人迎気口診、“復活・再構築”の道のり

古典の中に記載があり、日本でも実践されていた形跡のある人迎気口診であるが、既に臨床の現場では途絶えていた。人迎気口診の概略と井上の奮闘の一端を紹介する。

 

1.古典・歴史の中の人迎気口診

 

古典の中では3世紀半ばの『脉経』に最初の記載があり、人迎気口の位置を「関前一分」と示している。
宋の『三因極一病證方論』になってはじめて人迎が外傷を、気口が内傷を示すということが記載され、祖脉と病因との関係などが述べられている。
日本では田代三喜の弟子の曲直瀬道三などによって行われていたとされる。

 

ちなみに、『素問』『霊枢』の中にも人迎と気口という表現があるが、これは頸の人迎穴を使うもので井上が追った人迎気口診とは別のものである。

 

 

2.独自の座標軸、脉と病証の考察

 

井上は脉を検討するための独自の「座標軸」を考案し、毎日の臨床で、八つの祖脉である浮沈、遅数、虚実、滑濇の脉状を記入していった。多くの脉のパターンを集めることで脉と病証との関係についての考えが確立されていった。  

 

●井上が作った基本の座標軸

 

座標軸

 

(※医道の日本社『脉から見える世界』より)

 

☆座標軸についての詳しい説明はこちら

 

3.「陽虚」の発見 — 八祖脉による陽虚の定義

 

座標軸への記述を進めるうちに、古典に表記のある陽実、陰実、陰虚という脉が座標軸の各象限上に分かれて表現されることが判明した。

 

井上は3つの脉図から、陽虚の脉はまだ書き込みのない右下方に表現されると類推した。そしてその図から陽虚の脉の要素を「沈・虚・遅」であると定義した。
陽虚の脉の要素は古典の記載が確認されておらず、陽虚の脉状が明らかになったのは井上の探究の大きな成果であった。

 

座標軸陽虚

 

<陽虚〜沈・虚・遅(濇)>(※医道の日本社『脉から見える世界』より)

人迎気口診による病証の組み立て

井上は人迎・気口の脉の浮沈・遅数・虚実の祖脉によって32の病証を組み立てた。さらに、病証ごとに滑濇により4段階の変化形に分け、全部で128にものぼる病証の図を描き出した。

 

1.人迎・気口それぞれの脉の表すもの

 

人迎気口診では、人迎は外邪を、気口は内傷を表す。
気血の観点から言えば、人迎が大きいものは気の病、気口が大きいものは血の病ととらえる。
脉が虚かつ遅の病証を基本とする。脉が実であればなんらかの病的な状態にあり、数であれば病が進行中であったり慢性化したりしていると考える。
虚脈で脉が浮いていれば陰虚、沈んでいれば陽虚、実脉で脉が浮いていれば陽実、沈んでいれば陰実となる。
滑濇は予後の判断に利用される。ある病証に相応しいと考えられる滑濇を“順”とし、予後もいいと考える。

 

 

2・人迎気口診による病証の整理

 

陰陽、虚実、遅数によって整理された32の病証は以下の通りである。
(それぞれに“順”から“逆“までの4つの段階を持つ)

 

表
表2

 

3.脉の表すもの、病証の特徴

 

井上は陰陽虚実気血といった抽象的な概念を組み合わせたものに病証名をつけ、それぞれの姿をとらえやすくした。
例えば陰虚であり、血の病である脉状に「労倦湿症」という病証名を付けることによって、睡眠不足や目の使いすぎ、打撲捻挫やむちうち症という代表的な症状への連想が簡単になっている。

 

また、症状と脉との結びつきが明確にされることにより、ふさわしい脉であれば治りやすく、そうでないものは予後が悪いという判断も容易にした。

診断から治療へ

問診では主訴および睡眠・食欲・小便・大便・月信について確認する。顔や身体全体の色艶や皮膚の状態、手足の寒熱などを考慮にいれた上で、人迎気口診と六部定位診の2つの脉診によって病証を判断する。

 

井上脉状診では病証が決まればその時点で経絡・経穴、鍼の手技など治療方針が定まる。
(もちろんその時々の要素が加味されて治療法が決まっていくのは言わずもがなであるが、基本的な治療方針があるということである)

 

1・脉診

 

●人迎気口診

 

患者の右手が気口、左手が人迎。『脉経』では「関前一分」と記されているが、実際の臨床では六部定位診の寸と関の間で脉をみる。橈骨茎状突起の外側の一番高いところに指を置いて脈管までスライドした位置が脉診部となる。
人迎と気口の差で気血及び内傷外傷の判断をし、浮沈で陰陽をみる。滑濇は予後診断の指標となる。
人迎気口診によって経穴、鍼の補瀉の手技などが決まる。

 

 

●六部定位診

 

経絡治療の六部定位診であるが弱い部位を特定する方法が従来の方法と異なる。弱いところを見つけるのではなく、強いところを探し、五蔵の相生相克の関係を利用して虚している蔵を特定するという方法である。
六部定位診によって施術対象の経絡が決まる。

 

 

2・脉以外の指標

 

病証を判断する際には、症状はもちろんであるが、手足の寒熱も大切な判断基準となる。温かい、熱い、冷たいなどを部位毎に確認する。
手足の寒熱が定まっている病証もあれば、いろいろな寒熱を呈する病証もある。

 

 

3・選経・選穴、補瀉の手技

 

病証ごとに主証が内傷、外傷に分かれ、主証が内傷であれば対経、外傷であれば自経陰陽をとることを基本とする。そして、脉が虚であれば補法、実であれば瀉法というように手技が加わっていく。それぞれの病証に4つの段階があり、経絡や経穴などが異なってくる。

 

以上、井上脉状診は綿密な理論によって組み立てられたものである。しかし、型にはまったマニュアル治療ではなく、綿密さゆえに応用の効く開かれた治療法なのである。