(りこせい、りこしゅぎ egoism)
スター「男の人はときどき、合理的に私利私欲から行動するわ」
ゴードン「理由は、かれらの祖先の半分が女性だからさ」
ロバート・A・ハインライン、 『栄光の道』、365-366頁
ジューリア 「どうかすると、ある事で脅かされるの--とても耐えられない、 夢にも考えられないようなことなの。 すると、つい口走ってしまうんです。 『自分にじゃない。誰かにして。誰かさんにやって』 その後で、それが嘘にすぎないこと、 そう口走ったのは彼らを止めさせるためで、 本気でいったのではないという振りをするかも知れないの。 けど、それは本当じゃない。 そう口走っている時は本気なの。 自分の助かる途はこれしかないと思って、 そのやり方で自分だけは助かろうとするんです。 自分じゃなくって、誰か他の人にやってもらいたいと心から願うの。 その人がどんなに苦しもうと一向に構やしない。 自分のことしか頭にないんだわ」
ジョージ・オーウェル、 『1984年』、382頁
I am a child of my time; we have learned such habits of selfishness, you and I, that the idea of personal sacrifice is as remote as chastity and as threadbare as the elbows on the jacket of a well-loved schoolmaster. This is the age of self-realisation; ask not what you can do for your country, ask, "Hey, what's in it for me?"
Allison Person, `Why it's so hard to find a good teacher', in Evening Standard (01/Nov/2000)
愚か者は心の中で言った、 正義などというものはありはしない、と。 ときには声に出してそう言うこともあった。 そして、次のように真剣に主張した。 「自分の生存と幸福は自分自身に任されているのだから、 各人が自分の生存と幸福の役に立つと思われることを行なわない理由はない。 またそこで、約束をすることもしないことも、 約束を守ることも守らないことも、 自分の役に立つ場合は理性に反することではない」と。 愚か者はこう言うが、彼は約束があるべきでないと言うわけではない。 約束がときに守られ、ときに破られることを否定しているわけでもない。 また、約束の違反が不正義と呼ばれ、約束の遵守が正義と呼ばれることを 否定しているわけでもない。 ただ彼は、不正義が(…)、 各人に自分自身の善の追求を命じる理性に反しないこともあるのではないかと 問うているのである。
---ホッブズ
エゴイズムに基づく好意だからといって、市民道徳に反するとは言えない。も ちろん、人間にエゴイズムを完全に捨てなければ道徳的になれないと説教する 倫理学が存在してもいい。しかし、その倫理学は大多数の人間にとって無縁で ある。
---加藤尚武
利己主義と自愛とは同一のものではなく、まさに逆のものである。利己主義は貪欲の一つである。(…)貪欲は底知れぬ落し穴で、けっして満足しない欲求をどこまでも追求させて、人間を疲れさせる。
---フロム
私たちのDNAは自分の自己複製機を作る。私たちは、DNAがひたすら同じDNAのコピーを作るために組み立てられた機械なのです。
---リチャード・ドーキンス
利己性とは、人間の心の中にある、 自分の利益を促進しようとする欲求のこと。 利己主義には心理的利己主義(心理的利己説) と倫理的利己主義があり、 前者は、「人間の意識的な行為は、 すべて自分の利益を促進しようとする欲求から生じている」 という事実の主張であり、 後者は、「人は、自分の利益を促進する行為をすべきである」 とする規範的な主張である。 利他性の項も参照せよ。
通常、「あの人は利己的だ」と言うと、 「あの人は自分のことばかりを考えて、他人のことを顧みない」 という意味に用いられる。 これは、「あの人は自分勝手だ」というのとほぼ同義である。 これに対して、心理的利己主義は、 「みんな(普通の意味で)自分勝手だ」というのではなく、 一見他人を思いやるような行為でも (また、当人もそのつもりで行為していても)、 実は自分の利益を促進する欲求から生じているのだ、 と論じる。すなわち、利他的な欲求とされているものもすべて、 利己的な欲求に還元されると考えるわけである。
倫理的利己主義は、多くの場合、 「自分の最善の利益になることは、社会全体にとっても利益になるし、 その逆もまた然り」 という前提を持つ。 しかし、たとえばシジウィックのように、 これに疑問を持つ倫理学者も多くいる。 ベンタムがこれに同意していたかどうかは 問題であるが、個人的には同意していなかったと言いたい。
愚か者の項も見よ。
(28/Jan/2000)
上の引用は以下の著作から。