原題は Orson Scott Card, Ender's Game (1985) で、ハヤカワ文庫の初版は1987年(野口幸夫訳)。 訳は残念ながらあまり良くない。
地球は、恐るべきバガーの二度にわたる侵攻をかろうじて撃退した。
捕えた人間を情容赦なく殺戮し、
地球人の呼びかけにまるで答えようとしない昆虫型異星人バガー。
彼らとの講和は決してありえないのだ!
バガーの第三次攻撃にそなえ、
優秀な司令官を育成すべくバトル・スクールが設立された。
そこに入校したエンダーは、
コンピュータのシュミレーション・ゲームから、
無重力戦闘室での模擬戦闘まで、
あらゆる訓練で最優秀の成績をおさめるが……!?
天才少年エンダーの苦難にみちた成長を、
スリルと興奮にみちた筆致で描き、
ヒューゴー、ネビュラ両賞受賞に輝く傑作長篇。
(裏表紙から引用)
さすがヒューゴー、ネビュラの両賞を獲得しただけあって、傑作。 チビの天才少年が、まわりの競争相手の、 ときには友情、ときには反感を買いながらも、 幾多の苦難を乗り越え地球軍全体の総指揮官にまで成長していく過程は、 読んでいて痛快である。大著だが一気に読めた。
エンダーは、兄の残酷さ(自己保存の本能)、 姉の共感能力(エンパシー)の双方を合わせ持って生まれてきた。 しかしそのために、 自分を守るために他人を殺さねばならないこと、 また人類を守るためにバガーを滅ぼさねばならないことに非常に苦悩する。 こういった性格を持つエンダーを通じて、オーソンは 「自己利益の追求(自己愛)」と「他人に対する共感(他者愛)」との葛藤という 普遍的な倫理問題を鋭く描き出している。 (なんでも作者はモルモン教徒で、 SFを通じて倫理的問題を描くのが目的らしい)
う〜む。 ディックの『高い城の男』でも、 暴漢を射殺したために苦悩する登場人物がいたが、 人を殺すってどんな感じなのだろうか。
また、指揮官の孤独というテーマもある。 良い指揮官、良い教師は、 どれだけ兵士や生徒たちを理解し、 彼らを好きであっても、 決して彼らと対等な関係になることは許されない。 エンダーは今やかつて友人であった者たちを指揮する身となり、 彼らとの友情がただの信頼関係になり果ててしまったことに苦しむ。 (良き教師、良き生徒というのは、 こういう軍隊的な関係でしかありえないのだろうか?)
後半の展開もよく練られていて(伏線も効いていて)、 すごい。大団円。続編の『死者の代弁者』も読まねばなるまい。 スランとかの、いわゆる「少年成長型冒険小説」が好きな人にお薦め。
グラッフ「個々の人間はみんな道具なのだよ。 それを他の者たちが使うのだ、 われわれみんなが生き延びるのを助けるために」(66頁)
「元気を出してください。彼が卒業する前に、 バガーどもがわれわれをみんな殺してしまうかもしれませんよ」(67頁)
エンダー(白人)「ねえ、ぼくらは黒ん坊ばっかりにはなれないんだぜ」
アーライ(黒人)「ぼくの祖父(じい)ちゃんなら、
そんなこと言われたらきみを殺しただろうな」
エンダー「ぼくの曾々祖父ちゃんなら、そのまえに彼を売っちゃったはずさ」(107頁)
ヴァレンタイン「わたしは、週に一度のコラムなんて、やれないわ」
「わたしには、まだ、月に一度の周期(ピリオド)さえ、ないのよ」(224頁)
エンダー「ぼくに"いいえ、エンダー"と言わないでおくれ。 気づくのに長い時間かかったよ、 そうしてるって、だけど信じておくれ、 ぼくは憎んだんだ。憎むんだ。 そして、事はここまできたんだよ--ぼくが、 自分の敵を真に理解し、そいつを打ち負かせるぐらいに、 よくそいつを理解する瞬間に、そのとき、 まさにその瞬間には、ぼくはそいつを愛しもするんだ。 不可能だと思うんだ、誰かを、彼らが何を欲するのか、 何を信じるのかを、ほんとうに理解し、 それでいて、彼らが彼ら自身を愛するとおりに彼らを愛さない、 ということは。 そして、そのとき、ぼくが彼らを愛するまさにその瞬間に--」 (390頁)
ヴァレンタイン「ようこそ、人類へ。誰も、 自分自身の人生をコントロールすることはできないのよ、エンダー。 あなたのなしうる最善のことは、よき人々、 あなたを愛する人々によってコントロールされるのを選ぶことね。」(512頁)
07/03/98-07/05/98
B++