ラザルス: もうろくしたんだね。 自分の欲するときに、自分の欲するものを求める…… そして、それが自然の法則に合致すると考えるんだな。
(『メトセラの子ら』、68頁)
ひどい雨。ここまで来るのにずぶぬれになってしまった。
今日は明け方から昼下がりまで爆睡し(病気)、 起きてから食事(コーンフレーク)、入浴、洗濯、 また食事(某先輩に教わったあぶたま丼に挑戦)。 冷蔵庫の中でレモンがカビてるのを発見。直ちに総括する。 時期が時期だけに、買ったものはどんどん消費していかないと危なそうだ。 O157も恐いし。
こないだは、皮をむいていない玉葱に小さな虫が湧いていて怖かった。 それもすぐに総括。
ちょっと言語学の勉強。
バンドの練習。部室は西部内の、古い長家のような木造の建物の中にあるので、 雨漏りがひどい。ギターを弾いていると感電死するんじゃなかろうか。
先日読んだSFの感想。
ロウビンスの『言語学史』を読書中。 う。オノマトペとかランガージュとか出てきていきなりわからん。 いつかどっかで聞いたか読んだかした気もするが…。 あ、オノマトペは擬音語(擬声語)のことか。 ランガージュはソシュール先生が登場するまで待つか。
古代ギリシアやヘレニズム世界では、 言語論(言語の起源、単語とそれが指すものとの対応) においても自然(ピュシス)か人為(ノモス)か、という議論があったそうだ。 また、アナロギア(規則性、合則性)対アノマリア(不規則性)の論争 (「言語は規則的か、不規則的か」および 「言語は規則的にして行くべきか、不規則のままであるべきか」) というのもあったそうだ。興味深い。
プラトンが最初に文をオノマ(名詞的要素)とレーマ(動詞的要素)に分割。 日頃から文(命題)に強い関心を抱いているアリストテレスが、 この分類を発展させる。プラトン先生偉いなあ。 その後、ストア派の人々がさらに精密な分類を行なう。
しかし、 アレクサンドリア学派(アリスタルコス、ディオニュシオス・トラクス、 アポロニオス・デュスコロスら) の文法学がストア派のそれにとって代わって優勢になる。 ううむ。栄枯盛衰。 このディオニュシオス・トラクスの著した(とされる) 『テクネー・グランマティケー』(『文法術』)という本は、 後代に圧倒的な影響を及ぼしたすごい本だったらしい。 八つの品詞(語類: 名詞、動詞、分詞、冠詞、代名詞、前置詞、副詞、接続詞) の分類法を確立。 これが以後ラテン語や近代ヨーロッパ語の文法に大枠として引き継がれていく。 (この分類では形容詞は名詞の一部となっている)
昨日は真夜中に下宿に戻ったが、ひどい雨ですっかり濡れてしまった。
帰ってからごはん。再び味噌炒め。 ブラウンの『発狂した宇宙』を途中まで読んで寝てしまう。 起きたのはお昼過ぎ。うう。勉強せねば。
ロック読書会終わり。
昨日は読書会のあと、買物をしてから下宿で夕食。 また味噌炒め。
勉強し、 ちょっと寝てから研究室へ。これから科哲の予習。まずい。
相対性理論の勉強。 電気回路の話が出てきて苦労する。 変位ってなに? disturbanceって「撹乱」で良いの? 定常状態って? 手元に専門の辞書がないので広辞苑とかを引き引き読み進むが、 よくわからん。 もっとブルーバックスやらSFやらを読まないと。
二コマ目ライヘンバッハ(夏休みの課題あり)、
三コマ目文化理論と倫理(夏休みの課題図書あり)、
四コマ目演習発表(こだまベンタム、聴講生M氏ルソー、
夏休みの課題はないが修論を作成しなければならない)
終わり。疲れた。眠い。死にゅ。
金銭的に恵まれた人々に付き添ってルネで買い物をする。 お腹減った。
附属図書館でまた言語学の本。 たくさん借りたので読まなきゃ。
昨日は夜に下宿に戻り、 ラーメンを作って食べてから今日の昼すぎまでぐっすり寝た。 疲れていたのだ。(しかしいくらなんでも寝すぎだ…)
起きてから、シリアルを食べたり、あぶたま丼を作って食べたりしながら、 夕方に始まる読書会のぎりぎりまでブラウンの『発狂した宇宙』 を興奮しながら読んでいた。 めでたく読了し、5分でシャワーを浴びて、急いで研究室へ。 しかしそのせいで読書会の準備も十分にできなかったし、 文学部の一斉大掃除にも参加できなかった(というか、忘れていた)。すまん。
ロック読書会終わり。
喫茶店で少年誌を読んでから、 某所でそばを食べる。 古本屋へ寄って、 ついでにゲームセンターにも寄って再び研究室へ。 あ〜、だめだだめだ勉強しないと。
『物理革命はいかにしてなされたか』、第一章を読む。 アリストテレスからニュートンまでの、 地上や天体の運動に関する思想の流れがよくわかって大変面白い。 哲学を勉強するにはこういうこと(=自然哲学) もある程度知っとかないといけないんだな、と思わされる。
ブラウンの感想。
夜明け前に下宿に戻って、厚揚げステーキを作り(失敗--焦げた)、 昼過ぎまで睡眠。同居人の母親が来ていたので挨拶。
『物理革命はいかにしてなされたか』読了。 難しいので半分ぐらいはわからなかったが、 物理学のおおよその流れがつかめたのでよしとする。
しかし、物理学はこのように順調に進歩しているのに比べて、 倫理学は一体何をしているんだろうか。 卒論でベンタムの倫理思想について書くなんてのは、 理学部でいうと卒論でベンジャミン・フランクリンの電気理論について 書くようなものなんじゃないのかな。
5コマ目の授業に出席。 今日で前期の授業は全部出終わったことになる。
名和先生を囲んでの飲み会に参加。情報倫理な話で盛り上がる。
『UNIX USER』7月号なるものをパラパラと飛ばし読み。 パソコン雑誌を読むのは本当に久しぶり。 しかし、毎月最低1冊は買って目を通すことを (自分に対する)義務にしないといけないよなあ、特にこれからは。 (新聞を毎日読むのも義務にしないといけないと思っているのだが)
昨夜は真夜中に下宿に戻って、ラーメンを作り、 『言語学史』を少し読んでお昼過ぎまで爆睡。寝すぎ。病気か?
昼下がりにベンタム読書会。 そのあと喫茶店で軽い食事をとりながら、 少年チャンピオンと楳図かずおの『恐怖』第2巻を読む。 楳図かずおのホラーってよくできてるよなあ。
夕方に下宿に戻って夕ごはん(味噌炒め)。 最近はここで寝てしまうわけだけど、 今日はがんばって研究室で勉強。
研究室に来る前に古本屋。
真夜中から某師匠がciceroに手を加えて100万馬力にするのを手伝いながら、 いろいろコンピュータの勉強をしたり、ベンタムの勉強を(ちょっと)したり。
今日は早朝に下宿に戻ってシャワーを浴びて夕方まで寝た。 起きてからラーメンを食べたり入浴したり勉強したりしてゆっくりくつろぐ。 それからスーパーに寄って研究室に来たんだけど、 途中で銀行に寄るはずが、ぐわ、また閉まっているっ。 閉店時刻をまた間違えた。
というわけで、現在の所持金150円弱。ぎゃー。
ロウビンスの『言語学史』をまだ読んでいる。 さまざまな民族の相異なる言語を統一的に理解する枠組みがあるかどうか、 換言すると、「普遍文法」あるいは「一般文法」なるものが存在するかどうか、 ということが特にルネサンス以降、問題となっていたそうだ。 ふーん。 これは「異なる文化間に共通する普遍的な正不正の基準はあるのかどうか」という、 倫理学における相対主義の問題と似てるなあ。
ちょっと外出して研究室に戻って来たら、 鍵がない。どっかで落してしまった。
悲惨悲惨と言いながら、うつむいて元来た道を辿る。ない。ない。 誰かがすでに見つけてどっかの草むらにでも放ってしまったのか。 それとも下水に落ちたか。 あああ、最悪、神様ヘルプ。 とか思っていると、捜索開始約15分後に、 本部の北東の門の近くで無事発見、回収。良かった。
ソファで爆睡。
ベンタムは当時の言語学の動きをどれだけ知っていたのだろうか。 ジェームズ・ハリスやホーン・トゥックといった当時のイギリスの文法学者の著作は 読んでいたようだ。また、コンディヤックやルソーの名前も旧全集に出てくる。
しかし、サンスクリット語がギリシア語やラテン語やゲルマン諸語と 歴史的な親族関係を持っていたことを立証したウィリアム・ジョーンズ卿の論文が 発表されたのは1786年だそうだが、これについてはおそらく言及がない。 言語と思考との密接な結びつきに関してベンタムとよく似た考えを持っていたと 思われるヘルダーについても言及がない。
ただ、言語学とか文法学について、かなり関心があったことは確かで、 普遍文法とか、(当時流行だったらしい)速記法についても書いている。 けれども、これまで言語学者の目にとまらず、 まだほとんど評価がなされていない(と思う)ため、 どの程度の水準だったのかがわからない。
『言語学史』一応読了。後半だれる。次はI・ハッキングだ。
お昼に下宿に戻ってやきそばを作成。 そのあと、食べたりないのでシリアルに牛乳をかけて食べ、 (ちなみに、 この牛乳は明治牛乳の人がサンプルとして持ってきてくれたもの-- 今住んでいるところは、周りに結構良い家が並んでいるため、セールスがはげしい) それから入浴して仮眠。
ロック読書会終わり。さ、勉強勉強。
ソファで爆睡。真夜中に大雨が降っていた気がする。
哲閲に寄ってから喫茶店でモーニング。 哲閲にジェームズ・ハリスの『ヘルメス』がないというのは驚き。 人環に借りに行くか。
彼[チョムスキー]の最初の標的は、言葉の学習ではなくて、文法の習得であった。 子供はその早い時期に文法的に話すことを学ぶ。 子供の目の前でじっさいに語られた事の集合は、 英語の文法をまったく不十分にしか確定しない。 しかし子供はたちまちにして、 彼が耳にしたことを発するようになるばかりではなく、 それまで誰も発したことのない数多くの新しい文を発するようにもなる。 子供の前でじっさいに言われていることには、 きわめて多数の「可能的文法」が適合するが、 ある年齢に達した子供は何の苦もなく、 自分が聞いていることを基礎にして、「正しい」文法を投射する。 それゆえチョムスキーは、 子供は正しい投射を行うことが可能になるような生得的能力をもって生まれてくる、 と想定するのである。
『言語はなぜ哲学の問題になるのか』、113頁
子供はそれまでに聞いてきた言葉の蓄積から、 「正しい」文法規則を自分の頭の中に作りだす、っていうわけだけど、 本当かなあ。
たとえば、10才まで日本で普通に読み書きできるように育てた子供を、 一人宇宙船に乗船させて、10年間宇宙に漂わせるとするでしょ。 それで毎日宇宙船の中で日記を書くように命じておくの。 しかし、辞書などは一切宇宙船には持ち込めない。
それでこの子供が20才になったときに地球に戻ってきたとき、 彼の日記は「正しい」日本語文法に従って書かれてるかどうかをチェックすると…… おそらくかなり違うものになってると思うけど、どうなんだろう。
上述のハリスの『ヘルメス』を借りようと思って、 自転車に乗って人環の図書館へ。 新館1Fの図書館に行くと、 この本は人環の言語学講座の本なので、 貸出中じゃないかどうか一度そっちに問合せてみてから、 2、3日後に連絡するとのこと。 なんちゅう面倒臭いシステムだ。
ついでに附属で一冊本を借りて、中央購買部でパンを買う。
言語学はちょっと置いといて、ベンタムの勉強中。
残念ながら、ベンタムはニュートンの轍を踏んで、 絶対空間と相対空間の区別を立ててたみたい。
Place may be considered as absolute or relative. Supposing but one substance in existence, that substance would be in some place, --that place would be absolute place-- relative place there could be none. Suppose two substances, --then, in addition to its own absolute place, each substance would have a relative place, --a place constituted by the position occupied by it in relation to the other.
(Bentham's Works, vol. viii, pp. 199-200)
たぶんマッハ先生なら、自分以外の何も存在しなければ、 場所というものを想定することは論理的に不可能だ、 というんじゃないかな。 (と思う。間違ってたら訂正してください)
あれれ、今月ももう終わりですか。
夕方に買物し、下宿に戻ってからシャワー。 勉強をしてから夕ごはん。 みそ汁。あぶたま丼。サラダ。
ちょっと休んでから、 真夜中に下宿を出て、 途中某古本屋に寄って研究室へ。
あ、昨日人環の図書室でコピー、 もとい複写をしてたのはのらくら氏でしたか。 ちっとも気付きませんでした。 せっかくだから本を借りてもらえばよかった:-)
昨日のチョムスキーについてのぼくのコメントに関して、 某先輩からメイルが到着。 ぼくの間違いを指摘してくださっている。
メイルに曰く、ぼくの例に即していうと、10年後、 この20才の子供の日本語の文法が10年前の日本語の文法と 正確に一致しているかどうかが問題なのではなく、 この宇宙から帰ってきた子供の使う日本語が、 すべての人間の言語に共通であるような文法構造(「正しい」文法) と合致しているかどうかが問題なのだ、とのこと。 どうやらぼくは「正しい」という語の意味を読み違えていたようだ。
ついでに、理解が深まるように次の一段落も引用しておく。
およそどの子供も自分が属する共同体の言葉を覚えるようになる。すべての子 供が百種類の生得的文法(日本語、メキシコ系米語(チカノ)、ブリティッシュ・ コロンビアのインディアン語(クワキートル)、フランス語)をもって生まれて くる、と考えるよりも、あらゆる言語は単一の基底構造を分有しており、子供 たちが自分の周囲で話されていることを基礎に一つのじっさいの言語を投射す る場合、彼らはこの構造にしたがってその投射を行う傾向性をもって生まれて くるのだ、と考える方が賢明である。(113頁)
朝下宿に戻って、シリアルを食べてから爆睡。 寝坊して4コマ目の情報倫理の授業に遅れてしまう。
某助教授と某師匠とそば屋へ。 そばもだんだんうまくなってきた。