その石黒さんも「電話魔」とは言えませんが、 (日本人の常識からすると) たいへん変わった電話のかけ方をする。 朝九時ごろリーンと鳴るベルの音に、 たたき起こされて電話口に立つと 「石黒です。お早うございます。 カントの理性は感性も含むのですか? わたくし、昨夜そう書いてある解説書読んで、 そんなわけはないと思って……」 と、ストレートに哲学談議に入るのです。
彼女について書いたら切りがありません。 円覚寺境内にあるお宅も何回か訪問しましたが、 東慶寺の屋根が展望できる小型博物館のような趣味のよい居間で、 目をまんまるに開けてしゃべりだしたら止まらない。 長くロンドン大学教授やコロンビア大学教授を歴任した後、 慶応大学に迎えられたものですから、 すべてがズレている。 「わたくし、なぜ「大型帰国子女」って言われるのかしら? 「老型帰国子女」ならわかるけれど」 と時折余裕のある態度も見せますが、 帰国当初しばしば母国語はうまくいかなかったようで 「会議のとき「添付する」という読み方がわからず 「これにテンフしてください、これにテンフしてください」 と言っても誰もわかってくれなかったの」 とか「わたくし、はじめ「ドウテイの基準」 と若い方々が言っているのを聞いて何かしらって思ったの。 「童貞の基準」かしら。 それにしてもおかしいわね。 あとで「同定の基準」だとわかったのですけれど」 とか……何しろユニークです。
(中島義道、『哲学の道場』、ちくま新書、1998年、93-4頁)
こないだ書いたフルブライトの書類の一部を公開しておく。 一応、参考までに。
一昨日から異国の地にいる。
11日はいちおう下鴨の古本まつりに行った。 10時の開始時刻の段階ではまだ開店を見合わせている状態だったが、 開けないとその場に集まってきていた古本マニアたちが暴動を起こすと見て取っ たのか、 10時半ごろに号令がかかって各店、店を開け出した。 しかし、疲れていて全店くまなく見て回る気力がなかったので、 4冊ほど本を買ってお昼ごろに引き上げた。
JR京都駅でパスポートの申請をしてから、 夕闇が深くなるころ、東京駅へ。 電車をのりついで兄の家に行く。
夜、やんごとなき事情からしゃぶしゃぶを食べることになる。うまい:-)
昨日は、やんごとなき事情から新宿へ。 新宿新南口のタカシマヤの中にあるIMAXシアターで'Encounter 3D' という3Dの映画を観た。
今日は午前中本を読み、午後からは兄の仕事の手伝い。 すでにお金をもらってしまったので、その分は働かねば。
ところで、昨日から左の奥歯が痛み出しているが、 親知らずがついに生えてきたのだろうか。 歯医者に行かねば死ぬかもしれない。 しかし、住民票の異動などで国民健康保険が切れたままになっているので、 京都に戻ったらまず保険証をもらってこなければならない。いやはや。
仕事中。
やんごとなき理由から、某ロッテのXYLITOLをかむのはやめた。
歯が痛い。死ぬかも。
昨日は夕方に仕事を終え、 夕ごはんを外で食べたあとに少し寝る。 それから明け方まで道徳権利論の本を読む。
マイケル・フリーデンの『権利』はつまらなさすぎて飛ばし読みしかできなかった。 訳が悪いのか内容が悪いのか知らないが、とても真剣に読めない。 ふと手にして読んだ『ニコマコス倫理学』と比べていかにつまらないか。 『ニコマコス倫理学』は全部読み通す気にはならないが、 どこを開いてもおもしろい記述に突き当たる。やはり古典。 ただ、功利主義と自然法論の折衷を目指した人として、 スコットランドのリッチー(Ritchieだったか) という学者(19世紀末の人)がいることを知った。 この人はそのうち調べてみよう。
深田三徳の『現代人権論』。途中まで読む。 とにかく情報量が多い。 いろんな思想家の思想が簡単に紹介されているので、 持っていて損はない一冊。 ただ、あまり思索的な本ではない。
明け方に寝てお昼前に起きる。 今日も仕事の手伝い。
仕事中。
さらに仕事中。昼下がりに某所で長崎チャンポンを食べる。
今日の仕事終わり。
そういえば、 昨日なかなか寝つけないのでテレビをつけてVIPERという米国産テレビドラマを見た。 感想とくになし。
昨日は夜中にコンピュータのセットアップをしたり、 テレビでJan and Deanという映画を観たりして、 ほとんど勉強できなかった。う〜む。けっ、けしからんっ。
今日も仕事。
兄と一緒に、久しぶりに散髪に行った。 去年の冬、学振の面接の前に散髪に行って以来。
それにしても、自分で髪を(適当に)切ったり、 髪を洗ったりできるのに、 人に身を委ねるというのはなんだか居心地が悪い。 主体性の喪失というか。 (いや、そもそも主体性のない人間なんですが) あれ、 前に散髪に行ったときにも同じことを書いた気がするな。
それから某所で袖なしのティーシャツを一枚購入。
さらに仕事中。眠い。
労働終わり。さて、勉強勉強。
昨夜は深田三徳の『現代人権論』を最後まで(とばし)読んでから寝た。 やばい。関倫の要旨を書くにはまだまだ勉強が足りない。
今日も仕事。
さらに仕事。
ちょっと思い出について考えるところがあったので、 ビートルズの`In My Life'を訳してみました。
ずっと忘れられない場所(とこ)がたくさんある
変わってしまった場所もあるけれど
相変わらずの場所もある
無くなってしまった場所もそのままの場所もそしてすべての場所に忘れられない瞬間(とき)がある
そこにいた恋人や友人たちの姿が今でも思い浮かぶ
死んだやつもいるし、生きてるやつもいる
ずっと彼らのことを愛しているよだけどこうした友人や恋人たちでも
君とは比べられやしない
それに愛が新しいものだとすれば
思い出なんて意味はないさ過ぎ去った人々やものごとに対して
愛着を失なうことは絶対にないし
ときどき立ち止まってはむかしのことを考えたりもするだろうけど
君のことを一番愛してる過ぎ去った人々やものごとに対して
愛着を失なうことは絶対にないし
ときどき立ち止まってはむかしのことを考えたりもするだろうけど
君のことを一番愛してる
君のことが一番好きさ注: 「場所」はすべて「とこ」と読み、 「瞬間」は「とき」と読みましょう。
さらに仕事中。ようやくほぼ終わった。
夜、兄の家で仕事を終了させてから就寝し、 朝5時前に起きて電車に乗り、早朝の新幹線で京都へ。 10時前に下宿着。
急いでシャワーを浴びて古本市に行ったら昨日で終わっていた。不覚。
学振に電話して源泉徴収票について訊く。 今年度の源泉徴収票はまだもらえないとのこと (え、当たり前だって?)。 かわりに「特別研究員採用証明書交付願」というのを送れば、 所得証明してくれるんだそうだ。 ううむ。勉強になるなあ。
北大路の喫茶店で食事をしたあと、 お昼過ぎに下宿に戻る。 少しギターを弾いて歌などを作ってみる。 それから郵便局に行って学振に書類を送る。
暑いのでシャワーを浴びて夕方まで寝たあと、 寝るまえに洗濯した洗濯物を干して大学へ。 関倫の発表要旨を書かねば。
今日やったこと
昨日は帰りにちょっとゲーセンに寄り、 それからビデオ屋で『オースティン・パワーズ』 とキートンの喜劇映画を一本借りて帰った。
真夜中、『オースティン・パワーズ』 を観る。007のパロディ映画。 ユーモアのセンスが良い。 最後のクレジット(っていうんだっけ)の部分で演奏している曲(Ming Tea: 'BBC') もかっこいい。 続編が楽しみ。というわけで、B。
それからお昼過ぎまで寝る。 起きてから地下鉄でJR京都まで行ってパスポートを入手。 しかしなぜ一万五千円も払わねばならないのだ? パスポートを準備するってそんなにお金がかかるものなのか?
某喫茶店に寄ってピラフセットを食べ、サンデーを読んでから大学へ。
う。SFが読みたくなってきた。ディックが読みたい。
生協のインターネット洋書注文でDavid George RitchieのNatural Rights という本を注文。 しかし古い本なので在庫があるかどうかわからないようだ。 なかったらamazon.comの方でも試してみよう。
最近どうも日本語の文章がよく読めないなあと思っていたら、 (昔やっていたように)英語のように従属節をカッコに入れたり、 接続詞や指示語を一々チェックしたりしてなかったからのようだ。
教訓: 日本語も外国語と思って読むべし。
某所で食事。スペリオール読む。
今日は久しぶりに研究室に泊まり込んで、 関倫の発表要旨を書く予定。 やるぞやるぞやるぞ。
やるぞやるぞと言いつつ、ゲーセンで遊んだり。いかんいかんいかん。
ハートの「功利主義と自然権」、 「自然権: ベンサムとジョン・スチュアート・ミル」、 「効用と権利の間」などを読み返す。 上の二本はベンサムと子ミルの学説の大まかな検討、 下の一本はノーヂック(ん、ノーズィック? 伊藤左千夫『ノヂクの墓』なんてね) とドゥウォーキンの権利論の批判。
ん〜。何か書けそうなことはあるかなあ。う〜。やばいやばい。
今日やったこと
『野菊の墓』を読んだことがなかったので、 これはまずいと思い、都合よく ネット上にテキストがあったので、 さっそく読んでみた。
…う〜ん。なかなか泣かせる。 最後の方はこれでもかこれでもかという位、 悲劇的要素に満ち満ちており、 お涙頂戴の筋書きになっている。B。
そのような悲劇を茶化してもうしわけないが、 途中で次のようなくだりが出てくる。 きっと有名な部分に違いない。
「まア政夫さんは何をしていたの。私びッくりして……まア綺麗な野菊、 政夫さん、私に半分おくれッたら、私ほんとうに野菊が好き」
「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」
「私なんでも野菊の生れ返りよ。 野菊の花を見ると身振いの出るほど好(この)もしいの。 どうしてこんなかと、自分でも思う位」
「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」
民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。
「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」
「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」
「それで政夫さんは野菊が好きだって……」
「僕大好きさ」
純情な政夫君は直接告白できないので、 「野菊が好き」で「民さんは野菊のようだ」と言うことで、 「(野菊のような)民さんが好き」だということをほのめかしているところ。 たいへん微笑ましい会話だが、 ここで登場する「野菊」を(たとえば)「カレー」にしてみると、 どうだろうか。
「まア政夫さんは何をしていたの。私びッくりして……まアおいしそうなカレー、 政夫さん、私に半分おくれッたら、私ほんとうにカレーが好き」
「僕はもとからカレーがだい好き。民さんもカレーが好き……」
「私なんでもカレーの生れ返りよ。 カレーのルーを見ると身振いの出るほど好(この)もしいの。 どうしてこんなかと、自分でも思う位」
「民さんはそんなにカレーが好き……道理でどうやら民さんはカレーのような人だ」
民子は分けてやった半分のカレーを顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。
「政夫さん……私カレーの様だってどうしてですか」
「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなしカレーの様な風だからさ」
「それで政夫さんはカレーが好きだって……」
「僕大好きさ」
ううむ。 「カレーが好き」かつ「民さんはカレーのようだ」 →「(カレーのような)民さんが好き」 というわけで「野菊」の場合と論理的には同じなのだが、 案の定情緒がなくなってしまった。 なぜ「野菊」はよくて「カレー」はだめなのだろうか。
う。いかん。勉強勉強。ノーヂックの名前のせいでずいぶん脱線してしまった。
某所にて久しぶりのキムチ鍋定食。 『加治隆介の議』1〜2巻まで。 政治家って大変そうだなあ。 ←うわ。月並みな感想:-)
う。やばいやばい。寝すぎた。
げ。もうこんな時間か。
某喫茶店でミックスサンドのセット。朝日新聞。 それからルネと中央購買部に寄って少し買物。
う〜。やばいやばい。
知らぬまに雨が降っていた。
う〜。ぜんぜん捗らん。
雨の中、某所に行き、キムチ鍋定食。 『加治隆介の議』3〜4巻まで。
ルネに注文していた本を取りに行く。
う〜。やばいやばい。 モーニングや榎本俊二の『enotic』を読んでる場合じゃない。
あのルネ・デカルトが 初来日するらしいという情報をいただく。
コンビニで飲み物とガムを買ってくる。さあやるぞ。
わああああああああぁぃぅぇぉ。
やばいいいいいいいいぃぅぇぉ。
どうしようううううううぅぇぉ。
ひえええええええええええぇぉ。
うそおおおおおおおおおおおぉ。
さあ、書くぞ書くぞ書くぞっ。書くぞっ。(←まだ書いてない)
うう〜。
今日やったこと
とりあえず1000字ほど書いたので一段落(いいのか?)。
某所でチャンピオンなどを購入し、 三度某所へ。今回は煮こみうどん。 『加治隆介の議』5巻から7巻まで。
さすがに体調が悪くなってきた。
下宿でシャワーを浴びてしばらく寝てシャワーを浴びてから再び大学へ。 途中、某喫茶店でモーニングを食べてくる。プレイボーイ。
うう。体調が。
雷がバリバリ言ってて恐い。
某所でキムチ鍋。『加治隆介の議』8〜9巻まで。 う〜む、やはり戦争とか自営態とかについてもよく考えないといけないよなあ。
内容はともかく、1500字ほどになったのでペースダウン。のろのろのろ。 一応、公開してしまおう。ご批判乞う。 また、まだ全然できてないが、 権利論用語集というのも作ってみた。