プレホスピタルケア 第14巻第4号(通巻44号),p.1-8,2001
●はじめに
一方、わが国の統一的なCPR指針としては、1992年、日本医師会救急蘇生法教育検討委員会に関係 各団体が参加して協議し、1994年に刊行された「救急蘇生法の指針」3)がある。本指針は1992年の AHAガイドラインを下敷きとして策定された 4)ため、G2000刊行に際しては、わが国のCPR指針につい てもG2000に準拠して改訂が必要という方針で各団体が一致した。そして今回は日本救急医療財団心 肺蘇生法委員会が協議の場となり、2001年5月、改訂版「救急蘇生法の指針」 5) (以下、改訂版指 針)刊行に至った。
改訂版指針はこのように待ち望まれて登場したが、わが国のCPRの実践と教育内容を直ちに変えて しまうには至っていない。総務省消防庁、日本赤十字社などが、改訂版指針をもとに自組織内のテキ ストを書き換える予定とし、新テキスト刊行までは旧指針で指導するとしたためである。G2000を改 訂版指針に反映させる作業においては、国際的な救急医療事情とわが国との差異が認められ(早期除 細動の扱いなど)、他方、国内での新指針普及においては、団体間の指導内容の不一致についての懸 念も残ることとなった。
本稿は以上のような事情を念頭におき、改訂版指針のわが国のCPR普及における意義と注意点につ いてまとめたい。
●Evidence Based Medicine(EBM)とCPR指針策定の方法論
これに対し、わが国ではわが国独自の蘇生事情について科学的分析をする十分な暇はなく、法律の 許す範囲で AHAの決定事項をそのまま採用する結果となっている。そして、G2000とわが国の改訂版 指針との間に、最も大きな記載の差異をみたのは「脳卒中の早期治療」「早期除細動」「気道異物除 去」などの項目であった。これは一つには改訂版指針の紙数の制限によるものであったが、脳および 心臓の再濯流療法、ならびに小児の chain of survivalの最初の輪としての事故予防を重視した G2000に対し、わが国の改訂版指針では心肺停止と出血という従来の枠を踏み越えることがなかった ことによる。
写真. AHA International Evidence Evaluation Conference
の会場風景(Dallas, 1999年9月)
1 意識状態の観察・判断と対応
意識障害がある場合にはまず「誰か来て!」と援助を求め、119番通報を依頼するとした。
(旧指針では、成人ではまず119番通報ことが、本文中には明記されていなかった)。
2 呼吸状態の観察・判断と手当
気道を確保して呼吸を確認しても自発呼吸が認められなかったり、閉塞音が聴取される場合は、さ
らに十分な気道の確保をすることとした。(この場合、口腔内の観察と気道確保をすると記載してい
た)。
3 下顎挙上法(気道確保の方法)
G2000では、頚髄損傷が疑われる状況では市民にも下顎挙上法を実施させるように変更し、下顎挙
上法による気道確保と呼気吹き込み人工呼吸を行う方法を指導ビデオにも収載している。わ
が国の旧指針は、1992年の AHAガイドラインが市民に対しては下顎挙上法を指導しないと
したときにも下顎挙上法を指導しており、今回変更のない新指針が結局 G2000の推奨と合致する
結果となった。ただ、わが国の新指針では下顎挙上法と呼気吹き込み法の施行は
器具(ポケットマスクなど)なしには難しいとしており、 G2000よりもその扱いが
消極的である。
4 吹き込み人工呼吸(成人)
吹き込み量は抵抗なく上腹部が軽く膨らみ胃膨満がみられない量(約10ml/kg)を2秒かけて吹き込
むとした(通常の2倍以上の換気量を、1.5〜2秒で吹き込むとなっていた)。換気量と吹き込み時間
の変化は、胃への吹き込みを防止するための配慮であり、G2000の推奨に従っている。
5 呼気吹き込み人工呼吸(乳児)
これまで「乳児」および「乳幼児」という語の使用法に混乱がみられたが、新指針では1歳未満を
乳児と明記した。乳児に対する人工呼吸法では、G2000に沿って口対鼻人工呼吸法でもよいと記載さ
れ、吹き込み時間は1〜1.5秒(これまでは1.5〜2秒)に変更された。
6 循環状態の観察・判断と手当
循環状態の観察と判断には、自発呼吸や咳、体動などの循環のサインを10秒以内で確認するとした
(頸動脈での脈拍の確認を5〜10秒以内で行うよう指導していた)。
7 胸骨圧迫心臓マッサ-ジ
胸骨圧迫の部位は旧指針同様、中指で肋骨縁を剣状突起基部まで移動させる方法が記載された。
G2000ではこの方法でなくとも、胸骨の下半分を圧迫すればよいとしている。特に119番通報者への口
頭指導時には、左右の乳首を結ぶ線の中央を圧迫する方法も許容されるべきで、新指針でも胸骨圧迫
のみを行うCPRの項にこの記載がある。
圧迫回数は毎分約100回の速さに変更された(これまでは80〜100回/分)。また人工呼吸の回数と
の組み合わせについて、1人で行うCPRでも2人で行う場合でも、胸骨圧迫15回に対し人工呼吸2回の
比率で行うとされた(これまでは2人法では5:1の割合)。
一方、胸骨圧迫のみのCPRが勧められる状況として、救助者が口対口人工呼吸法を実施したくない
場合、119番通報者への口頭指導時、目撃された心停止で直後から胸骨圧迫が実施される場合の3つ
が挙げられた。
8 分泌物、異物による気道閉塞と異物除去
異物除去法としては旧指針同様、背部叩打法、上腹部圧迫法、側胸下部圧迫法が上げられたが、意
識がなくなれば一般市民はこれらを実施しないこととした。小児における上腹部圧迫法の適応につい
ては、8歳以上では推奨、乳児では禁忌とされ、これらについてはG2000と一致している。説明文
中、1歳以上8歳未満の小児についての記載はないが、小児の項の最後に表があり、ここではG2000
同様、8歳以上、1〜8歳未満で異物除去法に区別をしていない。
9 小児の心肺蘇生法
記載が詳しくなり、補(1)として1章を割いている。
10 緊急事態発生の連絡方法
記載が詳しくなり、119番通報時の口頭指導、携帯電話での通報などについても説明が追加された。
11 救急蘇生法連携の必要性
新旧指針の「救急蘇生法の連続性」の図に、 G2000の chain of survival にある「迅速な除細動」
を入れなかった理由が書かれている。しかしこの説明は、早期通報もまた「迅速な除細動」を達成するための重要なステップであること、現状では救急救命士による病院到着までの除細動にかかる
期待が大きいことなどが認識されていない。次の改訂時には、 G2000の chain of survival がそのままわが国の指針に導入されることを強く希望する。
脳梗塞では発症3〜6時間、できれば3時間以内に専門的治療(線維素溶解療法)を行うことが望ましい。こ
のため、患者到着後1時間以内に線維素溶解療法を開始できる体制の整った病院へ搬送することが強重要である。
一般市民が顔面神経麻痺、四肢麻痺、構語障害などから脳卒中を疑い、時間的ロスなく119番通報
を行い、さらに救急隊員がこれらの患者を的確な患者評価のもとに、治療体制の整った医療機関に搬
送できるよう、一般市民や救急隊員に対する教育、啓発の重要性が再認識される。
このように、G2000は脳卒中や心筋梗塞に対する早期再灌流療法の実施を新たに最も重要な柱として位置づけ
ている。これに対しわが国の改訂版指針ではこれらに対する記載はなく、世界の蘇生教育の流れから
取り残された感がある。
上記の考え方は 1997年のILCOR勧告にも明瞭に記載されており、世界の蘇生研究者の間で明白な合
意が形成されている。またそれを可能としているのは AEDの機器としての高い信頼性と、市民への十
分な情報提供の結果、社会の合意として PADの理念が受容されている点である。しかしわが国では、
欧米で市民が AEDを操作する資格を得るのに必要な時間の何十倍にも及ぶ教育を受けた救急救命士す
ら、除細動を行うのに医師からオンラインでの指示を受ける必要がある。さらに、かなりの救急医療
機関が除細動の指示を出す際に、法的には必須とされていない心電図伝送を義務づけ、VF/VT患者の
転帰の決定的な因子である時間を浪費している(消防本部の自主的な縛りにより伝送を行っている地
域もある)
7)。
わが国の改訂版指針においては chain of survival(救急蘇生法連携)の輪からあえて「迅速な除
細動」をはずしていることも見過ごせない。
わが国において初期リズムで心室細動を呈する病院外心肺停止(VF心停止)患者が少ないという報
告
8)。
が散見される。しかし、これをもってわが国における早期除細動の努力にブレーキがかかるとす
れば問題は大きい。わが国では AEDが普及した欧米各国に比べ、虚脱から心電図記録までの時間が長
く、その結果みかけ上の心室細動の頻度は低下する。これらの点を補正した調査なしに、対応によっ
ては防止できる死(preventable death)となるVF心停止への、社会としての準備を緩めることはで
きない。また、われわれは救急医療の専門家として、医学的根拠があれば法改正を含めて国民に提示
してゆく責任がある。
竹田らの自治省消防庁委託研究報告書(2000年)
10)
によると、救急搬送を要した気道異物事故の発
生率は 6.9人/人口10万人/年、気道異物のために救急医療を受けた後に死亡した患者は 2.2人/人
口10 万人/年と計算された。この数字は救急搬送されずに死亡した例を含む、米国の窒息死の頻度
(1.2人/人口10万人/年)を大きく上回っている。またわが国の、初期リズムとして心室細動を呈
する心原性突然死8)の 1.8倍に及ぶ発生率を示した。これより気道異物は病院前救護において迅速な
対処が必要な傷病として、きわめて重要であると考えられた。また、窒息死の原因物質としては餅が
最も多く、餅による気道異物が諸外国ではみられない日本特有の現象であることがうかがわれた。
異物除去法については、米国に1992年以前のガイドラインから成人に対してはハイムリック法、乳
幼児では背部叩打法を指導してきた。これに対しわが国では、各応急手当普及啓発機関での指導方法
が統一されていないばかりか、消防機関の応急処置指導要領には背部叩打法、ハイムリック法、側胸
下部圧迫法など、様々な方法が記載されており、どのような優先順位で施行すべきかが明らかにされ
ていなかった。また、乳児以外の小児に対してもハイムリック法を禁忌とするなど(改訂版指針では
AHA同様、乳児以下のみを禁忌とした)、各所に AHAの指導法との差異がみられた。さらに、掃除器
による吸引という他国に例をみない手技が、多くの消防本部で指導されてきた。
以上のことより、わが国では気道異物の頻度が高いことを考慮して、一次救命処置のコア技術をま
ず指導した後には、体位変換、下顎挙上法を用いた呼気吹き込み法などと共に、気道異物への対処法
(意識/反応がある場合、ない場合)についても丁寧に指導する必要が認められる。
さらに、ハイムリック法は基本的な気道異物除去法として従来より知られているが、G2000ではそ
の評価に疑問を投げかけている。本法は横隔膜を押し上げることにより気道内圧を上昇させ、肺から
空気を排出し、気道から異物を吐き出させる方法であるが、本法の効果を示す確証は少ない。気道異
物の人での研究は非常に難しく、ほとんどの評価は症例報告、死体での研究、動物での研究あるいは
器械モデルを使った研究によるものである。気道異物の多いわが国こそが、気道異物の疫学、対処法
などに関して良質なエビデンスとなる研究を蓄積し、世界に向けて発信することが期待されている。
旧厚生省健康政策局指導課による病院前救護体制のあり方に関する検討会報告書 (平成12年5
月)11)でも「心肺蘇生法の講習を実施する機関(消防機関や日本赤十字社等)ごとに実施方法が異
なっているため、継続した講習の受講を阻害する一因となっている。」との指摘がなされた。このよ
うに、わが国の心肺蘇生法の標準化は積年の課題である。G2000を契機にわが国のCPR指針が改訂され
た後は、その幹となる CPR手順(Sequence of BLS)をすべての団体で共有し、また日本救急医療財
団心肺蘇生法委員会(JRC)などが、今後の各団体のテキストや指導内容を継続的に確認してゆく必
要がある07)
。
しかし、かつての全例で口腔内異物の確認を行うべきか、という論議と同様、G2000やわが国の改
訂版指針においても、解釈の不一致をきたしうる項目は少なくない。例えば、循環のサインをどのよ
うな手順で確認するか、成人・小児の胸骨圧迫の場所として胸骨の下1/2の部に(肋骨縁をなぞる手
順を省いて)直接手を置いていけないのか、などである。
これらの方法について、各団体で推奨する手順が異なるとしても、「本質的にはどちらでもよい、
いずれの方法でもまず実施してくれることが重要である」と教えることはできないだろうか。まし
て、方針の異なる他団体について受講者に自団体より劣るものとして話したり、攻撃したりすること
は慎むべきであろう。
2 G2000や改訂版指針を直接読むこと
G2000そしてわが国の改訂版指針刊行後、多数の解説論文や書籍が刊行されている。その中には一
部、誤解を招く記載や、紛らわしい誤植も含まれている。例えば、ある論文で小児と成人の年齢区分
を10歳としたり、ある新刊書籍で、現在海外の蘇生関連論文などでほとんど言及されず、その原著も
入手できない「ドリンカー曲線」が大きく取り上げられていることなどである。
筆者は関連論文の誤植や不十分な記載などについては指摘をしてゆく必要があるが、本質的にはわ
が国の改訂版指針から直接判断するべきであると考える。そして改訂版指針自体に不適切な記載があ
る場合は、次回の改訂に向けて意見交換をしてゆく必要がある。
3 団体間・異職種間の情報共有
G2000そしてわが国の改訂版指針が刊行され、主要団体の指導指針がまだ固まらない段階において
必要なのは、CPR手順に関する団体間・異職種間の情報共有や意見交換である。これは団体代表の協
議によって改訂版指針が策定された後、直接受講者に接する草の根のCPR指導者たちが疑問をぶつけ
あい、また共通の理解を形成することである。
そのために有用なのはビデオなどの視聴覚資料を作成し、それをもとに意見を交換することであ
る。われわれはわが国の救急医療関係者の新しいCPRに関する理解を深めるために大学病院医療情報
ネットワーク(MINCS)を用いた衛星遠隔講義:「心肺蘇生法2001年の展望」(2001年3月6日)12)
を計画し、ビデオを多用した講義を実施するとともに、ビデオ等の教育目的での再利用を許可し、広
い範囲の人々の参考に供してきた。また AHAの一次救命処置普及のためのビデオ資料についてもその
翻訳テキストを作成する一方、吹き替え版を準備中である13)。
また、社会の各分野の人々が職種、地域、時間などを超えて交流する手段として、コンピュ-タ通
信を忘れてはならない。筆者らが運営する「救急医療メーリングリスト(eml-nc)」14)は1000人近い
救急医療・蘇生関係者が集う場であり、建設的かつ本質に迫る論議を実現している。
4 CPR講習とCPR実施率に関するデータの共有
地域においてどの位の人々がCPR教育を受け、病院外心肺停止患者のうちどの位の比率の患者が市
民によるCPR処置を受けたかは、地域内各団体の努力の総量として集計され、評価されるべきである
15)。また、われわれのCPR教育の最終目的は「受講者数」を増やすことではなく、CPR実施者ひいて
は心肺停止からの社会復帰者を増やすことである。われわれは団体の壁を超えてデータを共有し、地
域の評価基準となるデータを過去に遡って集計し、また毎年発表してゆくべきである。
消防組織においては、重要な記録時刻である「救急通報の時刻」を、ウツタイン様式16)で用いら
れている「入電時刻」ではなく、「出動指令」の時刻で記載する組織が大部分である。これは地域、
国を超えて、データ比較や共同研究を可能とする方法ではなく、自組織の活動が「見かけ上」好成績
となるデータ記載法を選んでいる。一方、市民による蘇生処置実施率の低い地域では、都道府県など
の集計データは公表されるが、市町村あるいは消防本部ごとの市民によるCPR実施率を知ることには
かなりの困難が存在する。蘇生科学の発展ひいてはCPRの定着をはかるために、これらの資料が公開
され十分に活用されることを望む。
稿を終えるにあたり、御校閲をいただいた愛媛大学医学部救急医学 白川洋一教授に深謝申し上げます。
●改訂版「救急蘇生法の指針」の主な変更点
●脳卒中早期治療の重視
●早期除細動
●気道異物(一般市民の対応法)
●新しいCPR普及に際しての工夫点
●結 語
参考文献
http://plaza.umin.ac.jp/~GHDNet/00/kajiti2.htm
http://ghd.uic.net/00/k5prehos.htm
http://ghd.uic.net/99/ilcor.html
http://ghd.uic.net/99/j9dallas.htm