経験

(けいけん experience)

Now each man judges well the things he knows, and of these he is a good judge. And so the man who has been educated in a subject is a good judge of that subject, and the man who has received an all-round education is a good judge in general. Hence a young man is not a proper hearer of lectures on political science; for he is inexperienced in the actions that occur in life, but its discussions start from these and are about these; and, further, since he tends to follow his passions, his study will be vain and unprofitable, because the end aimed at is not knowledge but action. And it makes no difference whether he is young in years or youthful in character; the defect does not depend on time, but on his living, and pursuing each successive object, as passion directs. For to such persons, as to the incontinent, knowledge brings no profit; but to those who desire and act in accordance with a rational principle knowledge about such matters will be of great benefit.

---Aristotle

私は、人並み以上の天賦の才能をもつ官吏や大臣が、 未経験の仕事にはじめて接したときのことを知っている。 彼らは、素人が最初に見たとき思いつくことであるが、 よく考える段階になると放棄してしまわざるをえないようなことを、 今まで無視されてきたが、自分がはじめて明らかにした真理であると宣言して、 下僚を喜ばせるのである。偉大な政治家とは、伝統をまもるべきときと 同様に、伝統から離れるべきときを知っている人である。 しかし、政治家が伝統について無知であるほうが、 伝統から離れることをよくなしうると想像することは、 誤りである。共同の経験が承認している行動様式を十分に知っていない人は、 そのふつうの行動様式から離れることを要求するような環境について、 判断することはできない。

議会はせいぜいのところ、経験を審判する未経験、知識を審判する無知である。 自分が知らないものがあるということに気がつかない無知は、 不注意であるとともに高慢であり、 自分自身の見解よりも注目する価値のある見解を持っているという すべての主張を--それに憤概しないまでも--軽視するのである。

---J・S・ミル

[I]t is utterly useless to say anything about the scenery - it would be as profitable to explain to a blind man colours, as to person who has not been out of Europe, the total dissimilarity of a tropical view...

---Charles Darwin

I wish that I knew what I know now
When I was younger
I wish that I knew what I know now
When I was stronger

---Faces, `Ooh La La'


お金や学歴、男性における髪と同様に、持っていないとバカにされるものの一つ。 一般になるだけたくさんの経験を積んでいることが望ましいが、 女性の性的な経験に関しては、男性のあいだで意見が分かれる。

アリストテレスは社会に出て経験を積んでいない ものは倫理学(あるいは政治学)を学んでも無駄だと述べている。 それゆえ、アリストテレスならば、 倫理学研究室で勉強できる人間を社会人入学者だけに限ったかもしれない。

また、ミルには 高級なものと低級なものがあり、その差を判定できるのは、 両者を経験したものだけだ、と述べている (『功利主義論』、第二章)。 ビールしか飲んだことのない人間が、 ワインとビールのどちらがおいしいかを論じることはできないというわけだが、 問題は、両者を味わった人々の意見が分かれることが予想されるのと同様、 二つの快を経験した人々がいずれを高級な快とするかはそう簡単には同意が なりたたないと予想される点である。たとえば、 ある大学生が、麻薬の快の方が知的であることの快よりも優れていると主張した場合、 どう考えるべきか。

さらに、上の問題と関連して、 あることを経験した人とまだ経験してない人のあいだに真の理解が成り立つのか、 という問題がある。 老人が若者に「ギャンブルは身を滅ぼす」といくら注意しても若者は実際に 身を滅ぼすまで老人の言うことが真には理解できない。 売春や麻薬も実際にやってみないとその善悪を真に理解できないとするならば、 まだ売春をやったことのない人に「売春をやるべきでない」 ということを真に理解させることができるのか。 「そんなこと自分でやってみないとわからないじゃん」 と反論されたらどう答えるべきだろうか。 (しかし、「家族が泣く」「見つかったら補導される」 などの理由は、この経験議論とは別に主張することができる。 ただし、「じゃあ見つからなけりゃいいじゃん」という反論が予想されるが)

経験論の項も参照せよ。

[高級な苦と低級な苦Porn Tsar]

05/Jun/2001; 09/Jun/2001更新


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sun Aug 3 15:17:50 JST 2014