(いんがせい causation [causality])
「もうすぐ裏口のドアが開いて、例の丸頭の子がぼくの晩ご飯をもって出て来る…/ いつも起こることだからいつも起こるってぼくには分かってる/ 犬は何かが一度起こったら何度でも起こるって信じてる…それが犬の信念さ…」
---スヌーピー
因果性の問題は形而上学および 科学哲学の中心問題の一つとされ、とてもやっかいな議論なので、 以下ではケンブリッジの哲学辞典に頼って説明する。 哲学的には重要な話題だが、 一般人はあまり深入りする必要はないと思う。
原因と結果のあいだに成り立つ関係、あるいは結果(出来事、状態などの) をもたらす作用のこと。 原因と結果という考え方は日常的にも広く使われ、 また、学問においても基礎的なものである。たとえば、 物事を説明したり、天気予報を行なうするさいには、 「この結果はどういう原因から生じたか」とか、 「この原因があるとどのような結果が生じるか」などの思考法が用いられる。 さらに、道徳や法においては責任という考えは因果性と深く結びついている。 たとえば、「あの交通事故(結果)が起きたのは誰のせいか(原因)」など。
これまでの因果性の分析には、大きく分けて4種類ある。すなわち、 規則性による分析regularity analysis、 反実仮想による分析counterfactual analysis、 操作による分析manipulation analysis、 確率による分析probablistic analysis である。
規則性による分析 (または法則性による分析nomological analysis)とは、 個々の因果関係を持った事象は、 同様な種類の事象のあいだに成り立つ規則性を示すものであるという考え方である。 この考え方の大きな難点は、 一定の規則性を持って生じる二つの事象が必ずしも因果性を持つとは限らない ということである。 この有名な例は、「朝のあとには規則的に夜が来るが、 朝が夜を引き起こしているわけではない」 というリードの例である。
反実仮想による分析によれば、 「ある事象Aが別の事象Bの原因である」というのは、 「もし事象Aが起きなければ事象Bは起きない」ということである。 この考え方は、「原因とは結果の必要条件である」 という考え方と類似している。 この分析もいくつかの難点を持つが、 その一つは規則性による分析が持つ難点と似ていて、 反実仮想を用いて語られることが必ずしも因果性を含意しない場合がある ということである。 たとえば、もしとなりの山田さんが約束通りうちの庭の花に水をやってくれていたら、 花は枯れなかっただろうというのが正しい場合、 その事実に基づいて 山田さんが花に水をやらなかったのがうちの庭の花が枯れた原因だと述べるのは しごくもっともらしい。 しかし、もし英国のエリザベス女王がうちにやってきて庭の花に水を やってくれていたら、花は枯れなかっただろうという主張も正しいと思われるが、 だからといってエリザベス女王が花に水をやらなかったことがうちの庭の花が 枯れた原因だと述べることはできるだろうか。
操作による分析は、 行為actionという概念を用いて因果性を分析するもので、 「原因とは、結果である事象を生み出すためにわれわれが操作する (任意に生み出す)ことのできる事象のことである」という見解である。 しかし、行為という概念自体がよくわからないものであり、 ひょっとしたら行為という概念に因果性の概念が含まれている可能性もあるので、 この説明は循環している可能性があると言われる。
確率による分析とは、 事象Aが事象Bの原因であるというのは、 事象Aが生じたときに事象Bが起きる確率が高くなるという考え方である。 この考え方は近年哲学者の注目を集めているが、 はたしてこの分析がすべての因果性に適用できるかどうかなどの問題がある。
そのほかにも、causal overdetermination、preemptive [or superseding] cause、 sustaining cause、backward causation [retrocausation]、concurrent causation、 contiguous causationといった概念があるが、これについてはまたいつか。 あと、因果性に関するヒュームと 子ミルの見解も大切なのだが、 これについてもまた。
12/June/2000
冒頭の引用は以下の著作から。