観念

(かんねん idea)


英語では「アイディア」であるから、 もとを辿れば、 プラトンイデア説から 来た言葉であると思われる。 しかし、不思議なことに、 なぜか英語ではイデアのことをフォームと呼ぶ。

ロックは、 頭の中に浮ぶ考えをすべて観念と呼んだ。 だから、三角形の観念とか、猫の観念とか、 いろいろあるわけである。

一方、ヒュームは、 何かを見たりさわったり(=知覚したり)したときに 頭に飛び込んでくる生き生きとした考えのことを印象 impressionと呼び、 それとは別に、記憶によって頭の中に浮かんでくる あまり生き生きしていない考えを観念と呼んで区別した。 要するに、印象がオリジナル、観念がそのコピーと言える。

じゃあなぜヒュームはわざわざ印象と観念を区別したのだろうか? それは一つには、すべての観念(=イデア)は、 知覚から生じる印象、 すなわち経験から得られるという 経験論的な立場を強調したかったからであろう。 (プラトンのイデア論と対比すると、 両者は正反対の立場になると思われる)

イデア表象印象概念の項を参照。

ちなみに、「もう観念しなさい」という場合とは意味が違うので注意。

04/21/99 追記; 02/Jun/2001更新


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Jan 28 03:19:29 JST 2000