(いであろん the theory of ideas [forms])
レイチェル「こんな気持ははじめてだわ。 わたしたちは、このびんのキャップのように、 型押しされた機械なのね。 わたしが--わたしという個人が--存在すると思っていたのは、 ただの幻想なのね。 わたしはあるタイプの見本にすぎないんだわ」
---フィリップ・K・ディック、 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、225頁
プラトンの思想。 われわれが普段見たり触ったりしている個々の物事(個物individuals)は、 実はイデアという原型(オリジナル)のコピーにすぎず、 本当の知識はイデアを知ることによってのみ得られるとする考え方。 プラトンの有名な洞窟の比喩を用いるならば、 われわれが見ているのは、炎に照らされて壁に映っている影で、 本物(原型)はわれわれの背後にある。(04/22/99)
シジウィックの説明が なかなか簡潔で的を射ているので、引用してみよう。
『もしぼくらが、正義とは何かを知ってるなら、 ぼくらは正義についての一般的な説明というか定義を行なえるはずだ』 とソクラテスは言ってます。 すると、正義についてのホントの知識は、 われわれが正義の一般概念を用いる個々の場合のすべてに共通する 一般的な事実や関係についての知識であるはずです。 けれども、さらに、このことは倫理学的な知識の対象に限らず、 思考や対話のすべての対象についてもあてはまるはずです。 というのは、個々の例に対して一般概念がもっている同様の関係が、 物理的な宇宙全体をつらぬいているからです。 そのような概念を用いることなしには、 われわれは宇宙[に存在するもの] について考えたり語ったりすることはできません。 そこで、なんにせよ知ることのできるものについての真のまたは学問的な知識は、 一般的な知識でなくてはならず、 そしてそれが主に関係するのは個物(個々のもの)ではなく、 個物がその一例となるような一般的な事実や性質なのです。 実際のところ、個物についてのわれわれの概念は、よくよく検討してみると、 そうした一般的な特徴をまとめたものであることがわかるでしょう。 けれども、また、ホントの知識の対象は、 ホントに存在する(実在する)ものであるはずです。 こうして、宇宙は一般的な事実や関係において実在しているのであり、 一般的な事実や関係の例となる個物において実在するのではないのです。Henry Sidgwick, Outlines of the History of Ethics, Hackett Publishing Company, 1988, p. 37.
08/05/99 追記; 02/Jun/2001更新