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こだまの世界

98年8月下旬号

エンダー(白人)「ねえ、ぼくらは黒ん坊ばっかりにはなれないんだぜ」
アーライ(黒人)「ぼくの祖父(じい)ちゃんなら、 そんなこと言われたらきみを殺しただろうな」
エンダー「ぼくの曾々祖父ちゃんなら、そのまえに彼を売っちゃったはずさ」 (『エンダーのゲーム』、107頁)


8月下旬の主な話題


08/21/98(Friday/vendredi/Freitag)

昼下がり

早起きするつもりでお昼過ぎまで寝てしまう。 昨夜は某古本屋に寄ったあと、 下宿で『脱走と追跡のサンバ』を読み終えて寝た。


夕方

ベンタム読書会。その後、某師匠とルネで買物。 モバイルギアは、メインボード不良ということで、 修理代が25000円ぐらいかかるため、修理を断念。不運。

昨日のビデオ録画の話に関して、 「あんたは守銭奴か。友人の頼みぐらい実費でやってやれ。 少なくともわたしの周りにはそんな情けない人間はいません」 ってなメイルが来た。 メイル全体の調子が、 人を蔑み、憐むことによって自己満足を得ようとする種類のもので、 おれとしてはそう簡単に自己満足を得られてしまっては困るので、 ちょっと反論したい。

あのさ、世の中いろんな人間関係があるわけでさ。 あんたは、Y先輩がどんな人間かとか、 おれとY先輩がどういう関係かとか、よく考えてみたわけ? 他人のおかれている状況をよく知ろうともしないで、 自分の交友関係に当てはめてみるだけでこんなこと言うやつはさ、 ゆ、許せんっ。あ、どんどん腹が立ってきました。 そそ、そもそも、だれがY先輩が友人だなんて言ったんだ? 言ってません言ってませんだれも言ってません。 Y先輩とおれとはビジネスライクな関係でさ、 こういうことは過去にも何回かあって、 すでにお互い同意が成り立ってるの。 はじめっから、頼む方も頼まれる方もバイトとして捉えてるんだから、 他人から文句を言われる筋あいはないっ。ありませんっ。

…。落ち着いて、も一回論点を整理しておくと、このメイルをくれた人は、

と言いたいんだと思う。これはまあ、一般的に言って正しい。同意します。 ただし、おれなんかは、さすがに引越しの手伝いとかになると、 いくらかバイト代をもらってもいいんじゃないかと思うけどね。

問題は、このメイルをくれた人は、Y先輩の人柄と、 彼とおれとの関係を理解していなかった、 あるいは誤解していたってことなんだよね。 つまり、判断に必要な重要な情報を考慮に入れ損ねてたわけ。 それは一つにはおれの書き方が悪かった、というのが原因であり、 これはおれが悪かった。ごめんなさい。

しかし、もう一つには、--こんなこと書くとまた怒る人が出てくる気がするけど-- この人の想像力とか、共感能力の貧困さ、 っていうのも原因でさ、もうちょっと他人のおかれている状況というのを、 同情的(共感的)に考えてみる訓練をする必要があるんじゃないの、って言いたい。 「わたしがあなたの立場にいたら絶対そんなことしない」っていうけど、 ほんとにそうなのか、 また、他人のおかれている立場について何か誤解してるんじゃないか、 人を非難する前にじっくり考えてみる必要があるんじゃないのかな。


う〜ん、他の方、何か意見あります?


何か一言


08/22/98(Saturday/samedi/Sonnabend)

夕方

またお昼過ぎまで寝てしまった。

昨日は「くれしま」で某師匠とお好み焼きを食べたあと、 下宿に戻って勉強。

それから夜明け前に寝て、 起きてから『吉里吉里人』を読み始める。おもしろい。 こんなことしてる場合じゃなんだけど。


その後。数名の方からご意見をいただく。 用事を聞いてなんらかの見返りを期待するのは当然、 このメイルの主は金銭的やりとりに対して軽蔑感を持っている、 こだまの舌足らずな書き方が悪い、 匿名メイルは無視しろ、など。 今日研究室に来ると、さらに反論のメイルが来ていた。

今回もトゲのある文章だったので、 しばらくの間は、ガスコンロにかけたやかんのように怒りが沸騰していたのだが、 いろいろ考えているうちに冷静になった。

そのメイルから注意深く一本一本トゲを抜いていって、 残ったものを見ると、結局、 「あなたの文章には、Y先輩に対する軽蔑感がにじみ出ている。 Y先輩やY先輩の身近な人があなたの文章を読むと、きっと傷つくだろう」 というようなことを言っているらしい。

恥ずかしながらおれも「正当な理由もなく人を傷つけるのは良くないことだ」 という道徳律を持っているつもりだ。 だから当然おれは、「たとえY先輩やY先輩の身近な人がこの文章を読んでも、 傷つくことはないだろう」と予想して書いたわけだけど、 ひょっとするとおれの予想は間違っているかも知れない。

もしこのメイルの送り主がY先輩や周りの人のことをおれより良く知っているとすれば、 というか、この人自身がY先輩の知り合いの一人なのであれば、 当然彼女の予想の方が正しく、おれの予想は間違っているだろう。 その場合、その旨をメイルしてくれれば、おれは謝った上で文章を削除する。

また、 このメイルの送り主がY先輩や周りの人のことを特に知っているわけでもないのなら、 おそらくおれの予想の方が正しく、彼女の予想は間違っているだろう。 ただし、その場合でも、 「一般的にいって、あのような文章は読む人の気分を害し、 誰かを傷つける可能性を予想させるものだから、書くべきではない」 という忠告は、ありがたく受け賜わっておく。


あ、Thomasさんがこの件に関して、 日記に一言書かれてます。


脱走と追跡のサンバ』の感想。


ソウルバンドの練習。和歌山で勤めているヴォーカルの女の子が辞めることに。 どうなることやら。そういえば、モータウンの連中が大阪にも来るらしい。


何か一言


08/23/98(Sunday/dimanche/Sonntag)

早朝

昨夜は某師匠と一緒にゲーセンに行き、 ゲームをしてる途中だったが12時に電源を切られてしまったので、 仕方なく店を出て、近くの飲み屋で某師匠と少し話した。

それから、下宿に戻って、『吉里吉里人』を少し読んで朝まで寝た。 軽音の部室の鍵を持っていくために、7時15分前に目覚める。

ローソンに寄って研究室に来ると、三度メイルが来ていた。 今回は引用の許可が出ているので、 掲載しておく。

(name) ***
(subject) from newworld, ビデオ録画の件
(comment)
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こだまさん、こんばんは。
お応えいただき嬉しゅう存じます。

私がY先輩の知り合いであるかどうかという質問にはお応えできません。

ただ加藤尚武流の、弛緩しきった稚拙な自意識の産物を倫理学という 学問の衣を借りて表に出してみるだけ、といった屑態度に対しては徹 底的な批判を加える立場にある者です、とだけは申しておきましょう。 ちなみに煙草は吸わない方です(笑)。

しかし、あなたの論法のうち、

「ある人間が傷ついたかどうかなどというのは、その人間により 近しい人物がより良く正確に把握することが出来る」

とでもいうようなあまりに無邪気な考え方には心底あきれました。

あなたとY先輩の関係が私とY先輩との関係より近ければあなた の判断が正しくて、その逆ならば私の判断のほうが正しくなるわけ?

やれやれ。

「心情把握距離比例の法則」ですか。
じゃあベンタムの真意を探るにはその近所の家でも訪ねるんでしょうね。

いったいどこからこんな瓢箪みいたな論法が出てくるのだか。

想像力とか人間の思念の表裏、人が何かを思い考えるとはどのような ことか、というようなことには到底考えが及ばない方のようですね。

それをあなたの文章力の稚拙さに摩り替えて反省してみても何になりま しょうか。

(本メール全文引用許可)

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相変らず毒々しい文章。悪意にあてられてしばらく気分が悪くなってしまった。 おれがY先輩や彼の周りの人を傷つけるような文章を書いたと言って非難している この人自身は、おれを傷つけることに対してなんらかの抑制は働かないんだろうか、 と思ってしまう。

さて、それはそれとして落ちついて考えると、今回彼女が言っているのは、 おれが「ある人間が傷ついたかどうかなどというのは、 その人間により近しい人物がより良く正確に把握することが出来る」 という前提を用いていて、それが偽である、 ということを言っているようだ。

おれが、そういう前提を用いていたことは認める。 もう少し正確に定式化するなら、 「ある発言によって、ある人間が傷つきそうかどうかは、 一般に、その人間により近しい人物の方がより正確に把握することが出来る」 であろうか。そして、もちろん、おれはこれが正しいと認める。

一見すると、 むしろ「ある発言によって、ある人間が傷つきそうかどうかは、 一般に、その人間により近しい人物の方がより正確に把握することが出来る」 は必ずしも正しくなく、 むしろ「より疎遠な人物の方がより正確に把握することが出来る」 という逆説的真理の方が正しいような気がするが、 おれはそこにはトリックがあるように思う。

たとえば、「自分のことは、他人が一番よく知っている」 という逆説的真理を唱える人がいる。 これは、一見すると正にその通りだ、と言いたくなるが、 本当にこれは真理なのだろうか。 たしかに、「自分のことの(特定の)一部分は、 自分よりも他人の方がよく知っていることがある」は、ときに真であるかもしれない。 しかし、「自分のことはすべて、 自分よりも他人の方がよく知っている」は、ほぼあらゆる場合において、 偽であるだろう。 おれのことについて、 性格の特徴を含め一部の情報は他人の方がよく知っているかも知れないが、 なんでもかんでも他人の方がよく知ってるなんてことはありえない。

だから、こうした逆説的真理がすべての事例に当てはまると考えると、 誤ちを犯すことになる。 逆説的真理は、決して普遍的な真理ではなく、 一部の事例に当てはまるだけであり、 しかも、その「一部」も、全体から見れば、 割合としては非常に小さいと思われる。
(自分のことの、どういう「一部」が、 自分よりもむしろ周りの人の方がよく知っているのかどうかは、 興味深い点だが、後日検討することにして、ここでは省略)

さて、問題の命題、「ある発言によって、ある人間が傷つきそうかどうかは、 一般に、その人間により近しい人物の方がより正確に把握することが出来る」 に戻るが、これはおれがわざと「一般に」と付けたように、 すべての場合に当てはまるわけではないし、そう主張するつもりもない。 もし、このメイルの送り主が、おれがそう主張していると考えたなら、 それは誤解であり、拡大解釈である。ただし、当然ながら、 おれは今回の例については上の命題が当てはまると主張している。

この命題には、もちろん例外的事例はありうるが、しかし、 これが大体の場合において成り立っていることを認めないわけにはいかないだろう。 「より近しい人物」というのが、 「よりよくその人の性格を知っている人物」という風に置きかえてもよいのなら、 これはほとんどトートロジー的な真理である。 というのも、ある人の性格をよく知っているということには、 その人が何が好きで、何が嫌いで、 また何に傷つくかということ知っているということが含まれるだろうから 「ある発言によって、ある人間が傷つきそうかどうかは、 一般に、その人間の性格をより知っている人物の方が より正確に把握することが出来る」っていうのは、当り前の話だからである。

ここで、反論が予想される。「より近しい人物」は、必ずしも常には、 「よりよくその人の性格を知っている人物」に置きかえることはできない、 という主張だ。 たしかに、「より近しい人物」というのが、 たとえば友人や家族のことを指すのであれば、 「ある人の友人や家族が、(赤の他人に比べて) 必ずしもその人の性格(の特定の部分、たとえばある発言によって傷つくかどうか) をよく知っているわけではない」というのは、ありえないことではない。 しかし、こういう場合はむしろ例外的であって、 通常は「より近しい人物」と「よりよくその人の性格を知っている人物」 という二つの集合は大部分重なり合う、ということを認めない人はいないと思う。

結局、結論としては、一般に、ある人に「より近しい人物」は、 「よりよくその人の性格を知っている人物」であり、その人物は 「ある発言によってその人が傷つくかどうかより正確に知っている」 というのは正しいと思われる。 また、おれは今回の場合もこれに当てはまると信じてるので、 もしおれの方がこのメイルの送り主よりもY先輩に 「より近しい人物」であれば、 (こんなこと言うのはなんとも気恥ずかしいが)おれの方が 「Y先輩の性格をよりよく知っている人物」であり、したがって 「今回の発言によってY先輩が傷つくかどうかより正確に知っている」 はずである。

回りくどくなったが、要するに、大変偉そうな言い方になるが、 「(もしこのメイルの送り主がY先輩のことをよく知らないのであれば) おれの方がY先輩の性格についてよく知ってんだから、 Y先輩がおれの日記を見てどう思うかは、 おそらくおれの判断の方が正しい」ってことだ。 もちろん、おれが間違えてる可能性もあるし、 たとえばこの研究室の他の多くの人たちが、 おれと意見を異にするなら、おれも判断を変えるかもしれない。 (別にそこまでして書くべき重要な話じゃないし) しかし、「おれの日記を読んだら、Y先輩が傷つくかどうか」 という事実判断に関する限り、 赤の他人の意見をそれほど参考にするつもりはない。

だから、「今回の文章を読んだら、 Y先輩やその周りの人が傷つくであろう。 それなのにあなたはそういうことに気がまわらなかった」 という主張は、第一文も第二文も誤っていると考える。 ただし、昨日も書いたが、 「一般的にあのような文章は人を傷つけかねないのでやめておいた方がいい」 という意見は、ありがたく拝聴させてもらう。


お昼前

昨夜買った古本。


お昼に一度下宿に戻って、 そうめんなどを食べる。 それからギターの練習をして一時間ほど仮眠。

夕方からバンドの練習。4時間も部室にいたので疲れた。 同居人が新曲を作ってくる。おれは最近全然。 創造力がないんだよなあ、 このごろ(というか、ここ一年間ぐらいずっと)。 なんとかしなきゃ。なんとかしなきゃ。

練習が終わってから、一人は帰り、残りの三人で某餃子屋さんへ。 テレビでボクシングを観戦する。その後、もう一人も帰って、 二人でゲーセンへ。 「タイム・クライシスII」というポリゴンのシューティングゲームを、 金を大量に投入して最後までやり終える(そんなに言うほど使ってないけど)。 いつのまにかゲーマーになってるなあ。


何か一言


08/24/98(Monday/lundi/Montag)

夕方

昨夜は、ちょっと某師匠の新研究室にお邪魔した後、下宿に戻った。 『吉里吉里人』を読み進めて、とっとと寝てしまう。

それなのに、疲れていたのか、起きるとすでに昼さがり。 入浴してから喫茶店へ。楳図かずおの『おろち』第4巻を読む。 よく書けている。


ああ、全然勉強ができない。 研究室に来るのが問題だな。 下宿で日記を書ける体制をなんとか作って、 研究室に来ない方が良いんだろうか。


つまり

おれの身近にも、 「つまり」の後ろには、 その前で述べられたことを要約するような短い文章が来なければならない、 と主張する人がいるんだけど、 その人によると、そう主張する理由は以下のようなものである。

そもそも、「つまり」というのは、漢字で書くと、「詰まり」であり、 これは「とどのつまり」とか「詰まるところ」とかいうのと同じことである。 広辞苑によると、「つまり(詰)」は、 名詞で、

  1. つまること。
  2. はて。つめ。おわり。
  3. 行きどまり。すみ。
という意味で、副詞で、 とある。ちなみに、「とどのつまり」の「とど」というのは、 食肉目の海獣のことではなく、 出世魚(成長するにつれて、呼び名が変わる魚のこと)の鯔(ぼら)が 成魚になって最終的に呼ばれる名のことである。 そこから、「とど」あるいは「とどのつまり」が、「つまるところ、結局」 という意味になる。

そこで、その人によると、「つまり」は、 「すなわち」とか、「言い換えると」などのように、 単なる言い換えをするために用いられるべきではなく、 むしろ「要するに」「結局」などと同じように、 内容をまとめるために用いるべきなんだそうだ。

したがって、「要するに」の後にだらだら文を書き続けたらおかしいのと同じで、 「つまり」の後にやたらと長い文を書き続けるのもおかしい。 「つまり」の後は、 そこさえ読めばそれより前の内容を読まなくても済むように、 簡潔な表現で完結してなくてはならない。とその人は主張している。

ところで、その人によると、「つまり」とか「要するに」には、 もう一つ面白い用法があって、 人によっては、いきなり文章の冒頭に「つまり」を持ってくるんだそうだ。

これは、その人に言わせると、どうも「自分の頭の中で考えていること」 を要約してから、書きはじめた、あるいは喋りはじめた、 ということであるらしい。 どういうことかというと、そういう人が使う「つまり」は、 「わたしが頭でいろいろ考えている内容を、 あなたに伝えるために簡単に表現すると」という意味を担っているというわけだ。

これは、場合によっては失礼な言い方になる恐れがあるとはいえ、 「つまり」の本来の用法に適っているので、 この人は問題ないんじゃないか、と言っているが、 おれはどうかと思う。やはりこの言い方は、 「相手は簡単に言ってやらないとわからない」ということを暗に言っているようで、 失礼な気がする。


何か一言


08/25/98(Tuesday/mardi/Dienstag)

夕方まで寝てた。どうなっちゃったんだ、おれの身体は? 起きてからシリアルを食べつつ『吉里吉里人』上巻を読み終え、 喫茶店に寄って昼食とも夕食ともいえない食事をしてから研究室へ。

昨日は、帰りに買物をしてから、 下宿でいろいろ勉強。

それから晩ごはん。 野菜炒め。 厚揚げのステーキ。 サラダ。 アイスクリーム。 (うう。ワンパターン)

それからしばらく『吉里吉里人』を読んで笑い、 早朝から眠り出す。


真夜中

さすがに、夕方まで寝ていたのが反省材料になったのか、 今夜はちょっとまじめに勉強している。


何か一言


08/26/98(Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中

ちょっとゲーセンに寄り、さらに古本屋を覗いてから、 某定食屋でごはん。『ギャラリーフェイク』3-4巻を読む。


お昼前

昨日も夜遅くに下宿に戻って結局寝たのは夜明けだったが、 最近の自堕落を反省して今日は午前中に起きた。


お昼

文学部図書館で、

を借りてくる。

昼下がり

ベンタムの勉強など。


何か一言


08/27/98(Thursday/jeudi/Donnerstag)

うわ。今日も夕方まで寝てしまった。ぐあ。

昨日はスーパーに寄ったあと、下宿に戻って少し寝てから夕ごはん。 焼きそば。 なすのバター炒め。 トマトとレタスのサラダ。 冷奴。 食後にアイスクリーム。など。

それから勉強したり、『吉里吉里人』を読んだり。

明け方から延々と寝てしまう。あかんがな。 途中、雷がガラガラピシャと鳴って、大雨が降っていた。

というわけで、夕方から研究室へ。


夜中

ちょっとゲーセンと古本屋に寄ってから、 某定食屋でキムチ鍋を食べる。

さて、勉強勉強。


何か一言


08/28/98(Friday/vendredi/Freitag)

真夜中

わ〜。つい椅子の上で寝てしまった。


某師匠と某ラーメン屋へ。


やっぱりコンピュータの前に座って本を読むと、 気が散ってしまっていかん。 オンラインの辞書はいろいろあって便利なのだが。


ベンタムの勉強。


昼下がり

早朝に下宿に戻って、しばらく勉強をしてから寝る。 ベンタム読書会があるので、お昼前に起きて、 喫茶店に寄ってから研究室へ。 んで、今までベンタム読書会。

英語では、がちょう(鵞鳥)もがん(雁)も、gooseと言うらしい。 不思議に思って国語辞典で調べたところ、 がんを飼い馴らすとがちょうになるんだそうだ。 へー、そうだったのか。 ちなみに、 いのししを飼い馴らすとぶたになり、 狼を飼い馴らすと犬になり、 豹を飼い馴らすと猫になり、 学生を飼い馴らすと手下になる。


何か一言


08/29/98(Saturday/samedi/Sonnabend)

真夜中

ゲーセンに寄ってから下宿に戻り、 ちょっと勉強をしてから仮眠する。 夕食は、 にらともやし炒め、 厚揚げのステーキ、 なすのバター炒め、 トマトとレタスのサラダ、 納豆、 そして食後にアイスクリームなど。

それからしばらく勉強していたが、暇になったので研究室に来てしまった。


夜明け

わ。また椅子の上で寝てしまった。 内容はよく覚えていないが、 「である」と「べし」の区別をフィーチャーした夢を見てしまった。


ああ。ほんと、修論のテーマが今一つ定まらない。まずいまずいまずい。 ベンタムの『序説』の中で、卒論を書いてたころに読んでいた部分を読み返すと、 当時の気分が蘇えってきた。ああ、あの頃も必死だったなあ。 もう二年も前の話か。嘘みたいだ。


倫理学入門読書会の予習。逃避逃避。


真夜中

喫茶店がまだ準備中だったので、 下宿に戻り、シリアルを食べてから夕方まで寝た。 夕方に起きて、久しぶりに四条に行き、 『スクリーム2』を観てきた。 怖かったけど、それほどたいした映画とは思えなかった。 その後、三条の某カレー屋さんで夕食を食べ、 途中で古本屋に寄ってから、 さらに、ちょっとゲーセンに寄って研究室へ。


何か一言


08/30/98(Sunday/dimanche/Sonntag)

早朝

また、椅子を並べて寝てしまった。

昨日買った『右利き・左利きの科学』をななめ読みして読了。 利き手、利き足の他に、利き目、利き耳もあるそうだが(利き鼻はないのか?)、 おれはどうも、利き手、利き足は右だが、利き目は左のようだ。 利き耳は不明。 利き目の知り方は、 少し離れたところにある対象を、 両目を開けたまま指かペンで指してみて、 それから順に片目ずつ閉じたときに、 対象と指先(ペン先)が一直線になる方(言いかえれば、ずれない方)であるらしい。

一般に、利き目は右の人が多く、また、 利き手と利き目が一致している人の方が運動能力が優れているらしい:-( ただし、野球とバスケは利き手と利き目が交叉している方が有利なんだそうだ。 バスケの理由は書いてないが、 野球は、一般に右利きの人は右打席に立って打つわけだが、 そのとき、顔の向きを考えると、 利き目が右よりも左の方が有利なことは明らかだろう。 (むしろ、野球をやる人は、 自然、利き目が利き手と交叉するように訓練される、という説もあるらしい)

さらに、ライフルで狙いを付ける場合、利き目の方が命中率が高くなるため、 利き手が右で利き目が左の人用のライフルなども作られているらしい。

利き手や利き目の違いで、大脳の発達の仕方も違ってくるらしいし、 ううむ。「利き」恐るべし。


何か一言


08/31/98(Monday/lundi/Montag)

真夜中

昨日は、朝に下宿に戻り、 しばらく本を読んでから寝る。 起きたのは何故か夜:-) またしばらく本を読んでから、夕ごはんを作る。 味噌炒め、 なすのバター炒め、 レタスのサラダ、 納豆、など。

それからちょっとゲーセンと古本屋(コミックパレス)に寄って研究室へ。 ワンパターンな生活だ。 吉田神社の辺りで猛スピードで角から現れた自転車と正面衝突しそうになる。 少しかすったが大事に至らずに済む。くわばらくわばら。


ありさんとごきぶり

ぼくは、きのう、いまでほんをよんでいると、 おおきなありさんが、くろいてーぶるごたつのうえを、あるいていました。

ぼくは、そばにあったかみを、ありさんのまえにおくと、 ありさんわ、かみのうえにのりました。

ぼくは、ありさんがおちないようにきをつけながら、 まどのそばにいき、あみどをあけて、いきをふっとしました。

ぼくは、ありさんがなかなかとんでゆかないのでこまりましたが、 しばらくいきをふっとしていると、とんでゆきました。

ぼくは、それからしばらくして、ゆうごはんをたべたあと、 しょっきをあらっていると、ごきぶりにあしをはわれました。

ぎゃー。あわわわわ。

ぼくは、しばらくぶりにごきぶりをみて、たいへんおどろきました。 ごきぶりわ、よたよたと、とびらのちかくにはっていき、 かげにかくれました。

しめしめ。

ぼくは、ぬきあしさしあししのびあしで、げんかんにほおってある、 ちらしをとりにいき、それをまるめて、 ごきぶりをころすじゅんびをしました。

どきどきどき。

ぼくは、そおっとごきぶりのかくれている、とびらをいごかしました。

かさかさかさ。

ばし。ばしばしばし。ばしっ。ばちばち。ぐちゃ。ぐしゃしゃのしゃ。ばちばちばち。

はあはあはあ。

ぼくは、たたかいは、すぐにおわりました。 いや、もしかしたらじっぷんぐらいは、たたかっていたのかもしれません。 しかし、どちらにしろ、たたかいは、ぼくのだいしょーりにおわりました。 ごきぶりわ、もお、ぴくりともうごきません。

ぼくは、しろっぽいないぞうのはみでているごきぶりのしたいを、 ちらしのさきでじょうずにひろいあげて、ごみばこにすてました。

ぼくは、ありはあまりすきではありませんが、ごきぶりはだいきらいです。 みんなは、どーですか?


ところで、去年読んだ『不思議な少年』は、マーク・トゥエインのです。 手塚治虫のは、読んでないかも知れません。


某師匠と某所でラーメンなど。さて、勉強勉強。


また椅子を並べて少し寝ていた。

何か一言


何か一言

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Satoshi Kodama
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Last modified: Fri Jan 22 08:18:45 JST 1999