福利の平等

(ふくりのびょうどう equality of welfare)


ドゥオーキンの用語。 welfareは幸福、福祉、厚生などとも訳されるが、 生活がうまく行っている状態のことを指す。 また、政府が国防や犯罪防止だけでなく、 社会保障制度(国民健康保険や国民年金など)や雇用政策(大規模な土木工事など) に手を出すと、福祉国家(welfare state)と呼ばれて賛否両論を巻き起こす。 どちらかと言えば、左翼(社会主義)の発想である。

福祉の平等とは、 各人の幸福のレベルを平等にしようとすることを指す。 もっと平たく言えば、 政府はみんなを同じくらい幸せにする政策を行なうべきだ、ということである。 これを行なうにあたっての大きな問題は、 一人一人の幸福のレベルをどうやって計り、 他の人と比較するのか、という問題である。 (個人間の効用比較の不可能性を見よ)

また、たとえ上の問題を克服できたとしても、 福祉の平等の立場にはさらに問題がある。 たとえば、ビールを一杯飲めば幸せになれる人と、 高価なシャンペンをたくさん飲まないと同じくらい幸せになれない人がいた場合、 政府は後者により多くの援助を行なうべきだろうか。 また、もしビールを一杯飲めば幸せになれる人が、 意図的に シャンペンを大量に飲まないと幸せになれない体になるよう努めて成功した場合、 政府はやはりこういう人にも援助の手をさしのべるべきだろうか。

これらの問題意識から、 ロールズやドゥオーキンは基本財 あるいは資源の平等という立場を採用することになる。

なお、 功利主義はふつう福利の平等を目指すものと 考えられている。

21/Apr/2001


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sun Jun 11 03:34:26 2000