本学会は1981年に発足し10年間にわたり毎年研究集会を開いてきた精神科国際診断基準研究会が発展的に移行したものである。

1980年以来DSM-Vの翻訳との翻訳とその臨床適用を始めていた滋賀医科大学グループとRDCの翻訳を手掛けていた東京大学グループが中心になって、1981学共同によるDSM-Vの臨床試行グループが自主的に結成され、さらにその年文部省総合班研究(A)「DSM-V診断基準の適用とその問題点の検討」学共同研究組織として発足した。
この学の代表により日本における精神医学の国際診断基準の研究会を設立しようということになり、1981年5月30日に世話人会が開かれた。


設立の主旨としては、
(1)わが国においては何等統一された診断基準がなく、わが国の精神科臨床の現場に即した精神障害の診断分類と診断基準をつくりあげる必要があること。
(2)統一された診断基準がないことがわが国の精神医学の国際交流を妨げ、一方では精神医療の遅れを引き起こす大きな原因のひとつとなっていること。
(3)この問題はすべての精神疾患の診断と分類の再編成という精神医学の基本問題に触れることであり、すべての領域の精神科医を網羅した研究会を組織して十分な検討が必要と考えられること、などである。

全国的に主要な大学および施設に対し参加の呼びかけを行った結果、主旨に賛同した38大学及び施設から94名の参加があり、精神科国際診断基準研究会が組織された。
研究会は1981年11月に東京、国立教育会館で行われ、ちょうど来日中のRobert L.Spitzer博士(New York State Psychiatric Institute)も参加されて熱心な討論が展開された。

その後の主な活動としては、文部省研究班7大学との協力によるDSM-Vの翻訳と実地試行をはじめ、わが国の精神科臨床の現場において使いやすい独自の診断分類、診断基準案の作成のための疾患圏別専門小委員会を組織したほか、毎年の研究会においてシンポシウム、一般演題の発表が行われた。
研究の成果は精神医学の各種専門誌に多数発表されている。
また厚生省精神保健医療研究班「精神疾患の診断基準の作成に関する研究」(主任研究者 藤縄 昭)との協力などを通してICD-10の草案の段階から、その翻訳と実地試行に取り組み、研究用診断基準(DCR)に対して日本改訂案(Japanese Clinical Modification)を作成して、対応してきた。
1990にはWPA、日本精神神経学会、日本精神病院協会などとの共催のもとに「精神科診断に関する国際会議(ICPD’90)」を東京の明治記念館において開催し、世界各国から多数の参加者を得て成功裡に会を終わることができた。

わが国において精神科診断学の発展が期待され、研究者の交流の活発化と力の結集により、国際的な発言力を高めていくことがますます必要となっている。
いまだ諸外国においては精神科診断学を専門とする学会は見当たらない現状を考えるとき、精神医学領域において診断学に関する研究を推進することにより、精神医学の発展ならびに精神医療の充実に寄与することを目的として学会を設立することになり、精神科国際診断基準研究会の世話人会において平秋から学会組織に移行する準備が進められた。

新たに学会の会則が立案され、1991年10月19日金沢大学十全講堂において、会則にもとづいて新たに選出された評議員会の初会合が開かれ、精神科国際診断基準研究会を日本精神科診断学会に改称・移行すること、会則を変更することなどが満場一致で了承された。ひきつづき行われた総会においても満場一致の承認が得られた。
新学会は1991年11月より発足したが、これまでの精神科国際診断基準研究会の名簿と会計を引き継いだ。
新学会への移行後、の学術集会(第12回日本精神科診断学会)は慶應義塾大学精神神経科、浅井昌弘教授を会長として、1992年10月24日、東京・日本青年館において開催された。

(本多 裕:精神科診断483-487をもとに編集)