(救急・集中治療 13: 673-681, 2001)
はじめに
2000年8月、米国心臓協会(American Heart Association:AHA)は心肺蘇生と緊急心臓治療に関するガイドライン、Guidelines 2000 for Cardiopulmonary Resuscitation and Emergency Cardiovascular Care(G2000)を改訂・出版した。1974年発行の初版以来の慣習であった6年ごとの改 訂が、今回に限って8年ぶりとなったことにも現れているように、このG2000には従来 のガイドラインの単なる継承型として以上の意味がこめられている。その基礎となっ ているキーワードは「ガイドラインの国際化」と「策定に関する方法論」である。こ れまでにも、その策定の過程において著者らの知り得たことを報告してきたが1),2)、これらの背景について更に詳細に述べる。
ガイドラインの国際化
国際化の源流
心肺蘇生と緊急心臓治療(Cardiopulmonary Resuscitation & Emergency Cardiac Care:CPR・ECC)に関するガイドラインを国際的に統一しようとする動きは、まずヨ ーロッパで始まった。1989年、CPR・ECCに関する科学的知見の共有と、より優れた蘇 生教育を目的として、ヨーロッパ各国が参加するヨーロッパ蘇生法協議会(European Resuscitation Council: ERC)が結成された。ERCでは、その後、1992年に発表した一次救命処置のガイドライ ン発行を皮切りに、1998年の総合的ガイドライン、European Resuscitation Guidelines for Resuscitation3)発行に至るまで様々な活動を行うことになる。
北米での国際化
ヨーロッパでの蘇生活動と平行して、北米における蘇生の普及活動では、米国のAHA とカナダの蘇生団体(Heart and Stroke Foundation of Canada:HSFC)による永年の協力関係が実現していた。そして、1992年に発行された CPR・ECCのガイドライン策定作業では、この協力関係にERCが加わって、本格的な国 際協力が実現することになる。この策定会議への参加・協力者の28%は米国以外の42 カ国からの研究者であったといわれている。
ILCORの結成
1992年に開催されたAHAガイドラインの策定会議における国際協力の成功は、さらに 密接な協力関係、すなわち、国際蘇生法連絡委員会(International Liaison Committee on Resuscitation:ILCOR)の結成へと発展する。ILCORとは、すでに述べた米国(AHA) 、カナダ(FSFC)、ヨーロッパ(ERC)に加えて、さらに、オーストラリア(Austral ian Resuscitation Council: ARC)、ニュージーランド(New Zealand Resuscitation Council: NZRC)、南アフリカ共和国(Resuscitation Councils of Southern Africa: RCSA)、南アメリカ諸国(Council of Latin America for Resuscitation: CLAR)が参加してできたCPR・ECCに関する国際的な団体である。各国を代表してILCO Rに参加する組織が備えるべき条件としては、1)学問の様々な分野を代表する団体か ら構成される複合的組織であること、2)国あるいは地域において公式の蘇生ガイドラ インを策定する権限を有する組織であること、などが定められている。また、その活 動目的として謳われているのは、CPR・ECCに関する科学的知見を広く集積し、ガイド ラインの作成とその教育プログラムの普及についても世界的に歩調を合わせることで ある。
毎年2回の会合を中心としたILCORの活動は、1997年に発行されたILCOR勧告文書(Adv isory Statements)4),5),6),7),8),9),10)として結実する。これは、一次および二次救命処置に関する国際 的合意をまとめたものである。内容はERCやAHAが独自に定めているガイドラインに類 似しており、各国が独自のガイドラインを策定する際の叩き台として使用されること を前提としている。実際、1998年に公表されたERCのガイドラインはILCOR勧告文書で の討議を強く意識した内容となっている。
G2000における国際協力
北米とヨーロッパとでそれぞれ独立して進行した国際協力とそれを統合したILCORの 結成が、G2000の策定にも影響を与えることになったのはむしろ当然であろう。上述 したように、AHAでは1974年以来、6年ごとにガイドラインを改訂してきており、この 流れに従えば、今回の新ガイドラインは1998年に発行されて然るべきであった。G200 0策定の作業が本格的に開始されたのは1999年の3月であるが、その構想はすでに1992 年の策定会議直後から始まっていたといわれている。それにもかかわらず、G2000の 完成が2年遅れの2000年になった理由の一つとして、国際協力関係をさらに進展させ るための準備作業の影響は無視できない。実際、今回の改訂作業では、これに参加し た研究者の40%が米国以外からの参加であった。その結果、G2000の持つ国際性は、改 訂前の1992年版ガイドラインよりもさらに進んだものとなったのである。
G2000が国際色を強く帯びているといっても、その策定に参加したすべての国がG2000 を各国のガイドラインとして使用するというわけではない。例えば、ヨーロッパでは 、ERCの会合などを通じてG2000が詳細に紹介されているが、ERCでは依然として独自 のガイドライン(上記)を採用している。この傾向はおそらく日本でも同様である。 日本では、1993年の「救急蘇生法の指針」策定に先立つ日本医師会救急蘇生法教育検 討委員会において、国内における蘇生の方針についてはAHAのガイドラインに準ずる 、との申し合わせが行われている。したがって、今後のわが国のガイドライン策定に おいても、国際色の強いG2000が大きな影響を与えることは間違いないが、少なくと も一部の項目に関しては国内の事情に応じた変更が加えられることになろう。現在、 日本救急医療財団心肺蘇生法委員会において、G2000を見据えた独自のガイドライン 改訂作業が進行中である。なお、G2000は、AHAのガイドラインとしては初めて、その 全文の日本語訳が出版される見込みである。
策定に関する方法論
前段で述べたように、G2000の策定では「国際的な合意」が強く意識されている。と ころが、CPR・ECCの理論や手順には、国や地域によってそれぞれ異なる部分もあり、 これを統一するにはそれなりの手法が必要となる。そのためにAHAが掲げたのが「客 観的な合意形成」であり、これがG2000の特徴の一つであるともいえる。 従来のガイドラインでは、必ずしも客観的なデータに基づかない勧告が盛り込まれる こともあったという。これをAHAではdomineering expert syndromeと称している。Domineering expertとは、いわゆる権威者と称せられる研究者や豊富な経験を有する臨床家のこと である。過去の研究11)によれば、いかに権威者であっても、必ずしも最新の科学的 知見に精通しているとは言えず、その意見が過度に尊重された場合にはデータの客観 的検証過程が障害されることもあると言われている。そこで、AHAでは「Show me your data!」をG2000策定の合言葉として、データに基づいた合意形成をめざしたのである。 データに基づいた合意形成の全体的な流れを図1に示す。各ステップの中で最も重要 なのは「勧告案の公募」であり、それに続くステップのほとんどはこの勧告案の検討 に費やされたといってよい。
勧告案の公募
図2に示したAHAのホームページにあるように、AHAではG2000に関する勧告案を広く 公募した。勧告案提出の期限は1999年6月である。勧告案を提出しようとする者は、 一定の様式に従った情報提供が求められている。その概略を以下に示す。
Step 1: 勧告案と従来の勧告の比較
新たに勧告する内容と、それに関して従来のガイドラインではどのように述べられて
いたかを明記する。
Step 2: 論文の検索
新たな勧告案が妥当なものであるかを自己検証するため、これに関する過去の論文を
代表的なデータベースを用いて検索する。データベースとしては、MedlineやEM
Baseなどの電子化されたデータベースを利用する以外に、手作業で行う検索や、未公
表のデータ、研究者からの聴きとり調査なども正当な文献検索の方法として認められ
ている。ただし、検索を開始する前に、最終的な絞込みの条件(動物実験を含めるか
否か、総説を含めるか否か、検索の対象とする期間、最低限の症例数(n)など)を
明確にしておかなければならない。これによって、検索者の主観が入り込む可能性を
排除するとともに、他の研究者による再検索を可能にしておくのである。
Step 3: 各論文を研究デザインによって分類する。
検索によって集められた各論文を、その基になった研究のデザイン、すなわち、無作
為化の有無、対照群の有無、前向き研究か後ろ向き研究か、などによって8種類の"le
vel"に分類する(表1)。最も信頼度が高いとされている大規模無作為化比較対照試
験はlevel-1である。
Step 4: 各論文をその質によって分類する。
研究デザインとは別に、それぞれの研究の「質」を、"excellent"から"unacceptable
"までの5段階に分類する(表2)。例えば、症例報告の「質」は"unacceptable"であ
る。"poor"と"unacceptable"に分類された論文は、その"level"(研究デザイン)の
如何にかかわらず、以後の検討から排除される。これらの論文には科学的な証拠能力
が認められないのである。
Step 5: 論文の"level"と「質」とに応じて、勧告案のClassを決定する。
勧告案作成の最終段階である。勧告案のClassは、絶対的推奨:Class
I、積極的推奨:Class IIa、消極的推奨:Class
IIb、無益または有害で推奨できない:Class
IIIがある(表3)。例えば、大規模な無作為化比較対照試験によって、その有益性
が確実とされた勧告案に対しては、Class
Iが与えられる。有益性を証拠づける論文がまったく欠如している、あるいは、有害
な可能性を強く示唆する論文がある場合はClass III
となる。これらのClass分類はAHAが従来から用いてきた手法を踏襲したものであるが
、今回新たにClass Indeterminateが追加された。これについては後述する。
この場合のClass分類は、あくまでも勧告内容を支持する証拠能力の強さによるので
あって、必ずしも臨床的な有益性を表す指標ではない点には注意が必要である。例え
ば、心停止患者の生存率をごくわずかに上昇させるに過ぎない治療法であっても、そ
の生存率上昇の統計学的有意性がlevel-1の研究によって証拠付けられている治療法
はClass
Iである。逆に、患者生存率に多大な影響力を与えると考えられている治療法であっ
ても、それを裏付けるためのlevel-1研究が存在しない場合はClass
IIa以下に分類される。したがって、Class
Iの治療法だけがすばらしい治療法で、Class
IIbの治療法はあまり意味がない、と考えるのは間違いである。
勧告案の検討
世界中から集められた勧告案は、その後、小委員会や全体会議においてその妥当性が 討議された(図1)。このうち、全体会議のEvidence Evaluation Conference(1999年9月)と Guidelines 2000 Conference(2000年2月)はそれぞれ約250人、500人の研究者が世界各国から出席し て開催された。この場では、主に勧告案で引用された論文の"level"や「質」の分類 、あるいは最終的なClass分類が適切かどうかが討議された。表1〜3からも分かるよ うに、各論文の"level"や「質」、Class分類に関しては主観の入り込む余地が完全に 除外されているとは言い難いためである。また、ガイドライン上での表記方法などに ついても同様に議論された。全体会議での討議結果は、それに続く小委員会で再び議 論されたうえで、最終的な勧告内容とそのClassが決定された。
Evidence based medicine
勧告案の公募から始まって小委員会での最終的決定に至るまでの過程において、検討 手法の骨格となったのがevidence based medicine(EBM)である。ここで、EBMについて簡単に確認しておきたい。 EBMは、「医療を行う際には根拠(エビデンス)に基づいて行わなければならない」 と主張する。では、我々は今まで、根拠もなしに医療を行ってきたのだろうか。もち ろん、そんなことはあり得ない。すべての医療行為は、それが患者にとって有益であ るという根拠に基づいて行われてきたはずである。この当然のことをあえて主張する EBMの疑念を理解するには、EBMのいう「根拠」の定義を明確にしなければならない。 医療行為を行えば患者の状態が変化する。この状態の変化には、例えば、リドカイン 投与によって心室性期外収縮(PVC)の頻度が低下する、プロスタグランディン製剤 の投与によって開腹手術後の肝逸脱酵素(AST、ALTなど)が低下する、などがある。 これらは、患者の変化を表す指標の中で「中間変数」と呼ばれるものである。一方、 患者におこる最終的な変化には、完全に回復した、死亡した、能力障害が残った、な どがあり、このような回復程度を表す指標が「転帰」である。転帰の代表的なものに は「5Ds」、すなわち、死亡(Death)、疾患(Disease)、不快(Discomfort)、能 力障害(Disability)、不満足(Dissatisfaction)がある。
本来、医療行為の有益性は患者の満足度によって計られるべきで、その指標としては 転帰を用いるのが理想である。一方、現実の医療では、中間変数をもって有益性の指 標とする場合も多い。ある治療を行った結果、患者の中間変数が改善すれば、その転 帰も改善する可能性が高いからである。例えば、リドカインの投与によってPVCの頻 度が低下すれば(中間変数の改善)、その患者の生存率も上昇する(転帰の改善)と 予測することができる。しかし、これはあくまでも推論に過ぎない。近年、中間変数 の改善が必ずしも転帰の改善につながらない場合が意外に多いことが明らかになって きた。たとえば、PVCの頻度を低下させることから心筋梗塞後の患者生存率を上昇さ せると信じられてきたリドカイン12)やフレカイニド13)、高脂血症を改善して虚血性 疾患による死亡率を低下させると信じられてきたクロフィブラート14,15)は、むしろ 患者の死亡率を上昇させることが大規模な無作為比較対照試験で証明された。このよ うに、中間変数を指標として3段論法的に転帰を推測することが、場合によっては誤 った治療法の認知へつながることの認識を背景に、EBMは、ある医療行為が有益であ るか否かは転帰の変化を確認しなければ判定できない、根拠とはすなわち転帰であっ て中間変数ではない、と主張するのである。
Evidenceの欠如とdecision paralysis
AHAが国際的な合意を形成するための武器として採用したEBMであったが、各勧告案に ついての論文を検討してみると、EBMといえるだけの論文、すなわち、患者の転帰ま でを追跡した研究の数は驚くほど少ないものであった。これはCPR・ECCの分野におい て、比較対照試験を行うことが困難であるという現実を反映している。また、CPR・E CCでは様々な治療法が複雑に関与しているため、ある特定の治療法が患者転帰に与え る影響を独立して分析することも困難である。
純粋な意味でEBMと言えるのは無作為化比較対照試験であり、この研究が存在しない 限りClass Iの勧告は行えない。研究は存在するが、その証拠能力に問題がある場合は、すべてC lass II以下に分類される。それどころか、勧告案によっては信頼するに足る研究が欠如し ているためにClass分類を行うことことすら不可能な場合もあった。論文、すなわち エビデンスが欠如しているために、意思決定機能が麻痺状態に陥ったこのような状態 をAHAではdecision paralysisと称している。エビデンスの欠如とdecision paralysisを認識したことは、G2000の策定過程で得られた重要な産物の一つであると いえる。AHAではこの産物を前向きに捉え、G2000の策定作業を今後の問題点探求の起 点と位置付けたのである。
Grand-personed recommendations
EBMは十分に尊重されるべきとはいえ、これに固執したのでは、実用的なガイドライ ンの作成はおぼつかない。理想と現実のジレンマである。この問題に対処するために AHAが採用した二つの戦術の一つがgrand-personed recommendationsである。"grand-personed"は「既得権として認められた」という意 味である。従来から用いられてきた治療法や手技については、その有用性に対する明 らかな疑義がなく、また、代替的方法も見つからない場合には、特に勧告levelを定 めることなく採用する。例えば、一次救命処置では胸骨圧迫心臓マッサージと人工呼 吸の比率は15:2とされたが、この比率が13:2や14:2と較べて明らかに有効であるとい うわけではない。これも一種のgrand-personed recommendationsである。
Class Indeterminateとエビデンス欠如の公開
有用性を検討するための材料となる研究がほとんどなされていない治療法の一部につ いては、今回から新しいClassとして"Indeterminate"が追加された。すでに実践され ている治療法や薬剤のうち、特に重要なものや今後の研究が望まれるものがその対象 となっている場合が多い。心停止に対するエピネフリンの投与はその例である。エピ ネフリンは、実際の蘇生では第一線的治療薬として使用されているにもかかわらず、 その根拠は驚くほど脆弱である。過去の経験から、あるいは半ば慣習的な観点から、 エピネフリンを蘇生の現場から排除するのは得策ではないと思われるものの、真の有 用性に関してはさらなる研究が望まれる。このような治療法については、それを支持 するエビデンスが欠如している事実をあえて公表し、その分野におけるさらなる研究 を刺激するのがAHAの意図である。Class Indeterminateは、G2000の重要な特徴の一つであり、客観的ガイドラインとしての信 頼性を高めるものとなっている。
終わりに
G2000策定で推進された国際的な協力は、データの収集と解析を容易にし、科学的な 手法でガイドラインを策定するための強力な武器になろう。一方、突然死に関する疫 学には人種や地域による差異があるのが当然で、治療法や蘇生の手順も、それぞれの 地域の実情に応じた細かな改変も必要となる。そのためには、先に述べた"エビデン スの欠如とdecision paralysis"とを十分に再認識し、日本におけるCPR・ECCの特殊性に関する解析を科学 的に推進し、国際的な学術誌に発表する努力が不可欠である。その成果は、国内だけ に留まらず、国際的なCPR・ECC活動の推進にも貢献することになる。なお、わが国が かかえる問題点の詳細については、別項「わが国の一次救命処置の課題」を参照いた だきたい。
以上、G2000にひそむ二つの重要な意義、国際性と策定の方法論とについて述べた。G 2000の主な変更点については既に報告し16,17)、その全文和訳もメディスインターナ ショナル社から近く発行の予定であるが、このような策定の背景を、ガイドラインを 紐解く際の参考にされたい。
参考文献