功利主義

(こうりしゅぎ utilitarianism)

蜂巣にとって有益でないことは蜜蜂にとっても有益ではない。

---マルクス・アウレリウス

Utilitarianism is initially attractive because human beings matter and matter equally. But the goal of equal consideration that utilitarians seek to implement is best implemented by an approach that includes a theory of fair shares. Such a theory would exclude prejudiced or selfish preferences that ignore the rightful claims of others, but would allow for the kinds of special commitments that are part of our very idea of leading a life. These modifications do not conflict with the general principle of consequentialism, but rather stem from it. They are refinements of the general idea that morality should be about the welfare of human beings. Utilitarianism has simply over-simplified the way in which we intuitively believe that the welfare of others is worthy of moral concern.

---Will Kymlicka

The important issues that utilitarianism raises should be discussed in contexts more rewarding than that of utilitarianism itself. The day cannot be too far off in which we hear no more of it.

---Bernard Williams

私の、 幸福があらゆる行動律の基本原理であり人生の目的であるという信念は微動もしなかったけれども、 幸福を直接の目的にしないばあいに却ってその目的が達成されるのだと、 今や私は考えるようになった。 自分自身の幸福ではない何か他の目的に精神を集中する者のみが幸福なのだ、 と私は考えた。 たとえば他人の幸福、人類の向上、あるいは何かの芸術でも研究でも、 それを手段としてでなくそれ自体を理想の目的としてとり上げるのだ。 このように何か他のものを目標としているうちに、 副産物的に幸福が得られるのだ。…。 自分は今幸福かと自分の胸に問うて見れば、 とたんに幸福ではなくなってしまう。 幸福になる唯一の道は、 幸福をでなく何かそれ以外のものを人生の目的にえらぶことである。

---J・S・ミル

(Q1)「なぜ私は他人の一層大きな幸福のために自分自身の幸福を犠牲にすべきなのか?」

(Q2)「なぜ私は未来の一層大きな快楽のために現在の快楽を犠牲にすべきなのか?」

---デレク・パーフィット

今日の子供の多くは容易に種々の本を見ることができる幸福をもっているのであるが、 そのために自然、 手当たり次第のものを読んで捨ててゆくという習慣になり易い弊がある。 これは不幸なことであると思う。 もちろん教科書だけに止まるのは善くない。 教科書というものは、どのような教科書でも、 何等か功利的に出来ている。 教科書だけを勉強してきた人間は、 そのことだけからも、功利主義者になってしまう。

---三木清

「しかし、最大幸福原理には誰も反対できないような説得力がある。「いいじゃないの幸せならば」という歌謡曲があるが、自由でも不自由でも、平等でも不平等でも、「いいじゃないの幸せならば」。ここに功利主義のしぶとい強みがある」

---加藤尚武


ある人の行為にせよ、政府の政策にせよ、 結果が関係者全体にとって最善のものが行なわれるべきだとする倫理学説。 帰結主義の一種。

何が「最善」の結果なのかについてはいろいろな説があり、 快あるいは幸福を最大化すべきだとする説や、 各人の欲求あるいは選好の満足を最大化すべきだ とする説などがある。

「結果が関係者全体にとって最善のものが行なわれるべきだ」 と書くと何の問題もないように思われるが、 具体的に考えるといろいろ難しい問題がでてくる。

功利主義と道徳原則

たとえば、あるアフリカ人の夫がいて、 妻がエイズで死にかけているので薬局に薬を買いに行ったところ、 薬が高すぎて買えず、店長はがんとして値段をまけてくれない。 そこで夫は薬を万引して妻に飲ませるという物語を考えてみる。 功利主義によればこの万引は許されるという判断が出るかもしれないが、 万引は例外なく不正であると主張する人 (とくに義務論者)もいるかもしれない。 功利主義の一つの問題として、 この手の例外的に不正が認められる事例をどう考えるべきか、というものがある。

この問題に対して、「万引は許されるべきでない」 「嘘は許されるべきでない」などの規則の正しさを判断し、 個々の行為の正しさは規則に照らして判断する、 という立場がある。 これを規則功利主義 (あるいは間接功利主義 indirect utilitarianism)と呼び、 個々の行為の正しさを個別に判断する 行為功利主義 (あるいは直接功利主義 direct utilitarianism)から区別する人もいる。 たとえば、規則功利主義の立場では、 先の万引の例は、 たとえこの特定の場合においては薬を万引することによって最善の結果が 生じるとしても、 「万引は許されない」という規則を遵守する方が長い目で見て有益ならば、 今回の事例においても万引は許されるべきではない、ということになる。

功利主義と配分的正義

また、「結果が関係者全体にとって最善のものが行なわれるべきだ」という主張は、 配分についての考慮がなされていない、という批判もある。 たとえば、ある政府が、 金持ちと貧乏人との差が極端に大きくなるがGDPが非常に増大する政策と、 金持ちと貧乏人との差は縮まるがGDPがいくぶん減少する政策のいずれかを 選ばなければならない場合、 功利主義は前者を支持するかもしれない (もちろんGDPの増大が幸福の増大を意味するかどうかはわからないので、 かならずしも支持するとはかぎらないが)。 しかし、功利主義の批判者によれば、 貧乏人が一定の生活水準を下回るならば、 前者の政策を支持するのは道徳的の不正であるとされる。 この点についてはロールズの項も参照せよ。

功利主義と道徳的一貫性

また、功利主義は個人の一貫性 (integrity: 誠実で、自分の持っている道徳原理を固持すること) を損なうという批判もある。 次の例はバーナード・ウィリアムズが挙げているものである。

南米の軍事政権国家を訪ずれたジムはたまたま20人のインディアンの 処刑の場に立ち会う。彼らは囚人ではなく、 民衆のデモ活動を抑制するために適当に選ばれた無実の人々である。 悪人の長官ペドロは、ジムに名誉を与えると言って、次のような提案をする。 もしジムがインディアンの一人を自らの手によって射殺するなら、 長官はあとの19人を解放することを約束する。 しかし、もしジムがこの提案を拒むならば、 20人全員が兵隊によって射殺される。 また、ジムには他に行動のしようがなく、たとえば 銃を手にして長官ペドロ以下全員を射殺するという ような可能性は閉ざされているものとする。

これについて、ウィリアムズは、 功利主義者ならばジムがどのような道徳原則や信念や人生観を持っているにせよ、 インディアンの一人を殺すことを要求すると考える。 しかし彼によれば、 これはジムの道徳的一貫性(integrity)を傷つけるものである。 (Williams 1973: 98-9, 114-7)

功利性ベンタム (ベンタム哲学の問題点)、 ミルシジウィック倫理的利己主義外的選好選好功利主義の項も参照せよ。

(11/Apr/2001改訂)


功利主義 Utilitarianism

個人の行為にせよ政府の政策にせよ、その結果が関係者各人の幸福の総和を最 大化するものが行なわれるべきだとする規範理論。各人の幸福は、快楽や欲求、 あるいは選好の充足の程度によって計られる。しばしば利己主義と混同される が、功利主義は関係者全体の幸福を問題にするので、両者はまったく性格を異 にする。

歴史的には、「最大多数の最大幸福」というスローガンで知られるJ.ベンタム (1748-1832)がこの立場を「道徳と立法の原理」として明確に打ち出した。彼 は、人間だけでなく動物の快苦も考慮に入れるべきだといち早く主張したこと でも知られる。その弟子の一人であるJ.S.ミル(1806-73)は、功利主義は人々 の快楽の良し悪しを問題にせず、無批判に満足させることを善しとする豚の哲 学だという批判に対して、快楽の質を区別し、「満足した豚であるよりも、不 満足な人間の方がましであり、満足した愚か者よりも不満足なソクラテスの方 がましである」と述べた。幸福とは単なる欲求の満足ではなく真の利益の実現 だとするこの主張は、今日でも重要な論点を提供している。

他の主要な批判としては、功利主義は配分に対する考慮がないため少数者の犠 牲が正当化されてしまうというものや、快苦の量は正確に測定できないため功 利主義が必要とする総和最大化の計算は実際には不可能だというものなどがあ る。

(某用語集のために600字という範囲で書いたもの。11/Sep/2003)



上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Jan 16 22:19:28 JST 2015