って、ウソです。

あと、参院選について、以下のページを教えてくださった方、 どうもありがとうございます。読んで研究します。

Totten's Letter


昨日は夕方に下宿に戻って、 真夜中になるまで寝てた。 暑かったから疲れてたのかな? 扇風機にあたりっぱなしで寝てたので、 起きてからちょっと頭が痛くなった。

それから、遅い夕ごはん。 再びなすのしょうゆとバター炒め(うまいっ)、 ちんげんさい入り野菜炒め、など。 食後にくずもち。


ごはんを食べ終えて片づけたら、 結構な時間になっていたので、 研究室に行こうかとも思ったが、 ちょっと頭痛がするので止めておいた。 シャワーを浴びてから、 ハインラインの『宇宙の戦士』を途中まで読んで寝た。


うわあ、最近ほんとに日記日記したこと書いてるなあ。

まあ、それはともかく、昼下がりに起きてから、 あまりに暑くって研究室に行く気力もないので、 宵頃までかけて『宇宙の戦士』を読み終えた。 これも傑作。

それからようやく研究室へ。さて、勉強しなきゃ。


何か一言


07/08/98(Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中

『宇宙の戦士』の感想。 ずいぶん時間がかかってしまった。


お昼前

ああ。暑い暑い暑い。

昨日はあれから真夜中に下宿に戻って、 ラーメンやらキムチやら焼なすやらを食べながら早朝まで勉強。 今日は珍しく午前中に起きて活動中。 やることがたまっているのであんまり寝てもいられない。

ああ、早く終ってくんないかな、夏。


お昼前

ああ。暑い暑い暑い。早く終ってくんないかな、夏。

昨日はあれから真夜中に下宿に戻って、 ラーメンやらキムチやら焼なすやらを食べながら早朝まで勉強。 今日は珍しく午前中に起きて活動中。 やることがたまっているのであんまり寝てもいられない。


昼下がり

あ〜、暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い。

母親に会いに三千里、じゃない、JR京都駅へ。 昼食を食べながら話していたら、 いつのまにか今晩下宿に泊まりにくることになってしまった。 これも親孝行と思って歓迎するべし。


学校から自転車でJR京都駅まで往復。 帰りに古本屋(コミックショック河原町今出川店)と、 喫茶店に寄る。


え、投票に行くって義務なの?

Totten's Letter

上のページ、ざっと読んだんだけどさあ、なぜかこの人、 「投票に行くことは国民の義務である」って考えてるんだよね。 でもこれってまったく間違ってます。 選挙権は権利であっても義務ではありません。

そもそも投票に行くことが税金を払うのと同様に国民の義務であったら、 国家が鞭を持ってせっついてくるはずなんだよね。 国民が投票することに対して権利を持ってるだけなら、 やってもやらなくてもどっちでも良いわけで、 それだからこそ投票に行くことが問題になるんだけど、 国民が投票する義務を持ってるんだったら話は別で、 やらないと国家によって罰されるはずなんだから。

ま、この人は「われわれは投票に行く道徳的義務を持っている」 と言いたかったのかもしれないけど、それならそれではっきり書くべきで、 誤解を招く言い方は避けてほしいよね。

下はついでに日本国憲法から抜粋。

第三章 国民の権利及び義務

第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。 選挙人は、その選択に関して公的にも私的にも責任を問はれない。
(宮沢俊義編、『世界憲法集 第四版』、岩波文庫、1983年、431頁)


夕方

夏合宿用読書会(その3)終わり。 疲れた。

浅羽通明の「思想家志願」(幻冬舎)における選挙に関する議論が面白いとのこと。 だれか持ってませんか〜?


何か一言


07/09/98(Thursday/jeudi/Donnerstag)

昨日は夕方から勉強。

勉強を終えてから、急いで夕ごはん。 焼なす、キムチ焼きめし、サラダなど。 さっさと食べて食器を片づけた後、 母親を迎えに自転車で地下鉄の駅へ。

待ち合わせ場所を勘違いしていて30分ぐらい探し回るはめに。大変。

下宿に戻ってから風呂に入ったり勉強したりごはんの残りを食べたりして 朝まで睡眠。母親を送ってから研究室にきた。


七夕

七夕の短冊で笑ったのは、 先日道すがら見かけたやつで、 あの笹の枝は、 たぶん幼稚園か何かのとこにあったんだと思う。

「○○子の悪い歯が治りますように」

これはごくごく普通である。 ちゃんと願いごとが記されているからだ。 このように、 短冊には「病気が早く良くなりますように」とか、 「ハゲが治りますように」とか、 「学振が当たりますように」など、 願望を表す文を書くのが慣例である。

この前提をしっかり念頭に置いた上で、 次の文を読んで欲しい。

ママ大好き

……。果して「ママ大好き」は願いごとと呼べるのだろうか。 これは単に事実を述べた文でないのか。 (いや、むしろ感情の表明か?)


お昼過ぎ

しばらくコンピュータの前に突っ伏して爆睡。勉強勉強。


昼下がり

研究室にて夏合宿用の読書会が盛ん。


夕方

すごい夕立ち。

夏合宿用読書会(その3)を3回生の某K君とルネで行なう。 やっと彼の分だけ読み終わる。 これから自分の分もやらなくちゃ。


倫理学入門読書会(「主観主義」その2)。


何か一言


07/10/98(Friday/vendredi/Freitag)

昨日は読書会の後、 下宿で夕ごはん。焼なす。サラダ。にんじんと卵の炒めもの。 わけあってお昼前に起きる。


何か一言


何か一言

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Satoshi Kodama
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Last modified: Sun Jul 10 10:47:52 JST 2005