「なぜ"直感"ではなくて"直観"なのですか?」(略)
私の言う「直観」とは、そういうもの [=直感、すなわち一瞬の閃きでスッカリ感じ取ってしまうこと] ではないのである。
では、「直観」とは何か? 自分の頭だけで徹底的に考え、 考え尽くして、自分なりの「考えの道筋」を作っていくと、 じきに「その道筋をスキップして飛び跳ねて、 向こうに行ってしまっても大丈夫」という具合に頭の中が動くようになる。 そうすると、問題を見た途端に、その起点と終点とを一気に 結びつけられるようになる。 つまり、途中でいろいろ計算したり、理路整然と論理を構築したりすることなく、 問題の本質がズバリとわかるようになるのである。こういう頭の中の動きを、 私は「直観」と呼ぶ。
これは言い換えると、物事を徹底的によく考え、 考えぬいた人だけが「直観」を体得できるということである。(略)
「直観」の「観」という字は「わかる」という意味である。 「感じる」ではない。だから、「直感」ではなくて「直観」なのである。---畑村洋太郎、『続・直観でわかる数学』
若者の口からやたら出てくるのが「理不尽」という不満。 これは受験以外に人生での成功体験を知らない者に多い。 「努力と結果が比例する」というパターンしか知らない。 スポーツ、恋愛などで「努力しても報われない」という理不尽を 適度に経験した耐性が必要なのだ。
---矢幡洋
1755年、カントは31歳で、ようやくケーニヒスベルク大学で学位を取得する。 (……)
31歳というのは学位を取得するには遅い年齢である。しかし、 これからみていくように、 カントの哲学的な歩みはきわめて遅々としたものなのである。 ほぼすべての一流哲学者が30歳になる前に、 後世に名を残す哲学的アイデアを形成しはじめているが、 カントの場合、さらに20年もの歳月を待たないことには、 独創的な哲学を築きはじめないのである。---ポール・ストラザーン
安楽椅子の哲学者 (あんらくいすのてつがくしゃ armchair philosopher)
フィールドワークなどの調査研究をせず、 文献研究しかしない哲学研究者を指して言われる非難の言葉。 (実証研究をする種類の)社会学、文化人類学などの社会科学研究者や、 医療や行政や教育などの現場にかかわる人々に 「哲学者は怠惰だ」「哲学者は現場を知らない」と非難され、 しばしばこう呼ばれる。
それに対して、一部の哲学研究者は恥じ入って 実証研究の必要がない論理学などの領域に引き込もるようになるが、 別の一部はそのような批判には動じず、 「いやあ、実際にはね、安楽椅子に座って研究していることなんか少なくてね、 だいたいは安楽椅子に座ってイビキをかいて寝てるんだよ」 と真顔で答えてさらに顰蹙を買う。
---哲学・倫理学用語集より
Emancipate yourselves from mental slavery;
None but ourselves can free our minds.---Bob Marley, `Redemption Song'
よく寝た。
翻訳の校正。昨日のノルマがやっと終わった…。
お昼すぎ、同僚の某氏とラーメン。 某ラーメン屋ではライスが一杯目は無料のため、ついつい頼んでしまう。 炭水化物のとりすぎだ。
研究室で少し翻訳。 なんとか今日中に自分のところはすべて終えてしまいたい。
快晴。抜けるような薄い青空。
昼下がりから某ミーティング。テキストIIについて相談。
夕方、某勉強会。臓器移植と安楽死。勉強になる。
そのあと、高田馬場な某氏とイタめし。 お菓子をいただく。
某氏を湯島の駅まで見送ってから本郷に戻り、 某スタバで翻訳の校正。 眠かったのでしばらくうつらうつらしていたが、 ちょっと寝たら目が覚めて調子が出る。 しかし閉店になったので帰宅。
メモ。研究環境としての東京。
まあ、京都にいたときはそこが(まさに)都だったが。 井の中の蛙にとっては、どこも一緒だ。ケロケロ。
去年買った除湿機は非常に重宝している(重いけど)。 これなしには健康で文化的な生活ができないのではないかと思うくらいだ。
部屋が寒くなった。温度計によると、21度。湿度は55%。
郵便物の不在届が入っていたので、散歩がてら夜中に郵便局に取りに行く。 ついでに電話代なども払う。
メモ。「優れている(卓越している)ことは悪である」。 なぜなら、優れている者は、 劣っている者が存在して初めて存在するものであり、 劣っている者が劣っていることを明らかにすることは、 劣っている者を恥ずかしめる行為であり、 人を恥ずかしめる行為は道徳的に不正だから。Q.E.D.
この義務論的な証明に欠けているのは、 競争が生み出す社会的利益の考慮だろう。 功利主義者なら、次のように言う。 「優れていることは善である」。 なぜなら、優れている者は、 競争によるさまざまな個人的利益、 また競争がもたらす社会への利益を生み出し、 それは敗者が感じるかもしれない不幸や不利益を考慮に入れても、 あまりあるからである。Q.E.D.
翻訳の校正。う〜ん。 今日のノルマの半分しかできなかった。 明らかにノルマの設定に無理があるな。
ニュースを見たら寝るようにしよう。
今日のニュース
昨日のニュース
寝不足で眠い。
朝、某勉強会。昼、某氏らと四人で昼食。いわしのタタキ定食。
それから、集中して翻訳の校正をするために、某スタバへ。 2時間半ほど集中してやったらかなり疲れた。 もっと集中力が持続するよう修業しなければ。
とりあえず、翻訳の校正が一通り終わった。 プールで泳いだら、明日の発表の準備をしなければ。 風邪を引かないように注意しよう。
プール。55分で2.35キロ。戻ってくるとどっと疲れている。 明日の準備をしたら食事をして帰宅しよう。
夜、研究室でうだうだしていたら、同僚の某氏から電話があり、 ひさしぶりに夕食を食べに行くことになる。 春日の少し高級な居酒屋で刺身を食べながらいろいろ密談。 ビール一杯、日本酒一合。
さて、なんとか明日の準備をしなければ。
BBCラジオでドアーズの`Rider's on the Storm'がかかっていたので、 アメリカにいたときに見た映画(『ドアーズ』)での メグ・ライアンがかわいかったなあ、とか、 同じアメリカにいたときに『メンフィス・ベル』 を見に行くとホストファミリーに偽って 『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を見に行き、 あとでバレて怒られたなあ、とか。 映画館でバイトしていたのが同級生で、 彼から話が伝わってあとで怒られたのだった。 あの町はほんとに小さいコミュニティだったので恐ろしかった。
それはともかく、行く準備をしなければ。
明日7時起きればなんとかなることがわかった。 もう少し翻訳の校正をしたら、寝よう。
まだ起きてる。結局、翻訳の校正の仕上げに2時間以上かかった。 早く寝ないとたいへんだ。
今日のニュース
早起き。早く起きるという覚悟をして寝ると、 時間が短くてもよく寝た気になる。 とはいえ、あとで反動が来るわけだが。
それはともかく、さっさと行かないと遅刻する。
昨日初めて知ったが、 Mapionの待ち合わせ地図の作成機能は便利だ。
急いで大学に来て原稿をプリントアウトし、コピー。 遅刻するとまずい。
車内で。
朝、大学で発表の準備を済ませたあと、
急いで東京駅へ。
切符売場が混んでいで危うく予定の新幹線に
乗り遅れそうになったが、ぎりぎりで間に合う。
しかし、駅弁も買えないくらいぎりぎりだった。
いつまで経っても学ばないなあ。
When will they I ever learn?
そういえば、アラバマ州モントゴメリーで白人にバスの座席を 譲るのを拒み、 公民権運動のきっかけとなったローザ・パークスが 92歳か何歳かで亡くなったそうだ。合掌。 しかし、 マーチン・ルーサー・キングとかJFKとかも暗殺されていなければ まだ生きているかもしれないんだよな。 オーティス・レディングとか、 サム・クックとか、 ジミヘンとか、ジャニス・ジョップリンとか、 ジョン・レノンとか、 みんな生きてたら、どんな世界だろう?
とはいえ、
チャック・ベリーやリトル・リチャードもまだ生きている
というのは
シーラカンスが生きているのと同じくらい
何だかすごい。
エルヴィスは死者の長者番付で数年間連続して1位だそうだ。
ところで、 いつも書く「某所で某氏と某密談」 というのは別に大したことを話しているわけではなく、 せいぜい世界征服とか火星旅行とかそのぐらいなので、 あまり気にしないでください。
電車の中でパソコンを使って発表の準備。 最近、使い回しが多い。 しかし、正確に言えば、 これは使い回しというのではなく、 シングルレコードを作ったので地方巡業するという感じなんだろう。 ちゃんと自分の仕事を知らせる活動なので、 胸を張ってよい(と思う)。 地方巡業するためには、 少なくとも毎年一本か二本は新しい論文を書かないといけない。 次はdead donor ruleか尊厳でサーベイ論文を 書いてみたいと思っている。
ホテルのフロントの、 「セキュリティのないネットワーク接続」から。 あんまりよくないが、背に腹は変えられない。
時間通りに乗り継いで、ホテルへ。
夕方、一応発表。誰にも理解されなかったような…。 部会が4つもあり、少人数だったが、総合討論はけっこうおもしろかった。 ぜんぜん内容が違う発表でも、努力すればなんとなく議論になるもんだ。
夜、みなで顔合わせを兼ねた食事。 そのあと、露天ブロ。満喫する。 部屋からバスタオルを持っていくのを忘れ、 風呂から出たあとに気付いたので、 あやうくたいへんなことになるところだった。 さいわい清掃のおばさんがいたので、 バスタオルを借りることができた。
早寝早起き。しかし、もっと早起きして、 朝風呂に入ったり浜辺を散歩したりすればよかった。 お昼に散歩に行こう。
朝食。どうもこのホテルは身分不相応なくらい良いホテルのようだ。
朝から研究会だが、眠いので寝てしまいそうだ。
朝から真面目に勉強。しかし、 うつらうつらとして午前中はまったく頭が動かないことがよくわかった。 生活習慣を変えないとダメなようだ。
昼食をみなと食べてから、しばらく白良浜を一人で散歩。 ほんとに砂が白くてすごい。写真をたくさん撮る。
人工的に作られた岩壁に座って海を眺めていると、 無性に海辺に住みたくなった。 神奈川の京浜東北線沿いにでも引越すかな。 とくに、 部屋の窓から海が見えるというのは精神衛生的に 非常に良い気がする。 ずっと住んでるとあきるのかな。
昼下がりから全体討論。死生学の今後について。
太陽が沈む前に(意図的に)研究会が終わったので、 他の人たち数人と急いで浜辺に行き、写真を撮ったり、 沈む夕日を眺めたり。水平線っていいなあ。
こないだ某教授に「学問論という分野があって…」 と言われて以来、まだきちんと調べていないのだが、 What does it take for one area of study to be called a `discipline'? という問いは非常に気になっている。 ある学問が「できる」ためにはどういう条件が必要なのか。
アナロジーでしかモノを考えられないようになってしまったので、 国家との対比で考えてみよう。 国家が成立するためには、
同じく学問で考えると、
両方とも十分条件かどうかわからないし、 とくに両者の第三番目のポイントは必要条件かどうかもわからないが、 まあこのぐらいにしておく。
第二点目に関して言えば、 学問の場合は、国家の場合とは違い、 単に国境に囲まれているだけではなく、 他の領域とは異なるという意味でのアイデンティティが要求される。 国であってもある程度はそうかもしれないが、 しかしまあ、ほとんど人種も言語も同じような国が 隣合っていても、両者が別の国であることを望めば、 二つの独立国家であることができる。 たとえば、北海道が独立国家であることを望めば、 まあ日本語を話していようがなんだろうが、 本州から独立できる(と思う)。 しかし、新しい学問の場合は、 他とは違うということが成立のための一条件になるだろう。
学問がほろぶというのも、国や町が衰退するというのと同じように 考えられそうだ。国だと武力による征服があるが、 学問だと、学としてのアイデンティティがあいまいになってくると 乗っ取られたり吸収されたりするかもしれない。 また、少子化や過疎化の問題も共通している。 滅ばないためには、ちゃんと子育てをしないといけないわけだ。 とくに、学問の場合は、「その国に産まれたからそこに住む」 ということがほとんどないので(哲学者の子供に産まれたので 哲学者になる、というぐらいはあるかもしれないが)、 この少子化の問題はより深刻だ。 とくに新興の学問は魅力的でないと、 すぐに滅んでしまうかもしれない。
国とのアナロジーと並んで、宗教とのアナロジーを考えてみたい。 原始宗教のようなものは除いて、一宗教が成立するためには、
学問の場合、(教祖は置いておくとして)聖典にあたるものは何か。
国だと憲法かな。学問の場合は権威的な教科書だろうか。
あるいは「なんとか学事典」だろうか。
あるいは「なんとか学がわかる人のために」だろうか。
その両方だろうか。いずれにせよ、
その学問のバックボーンとなる、
あるいはアイデンティティを明確に示すような、
テキストが必要なように思われる。
どうでもいいが、学会というのは信者の集まりか。 学会に来ない人が多いというのは、 信者が教会に来ないようなものか。 「倫理学を教えていますが、日本倫理学会には行きません」 というのは、 「キリスト教徒ですが、教会には行きません」 というようなものか。 このアナロジーは個人的にはおもしろい。 「なぜキリスト教徒なのに教会に行かないのか」という問いと、 「なぜ倫理学研究者なのに倫理学会に行かないのか」という問いに ついて、類推的に考えてみる必要がある。
まあいずれにせよ、重要なのは、学問も国も生まれたあとは いつか滅ぶ(あるいは、つねに滅ぶ可能性がある)ということで、 その事実を重々認識し、滅ばないように努力する必要がある。 国が滅ばないためには、ミルの言うように天才が生まれる土壌を 作っておく必要があるとすれば、学問もきっとそうだろう。 また、少子化に対する制度的な歯止めを考える必要がある。 天才とも関係するが、「新しい血」を入れる必要性というのは どうだろう。国家は民族的に多様化した方が滅びにくい という傾向があるとすれば、学問も学際的な方が滅びにくい と言いたくなるが、ひょっとすると内紛が絶えず、 求心性を失なって別の学問領域へと独立化していくかもしれない。
ついでに書くと、この「滅びる」という自覚というか危機感が リベラリズムには欠けているのかもしれない。 すなわち、 人に危害を与えなければ何をしてもよいというリベラルの発想では、 「それだと、たとえば少子化で国が滅んでしまうんじゃないですか」 と言われたら、答えられないかもしれない。 逆に、コミュニタリアニズムが アイデンティティ(共同善)の確立が必要だとか、 共同体への奉仕が必要だとか言うのは、 国や共同体が滅びないためにそうすべきだというのかもしれない。 それだったらかなり説得力を感じるな。
ホテルのフロントで日記の整理。 ここはインセンスと癒し系音楽がかかっていて快適。
とにかく眠い。寝不足のようだ。 ホテルのベッドが慣れないからだろうか。
夜、フロントで日記を書いていたら懇親会に少し遅れてしまう。 寿司や刺身が豪勢でうまかったが、お腹が一杯なのかあまり食べられず。 いろいろな人と話す。 終わり際に突然スピーチを頼まれてしまい、 次のような話をした。
「このたびは呼んでいただきありがとうございました。 たいへん勉強になりました。
「リベラリズムは他人に危害を与えないかぎり何をしてもよい というのが基本的主張ですが、これを研究者に当てはめると どうでしょうか。他人に危害を与えないかぎり、 どんな研究をしててもよいということになるでしょうか。
「いや、そうじゃないんじゃないですかね。 研究者も学問の自由を守るため、 あるいはある学問が滅びるのを防ぐために、 一定の貢献をする必要があるんじゃないでしょうか。 というのは、 リベラリズム的な研究生活を支える制度や枠組を維持しなければ、 そういう生活を送ること自体が不可能になるからです。 最近共同体主義に関心がでてきたのはまさにこういうことを 考えていたからで、やはりこのリベラリズム的発想だけでは、 いかんと思うのです。
「死生学という新しい学問にとって重要なのは、 これが優秀な先生方による一発花火に終わるのではなく、 活発な学問領域として次世代に引き継がれていくことだと思います。 たしかに、某先生や某先生によって、ある程度学問としての形は できるでしょう。しかし、学問は国と同様、 公共心を持った一定数の優れた人々が支える気がなければ 早晩滅びてしまうものです。
「そういう意味でこの若手育成プログラムというのはたいへん有意義なもの だと思いますし、若手のみなさんは各自、自分の得意な研究領域で がんばっていただきたいと思います。しかし、 若手のみなさんにはぜひ『自分たちががんばらないと、 この新しい学問は滅びてしまう』 という危機感を持ってやっていただきたいのです。 『死生学終わってODあり』なんてことにならないように がんばっていただきたいのです。
「また、『学際的分野』というのも多民族国家と同じで両刃の刃で、 うまく行けばさまざまな分野の人材が混じりあって活気のある分野になりますが、 みなさんがある程度努力しなければ、 学問自体が求心力を失ってディアスポラが生じ、 ばらばらになってしまいかねません。
「ですから、繰り返しになりますが、 自分の得意な研究分野でがんばると同時に、 先生方から引き継いだこの学問を次世代に残すということも頭の片隅にでも 置いておいてほしいのです。 死生学というこの学問が今後ますます発展を続けることを願ってやみません。 以上、簡単ですがわたしからの話を終えさせていただきます」
とうまく言えたらよかったのだが、実際はしどろもどろでこの半分も 言いたいことが言えなかった。だめだなあ。
というか、あんまり学問の心配をしてないで、 自分の研究の心配をしなければ。優れた研究の一つでもしないと、 誰も真剣に話を聞いてくれなくなる。
そのあと、露天風呂でゆっくりつかる。気持ちいい。
昨晩は2時ごろまでホテルの一室でみなとビールを飲み (「プチ懇親会」と呼んでいた)、 それから部屋に戻って寝た。 結局仕事はほとんどしなかった。
朝、夜明け前に自然に目が覚めたので、 ホテル最上階の露天風呂に入りながら朝日が出てくるのを眺める。 夕日が沈むのも朝日が出るのも見て、 ひどく健康的な生活だ。
朝食。これからバスで熊野に出発。 バスではぐっすり寝ると思う。
京都にて。
朝、みなでバスに乗って熊野大社へ出発。 途中、牛馬童子の像があるところで少し熊野古道を歩いたり、 湯の峰温泉で壷屋という風呂を覗いたり、 熊野大社を見て、熊野川を眺めながら弁当を食べたり。 しかし、基本的には寝不足でずっとうつらうつらしていた。
目が覚めるとバスが新宮に着いていたので、 特急に延々と揺られて新大阪へ。 そのあいだもほとんど寝ていた。 新大阪から新幹線で(!)京都に来て、 ホテルに荷物を置いたあと、 某学会に参加していた連中の二次会に合流。 四条のあたりで楽しく飲む。
御所の側にホテルを取ったので、帰宅する前にぶらぶら御所の中を歩く。 世界平和について考える(ウソ)。
帰宅。
今日のこと。
何もする気にならないので、日記の整理。 3年前の今日から、 産経新聞を講読し出したようだ。 産経のおかげで新聞に偏向があることをよく理解したので、 そろそろ朝日にでもするかな。
話は変わるが、そろそろいろいろなデータのバックアップを 取っておくべき気がする。
やる気がでないので、写真の整理。 白良浜(しららはま)で撮った写真を何枚か掲載しておいた。 大きい写真だとなかなかきれいだが、 小さくするとあまり迫力がなくて残念。
よく寝た。わりと早起き。
午前中、ゆっくり先週のニュースなどを見ていたらすっかり遅くなってしまい、 お昼前に大学へ。懸案の事柄が一件片付く。
それから、同僚の某氏と昼食。刺身三点盛り定食。 例によって世界征服等々について密談。
お昼すぎから夕方まで某ベンタム研究会。勉強になる。 そのあとしばらく某喫茶店でみなと密談。
夜、プールで泳ぐ。55分で2.2キロほど。 帰りに購買部で弁当を買い、研究室へ。 今までゆっくり食事をしていたので、 これからまた翻訳の校正。眠いががんばれ。
まだ翻訳の校正中。そろそろ帰って寝ないとまずいな。
まだ翻訳の校正中。終わらん。 が、体調を崩したら困るのでそろそろ帰って寝よう。
帰宅。 iPod miniでジャニス・ジョップリンを聴いていたら、どうにも訳したくなった。
1.
バトンルージュですっからかん
電車が来るのを待ってたら
気持ちがジーンズみたいに色あせた
ボビーがトラックをつかまえた
雨が降り出す寸前のこと
ヒッチハイクでニューオーリンズへ
あたしはハーモニカを取り出した
うす汚ない赤のバンダナに入ってた
静かに吹くとボビーがブルースを歌う
トラックのワイパーがリズムを刻み
あたしはボビーの手をにぎってた
運転手が知ってる歌はすべて歌った
自由とは失うものが何もないってこと
自由でなければ意味がない
あたしはいつでも楽しかった
彼がブルースを歌うだけで
そう、あたしは楽しければ十分だった
十分だった、あたしとボビー・マギーには
2.
ケンタッキーの炭坑から
カリフォルニアの太陽まで
ボビーとあたしは心の秘密を分かちあった
どんな天気でも
何をするときでも
ボビーはあたしを寒さから守ってくれた
ある日サリーナスの近くで
あたしは彼を手放した
彼は家を探してた
見つかることを祈ってるわ
だけどすべての明日を失っても構わない
一日だけでも昨日に戻れるのなら
もう一度ボビーを抱きしめたい
自由とは失うものが何もないってこと
ボビーがいなくなって何もなくなった
あたしはいつでも楽しかった
彼がブルースを歌うだけで
そう、あたしは楽しければ十分だった
十分だった、あたしとボビー・マギーには
---Janis Joplin
木曜日のニュース。
金曜日のニュース。
なんとか起きる。眠い。
新聞もニュースもたまっている…。
メモ。帰結主義と非帰結主義。帰結主義は帰結だけを考慮に入れて、 行為者の意図を問題にしないというのはミスリーディングだ。 意図も、帰結に影響を与えるかぎりで、行為の評価に影響を与える。 たとえば、ベンタムのsecondary mischiefの話。
続き。本当の対立点はこうだと思われる。 非帰結主義者は、予見されてはいるが意図されていない帰結に関しては、 行為の評価にカウントされない(また、行為者の責任も問われない)と考えるのに対し、 帰結主義者は、予見しかされていない行為も、意図された帰結と同様、 行為の評価にカウントされると考える。だから、 オレが午前中を寝て過ごすと第三世界の貧困が悪化するなら、 オレは第三世界の貧困の悪化を予見はしていても意図していないが、 オレの行為は不正になる(しかし、どれだけ責任があるかとなると難しい。 非帰結主義の方が行為の評価と行為者の責任の関係が密接のように思われる)。 そこで、帰結主義はdemanding too muchと言われる。
なお、上の論点は、某『シジウィックと現代功利主義』にある、 「直観主義(義務論)は帰結を狭くとる」というくだりを先日読んで、 これまで以上に明らかに理解できるようになった(44頁から45頁のあたり。 誤読でないといいが)。
今日のこと。
日付が変わるのでそろそろ帰ろう。 そういえば昨日、 Rod StewartのThanks for The Memory: The Great American Songbook Vol. IVが届いた。この人、10枚ぐらい出すつもりかな。
帰宅。
そういえば、科研費の書類に不備が見つかったらしく、 また作り直しを命じられた。
こないだの岡山のシンポジウムに関しては、 英文で抄録を書かないといけないそうだ。 めんどう。 知らないうちに、某学会の発表も迫っているし、 某事典の翻訳の〆切や、某事典の執筆の〆切も迫っている。
本当に、 無為(何もしない)という選択肢を取ったとしても、 あらゆるものは動いているので、 しかも大抵は悪い方に動いているので、 状況が刻々と変化していく。 部屋はほこりが積り、〆切は迫り来て、 人間関係は疎遠になるか悪化し、 哲学・倫理学界は少子化の一途を辿り、 新聞はたまる。
流れるプールのようなもので、 ぼーっとしていると掃き溜めへと流されてしまうので、 常に泳ぎ続けていないといけないわけだ。 最近同じことを何度も書いている気がするが、 書かないと忘れてしまうので (「毎日同じ主義綱領を語ったり、聴いたり、同時に日常底に用いたりするの でなければ、人は容易にその主義綱領を我物となし得るものではないというこ とを知らねばならない」エピクテートス)、 何度でも書くようにしよう。
土曜日のニュース。
なんとか起きる。眠い。
朝、某勉強会に出席。
お昼は同僚の某氏とカレー。薬膳カレー。 ずっと笑っていたので味がわからなかった。
まだメタ倫理学の勉強中。 どうやったらわかりやすく説明できるかなあとか考えながら。
昼下がり、某院生の指導。
夕方、同僚の某氏とメタ倫理学の導入編について相談。 なんとかなりそうなので、 次は相対主義や非認知主義の勉強をしないと。 去年も少しやった気がするが、すっかり忘れた。 元から健忘症気味なので、 半年に一度ぐらい同じ授業をしないと、すっかり忘れてしまう。
それから、プールで泳ぐ。1時間で2.5キロほど。 いつも広いレーンで泳いでいるのだが、 競争相手がいないとつまらんな。 狭いけどもう一つ速いレーンでがんばるか。
研究室に一瞬戻ったあと、 最近あまり使っていない某海鮮丼屋に行き、ブリと戻り鰹丼大盛。 それからスタバに行き、閉店まで翻訳の校正。やはり1時間2枚ペース。 たいへん。
それから帰宅。今日はちょっと早目だ。
泳いだり仕事したりして疲れていたが、 しばらく音楽を聴いていると癒やされる。 Queenの`Love of My Life', `You're My Best Friend', Mott the Hoopleの`Saturday Gigs', Neil Youngの`Only Love Can Break Your Heart, `Comes A Time'など。
帰宅して翻訳の校正。あと40頁。1枚30分とすると、あと20時間。 一日5時間これに費せば、あと4日で終わる…。
なんかこう、 トレッドミルをくるくると走り続けるネズミになったような気分だ。 いかん、弱音を吐いても仕方ない。 今月は何かと忙しいが、がんばろう。 とにかくまず翻訳の校正を終わらせよう。
日曜日のニュース。遅れている…。
月曜日のニュース。
なんとか起きる。
お昼に大学へ。同僚の某氏らと某定食屋へ。 CBELの今後について協議(ウソ)。
そのあと、某スタバに籠もり(?)、翻訳の校正。3時間ほど集中してやり、 疲れたがけっこう進んだ。1日5時間10頁のペースでがんばれ。
ある学問が栄えるためには、 優秀な編集者が必要だと思っていたが、それだけでなく、 優秀な査読者(peer review)も必要なんだな、とか考える。 なんでそういうことを考えていたのか忘れたが。
名前に魅かれて、『直観でわかる数学』と『続・〜』を先日購入した。 直観に関する説明がおもしろい。ただし、倫理の場合は 考えぬいてない人でも「倫理的直観」を持つと考えられるので、 そういう意味では畑村氏の言う「直感」 (「一瞬の閃きでスッカリ感じ取ってしまうこと」) に近い部分もあるのかもしれない。
しかし、この本はフォントを大きくしたゴシック文字がいたるところに 出てくるので、 最初はけっこう良いかなと思ったが、 慣れないせいか、読んでいるとなんだか心臓に悪い。 タブロイドじゃあるまいし、岩波もよくやるなあと思う。
(あれ、「タブロイド」というのは意味不明だな。 タブロイドの見出しのように度ぎついという意味)
夜、某授業に参加。 受講生のディスカッションに参加したが、 あんまりうまく導けず。 要修業。
帰って翻訳の校正をしよう。そればっかり。
某ハンバーガー屋でフィレオフィッシュとグリーンサラダ。 そのあと、しばらく近所を散歩。 なぜかQuireboysがiPodに入っているが、 `Misled'とかたまに聴くとかっこいい。 Stereophonicsも(ときどきハードすぎるが)かっこいい。 Daniel Powterは今年一番すごいと思う。
歩きながら、 自分が何でできているか(`What am I made of?')について少し考えた。
う〜ん、これじゃあ今一つ同じ人間が作れないなあ。
そういえば、 CBELで事務補佐を一人募集しているようだ。 日本の生命・医療倫理学の将来を見据えて活動するCBELを支えてくれる人、 求む。
翻訳の校正。
お腹の調子が悪い。 風邪を引かないようにくれぐれも気をつけよう。
翻訳の校正、今日は10頁進んだ。明日もがんばれ。
ラジオを聴きながらゆっくりする。新聞もたまっているな…
火曜日のニュース。
今日もなんとか起きる。寝不足で疲労がたまりつつある。 毎日8時間は眠りたい…。
ニュースを見ながらw3m-emacsをupdateしようといろいろやっていると はまってしまい、遅くなる。喫茶店で仕事をしよう。
昼は、ざる蕎麦大盛り。そのあと、 某スタバで3時間半かけて翻訳の校正。6頁ほど。 今日は調子が上がらなかったと思ったら、 どうも頭が少しボーっとしているようだ。 風邪の前兆かもしれないので気をつけること。
疲れたので、しばし呆ける。
夜、プールで泳ぐ。45分で2キロ。最初の方に少し飛ばしすぎたので、 途中でペースが落ちてしまった。しかし、 やはり速いレーンの方がはりあいがある。 腰を使って大きなキックができるように練習しよう。
夜、イタめし。パスタ、ワインなど。よく食べる。
帰宅してからしばらく呆けて、それからまた翻訳の校正。 やっぱり、この翻訳の作業というのは相当集中力がいるんだよな。
翻訳の校正。今日もなんとか10頁ほど推敲し。つかれた。
また産経新聞がたまっている。Guardian Weeklyも。 新聞はいいから、小説が読みたくなってきた。 きっと現実から逃避したいのだろう。
水曜のニュース。
昨日のニュース。
昨晩は雨音を聞いているとすぐに眠りに落ちたようで、 ひさしぶりによく寝た気分。
ニュースを見たり、洗濯をしたり。 そろそろ喫茶店に行こう。
昼下がり、ギターを弾いてちょっとある曲を練習。ぎゅい〜ん。ぴろぴろぴろ。
それから本三の喫茶店で軽食を取りながらしばし翻訳の校正。
夕方、某銀座に行き、 某先生と某氏と某喫茶店で某相談。 その後、英国風パブに場所を移し、 食事をしながらいろいろ話す。 ギネスとハーフ&ハーフをハーフパイントずつ。 ピザその他。某先生にごちそうになる。感謝。
夜、東京駅まで歩いてから、地下鉄で本郷に戻ってくる。 某スタバで翻訳の校正の続き。閉店になったので帰宅。 歩きながら聴いていたEva Cassidyの`People Get Ready'に心を打たれる。 最近ヘッドフォンの音をかなり大きくしているので、 そのうち難聴になるかもしれない。
翻訳の校正。あと10頁。明日中に終われるようにがんばろう。 (ちょうど2003年の今ごろに この翻訳をするという話を聞いたようだ)
今日のニュース。
昨日のニュース。
昨日に引き続き、よく寝た。
心に少し余裕ができたので、部屋の掃除。きちゃない。 扇風機もようやく押し入れに片付ける。
昼下がり、本三の喫茶店に行き、
最近コーヒーの飲み過ぎで尿がコーヒー色になっているので
オレンジジュースを飲みながら翻訳の校正。
日が暮れるとなんだか集中力がなくなったので、 店を出てしばらく散歩。三四郎池や安田講堂のあたりをうろうろ。 猫を二匹見かける。
それから某スタバに行き、翻訳の校正をついに終わらせる(万歳三唱)。 ほんとにたいへんで疲れた。Now let's move on...
研究室に来てしばらく作業。今夜はマンガ喫茶に行きたいところだが、 どうしようか…。
夜、上野に行き、中華料理。紹興酒を一杯。
御徒町の某ディスカウントストアによって帰宅する。
日記の整理をすると、 2000年と2003年に 「暗黙の同意」という言葉が出ている。偶然の一致だ。
今日のニュース
昨晩、 以前録画しておいた『復活の日』(深作欽二監督、 1980年)をDVDで観る。 ストーリーはおもしろく草刈正雄もかっこいいが、終わり方がすごい。C。
映画を観て遅く寝たせいか、寝坊してしまう。さっさと大学に行かねば。
大学へ。 某スタバに行きたい欲求に駆られるが、 体を椅子に縛りつけて勉強。
夜、某政治哲学研究会。ポッゲ。
そのあと、飲みに行く。ビールと焼酎で、 酔っ払う。 小人閑居して不善をなすということがないようにしようと考えたり。 真面目に研究しよう。
一旦大学に寄ってから帰宅。
ニュースを録るのを忘れてた。明日の東京、11度から16度。晴ときどき雨。
まだ酔っ払い。テレビをぼーっと眺めたり、新聞を読んだり。
小さな横揺れの地震で目覚める。 寝不足だが、せっかくなので起きることにする。
今日は冬型の気圧配置で、かなり寒くなるそうだ。地震は三陸沖で、 北海道から東北にかけて津波注意報が出ているようだ。
朝から真面目にSingerの論文を読んでしまう。 おもしろい。
What I am saying, in brief, is this. Advances in our understanding of ethics do not themselves directly imply any normative conclusions, but they undermine some conceptions of doing ethics which themselves have normative conclusions. Those conceptions of ethics tend to be too respectful of our intuitions. Our better understanding of ethics gives us grounds for being less respectful of them.
Peter Singer, `Ethics and Intuitions', in The Journal of Ethics, (2005) 9:349.
シンガーを見習って、 進化論とか心理学、脳科学の知見も真面目に勉強するようにしよう。
話が変わるが、昨日の飲み会で、 必読文献リストの話が出ていたが、 なるべく近いうちに、 うちの修士コース用のリストを作るようにしよう。
シャワー。今日は帝国ホテルで某結婚式のようで、 テレビは一日この話題でもちきりになりそうだ。 今日はきっと変な敬語をたくさん聞けるだろう。
押し入れからコートを出す。
まだ朝だ。信じられない。
出掛けにポストを見ると不在者届けが入っていたので、 本郷郵便局に行って古本を受け取る。 ParekhのBentham's Political Thought (1973)。 この本は便利なのだが、コピーでしか持っていなかった。
それから某スタバに行き、新聞を二日分読む。 産経はようやく追い付いてきた。 しかし、Guardian Weeklyはだいぶ遅れている。
そのあと研究室へ。発表の準備をしなければ。
コートをクリーニングに出したら、 日焼けがひどくなって戻ってきたような…。
そういえば、昨日、なぜペルー元大統領のフジモリ氏は日本とペルーの二重国籍を 持っているんだという話があった気がするが、 昨日の新聞を読んだところ、日本の国籍法は「国籍唯一の原則」から 二重国籍を認めておらず、二十歳以上に達した時点で選択をしないと、 日本国籍を失うそうだが、同法が施行されたのが昭和60年で、 フジモリ氏はそれ以前から二重国籍だったため、同法の原則が適用されずに、 自動的に日本国籍を取得したとみなされるそうだ。 あれ、ずいぶんと長い一文になってしまった。
今ひとつ発表の準備をする気になれないので、 昨日コピーさせていただいたケア関連の論文を読んだりしていると、 眠くなってきた。まずい。
昼は同僚の某氏とメンマラーメン。
研究室に戻ってきて、椅子に座って昼寝。よく寝る。発表の準備が…。
昼下がり、某ミーティング。
夕方、某勉強会。学会発表の予行演習をさせてもらうが、 時間も足りず、ずいぶん前に書いた内容なので、質問にも答えられず、 このままでは危ないことに気付く。今週はじっくり準備をすることにしよう。 いろいろ指摘していただき、感謝感激。
某翻訳の校正は、ようやく明日、出版社に返送できるようだ。 長かった…(って、まだ第二校があるんだけど)。
プールに行って何もかも忘れて泳ごう。
夜、プールで泳ぐ。50分で2.2キロほど。今日も最初に飛ばしたせいで、 途中から息が上がってしまった。
それから、同僚の某氏とインドカレーを食べながら歓談。 二人で話していると、 最近の自分がいかにいろいろな日課を自分に課しているかを自覚し、 愕然とする。
なんか、なんでもかんでも日課にしてしまう恐しい癖があるな。 こういうことをやっているから本を読めないんだよな。 これ以上増やさないように注意しよう。
帰宅。早起きをしたせいで眠い。
う、半日近く寝てしまった…。前日の反動か。
午前中、某勉強会。
昼は同僚の某氏らと新しいラーメン屋へ。 赤門前にラーメン激戦区ができつつあるようだ。 塩ラーメンそれなりにおいしいと思ったが、 同僚たちには舌がおかしいと言われる。 どうやらラーメン盲らしい。
昼下がりから夕方まで、某院生の指導。 フェミ生命倫理学の論文の続き。 やっぱり、ケアアプローチじゃなくて、 マルクス主義的(?)な権力アプローチの方がおもしろい。
某師匠の記述に つられて、 ひさしぶりにSKKIMEを入れてみる。 しかし、すっかりMicrosoft IME Standard 2003に慣れてしまったので、 WindowsではSKKを使う必要性を感じなくなっている。 Meadowもしばらく使っていない。
そういえば、こないだひさしぶりにemacs上で長い間仕事をしたら、 小指が痛くなった。 日記とメールを書く以外にはあまり使ってないからだろう。 進化のプロセスに完全に遅れたので(環境に適応しているというべきか)、 日記はあいかわらずhtml-helper-modeを使って手作業で書いている。 ブログは楽でおもしろそうだが、あえて移行する気はない。 メールもMewで満足している。 添付ファイルに関してはFTPを使わずにhotmailを使って処理している。 これはちょっと不便。やっぱり、少し勉強して進化する必要があるなあ。
夜、医図書で文献をコピー。 intuitionとreasoningの関係について論じた認知心理学(?)の論文で、 けっこうおもしろい。 こういう分野をもうすこし勉強するかな。
某所でカキフライカレー。そのあと、 本三のカフェで先の論文を読み、しばらくうたた寝し、 昨日の新聞を読む。それから帰宅。
週末の発表や、某翻訳の〆切など、いくつか差し迫った仕事があるのだが、 精神的には若干余裕がある。 心の赴くままにいろいろ勉強しよう。
たまった家計簿を付けながらニュースを見て、 それから立花隆の「サイボーグ技術が人類を変える」を見る。 脳で考えただけで、離れたところにあるロボットアームが動くとか、 ラットの脳を刺激して動かすことにより、 ビデオカメラを付けた偵察用のラットができるというのがすごい。 やはり軍事目的で開発されるんだろうなあ。『エンダーのゲーム』を 思い出した。
ようやく家計簿を付け終わる。 二ヶ月分以上のレシートを打ち込みながら、 これには惰性以上の何の意味があるのだろうと考える。 おそらく、家計簿はたとえば収支を合わせるとか、 いつまでにいくら貯めるなどの目標を持って付けるというのが 本来的なのではないかと思うのだが、 とくに何の目標も設定していないので、 記述はしているが規範性がない。 もうちょっと何か目標を持つべきなのかな。
記録を遡ると、この家計簿は2003年の3月から付けはじめている。 一度いろいろ傾向を分析してみるかな。
今日のニュース。
昨日のニュース。
朝、工事の音で起きる。この建物の壁面の工事をしているようだが、 歯医者のようなドリル音が定期的に鳴り出し、たまらず起きる。
午前中に大学に来て、新聞を二日分読む。 新聞の切り抜きも再開することにした。 山のようにたまっている新聞、 なんとかなるだろうか。
某ワインが解禁されたという新聞記事を読んでいると、 天からワインが降ってきた。ありがとうございます。
昨晩、家計簿のことを考えていたが、 やはり何か貯蓄の目標を立てるなり、 株をするなり考えることにしよう。
お昼は同僚の某氏と定食屋。刺身三点盛り。
そのあと、当面何を研究するかなあと考えながら、
認知心理学的な論文をコピーしに文学部の図書室に行く。
文学部にある案内を見ても文学部の図書室がどこにあるのか
よくわからないのでしばらくウロウロと探した。
案内をわかりにくくするというのは、
他学部や他大学の人に対する嫌がらせだろうか。
研究室に戻ってきて、〆切の迫っている某事典の翻訳に着手する。 全部で三項目依頼されているのだが、 訳し始めた一つ目の項目(Elshtainの文章)が わけのわからん言葉で書かれているので嫌になってしばらく居眠りしたあと、 翻訳を再開するがあいかわらずわけがわからん。どうしましょう。
ちょっとプールに行って頭を冷やしてこよう。
プール。40分強で2キロ。今日は後ろから追いかけてくる人がいたので、 最後まで全力で泳ぐことができた。げにライバルはあらまほしきかな。
研究室に戻ってくると、某吉報が。
もうこれで何も思い残すことなく引退できます:-)
『生命・医療倫理学講義DVD』も出来上がったそうだ。
次々と子供が産まれる感じだな。
今後も多産な研究人生を送れるようにがんばろう。
夜、某授業に参加。守秘義務と個人情報保護。
授業終了後、同僚たちと某ワインを飲みながら歓談。 ワインとビールで酔っぱらう。
真夜中まで飲んでから帰宅。 マンガ喫茶に行きたい誘惑に駆られるが、 今日も椅子に体を巻き付けて、 自宅で勉強して早く就寝することにしよう。
男の徳と女の徳について少し考える。 ジェンダーニュートラルな教育を受けたのか、 どうも、男だけが持つべき徳とか、 女だけが持つべき徳とかを考えることができない。 「男が引っ張って、女性が付いていく」 というような伝統的な感覚の残滓が自分の中に残っている気がするが、 そういうことを期待されても困るし、相手に期待するのも間違っているように思う。 (相手がそれを期待するときは? はたしてそれを間違っていると説得できるか?)
というわけで、男の徳と女の徳というのは、個人的にはないと思うし、 既存の関係を利用して、洗濯や料理は女性に任せるということがないように 注意しないといけないと思う。 ただし、学生に対する先生の徳とか、子供に対する大人の徳というのは あると思うので(いいかえると、男女の場合と違い、こうした関係は 対称的ではない)、なんでもかんでも平等な関係が良いというわけではない。 以上なんとなくメモ。
そういえば、昨日から暖房を入れるようになった。 部屋の温度は20度ぐらいに保つようにしよう。
今日のニュース。
寝たおす。今日はいろいろ勉強せねば。
The Flaming Lipsの`Yoshimi Battles The Pink Robot'が 頭の中でループしてる。 音質がよくないが、ここでビデオが見れる。
お昼すぎ、本三の喫茶店に行き、メタ倫理学の勉強。 自然主義。 2時間以上長居する。
それから大学へ。 購買部に行き、PrincetonのiPod用スピーカーを買いそうになるが、 ぐっとこらえる。今調べると、ネットで注文した方が3000円近く安いが、 はたしてこれを買う意味があるのか。もう少し様子を見よう。
夕方、同僚の某氏らと自然主義の勉強。 それから後楽園に行き、某所で冬物のコートを購入。 食事をしてから帰宅。
明日の発表の準備をする前に、着ていくものについてしばらく悩む。 結局スーツを着ていくことにしたが、面倒。まあ社会人なんだから、 このぐらい当然のごとくできるようにならなくては。
『生命・医療倫理学入門』のDVDビデオが出たそうだ。一応宣伝。
明日の発表の準備。当然のごとく、終わらない。どうやら徹夜になりそうだ。 こうなることがわかっていても直前まで何もしないこの性格、 どうにかならんのか。
やっと準備が終わった。 今回は初心に戻って発表用の原稿を作成したのだが、 そのためにずいぶん時間がかかった。 15分で読み切れるかどうか、お昼にでも練習しよう。
さて、あとは大学でコピーをして会場に行くだけ。 今から一時間ほど寝て、起きれるかな…。
なんとか起きて研究室へ。
朝、大学でコピーを済ませてから若松河田にある某女子医学校へ。 奇跡的に遅刻せずに出席する。 が、午前中のシンポジウムは記念講堂の椅子で爆睡。 起きてから、発表原稿が時間通りに読めるかどうか試してみて、 1.5倍速ぐらいでないと15分では終わらないことがわかる。
昼食は大学の生協で。 入口でメニューをよく見ていなかったため、 エビフライとヒレカツのセットを頼んでしまい、 エビフライしか食べられず悲しい思いをする。
お昼すぎ、某臓器提供制度のサーベイ論文で発表。 報告時間を少しオーバーしたが、某氏の助けなどもあり、 つつがなく終わる。よかった。 これでもうこの論文に関してはひとまずおしまい。 ちゃんと本になって出るといいけどなあ。
発表後は、他人の発表を聞いたり、講堂で爆睡したり。 夕方、ポスターセッションが始まったころからみなで飲み始める。 懇親会はうまいカレーやらワインやら何やらを飲み喰いしていると あっという間に終わってしまう。ビール、ワイン。
そのあと、某氏や某先輩や某同僚の方々と新宿に繰り出し、 ビヤホールで二次会。気のおけない人が多かったせいか、 楽しく飲む。ビール。 某君を新南口のあたりまで送ってから、 タカシマヤのイルミネーションを堪能して帰宅。 今日は慣れないスーツとクツで疲れた。 明日は普段着で行こう。
昨夜、調子に乗って飲み過ぎたのか、はたまた発表で疲れていたのか、 寝過ぎてしまう。さっさと学会に行かねば。
なんだか温かい麦茶を飲みたい気分だが、面倒なのでほうじ茶でがまんする。
お昼前に家を出たが、某都営大江戸線で人身事故があったそうで、 電車が動かないのでしばらく本三の喫茶店で新聞を読む。 30分ほど経ってもう一度地下鉄に乗ろうと思ったら、 まだ電車が動いていないと言われたので、 少し遠回りになるが丸の内線と都営新宿線を乗り継いで曙橋に行き、 そこから歩いて会場へ。
会場の外で某氏や某氏らと合流し、曙橋の商店街まで戻ってインドカレー。 それから午後のセッションになったので、会場に行くと、 講演を聞く気のない同年代の若者たちがたむろしていたので、 一緒に喫茶店に行き、お茶をすすりながら歓談。
昼下がりから真面目に某ワークショップを聴講。 裏番組でやっていた某災害医療ワークショップにも顔を出したところ、 内容が非常におもしろいにもかかわらず、 部屋が閑散としていたので非常に気の毒だった。トリアージの話など、 たいへん勉強になった。
そのあと、某ワークショップが終わる前に名古屋に帰る某氏を駅まで見送り、 会場に戻ると北海道の某先輩が帰るところだったので、また駅まで見送ることに。 ふたたび会場に戻るとすでに閉会式も終わっていたので、 若手な人々と駅までご一緒し、 その一部とは新宿までご一緒し、 ついでにさらにその一部と一緒に新宿の喫茶店に行き、 ケーキを食べながら歓談。
某氏らと別れたあと、 駅前の某大手電気屋に行き、 古くてボロボロになったPHS機を新しいものに 買えてもらう。京セラのものがかっこよかったが、店員の話を聞くと どうもネットを使いそうになかったので、またサンヨーのものを買う。 (そうか、こういうところでサンヨーにお世話になっていたか。 がんばれ、サンヨー)
手続をしてもらっているあいだ、アップルのコーナーに行き、 iPod関連の商品を見る。 先日のプリンストンのスピーカーが あったので、しばらくBOSEの3万円台のものを買うかどうか悩んだすえ、 結局プリンストンのものを買う。 ネットで見た値段の方が若干安かったが、 この店で使えるポイントのことを考えると、 ここで買う方が実質的には安かったようだ。
買物が済んだので本三に戻ってくる。 荷物がいろいろあるのでとりあえず大学に来た。 今日は帰宅してくつろぎ、余力があれば翻訳を進めよう。
メモ。昨夜、みなと飲んでいるときに、某カップルについて 「割れナベに閉じブタ」という慣用句を使ったら、 何人かの方々から 「それは割れたナベにフタをしても、どんどんこぼれるだけで意味がない」 という意味だと言われたので、 あとで調べたところ、めずらしく自分の方が正しく理解していたことを知る。
○破鍋に綴蓋とじぶた
破鍋にもそれに相当した綴蓋があるように、どんな人にもそれ相応の配偶者が ある。また、配偶者は自分相応のものがよいというたとえ。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
「むくどり夫婦」の件があるので、 あれ以来、慣用句にはすっかり自信がなくなり、 その場では自分の正しさを主張できなくなってしまったのだが…。
別のメモ(主に学会にいたときに考えていたこと)。 autonomy, beneficence, justiceの三原則。justiceの理論にも、 autonomyを重視する正義論(リバタリアン的なもの)、 beneficenceを重視する正義論(功利主義的なもの)があるので、 その意味では「入れ子構造」になってしまっている。 現在は四原則の中でautonomyがpride of placeを占めているが(R. Gillon)、 むしろ、プラトン的に、autonomy, beneficence, non-maleficenceが すべてバランス良く揃った状態をjusticeと呼んではどうか。 すなわち、患者の自律の尊重、質の高い医療の提供、 および医療事故のない状態を、「justな医療」という風に。 あ、これはウケそうだ。しかし、資源配分の問題を無視することになるな。
もう一つメモ。autonomyとbest interest(beneficence)の関係。 autonomousな人にとっては、彼(女)が決めたことがbest interestであるのはなぜか。 たとえば、ストライクゾーンが客観的に決まっていて、 そこにのみ「自己決定」という球を放り投げられる人だけがautonomousだとすると、 エホバな人などはnon-autonomousだということになりかねないので、 autonomousな人かどうかは、何か別の基準で計り、 その人がどこに球を放り投げようが、基本的に全部OK、 すなわち本人のbest interestにかなった決定ということになるのだろう。
小さい子供は、球を放ることはできるが、autonomousとはみなされない。 なぜか。小さい子供は、best interestにかなった決定ができないと みなされているから。なぜ、そうみなされているのか。 「彼(女)が合理的であれば、すなわち情報を十分に知り、 自分の長期的な利益にかなった判断ができるようになっていれば、 おそらくなさないであろう決定をなしているから」。 なぜ、それがわかるのか。 「子供は、大人になったら自分の決定が愚かであったことを認める可能性が高いから」 という風に、確率的というか、統計的なものなのだろうか。
たとえば、小学生の子供が「ぼくは、中学校に行かずに、ロック歌手になる」 と言ったとしたら、普通はその子供はnon-autonomous(incompetence)だとして 説得して考えを変えさせるか、無理矢理にでも中学校に行かせるだろう。 しかし、それはなぜか。
上の例でわかるように、不合理さには目的に対するものと、 手段に対するものがあるように思われる。手段の不合理性はわかりやすいが、 目的の不合理性はむずかしい。なぜその目的を選ぶことが不合理だとわかるのか。 客観的なストライクゾーンを作ると、エホバのケースの扱い方などが難しくなるが、 それを作らないと、「本人が、十分に情報を得て、長期的な視点で ものを考えられるようになれば、おそらく本人は望まない」という基準にすると、 どうにでも解釈できる(というか、保守的な方に流れてしまう)ように思われる。 たとえば、小学生が「わたしは、一流大学に入って、弁護士になる」 と言ったら、この子供はロック歌手を目指す子供よりもautonomousだと 考えられないだろうか。 あれ、よくわからなくなってきたのでまた今度よく考えよう。
某弁当屋で弁当を買ってから帰宅。紅鮭弁当その他。
帰宅して箱を開けてから、princetonのものは リモコンが付いていないタイプ であったことに気付き、ショックを受ける。 しばらく明日新宿に行って交換してもらおうかどうかと考えたが、 リモコンをそれほど使うことはなさそうなので、 結局これで満足することにした。
あたらしいPHS機はカメラが付いているので(今さらだけど…)、 うれしがってちょっと撮ってみた。 これからしばらくは日記に写真が増えると思う。
[古いPHS] SANYO J700 RZ-Leje. ほんとに古い(2002年4月発売)。
何度も落としたが、今までちゃんと動いてくれてありがとう。
[新しいPHS] SANYO H-SA3001V. そんなに新しいわけでもないようだ(2003年6月発売)。
今日からがんばって働くように。
[プリンストンPSP-312IP] なんかiPod miniがうまくソケットにはまらない気がする
(傾いている)が、どうも先日(早速)落としたときにお尻の方がひしゃげたのが
原因らしい。
真夜中、ちょっとあたりを散歩。いろいろ知らない道を歩いてみる。
それからたまっていたニュースを見る。
金曜日のニュース。
土曜日のニュース。
今日のニュース。
やっと起きる。なんだかいろいろ夢を見ていた。
お昼に大学へ。同僚の某氏らと昼食。さばの味噌煮。
それから研究室で雑用。メールを打ったり、週末の学会の書類を整理したり。 これからしばらくは某翻訳と授業の準備をしないとな…。
今週末の「ケアと自己決定」のシンポのあとで、 倫理学界の将来を憂う若手研究者が集まって本郷近辺で管を巻く予定です。 参加を希望する奇特な方は、場所を確保しないといけないため、 以下の条件を(ほぼ)満たしているかどうかを確認のうえ、 木曜日までにメールしてください。 なお、現在の参加予定者は4名です。
(この飲み会の企画は上記のシンポとは何の関係もありません、念のため)
新聞の切り抜きをやっていたら日が暮れてしまう。 まだぜんぜん勉強していないんですけど…。
某翻訳を始めると、とたんに眠くなり、しばらく居眠り。 ちょっと進んだが、この文章は本当にどうしようもない悪文だな。 内容がないので訳す価値もないと思うが、 引き受けたからにはやらんとなあ。
とりあえず泳いで頭を冷やすことにしよう。
プールに行く前に、記帳のために本三駅前の某ATMまで行くが、 記帳できるのは5時までだった。明日もう一度行くことにしよう。
それからてくてく歩いて御殿下に行き、プール。 今日は前半に飛ばしてしまったので、後半は休み休み泳ぐ。 最近、壁を感じているので、今年一杯はキックの練習をすることに決めた。 とりあえず2ビートから4ビートに増やして泳ぐ練習をしよう。
プールのあと、某韓国料理屋でキムチチヂミとキムチとごはん。 キムチチヂミが大きいせいかすぐにお腹が一杯になってしまい、 ご飯とチヂミを半分残して店を出てしまう。罪悪感。
歩きながら考えていたこと。昨日のautonomyとbest interestの話だが、 大雑把に言って、パターナリスティックな医療では、 患者のbest interestは、患者の選好とは独立に、医師が決めるものだった。 専門家がbest interestを一番よく判断できる立場にいたのだ。
しかし、患者中心の医療(つまり患者の自律性を尊重する医療)では、 患者の(真の)選好を患者のbest interestと同一視することにした。 この場合、(informedされた)本人がもっともよく自分のbest interestを 知ることができる立場にいることになる。
もちろん、患者中心の医療でもautonomousな状態にない人々がたくさん いるので、その場合にどうやってbest interestを決めるかという問題が出てくる。 まあそれについては随所に書かれているので省略。
別の話だが、実際にはあまりautonomousな患者というのはいないにもかかわらず、 生命倫理の理論はautonomousな患者を想定して作られている。 これは、経済学におけるhomo economicusの想定と似ていないだろうか。 合理的選択をする患者、homo autonomous (というのはおかしいか。 autonomousはラテン語じゃなくてギリシア語だからな)。 homo independentus?
また別の話だが、 「携帯電話のアイデンティティ(同一性)の問題」というのはおもしろいな。 古い携帯からはデータ(=記憶)がすべて新しいものに移されるため、 「二台目」というよりは「二代目」と呼んだ方がふさわしいように思われる。 しかし、古い携帯と、新しい携帯は記憶は同じだという理由から、 二つの携帯はアイデンティカルと言えるか。 言えないよなあ。 気持ち的には「二代目」とはいえ、 新しい携帯は機種も違うし、きれいだもんな。 ということは、やはり人格同一性の記憶説は間違っているな。 これで論文一本書けないかな。
オレンジジュースがやたらと飲みたくなり、 帰宅途中に某コンビニでポンジュースを買って歩きながら飲む。 昨日から紅茶に砂糖を入れて飲みたくなるし、 体が何かを欲しているようだ。
紅茶その他を飲みながら、メタ倫理の勉強。 神の御心理論 (Theological Voluntarism, 神学的主意主義)。 ダーウォルの説明は若干くどいが、わかりやすい。さすがだ。
医療倫理における神の御心理論に対応するものは、 「医師の御心理論」だろうか。以下省略。
同僚の某氏も言っていた気がするが、たしかに現在の医療倫理では 倫理的自然主義の立場(患者のbest interest=患者が欲求した医療)が 強いように思われる。ただし、患者がautonomousではない場合や、 患者が本当は何を欲求しているのかが一見わからない場合など、 メタ倫理properの話よりもmundaneなところでいろいろ難しい問題があるわけで、 「メタ倫理については倫理的自然主義、終わり」というわけに行かない (なんだか書き方が悪くて言いたいことが伝わらない気がするが、 まあいいか)。
そろそろ寝るか。
上記の飲み会の参加者は5名(+保留2名)になりました。
やっと起きる。
同僚の某氏と昼食を食べてから大学へ。 先の健康診断の結果が届いていた。 異常はないそうだ。身長が少し縮み、視力が悪くなったようだが。
項目 | (基準値) | 2002/06 | 2004/09 | 2005/10 |
---|---|---|---|---|
白血球 | (3300-9000/mm3) | Null | 7300 | 5400 |
赤血球 | (男430-570*10の4乗/mm3) | Null | 500 | 466 |
血小板数 | (14.0-34.0*10の4乗/mm3) | Null | 22.5 | 18 |
GOT | (11-31) | 14 | 16 | 15 |
GPT | (7-45) | 10 | 10 | 9 |
γ-GTP | (12-67) | 14 | 14 | 15 |
総コレステロール | (130-199) | 164 | 200 | 182 |
中性脂肪 | (32-149) | 64 | 86 | 54 |
尿酸 | (3.5-6.9) | 4.7 | Null | Null |
血糖 | (70-110) | 103 | Null | Null |
HbA1C | (4.3-5.8%) | Null | 4.6 | 4.9 |
昼下がりから某ミーティング。 すぐに終わったのでちょっと近くの和菓子屋で買物。 同僚の某氏に血液検査の結果を見せたところ、 貧血気味と言われる。 総コレステロールやHbA1CもBMIが低いわりに高いそうだ。
昨日のニュース。
昨日は、夕方まで大学で某研究会に出席したあと、 夜は兄夫婦のところにお世話になる。 食事をごちそうになり、 ワインを飲み、グランツーリスモ4をさせてもらう(全くヘタだった)。 感謝。
お昼前に東京駅に行き、眠かったのでしばらく某喫茶店でウトウトしてから、 某出版社にて編集会議に参加。末席を汚す。 某先生と初めて会えたのが良かった。
その後、帰宅してしばらくギターを弾き、仮眠を取る。 さきほどようやく目覚めたので、どこかに食事をしに行こう。
今週末の某飲み会の参加者は 6名(+保留3名)になりました。まだ受け付けております。
近くの某ハンバーガー屋で夕食。チリ、フィレオフィッシュバーガー。 支払うさいに財布を忘れてきたことに気付いたが、 ちょうど千円札が2枚ハダカでポケットに入っており、 代金が1996円だったので助かった。 この僅差で助かるというのが、日頃の行ないの良さを表わしている:-)
ちょっと風邪を引きかけているようで、帰りの道端でクシャミを連発する。 今日は良く寝ることにして、なるべく悪化しないように気をつけよう。
日記の整理。1999年まではよくライブをしてるな。 今日も狂大では文化祭があったんだろうなあ。 人格にある程度の連続性があるようでも、 こうやって断面で切っていくと、 当時の環境に強く影響を受けながら成長(?)していることがよくわかる。
教訓。環境決定論をとるわけではないが、 まわりから一定の影響を受けずにはいられないので(=思考にバイアスがかかるので)、 自分の今置かれている環境についても、反省的であること。
2002年の日記にある、ハーマンの話は、 ダーウォルの説明が わかりやすかった。こんなに簡単にまとめて良いのかどうか知らないが。
そういえば先日、 某学会で、とある人から、 「こだまさんに学会の運営委員になって勉強してもらおうと思って、 こだまさんに投票しようと思ったら、 学会費未納で被選挙権を失なってましたよ」 と指摘されて恥ずかしい思いをしたのだが、 今日、某編集会議に来ていた某名誉教授が、 「いやあ、先日、某学会で編集委員会の選挙があったんだけどねえ、 わたしはね、学会費未納で被選挙権がなくてダメだったんだよ。あはははは」 と笑っていた。 う〜む、似るべきでないところだけ似てしまったような…。
Daniel Callahanの`Professional Morality' (in Philosophical Perspectives on Bioethics, 1996)を読みながら、 academic cosmopolitanismについて考える。 多くの研究者は自分の学問領域に閉じこもり、各々のinsularismを持ち、 他の学問領域を訪れることを面倒がる。 自国の外に出るには別の言葉を覚える必要があるからだ。 学問の世界における世界市民を自負するacademic cosmopolitanは 別の言葉を覚えることを面倒がらず、自学問中心主義に陥らず、 あっちの学問領域を訪れてみたり、こっちの学問領域で問題提起してみたりする。 それでいてちゃんと自分の学問領域に根が生えているので、 根無草のディレッタントになることもない。うんぬん。
シャワーを浴びてからDaniel Callahanの`Professional Morality'を読み終わり (かなりおもしろかった)、 ついでにHareの`Methods of Bioethics'(in Philosophical Perspectives on Bioethics, 1996)も読む。 シジウィックと違って、 他の生命倫理理論(状況倫理、徳理論、ケア、権利論)などをバッサバッサと切り倒し (要するに、これらの理論ではコンフリクトを十分に解決できないからダメ)、 最後に二層理論なら解決可能と言う。 しかし、たしかに二層にした方が思考はクリアになるだろうが、 どの程度コンフリクトが解決できるようになるのだろうか。
メタ倫理学の勉強。 頭の体操という感じ。
こないだ買ったPrincetonのスピーカーは、たいへん重宝している。 あまりに快適なので、これがあるとラジオをあまり聴かなくなりそうで怖い (新しい情報が入ってこなくなるから)。 リモコンがないのは残念だが、あまり必要がなさそうなのであきらめた。
PHS機は、やはり一世代前のものを買ってしまったようだ。 携帯に乗り換えていれば無料でもっと良いものを手に入れられただろうが、 これもまあ、マイノリティにいる楽しさもあるので、 壊れる前に新しいものと交換したということで満足することにしよう。
試しに紅茶にメイプルシロップを入れてみたところ、 入れすぎてキャラメルを溶かしたような味になる。失敗。
失敗と言えば、今日の某編集会議に名刺を持っていくのを忘れたのも大失敗だった。 今度からもっと気をつけよう。
工事の音で起こされる。おかげで比較的早起き。
勉強しよう。
自宅で勉強していたらネットにつながらなくなったので、 仕方なく(?)大学へ。
出がけに今朝の産経新聞の一面を見て、 ひさしぶりに怒る。 ロイター配信の「幸運な七面鳥」という写真入り記事。
ネットでは見れないようなので記事を説明すると、 ブッシュが笑いながら子供たちと七面鳥を囲んで立っている姿を撮った写真があり、 その下に「幸運な七面鳥--感謝祭の祝日を前にした22日、 ホワイトハウスで地元の児童とともに七面鳥を囲んで笑顔を見せるブッシュ大統領。 感謝祭は七面鳥にとっては『受難の時』だが、 毎年恒例の大統領の恩赦で今年は2羽が救われ、 24日にカリフォルニアのディズニーランドで開かれる感謝祭のパレードに参加する」。 (サンスポに同じような記事があった)
何に腹が立ったのかを考えてみると、 ブッシュではなく、やはり「恩赦」という表現だ。 面倒なのでみなまで書かないが、 悪いことをしていない七面鳥を「恩赦」するとは どういう意味なのか。また、その二匹を「恩赦」しておいて、 他の(何も悪いことをしておらず、かつ助けようと思えば助けられる)七面鳥を 平気で食べるとはどういうことか。 二匹を助けるなら助けられるだけ助ければよかろう。 ただ二匹を殺さなかっただけにすぎないのに、 あたかも善行をしたかのように「恩赦」と言うのは、 まるで軍隊がどこかの町か村の住民を無差別に殺戮したあとで、 二人だけ殺さずに生かしておいたのを「恩赦」と呼ぶようなものではないのか。 その二人をディズニーランドで開かれる感謝祭のパレードに参加させたからと言って、 何を喜ぶことがあるんだろうか。 あ、どんどん腹が立ってきたのでここらへんでやめておこう。 この問題はブッシュ一人が悪いのではなく、 このような偽善的な態度を許す連中全体の問題だ。うんぬん。
そういえば、Peter Singer(ed.)のIn Defense of Animals: The Second Wave (出版年は2006年になっている)を入手したが、まだ読んでいない。
午前中はひたすらメタ倫理の勉強。 それから同僚の某氏らと昼食。刺身三点盛り。
これから勉強会だが、眠い。
UMINのメールサーバの調子が悪いようだ。
昼下がり、同僚の某氏とメタ倫理の勉強会。 そのあと、某院生とフェミ論文。ようやく読み終わる。 今まで知らなかったが、Kittayという人は要注目なんだな。
それから某授業の準備。 授業が始まったので、購買部に行き、ビール等を購入。 研究室に戻ってきてメール書き。
某倫理学教室の某後輩が「修論を読んでくれ」とメールを送ってきたので、 世代間倫理を果たすべく、読んでコメントする。 以下、自分のことは棚に上げて書いた文章(細かい論点は省略)。 自戒を込めて参考のために転載しておく。
夜、某授業に参加。 そのあと、同僚の某氏らとビールを飲みながら歓談。
夜中に弁当を買って帰宅。 帰宅中に聴いていたJanis Joplinの`Move Over'に感動する。
勉強もしないといけないが、ニュースを見ないとまずい。
左肩が刺すように痛い。emacs病だ。
今週末の某飲み会の参加者は 8名(+保留2名)になりました。まだ受け付けております。
昨日のニュース
一昨日のニュース
お昼前に起き、自宅でひたすらメタ倫理の勉強。 お昼は同僚の某氏と。しめさば定食。
昼下がりに大学に行き、 30分遅刻したのと(すみません)、 サーバが落ちていてデータをプリントアウトできないなどの事情から、 4時から1時間30分ほどメタ倫理の勉強会。 いつもの勉強会なら「わからんなあ」で済むのだが、 今回は学生にわかりやすく教えるというミッションがあるので大変だ。
これからプールに行って、 夜は日曜日の研究会の準備。 今週末、来週にかけてとくに忙しくなりそうだ。 せいぜい風邪を引かないようにしよう。
あ、今日家賃を払うのを忘れた。しまったなあ。
夜、プール。キックを意識して強くすると、 これまでよりも速く泳げるようになったが、その分疲れる。2キロほど泳ぐ。
購買部で半額になった弁当を買ってから研究室に戻ってきて、 新聞を読みながら食べる。一昨日と昨日の新聞を1時間ぐらいかけて読んでいると、 心が落ち着いてくる。 最近はマンガ喫茶も行けないし、 「趣味は息抜きに産経新聞を読んだりNHK7時のニュースを1.3倍速で見ることです」 状態になりつつある…。人生こんなんでいいんだろうか。
それはともかく、日曜日の準備をしなければ。
研究室で日曜日の発表(というかコメント)の準備。
自分で議論を組み立てるのは苦しいが、人の議論を批判するのは楽しい。
倫理学界の将来など、
適当なことが言える夢のある話はもっと楽しい。
一応、発表の準備は適当だが終わった。 あとは明日のシンポを真面目に聞いて何かコメントを考えないとな。 遅刻したら席がなくなるだろうから、遅れないように行こう。
帰宅してニュース。お腹が少し減ったのでご飯を温めて食べる。
今日のニュース。
昨日のニュース。
なんとか起きる。よく寝た気がする。
日記の整理をしていると、もっと賢くならないと、と(なぜか)焦り始める。 がんばってコツコツ勉強しよう。 また、自分の規範的立場をもっと明らかにする必要も感じる。 それぞれのテーマについてなんとなく「もっともらしいこと」を言うのではなく、 なるべく一貫性のあることを言えるようにしよう。 think thruすること。
お昼から夕方まで、本郷にある某大学で某シンポジウムを聴講。 4時間真面目に聞いたが、得るものは少なかった。 4時間あれば、NHKのニュースも見れるし、新書も一冊ぐらい読めるんだが…。 でもまあ、倫理学はディシプリンとして崩壊しつつあり、 社会学の方が勢いがあるというのはよくわかった。 `Ethics strikes back'という風にストーリーは展開するか。
そのあと、自称「若手」倫理学研究者の方々と一緒に本郷界隈で飲む。 一次会(ビール、焼酎、鍋)、二次会(ホッピー、酎ハイ、その他)と飲み続け、 三次会は上野から白山までタクシーで行き、某ラーメン。 その後、帰宅。結局、5時半から2時まで飲み喰いし続けた。 よっぽど楽しかったのか、あっという間だった気がする。
さて、もう寝て、起きたら発表の準備をもう少ししないと。
お昼前に起きて、研究室に行き、発表の準備。 発表前に緊張するとストレスでお腹の調子が 悪くなることが経験的にわかっているのだが、 今回も調子が悪くなったので、相当緊張していたのだろう。
そのせいで(準備がぎりぎりまでかかったせいでもあるが)研究会に遅れてしまい、 顰蹙を買う。他の発表者の方にも失礼なので、 次回からは遅刻しないように気をつけよう。
発表(というか、コメント)はそれなり。いろいろと勉強になる。
他の発表もおもしろく聞かせてもらう。 某氏の発表を聞いていて、 若手倫理学研究者は研究者としての反抗期あるいは自立の時期を 迎えているんだとつくづく感じた。 結局、先達を一度否定しないことには、先には進めないのかもしれない。
夜、飲み会に参加する。ビールをジョッキで一杯だけにして、 あとはウーロン茶を飲む。prudence。適当に楽しむ。
それから研究室へ。少し仕事をしないとまずいので。
仕事を二つ終わらせる。 あとは水曜の授業の準備だ。
帰宅。ニュースも新聞もたまっているが、見る時間がない…。
昨日のニュース
お昼前に起き、急いで多摩の動物園の近くにある某大学へ。 経済学部設立100周年記念のベンサム・シンポジウムを聴講する。 たいへん勉強になる。
夕方、無料の懇親会があったので寿司ビールワインその他をごちそうになる。 やっぱり私立は太っ腹だ:-) そのあと、某先生にお供して多摩センターに行き、 某ホテルの喫茶店で歓談。 某先生の音楽談義を拝聴する。
それから電車を乗り継いでようやく研究室に戻ってくる。 今日はおもしろかったが、 三日連続で研究会やシンポに出ていたため、 授業の準備がぜんぜん進んでいない。まずい。
Amazon.co.jpから届いたCD。
問: なぜ「名古屋大学」を省略した「名大」は「なだい」ではなく「めいだい」 と読むのですか。
答: それは、「神戸大学」を省略した「神大」を「こうだい」ではなく「しんだい」 と読むのと同じ理由からです。
問: なぜ「大阪大学」は「大大」と省略せずに「阪大」と省略するのですか。
答: それは、「大谷大学」を「大大」と省略せずに「谷大」と省略するのと 同じ理由からです。
研究室でしばらく仕事をしてから、 帰宅途中に春日のラーメン屋に寄り(厳密には途中ではなく、 かなり遠回りなのだが…)、 お腹一杯になって帰宅。
「あなたは誰に向かって話しているのか」。 たとえばNHKテレビは誰に向かって放送しているのか。 とりあえず、多くの番組は、日本にいる日本語のわかる人に向けているだろう。 この日記は誰に向かって書かれているのか。 日本その他にいる、ネットにつなぐことのできるぐらいは裕福な、 日本語のわかる人、か。 自分に向けて書かれているとも言える。
さて、(応用)倫理学者は誰に向かって話しているのか。 同業者か。アカデミアの人々か。インテリ一般か。 現実に倫理的問題を抱えて困っている人か。あるいは自分自身に向けてか。
今後は論文や本には宛先欄を作るといいかもしれない。
某発表のための勉強。もう寝よう。
昨日のニュース
なんとか起きる。早く大学に行かねば。
ひさしぶりにMeadowをいじってみたり。Meadow2.10を入れてみる。 どうしても起動時のディレクトリが~/homeにならないという初歩的な悩みを かかえていたが、ショートカットのプロパティで作業フォルダをC:\homeに すればよいのだった。何もかもすっかり忘れているので、 またちょっと勉強するようにしよう。
本三の喫茶店へ。Meadowが使いやすくなったので快適。
確定RETを押したときに一緒に改行しないようにするには、
(setq skk-egg-like-newline t)
とする。これだけ調べるのに、infoで10分以上やり方を探した。
もうすっかり忘れている。infoその他を読んで勉強しなおそう。
HTML-HELPER-MODEもこれまで使っていた古いものとキーバインドがかなり違うので 戸惑うが、まあこれもがんばって覚えよう。
あら、喫茶店でメタ倫理の勉強をするはずが、 Meadowの設定をいじっていると何もできなかった。 まあ、良い気分転換になったので良いか。
昼下がり、某ミーティング。すぐに終わる。 夕方、某研究会。
さて、明日の授業の準備をしないといけないわけだが、 その前にまず泳ぎに行くか。
というわけでプールへ。50分で2キロちょい。 キックはあいかわらず2ビートだが、なるべく強くしてみている。 キックが強いと最初は速いのだが、鍛え方が足りないため、 1キロ以降はあまりスピードが出なくなる。
サウナに入ってからシャワーを浴び、 ひさしぶりに某海鮮丼屋で戻り鰹丼の大盛りを食べてから研究室へ。
メモ。自分に厳しくなくてはいけない。 初心にかえってきちんと勉強しよう。 先に進むには、たえず足腰を鍛えていないと倒れてしまう。
そういえば、河出書房の『世界の歴史: ギリシア』という 浪人生のころに読んでいた本を、 こないだから眠る前に少しずつ読み進めていたのだが、 先日やっと読み終わった。 アテネやスパルタ、あるいはペルシアやマケドニアは、 なぜ国家としての勢力を伸ばすことができ、 またなぜ衰退していかなければならなかったのかということを、 学問分野の興亡と重ね合わせながら読んでいたら、なかなかおもしろく読めた。 歴史書というのはこういうことを考えながら読むものなんだろう(たぶん)。
それにしても、本当にアレクサンドロス大王というのは考えがぶっとんでいる。 シンガーの本の名前ではないが、「一つの世界」を作るという野望に燃え、 それを数年でほとんどなしとげてしまったんだからすごい。 要地にはギリシア人の都市を作り、その後数世紀に渡るヘレニズム文化の 土台を作った(アメリカもイラクに「アメリカーナ」とかいう町をたくさん 作るとどうか。いや、ハリウッド映画やマクドナルドで世界を支配しているわけか)。 経済も政治もグローバル化させ、 コスモポリタンな思想(ストア、エピクロス、その他)を生み出した。 しかし、世界征服をやるだけやったらサウジアラビアに遠征途中に さっさと死んでしまったため、帝国は分割してしまった。 もうちょっと長生きして、後継者や制度作りに励んでいたら どうなっていただろうか。
次はローマ。比較的長続きした秘密について考えてみたい。
真面目に明日の授業の準備中。 近いうちにメタ倫理についてテキストを書かないといけないので、 授業を何度かやって、わかりやすいものになるようにしたいが…。
まだ準備が完全には終わってないが、ラーメンを食べたいので帰ろう。
メモ。倫理的相対主義について。「あなたはそういう立場だから、 そういうお考えなわけで、わたしはこういう立場だから、 こういう風に考えるわけです。立場が違うんだから、 意見が違うのも当然ですよ」。 これは、なぜ意見が違うかの説明であって、 互いに異なる意見のいずれかが正しいか、間違っているかという問いは まだ開かれている。 たとえば、「プトレマイオスは、当時の天文学の進歩具合からすれば、 太陽が地球のまわりをまわっているという意見を持ったのはあたりまえであり、 現代の進んだ科学を知っているわれわれが、地球は太陽のまわりをまわっている という意見を持つのはあたりまえですよ。時代や世界観が違うんだから、 意見が違うのも当然ですよ」と言う人がいたとする。 しかし、これは、 プトレマイオスとわれわれの両方の意見が正しいということを意味しない。
春日でラーメンを食べてから帰宅。
こないだからずっと、テレビのリモコンの利きが悪くてこまっていたのだが、 電池を替えたらすぐに直った。そういうことだったのか。
ニュースを見てから、授業の準備の続き。だいたい準備が終わったので、 これからぐっすり寝よう。
今日のニュース
昨日のニュース
寝たりないが、なんとか起きる。
洗濯、シャワー。 シャワーを浴びながら、`Charity begins at home.'について考える。
朝、研究室で某勉強会。 昼は同僚の某氏らと某定食屋で密談。焼き鯖定食。
昼下がり、同僚の某氏と授業の準備の相談をしてから、 夕方、某授業。 メタ倫理学の導入と、自然主義と神の命令説について。 前半の導入部分を担当した。 できるだけかみくだいて説明したので、 なんとか意は通じたと思う (というのは、現象in appearanceであって、 現実in realityにはそうではないかもしれない)。
なんにしろつかれた。 しかし、夕食を食べてしばらく休憩したら某翻訳に着手せねば。 新聞も六日分たまっているし…。
夜、某イタめし屋でピザと野菜の酢漬けとカマンベールチーズのフライ。 つかれていたせいか、安くておいしい赤ワイン(オーストラリア産の カベルネ・ソービニヨン)をグラス二杯飲むと、 すっかり酔っぱらってしまい、帰宅してすぐに寝てしまう。
2時間ほどよく寝て、さきほど起きた。せっかくなのでちょっと勉強しようか。
しばらく日記の整理などでうだうだしたあと、 ちょっとだけメタ倫理の勉強。 明日は早目に起きて喫茶店で勉強するかな。
今日のニュース