利他性

(りたせい altruism)

--どうして他人のためにそこまで入れ込むのですか
「僕は生来、飽きっぽいところがあって、自分の利益や欲のためにだけ働いて いると、ある時期が来ると飽きる。喜びだって分かち合えないじゃないですか。 でも、人や社会のためだと飽きない。だれかが喜んでくれたとして、僕はその おこぼれをもらって「良かったなあ」と思うわけですけど、これが飽きないん です。他人のためだけど、自分のためでもある。仲間も大勢いますしね。」

---佐野章二、ビッグイシュー日本代表(朝日新聞2014年11月14日大阪版夕刊)

世界で起きていること、そして人々が直面している現実を本当に理解したら、なにもなかったふりはできません。人生がすっかり変わるのです。

---アンジェリーナ・ジョリー (Courrier May 2018 p. 13)


人間の心の中にある、他人のために他人を思いやる気持ちまたは欲求のこと。 自分のために他人に親切にするのは、 しばしば利己的だと非難され、道徳的でないと貶されるので注意。 利己性の項も参照せよ。

人間の心の中に利他性が実際に存在するか、 すなわち他人のために他人を思いやる気持が存在するか、 という問いは、近代英国道徳哲学の大きな主題である。 ただし、そこでは主に「自愛 (自己利益self-interest、あるいは利己的selfish)」と 「善意」という対立する言葉で論じられてきた。 この言葉遣いがいつ「利己性」と「利他性」 という言葉遣いに代わったのかは不明。

なお、内井先生によると、 利他性には進化論的意味と心理的(倫理的)意味があり、 前者の意味では、「ある行為が利他的なのは、 その行為が他人の適応性を増大させ、 行為者の適応性を減少させるときであり」、 後者の意味では、「ある行為が利他的なのは、 その行為が、単に自分の欲求を満たすための手段としてだけではなく、 他人のために、行為者の究極的欲求からなされるときである」。 (28/Jan/2000)


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Thu Apr 19 08:22:38 JST 2018